聖女の私室
壁は磨き上げられた白大理石。天井には天使の彫刻が施され、窓には絵ガラスが嵌め込まれている。絹地のカーテンにも金糸で装飾が施され、床には厚い絨毯。
一見すれば王侯の間にも劣らぬ華やかな内装。
教会は聖女の待遇を誇示するために、惜しみなく金を注ぎ込んだ。
寝具も衣も上等、彼女自身にも高額の給与が支払われている。
だがこの部屋が同時に彼女の“牢”でもあるということは、部屋の主を含めて誰も知らない。彼女をこの牢に封じている者たちですらそのことに気がつかない。
ここはパペッサ。
人があらゆる苦痛から解放される、稀有なまでに平和な世界。
――――――
自室に戻るなり、聖女リシュアは崩れるように豪華な装飾が施された椅子へとへたりこんだ。
勤めを終えた後も請われるままに奇跡を行った体は疲れ切っており、一度座ってしまえばまるで糸が切れた人形のようだった。
ガートがいなければさらに力を使い、人々の前で倒れてしまっていたかもしれない。
――未熟さを痛感する。
こんな姿を人々には見せられない。
どれだけの疲労が積み重なろうとも使命を忘れてはならない。聖女とはそういうモノだ。
「やはり、お疲れのご様子ですね」
不意に室内に響いた声に、リシュアは慌てて顔を上げた。
「……誰ですか?」
掃除をしていた侍女に気がつかず部屋に入ってしまったのか。リシュアがそう考えてしまったのも当然だろう。聖女の私室に外部の者が侵入などできるわけもない。
だが分厚いカーテンの後ろから現れたのは見知った気弱な侍女ではなく、大柄な蟲人とモノクルの少女という珍妙な二人組だった。状況が呑み込めずにぽかんと口を開けるリシュアに少女が頭を下げる。
「夜分突然の訪問、申し訳ありません。人を呼ばないでいただけると助かります。私ども怪しい者ではありません」
「や、どう考えても怪しいでゴザル」
少女の後ろ、巨漢のボヤキはリシュアの感想そのものだった。
「……たしかに怪しいですが、貴女のお力になりたくて参上した者です。悪意はございません」
「押しかけセールスゆえ、そこも微妙でゴザルが……」
「アンタンさん、少し黙っていて下さい」
リシュアの口元に微かな笑みが浮かんだ。
「セールス……。 あなた方はもしかして旅芸人の方たちですか?」
高く張られたロープの上で獣人の少女がトンボ返りをするのを見たことがある。彼らなら宿舎の壁伝いにこの部屋に侵入することも可能に違いない。
「いかにも、似たようなものでゴザル」
「やっぱり!」
巨漢が頷くのを見て、体は疲れ切っているにもかかわらずリシュアの目が輝く。多彩な芸を披露する旅芸人たちはリシュアの数少ない楽しみの一つだ。
公演の許可を得るために教会の許可を得るべく忍び込んできたということだろう。教会のトップが聖女であるというのはよその街からやって来る者たちによくある勘違いだ。
「せっかく来ていただいたのにすいません。私にはそういった権限はないのです。でも教会に直接伝えていただければすぐに公演の許可は下りると思います」
この場所に忍び込むような業を持っているならば許可は簡単に降りるだろう。リシュアから口を利くのは一向に構わないが、聖女の寝所に無断で立ち入ったことは伏せておいた方が彼らの為には良いかも知れない。
謝罪を口にするリシュアに対し、しかし侵入してきた小柄な少女は額に指をあてながら首を横に振る。
「違います。アンタンさん、話をややこしくしないでください。私たちは勇者専門退職代行、『ゆーやめ』。私は代表のユークリファ・ヤタノア・メトロディータ。長いのでユーヤメちゃんと呼んでください」
「同じく、アンタンと申すでゴザル」
「ゆー……やめ? 退職代行?」
退職。その響きを、リシュアは聞き慣れぬ言葉として繰り返した。
「旅芸人さんではないのですか?」
「はい。望まない職に就いた方々がそこから抜け出すためのお手伝いをさせていただいております。我々にお力になれることはございませんか?」
つまり彼女が言っていることは、リシュアを聖女ではなくする、ということだろうか。
もし仮にそんなことが可能なら。
――ガート。
一瞬よぎる思いはしかし過去の物。
「聖女の役目は神より授かりしもの。抜け出したり辞めたりするようなものではないのですよ」
聖女は穏やかながらもしっかりと彼らの勘違いを訂正した。
「しかし教会の務めだけでも既に十分な過労。その後も無償奉仕など、他の世界では考えられないオーバーワークです。続ければ体を壊すどころか命にかかわりますよ」
面白いことを言う人たちだ。
もしかしたら彼らには、リシュアが人間に見えているのかもしれない。
体を壊す。
そんなことはわざわざ言われるまでもない。
聖女の寿命は短い。それは聖女としての使命を果たす彼女たちを神が欲するからだと言われている。
だがそれが本当は奇跡を行使し続けたことの代償であることは聖女ならば誰でも知っている。
若くして死を迎えることは聖女にとって誇りだ。
「この身を案じていただいたこと、嬉しく思います。しかし心配は御無用です。ご存じないかも知れませんが、聖女とはそういう物なのですよ」
この珍妙な二人はきっと、凄く遠くから来たのだろう。パペッサにも聖女の力が及ばない地域がある。
幼い頃のリシュア自身と同じように、彼らは聖女について何も知らないのだろう。
「ですが心配無用の聖女様の心配しているのは、私共だけではないようですが?」
美しい顔に穏やかな微笑みを浮かべて諭すように言うリシュアに、ユーヤメは意味ありげに首を傾げた。
「集まっていた人たちを追い払っていた護衛兵士の方。確かガートさんと呼ばれていましたか」
ユーヤメが其の名を口にすると、リシュアの表情がかすかに動いた。
「失礼ながらガートさんは、どういうご関係でしょうか?」
文字通りに失礼で不躾な内容だったが、聖女はその質問を上手く受け流すことができなかった。
「どう、とは?」
動揺は隠しきれず、視線は宙をさまよっている。
「あの方とあなたの間には、聖女と護衛にとどまらない縁エンが見えたものですから」
「エン……?」
リシュアは小さく眉を寄せた。
「不思議なことをおっしゃいますのね」
少しの沈黙。やがて、ためらうように唇が動く。
「ガートは……幼馴染です。私たちは結婚の約束をしていました」




