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ガートとリシュア

 聖堂都市グラシアの大聖堂前広場には、聖女の姿を一目見ようと大勢の人々が押しかけていた。


 毎朝の祝福の為にしつらえられた白大理石の壇上、白地に金糸で装飾された豪奢な法衣が彼女の清浄を引き立てる。


 加えて今日の彼女は首から大きなメダルを下げていた。


 表面に描かれた意匠は精緻ではあるものの全体として大きすぎる上に古めかしく、只人ならば野暮ったくなることは間違いないが、聖女の胸の上に在ってはその神聖な美しさを飾るアクセサリーとして十分に機能している。

 

 何処かの貴族から贈られたものだろうか。今日の人々の話題の中心がこのメダルになることは間違いあるまい。


 服装だけではない。人々は聖女の一挙手一投足を見逃さない。


 だがその日集まった千人を超える人々の中で、グラシアの蒼宝と称えられる聖女の瞳に宿る静かな決意に気がついたものが、果たしてどれくらいいただろうか。



「……皆様」



 いつもとは違うその声に何かを感じたのだろう。


 拡声の魔具を通じて聖女の声が響くと、聖女の美と清浄を称えるざわめきが僅か納まる。



「私は――罪を犯しました」



 人々が息をのむ。


 壇の傍らを見やれば、いつもは常に穏やかな笑みを浮かべているオルバン司教ですら眉をひそめている。

 


「私は、人を愛してしまいました」



 再び広場にざわめきが広がっていく。


 聖女の愛が万人に平等に降り注ぐことは言うまでもない。だが、リシュアが口にした「人を愛する」がそういう意味でないことは明らかだ。



「まさか」「聖女様が?」「そんな馬鹿な」



 民衆、神官、護衛兵士たちの視線が説明を求めて壇の脇に立つ司教へと集まる。


 だが何が起きているのか、司教にも皆目見当がつかない。熟睡中に耳に冷水を注がれたようなものだ。

 


「彼の名は――ガート・バルド」



 周りの動揺など意に介さず、聖女による罪の告白はつづく。


 聖堂へと続く階段の影から、ひとりの男が歩み出た。



「あ、あの男は!」



 誰かが叫ぶ。


 聖女と同郷であるのを笠に着て、周りを見下して人々に暴力的に振る舞う嫌われ者、ガートであった。


 ひしゃげた鎧と血染めのマント。粗野で下品なその姿はつつましくもあでやかな聖女の隣にあるには到底相応しくない。


 人々の驚きは大きかったが、司教オルバンや監督官アルノー、警備隊長ドミニクらの動揺はさらに大きかった。


 魔物討伐を命じて追い払ったはずの厄介ごとが数日を待たずして成長して戻ってきたのだから当然のことだ。


 だが現れたガートは周りの反応など一切意に介さず、堂々たる足取りで聖女の前へと進み出る。



「ガート……」


「リシュア……」



 名を呼びあう二人の視線が、至近距離で交差した。


 男がもう一歩でも踏み出せば、二人がふれあうほどの近さ。


 そんなことは許されない。何人も、聖女の清浄を汚してはならない。

 


「な、何をしている! 早くかの者を捕らえよ!」



 聖務監督官アルノーの言葉に、護衛兵士たちは自分のなすべきことを見出した。


 かつての同僚であることに頓着している場合ではない。


 ガートを取り押さえるべく、ある者は槍を、ある者は弩弓(クロスボウ)を構えて壇に上がってくる。


 しかし。



「下がりなさい!」



 聖女の声に護衛兵士たちは一様にびくりと足を止める。


 忠実な護衛兵士たちは聖女の言葉に逆らうことはできない。



「リシュア様、ご自身が何をなさっているのかわかっておいでか?」



 そこに、朗々たる声が響いた。



 もはや一介の兵士達では事態の収拾は不可能。そう判断しオルバン司教の自らが説得に出たのだ。


 

「聖女を汚すことは大罪。そのガートという男は今この場で極刑に処されてしかるべき。ですがこの騒ぎが聖女様の些細なお戯れということでしたら、そのように取り計らいましょう」



 幼子を諭すような口調。聖女とはいえ一時の気の迷いはあるだろう。


 我に返り、罪を悔いて詫びるなら、寛大な心でそれを許してやろうではないか。



「さあ、どうぞ仰って下さい。先ほどの"愛"などという言葉は間違いであると。真っ赤な嘘であると。さればその男の命はグラシア教会司教オルバンの名において保証いたしましょう」



 無論、オルバンにその気はない。


 司教として如何の意を示しつつも、ガートの死を覆すことはできなかった。力及ばず申し訳ない。


 しかし泣きながら謝罪の言葉を述べるはずの聖女は毅然と言い放った。



「罪であることはわかっています。それから逃れようなどとは考えていません」


「な、何を……」



 怯む司教らの前で、聖女は懐に手を入れて何かを取り出す。



「ですから、これが我らの償いです」



 聖女の手のひらには、紫色の液体を湛えたガラスの小瓶が乗せられていた。



「ど、『槍使いの薔薇(ドリュセイエ)』……っ!」



 警備隊長ドミニクの言葉とともに、ざわり、と動揺が波紋のように広がった。



槍使いの薔薇(ドリュセイエ)』とは助かる見込みのない兵士に苦痛の無い死を与える猛毒である。



 パペッサという世界において苦痛とは悪であり、それから逃がれようとすることは罪でも恥でもない。


 だがそれは「人間」に限ったことだ。


 万人の所有物である聖女が自ら命を絶つなど、許されるわけがない。



「と、止めろ、お止めするのだ、聖女様はご乱心だ!」



 警備隊長ドミニクが声を限りに叫ぶ。だが、誰も動くことはできない。



「ええい、分からんのか! この際多少触れても構わんと言っているのだ!」



 更に絶叫するも、この際の「多少」が何処までなのか分からぬ兵士たちは右往左往するばかり。


 第一叫んだドミニク自身が一歩もその場から動けずにいるのだから、一介の兵士に判断がつくわけもない。


 何もできずに狼狽える兵たちを尻目に、聖女は手を伸ばして大罪人ガート・バルドの頬に触れた。



「っ……!」



 民衆が息を飲む中、ガートもまた聖女の頬に触れる。



 "聖女がこのような奇行に及んだ原因は、ガート・バルドなる兵士に在る"



