ヴァーモンの少女
日も落ちかけた夕暮れ時、競い合いながら薪たきぎを集めていた幼き日のリシュアとガートは、いつの間にか山咬犬マッグの群れに囲まれていた。
群れと言っても小さなものであり、大人ならば棒の一本でもあれば一人で追い払える程度の脅威ではある。
しかし当時の二人にとってはそうはいかない。
リシュアは怯えるばかりだったが、ガートは勇敢にも薪を手に山咬犬マッグの群れに立ち向かった。
薪の先端が群れのボスの鼻先を捉えるという偶然に助けられ、なんとか山咬犬マッグを追い払うことに成功したものの、ガートは大怪我を負ってしまう。
ガートの足に深く刻まれた牙の痕と、そこからあふれ出す血液。
それを見た瞬間、リシュアはついさっき山咬犬マッグに囲まれた時よりもはるかに強い恐怖に襲われた。
――ガートが、死んでしまう。
それを否定したくて、リシュアは何かに向けて祈った。
かくて、最初の奇跡は起きた。
パペッサの世界では時折、少女が癒しの力に目覚める。
その多くは授癒師として授癒院に勤めるのが習わしとなっている。
リシュアが癒しの力に目覚めたことは故郷のヴァーモンの村にとっても喜ばしいことだった。
ほんの小さな山村であるヴァーモンには授癒師はおらず、授癒師がいる町までは歩けば丸二日はかかる。
近隣の村々からも頼りにされることだろう。それは村の利益にも繋がる。
とはいえリシュアの力の恩恵を最も多く受けたのは間違いなくガートだったろう。
幼い頃のガートはやんちゃで良く怪我をしていた。命にかかわるような怪我はあの一度きりだったが、ほんの小さな擦り傷でも大人たちにからかわれながらガートの怪我を治すのはリシュアの仕事で、それが誇らしかった。
だが、話はそれでは終わらなかった。
「ザンネおばあちゃんがたいへんなの!」
ある夜、寝ていた幼い頃のリシュアが急に起きて来て言ったことに、両親は最初夢でも見て寝ぼけているのだろうと思った。
しかしなおも騒ぐリシュアを宥めるために外に出ると、果たして家の裏で一人で暮らしていたザンネ老婦人の家から煙が上がり始めているのを見つけた。
慌てて人を呼びに行き、近所の大人たちが駆けつけて火は小さなうちに鎮火された。
ザンネ夫人は軽い火傷を負っただけで済み、その火傷もリシュアの力によりたちどころに癒された。
また別の時、リシュアは樵のバルドが山の中で足を痛めて動けなくなっていることを言い当てたこともある。両親がこれを信じて動かなければ、バルド爺は山咬犬マッグの餌食になっていたかもしれない。
ハインツ少年が池に落ちた時などは、噂になり始めていたリシュアの言葉をたまたま近くにいた村一番の泳ぎの名人トーマが信じて駆け付けたため、当時のリシュアよりも幼かったハインツは一命を取り留めた。
こんなことが度々起こった。
授癒師が災難を言い当てるなど聞いたこともない。
それに、リシュアの癒しの力自体も異常なまでに強力だった。折れた骨を一瞬のうちにつなぐなど、大都市の授癒師にだってできる芸当ではない。
これはただの癒しの力ではないのではないか。
もしかしてリシュアは。
――聖女なのではないか。
リシュアが十八になった時、グラシアの教会から監察官がヴァーモンに派遣されてきた。
この頃には噂は近隣の村に知れ渡り、訪れる傷病人は行列を成すほどになっていたが、監察官エドワルド・リームには全くやる気が感じられなかった。
こんな田舎に聖女が生まれるはずがないという思いが透けて見える。
同じような話に何度も付き合わされてうんざりしていたといいうのもあっただろう。
聖女の祈りを待つ行列の中に、身体の半ばまでを灰蝕病に侵された者がいた。
この病にかかると体の一部が灰のように白く硬く変質する。
一度発症すると灰化は徐々に全身に広がっていく。仮に灰化した部分を切り落としても病を取り除くことはできない。また別の所に病巣が現れる。
身体は動かなくなっていき、意識だけははっきりした状態で体が灰になっていく恐怖を延々と味わい続けることになる。
病と名が付けられているものの、灰蝕病は自然発生するものではない。
患者は古物商の一人娘だということだった。
もぐりの冒険者が持ち込んだ呪物にに触れ、呪いを受けてしまったのだろう。
元は美しかったであろう顔にも灰化が始まっており既に片目がふさがっていた。
あと数日のうちに灰化は脳に達し、娘は命を落とす。
しかし、奇跡は起きた。
リシュアが祈りの言葉と共に手を触れると、ぼろぼろと灰が崩れ、そこからまったくの健康的な皮膚が現れたのである。
皮膚はそこから灰化を上書きするように広がり、瞬く間に全身を覆った。
なんと娘は視力までも取り戻したのだ。
一部始終を見ていたエドワルドは驚愕と共に態度を一変。地に伏して非礼を詫びた後、すぐにヴァーモンを発つ。
その日から十日を待たずして、ヴァーモンの村に聖女奉迎の行列が到着した。
リシュアが聖女になってから三年後。
護衛兵士に見知った人物が加わった。
一層凛々しく成長したガートの姿にリシュアの心は揺れた。
だが万人に奇跡を授ける聖女が誰か一人を特別扱いすることなど許されるはずがない。
「聖女になった私はもう人ではありません。どうか私のことは忘れて、あなたは別の誰かと幸せになって」
内心を押し殺して他の者に聞こえぬようそっと告げた言葉に、ガートはただ静かに首を横に振った。
「私は貴女様の護衛。お気遣いなど無用です」
俺ではなくて私。お前じゃなくて貴女様。
儀礼的なあいさつを除けば、村を出て以降ガートとリシュアが言葉を交わしたのはそれが最初で最後だった。




