2-1 パペッサの聖女
夏の陽は傾きはじめ、聖堂都市グラシアの外郭を黄金に染める。
旅人や商人たちの声が交じる通りは活気に満ちていた。市場は夕食の材料を求める人たちでにぎわい、果物の甘い香りや焼きたてのパンの匂いが漂う。
「お買い物は平和な世界に限りますね。品数が違います」
「……それにしても買いすぎだと思うのでゴザルが」
ユーヤメのつぶやきに隣のフード姿の巨漢が四つある肩をすくめた。四本の腕にはそれぞれ既にパンパンになった大きな袋を持っている。
長く平和が続く世界、パペッサ。
その中でも聖女リシュアの加護に守られた聖堂都市グラシアに住まう人々は日々の生活を脅かされることもない。
「アンタンさんが出歩ける世界はそう多くないですからね。荷物持ちがいる日は貴重なんです」
「社員使いが荒いでゴザルなあ」
口ではそういうものの、アンタン自身もこの買い物を楽しんでいる。
好物の透き通った飴玉やガラス瓶に入った甘い飲み物がこっそりと荷物に追加されているのは買い出し係の役得だ。蟲人は色に味を感じる。
大きな二つの複眼、四本の腕、それに半透明の外骨格の昆虫人間。カゲロウ族のアンタンの姿は多くの世界において異様であり、場合によってはモンスターとして討伐の対象になりかねない。
奇異の視線を向けられるだけで済むのはパペッサという稀有なまでに平和な世界であればこそだ。
「ナヴィアさんに頼まれた分は揃いました。あとはガシャさんにも何かおみやげを買って帰らないと」
ガシャさんことガシャルドはアンタン以上に異様な風体もさることながら、その体格ゆえに通れる扉がなかなかないため【繋空扉】を使っての外出は難しい。
となるとナヴィアで世界に接舷して直接上界するしかないわけだが、街中でそんなことをすれば大変な騒ぎになってしまう。
なので基本ナヴィアと共に留守番である。
ガシャルドの好物はカフェインドリンクとプルンとした食感のプリン。どちらもこの世界にはないが、ドリンクはともかくプリンの代替物は見つかることだろう。
甘いクリーム系の入ったお菓子か、見つからなければ材料を仕入れていけば優秀な事務職員兼料理人であるナヴィアが何とかしてくれる。この世界の小麦や卵は味も香りも強く、菓子の材料として申し分ない。
「お、良い香りがしてゴザル。あそこはどうでゴザルか?」
八本ある指の一つでアンタンが示したのは小さなパン屋だった。店先に並べられたパンには砂糖がふんだんに振りかけられており、ガシャルドの好みにもよく合いそうだ。
食事の味に価値を見出せるのも、平和な世界ならではの事。
土産の購入の為に入ったパン屋だったが、並んでいたハンドパイがあまりにもおいしそうだったため、二人は帰る前に軽く食事をとることにした。
外で食べてきたと言えばナヴィアは良い顔をしないだろうが、仕入れたチーズとハムがあれば機嫌は直るはずだ。
パン屋の店先、二人が玉ねぎとひき肉入りのハンドパイを平らげた後、アンタンの心を射抜いた砂糖衣がきらきらと艶めくシナモンロールをぱくついていると、何やら急に町が騒がしくなった。
「――聖女様だ!」
誰かの叫びに、群衆が一斉に振り返る。
白絹に金の縁をあしらった法衣に身を包んだ女性が護衛に囲まれて大聖堂の広場から続く道を歩いていた。
「あの方がリシュア様ですか。お勤めの帰りですかね」
「ほほう、美人でゴザルなあ……」
蒼い瞳、腰まで伸びた金糸のような髪。薄氷のように儚げな顔立ちが、群衆の視線を一身に集める。
彼女の名はリシュア。
この都市の大聖堂に仕える、若き聖女である。
パペッサという世界には祈りにより癒しの奇跡を行使する女性、「聖女」が存在する。
中でもリシュアの祈りはあらゆる怪我や病を癒し、あらゆる苦痛を取り除くとされ、その奇跡を求めてパペッサ各地から多くの人々が聖堂都市グラシアを訪れる。
富裕層である彼らが納める高額な寄付金は都市の主要な財源であり、また街で使われるお金はグラシア市民にとっても大切な収入源となっている。
武装した兵士に付き添われて歩む聖女リシュアの前に、足を引きずった一人の老女が進み出た。
「聖女様、どうか私の足を治して下さい。痛くて痛くて、仕方がないんです!」
平和な世界と言えど、人の暮らしには格差がある。"聖女の奇跡は万人に降り注ぐ"という教会のキャッチコピーとは裏腹に、実際にその恩恵を受けられるのはグラシアの市民の中でも教会に高額な税を納めることができる中級以上の者たちだけだ。
教会で正規の癒しを受けられないのならば、彼女が教会を出た時に施しを受けるしかない。
リシュアは立ち止まると両手を組んで祈りの言葉を口にした。
「ああ、痛みがとれていく。ありがとうございます、ありがとうございます」
老女はひれ伏し、感謝と歓声が広場を満たした。
だがその様子を見ていたユーヤメは眉を顰める。
「リシュア様のお力、確かに凄いものですね。ですがあんなことをすれば……」
ユーヤメの懸念はすぐに現実のものとなった。
同時にリシュアの元に次々と人が押し寄せる。
「私にも、祈りを」「奇跡を!」「どうかお恵み下さいませ」「聖女様、どうかこの子に祈りを!」
護衛についていた兵士の一人が、小さく舌打ちした。
「下がれ!本日のお務めは終わりだ!」
強い声で叫び、群衆を押し戻す。そのうちの一人がよろけて尻もちをついた。
「む、乱暴でゴザルな」
アンタンが下の腕を組みながら上の右手で顎をポリポリと掻いた。
「またあいつか」
「出しゃばりやがって」
聖女に近づくことを阻まれた人々は、縋ろうとした時とは打って変わって口ぎたない罵りの言葉を吐き捨てて去っていった。
しかしその言葉につらそうに顔を伏せたのは罵られた兵士ではなく聖女リシュアその人。
「ふむ?」
一見、心優しい聖女と冷酷な護衛。
「なるほど。平和な世界、ですか」
縁の糸を見通すユーヤメの片眼鏡がきらりと輝いた。
「アンタンさん。あの護衛兵士の方に少し話を聞きましょう。ビジネスチャンスの匂いがします」




