奇跡の対価
「もっと強く突き放すべきなのはわかっていたのに……できませんでした。今も、あの人は私に縛られているんです」
聖女は過去の思い出をまるで罪の告白のように語った。
「なるほど、理解いたしました」
ユーヤメが頷く。
リシュアの言うように、ガートとリシュアの間には強固な縁がある。
だがその繋がりは二人を縛るものではない。二人を縛っているのは、もっと別のもの。
そんなことはパペッサという世界に住む者でさえなければ、縁見の片眼鏡などなくとも一目瞭然だった。
「では改めてご提案させていただきます。聖女など今すぐにやめてしまい、誰も貴女を知らない場所でガート様と共に暮らしたいと思いませんか?」
ユーヤメの提案に、聖女は穏やかな表情で首を横に振った。
「残念ですがそれは」
「できますよ」
無知を諭すように言いかけられた言葉に被せるようにして、ユーヤメはその諦めを否定した。
「貴女の力は強力です。確かに神から授かった物なのかもしれません。しかし“貴女の力”と"聖女であること"はそもそも無関係です」
「え、ええと、何を……」
聖女は僅かにたじろぎを見せた。
彼女を見つめる淡白石色の瞳には、無知なのは自分なのではないかと思わせるほど強い知識が宿っている。
「できますよ」
怯む聖女にユーヤメは更に畳み掛けた。
「教会が貴女に施した聖女の契約――。私に言わせれば契約と呼ぶのも憚られる忌まわしいものですが、それを解約し、あなたとガートさんを教会の力の及ばない遠い地まで送り届ける。私どもにはそれが可能です」
「で、でもそれは……そんな……」
まさか本当に、本気で言っているのだろうか。
聖女を辞める。
こんな冒涜的で、夢のような話。
ガートと、もう一度。そんなことが、本当に。
「ただし、対価はいただきます」
聖女としてあるまじき思いに心を捕われていたリシュアは、付け加えられたその言葉に現実を取り戻した。
「私にお支払いできるものなどありません」
そう答える聖女の声には僅かな安堵が見えた。
悪魔の囁きに心を奪われかけていたリシュアは、抱いてはいけない願いを否定する根拠にホッとしたのだろう。
だがこれはユーヤメの作戦。聖女ははまんまと術中に嵌った。
「ありますとも。あなたの奇跡の力そのものです。私どもが怪我を負った際の治療をお願いしたいのです。勿論その際には別途、正当な対価をお支払いします」
「奇跡に……対価?」
聖女に対価を払う必要はない。
聖女の奇跡の恩恵に預かるには税を納め、教会に寄付をするか、道端で慈悲を乞うか。そのどちらか。
なぜなら "聖女の奇跡は無償で万人に降り注ぐ"。
その「聖女のミスト」こそが彼女を縛る鎖。教会が施した呪縛鎖はそこで彼女に同化している。
ならばそこに疑いを持つことで、呪縛鎖の心象束縛にほころびが生まれる。
リシュアはまず、自分の真の価値を知らねばならない。
「なにせ私どもの仕事は危険が多くてですね」
ユーヤメの言葉に、後ろに控えていたアンタンが大げさに四つの肩をすくめた。
「なにしろ国相手に立ち回ることもザラでござるからなあ」
「むしろ一国で済めばマシな方ですね。聖女様のお力を当てにできるとなれば大変にありがたいのです」
「……まあ」
ぽかんと空いてしまった口元を慌てて手で隠す。
聖女をさらって別の地に逃がすなどということを本気でしようとするならば、確かに国を相手にするくらいの覚悟は必要だろう。
目の前の二人は覚悟どころか、まるで今までに何度も同じことをしてきたとでも言わんばかり。
「……ああ、それは、とても素敵なお話ですね」
リシュアはしばらく考え、それからふふっと笑った。
「もしもそんなことができるのなら、ガートと二人、小さな授癒院を開いて。でもガートは外のお仕事をしたがるかしら? それなら私はガートの為に毎日パンを焼きましょう。私、パンを焼くのが得意なんです。もう何年も焼いていませんけど」
言い終えた後の聖女の微笑みは、やはり優しさに満ちていた。
「ふふ、不思議ですね。こんな風に自分の事を話すなんて」
ただ一つだけ違うのは、ユーヤメ達を無知な田舎者と侮ってはいないこと。
もしかしたら本当かも知れない。
そう思いつつ、パペッサという世界最上の聖女は微笑む。
「素敵なお話をありがとうございました。一時とはいえ、夢を見ることができました。私はまた明日からも、人々のために頑張れます」
「……契約は不成立ですか。残念ですが折角ガートさんが作ったお休みの時間をこれ以上邪魔するのも申し訳ない。本日はこれで失礼いたします。ですがもしも気が変わりましたら、こちらのチラシからお伝話下さい」
そう言ってユーヤメはリシュアに一枚の紙片を手渡した。
「ところで最後ひとつ。先ほどのお話で気になったのですが、リシュア様は個人に降りかかる災難を予言することができるのですか?」
ユーヤメの質問にリシュアは首を横に振った。
確かに以前はそんなことがあった。先ほどユーヤメの話でもあげた通りだ。だがあれは予言などというものではない。
「そんなに大げさなものではありません。夢に見たり、ふと突然助けを呼ぶ声が聞こえたり……。ですがそれも最近は全く見なくなってしまいました」
「なるほど、理解しました」
何かを納得したらしく、ユーヤメは深く頷いた。
「ではこれで本当に失礼いたします。」
一礼したユーヤメを、巨漢の虫人がひょいと持ち上げる。
「お邪魔したでゴザル。いずれまた」
そしてユーヤメを抱えたまま蟲人も同じように一礼したと思うと、次の瞬間まるで本物の旅芸人の手品のように、二人の姿は消え失せていた。
あけ放たれた窓でカーテンだけが静かに揺れている。
「……退職、代行……」
聖女の務めは神から与えられた神聖なもの。
だけどもしも、私が聖女じゃなかったら。
「ガート……」
数年ぶりに、そんなことを考えた。