 そのミストは万人の目に明らかだった。だというのに、ガートに罰が下らない。それは理不尽な話であった。


 神が罰を下さないなら、代わりに人によってなされなくてはならない。



「な、なんということを」「恐れ多い」「神罰が下るぞ」「兵士たちは何をやってるんだ」「早く聖女様から引き離せ」「そいつを、殺せ!」



 ガートの拘束、ひいては殺害を求めて民衆から怒号が飛ぶ。


 無論兵士たちも同じ気持ちだ。だがそれは言うほどに簡単ではない。


 ガート・バルドを拘束しようにも、その際に聖女に触れてしまえば今度はこの民衆の怒りが自分に向かいかねない。


 

 兵士たちが手をこまねいている間に、大罪人ガートはさらなる暴挙に及んだ。


 あろうことか、頬に触れているのとは逆の手で聖女を抱き寄せたのだ。


 

「あ、あああ、きき貴様、聖女様から離れろ!」



 その狼藉に耐えかねた兵士の一人が、正気を欠いたような大声をあげた。構えていた弩弓(クロスボウ)の引き金に指が掛かる。



「ば、っ、()せっ!」



 隣にいた兵士が慌てて制する。だが、遅かった。



「ひ、ひぃいいいい!」



 極度の緊張状態にあった兵士の指は本人の意志とは無関係に動き、引き金を引いてしまう。


 狙いをつけることもなく放たれた矢は、あろうことかまっすぐ一直線に聖女へと向かった。




 ――――!!!




 数えきれない絶叫、あるいは絶句。



 しかし、その日この場に居合わせた人々は、奇跡を目の当たりにする。



 「は?」



 間抜けな声を上げたのは誰だっただろう。


 聖女の胸を貫くはずの矢は、空中に浮かんでピタリと制止していた。


 大勢の人間が見守る中、空中に留まった矢は今度はくるりと不自然な弧を描いて反転する。



 "二人を、邪魔するな"



 まるで何者かがそう言って投げ返したかのように、矢は風を切ってそれを放った兵士の元へと戻っていく。



「ひっ!」



 すぐ足元、深々と刺さる矢を見て、兵士はへなへなとへたり込んだ。



「――、ありがとうございます」



 聖女が「何か」に向かって捧げた小さな祈りが、拡声の魔道具を介して人々の耳に届いた。




 そして彼らは俄かに気づく。


 聖女に触れるという大罪を犯したガート・バルドに天罰は下らなかった。



 それどころか今目の前で起きたことは見方によってはまるで、大罪を犯さんとする二人を「何か」が守ったかのようで。



 自らの内に生まれた新たなミストにより、世界は書き換わる。


 もはや二人を止められるものなどいない。



「ガート、ああ、ガート……あなたを愛してる……」



 兵士の腕の中、聖女の瞳が潤む。



「俺もだ。リシュア。君を愛している」


 

 兵士の腕が、さらに強く聖女を抱き寄せる。


 

 二人の体はさらに近づき、そして――唇が、重なった。


 時が止まったかのような静寂。


 眼前で起きている、決して許されることの無い罪。


 だが新たなミストを通じてみたならば、その罪は何処までも美しい。


 唇と唇が離れた時、聖女はその美しい顔に誰も見たことがないような晴れやかな笑みを浮かべていた。



「私が先に頂きます。あなたが先では、私はきっと耐えきれず、あなたを救ってしまいますから」



 全てから解き放たれたかのようなその笑顔。


 それを見て誰もが思う。



 待ってくれ、今のは、決して罪ではない。


 罪であるはずがない。



 だが、もう間に合わない。彼女は栓を抜き、その液を唇に触れさせた。


 ガートが続けて小瓶を取る。



「これからはずっと一緒だ。リシュア」



 彼はリシュアの手を取り、二人は互いの指を絡めながら、口に含んだ毒を同時に喉へと流し込んだ。


 死に向かう者たちとは思えない、希望に満ちた目。



 二人は再び口づけを交わし、そしてゆっくりと崩れ落ちた。



 聖堂の鐘が鳴り響く。



 平時ならお勤めの始まりを知らせるためのものだが、当然今日の癒しが開始されることはない。


 それどころかもう二度と、聖女リシュアが人々の為に祈ることはない。



 陽光が雲間から射し、二人の亡骸を照らす。


 その姿は、まるで神話(ミスト)の一場面を切り取った絵画のようだった。




 ――――――――



 かくしてパペッサという世界最高の聖女は永遠にこの世を去った。


 大罪人ガート・バルドの亡骸は、聖女とは別に、しかし丁重に葬られた。


 一部の過激な者たちよりも多くの民衆による「聖女様の意向に従うべき」との声に押された形だ。





 そして、激動の日から一夜明けて、現在。


 共同墓地に埋葬されたはずのガート・バルドは、うろうろと落ち着きなく"ナヴィア"の事務所内を歩き回っていた。

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