帰還
世界渡航艦"ナヴィア・ケノノート"の内部。
オレンジジュースのさわやかな酸味を味わいながら、ヒイロはユーヤメから事の顛末を聞いていた。
レオノールから殺されるほど憎まれていたという事実はかなりショックだったが、それ以上に呪縛鎖には女性を狙うように術式が組み込まれていたという事実にゾッとさせられた。
あの鎖が最初に狙ったのは明日香。そのことを思い出せば、レオノールとは決して分かり合うことはできない。
「ヒイロ様の財産ですが、エクスキュリアに残っている分はこちらで回収いたします。加えて、その剣を頂戴したいのですが宜しいでしょうか」
「えっ、はい。でもこれ……」
この世界でヒイロが手に入れた者は全てユーヤメに譲渡する。それに全く異存はない。
ただ、この聖剣は自分の物ではない。はい、と素直に渡していいものだろうか。
それにもう一つ大きな問題もある。
「あの、すいません、これ、僕しか持てなくて……」
一応外して机の上に置いてみたが、この剣はヒイロ以外には持ち上げることもできない。
宴の席で是非自分に聖剣を持たせてみてくれとせがまれたことはある。
居合わせた騎士や令嬢たちが並んで順番に聖剣に手を掛ける様はまるで遊園地のアトラクションのようだった。
だが持ち上げることはもちろん、壁に立てかけられた剣をわずかに動かすことすら誰にもできなかった。
「ご安心を。このあたりは得意分野でして」
ユーヤメはそういって机の上に置かれた剣の柄に手を掛ける。
「……え」
果たしてユーヤメは、聖剣をいとも簡単に持ち上げて見せた。
「代理人という概念を式で打ち込んだ上、ヒイロ様との本契約を触媒として用いてみました。聖剣といえどヒイロ様の代理人を無碍にはできないようですね」
ヒイロも魔法の初歩位は心得ている。
魔術式は世界に信じさせたい虚構とそれを可能にするだけの説得力。触媒はその説得力を強化するためのもの。
ユーヤメの説明は単純で乱暴だが、的を射ているような気もした。
ユーヤメほどの魔法使いはそうはいないだろうから、その主張も筋が通っていて当然だろう。
そこまで考えて、ヒイロの理解は、すとん、ともう一段階深いところまで及んだ。
――なるほど、これが魔法というものか。
「しかし聖剣というだけあってロックも厳重ですね。代理人程度では力を開放するのは難しそうです」
何処までが本気なのかユーヤメの口調からの判断は難しい。既に持ち上げてしまったのだ。ユーヤメならヒイロ以上に上手く聖剣を扱えそうな気がする。
だが当のユーヤメは聖剣を鞘から抜いて(!)様々な角度から観察してしきりに感心していた。
「材質からして謎です。金属なのは確かですがそれ以外は皆目見当がつかない。もしかしてこれがオリハルコンというものでしょうか? 内部に格納された魔法はどれも規格外。理論はわかっても同じ式を成立させるのは無理ですね。まさに聖剣と呼ぶにふさわしい。これならエクスキュリアの第一勇者の神話にも納得がいきます」
「第一勇者の神話って、世界に穴が開いて、っていうアレですか?」
「はい、そのお話です」
やっと一通り見分が終わったらしく、聖剣を机に戻したユーヤメがかくんと頷いた。
昔、世界に穴が開き、そこから怪物が流れ込んできた。神託を受けて聖剣を見出した若者がこの怪物を退治して世界に平和をもたらした。
それが第一勇者の神話だ。
「その後何らかの理由でウェオロルドから流れ着いた方が、たまたま聖剣を使うことが出来たわけですね。そこまでは良かったのですが。この第二勇者様のミストを元にした召喚魔法が開発されてしまいました。エクスキュリアにこの剣があれば、第四、第五と勇者様が誕生し続けることになります」
「…………」
エクスキュリアの第四、第五の勇者。それはヒイロと同じ世界に生きる誰か。
ユーヤメのいう事に従えば、頼まれたら断れない、自分よりも人を優先する、誰かが困っていると放っておけない。そんな女性であるらしい。
ヒイロにはその条件にぴったり当てはまる人物に心当たりがある。現にその人は呪縛鎖に一度狙われているのだ。
それだけは駄目だ。この剣をエクスキュリアに戻すわけにはいかない。
「わかりました。これもユーヤメさんにお渡しします」
「はい。確かに頂戴致しました」
ユーヤメが深く頭を下げる。代金の支払いは完了。丁度そこに銀髪の美女ナヴィアがやってきた。
「ユーヤメ様。間もなくウェオロルドに到着です」
「了解です。では始めましょうか」
ユーヤメはぴょんと椅子から飛び降りて部屋の中央へと歩いていく。
「ヒイロ様、こちらに立っていただいて宜しいでしょうか」
示された位置にヒイロが立つと、向かい合う形になった。
一月前、ヒイロが駄々を捏ねたため先延ばしになっていた呪縛鎖切断の儀式魔法が始まる。
本来異物であるヒイロは呪縛鎖によってエクスキュリアに固定されている。
これを切断することでヒイロと元の世界の親和が増幅され、縁を辿ってのピンポイント帰還が可能になるのだそうだ。
「できるだけ気持ちを落ち着け、力を抜いてリラックスした状態でいて下さいね」
なかなか難しい注文だ。何しろユーヤメが高く掲げた短剣には、死神の物語が込められているというのだから。
「ミツキ様、お力をお借りします」
口にした名前は八百年前に牙が生え変わったという狼のものだろうか。やはり死神に知り合いがいるらしい。
ユーヤメが右手の短刀を、刃を上にした形で地面と水平に、高く掲げる。
「其は繋がりに非ず。呪い也、虚ろの鎖也、在らざりし理也」
朗々とした詠唱で紡がれる魔術式に応えて、死神の牙でできた刃が煌と光り出す。決して強くはないが、青く透明でどこか優しい光。
その輝きに照らされるとヒイロは突然体にずしりと重みを感じた。この感覚が悪いものでないことは以前に聞いて知っている。
気がつけば自分の身体には、視覚的にも、真黒な鎖が巻き付いていた。
これが呪縛鎖。
鎖断刀ムーンバイトに込められた魔法によって、詳らかに照らし出された、ヒイロを縛る鎖。
「在らざる理、魂を束縛すること能わず。されば我は死を司る大狼サクラ・ミツキの威光を以て之を断つ」
月の刃の輝きがさらに強くなる。
月明かりによってその存在を否定され、鎖がぎしぎしと耳障りな悲鳴を上げる。
「悪縁切断。【月喰みの牙】」
淡白石の瞳を大きく見開いて、ユーヤメは刃を振り下ろした。
ぱぁんと耳には聞こえない音が広がり、真黒な鎖が爆ぜる。そのかけらは刃の明かりを恐れるようにして虚空へと溶けていく。
「お疲れさまでした。これで儀式は終了です」
身体が、心が軽い。
ヒイロは確かに、自分を束縛していた鎖が消え去ったのを実感した。
「では、参りましょうか。お出口までお送りいたします」
ユーヤメに続いて扉に向かう途中、通路に巨大な鎧が飾られているのをみつけた。目が赤く輝いているところを見ると、これも何かの魔法の装置なのだろうか。
ふとその目がヒイロを追って動いたような気がして、ヒイロは慌ててその場を離れた。
「以前お話しましたように、ヒイロ様がお戻りになるのはおよそ二か月前のウェオロルド。数時間から数日間のズレが起きる可能性はありますが、その点はご容赦下さい。また戻った直後は記憶に若干の混乱が生じるかもしれません。世界のつじつま合わせによるものですが、これについてはすぐに解消されますのでご心配は不要です」
目の前には一つのドア。
この先はヒイロの日常へとつながっている。
「ヒイロ様。この度は”ゆーやめ” をご利用いただきありがとうございました」
外見に合わない洗練された所作で頭を下げるユーヤメに、ヒイロは負けないくらい深く頭を下げた。
「あ、あの、本当にありがとうございました」
その言葉に心からの感謝を込めて。
言葉でしか感謝をあらわすことができないのはとても歯痒いことだ。
「おう、ヒイロ! もう呪縛鎖なんかに掴まんじゃねえぞ!」
「はい。気を付けます。オノダさんもありがとうございます」
大きな声を上げて手を振るオノダに、ヒイロも手を振り返す。
ユーヤメの後ろで微笑みながら見送ってくれるナヴィアにも会釈を返して。
振り返ったヒイロは目の前のドアノブに手を掛ける。
――瞬間。
世界は白く反転した。




