エクスキュリアの神話
エクスキュリアの神話に曰く。
かつて世界に穴が開き、そこから異形の怪物が溢れ出した。
人々が絶望に沈む中、神託を受けた一人の青年が洞窟に隠された聖剣を見出す。
聖剣の力で異形を打ち払い世界を救った青年は、後に勇者と呼ばれるようになった。
勇者の死後、彼が鞘ごと地に突き立てた聖剣は何者にも抜くことができず、やがてそこには巨大な聖堂が建築された。
こうして聖剣は平和の象徴として人々の信仰の対象となったのである。
しかし今からおよそ二百年前。
魔族と人との間に戦が起こった時、再び聖剣の担い手が現れた。
混乱の最中ヴァルセイン王国に現れた二人目の勇者は大聖堂の中央に納められていた聖剣を引き抜き、その力で魔族を圧倒した。
かくして再び人の世に平和が戻ったのである。
伝説によればこの二人目の勇者は異世界からの迷い人であったとされている。
戦いの最中、彼女はヴァルセイン王国の若者と恋に落ちた。
この若者こそが後の征伐王ヴァルドリス一世その人である。
二人の血を継ぐ者の中からはごく稀にではあるが聖剣を扱える者が現れ、後の王国を支えたのだという。
そして現代。
勇者の血筋は薄まり聖剣を扱える者が絶えて久しいヴァルセイン王国と人族に対し、再び魔族の侵攻が始まった。
魔王という強力な指導者の下一致団結した魔族の脅威に対し人族は防戦一方であった。
しかしついに、人は魔王軍への反撃の手段を見出した。
――聖剣教会の魔術師たちが、異世界人の召喚に成功したのだ。
ここはエクスキュリアの中央国家、聖剣王国ヴァルセイン。
聖剣と勇者によって守られる、神聖にして侵すべからざる地。
――――――――――
ヴァルセインの王都ヴァロアにあるカールグレイン南方境候の別邸では三人の人物による密談が行われていた。
「……全く、若き勇者殿には困ったものだな」
屋敷の主であるレオノール・カールグレインの口調は淡々としたものだ。だがその場にいる残り二人には彼の心情が痛いほどに理解できた。
「おっしゃる通りでございます」
書記官メルダがうやうやしく頷く。
「おだてられれば誰にでもへらへらと。ご自身の立場をなんと心得ておられるのか」
老将軍エディスも忌々し気に鼻を鳴らした。
「しかも二言目には自分は元の世界に帰る。世界の命運をなんとお考えか」
「フ……。本当にお帰り頂けるなら、どれほど楽かと思うがな」
尚も憤慨するエディスにレオノールも口元を苦笑に歪めた。
『魔王を倒せば元の世界に帰ることができる』
教会の老人たちに言い含められ、ヒイロはそれを信じている。
もちろんそんなことが可能なわけはない。ヒイロに言うことを聞かせるための老人たちの方便だったが、当初はそれで問題なかった。
一国の王である魔王を打ち取ることなど叶わない。いくら勇者が強力だと言ってもそれは結局個人の力。戦争はこの先もずっと続く。
――そのはずだった。
だがヒイロの、聖剣の力はあまりにも強大だった。
本当に戦争を終わらせかねない程に。
もしもヒイロが魔王の討伐をなしとげたならば、それは平和への一歩などではなく秩序の崩壊の始まりにほかならない。
そもそも召喚の魔法で「男」が呼ばれたのが間違いの始まりだった。
勇者召喚の折、召喚対象の条件に「女」であることは第一項として入力してある。完成した術式は使用前にレオノール自身でも確認した。
術式は完璧だった。第二の勇者の伝説が再来し、王権は揺るぎないものになるはずだった。
だがいかなる理由によってか召喚されたのは男だった。
勇者の血からは次の勇者が生まれる。
だが王の実子は王子だけ。姫はいない。
女であれば何も問題はなかったのだ。
女でありさえすれば聖剣を扱う力などヒイロの半分、いや十分の一だって構わない。寧ろその方が都合が良かったくらいだ。
ではもう一度勇者を呼べばいいかというとこれもまたそうもいかない。
ヒイロがいる以上、再び異世界人を召喚しても聖剣はその人物を所有者とは認めない。
なぜこんなことになってしまったのか。はっきり言ってレオノールにもわからない。
たしかに聖剣が使用者に求める条件については解析できないまま複製した術式を用いているが、第二の勇者が女であった以上、そこに問題があるとも思えない。
しかも召喚の時点ですぐ処分してしまえば済んだものを、名誉に目が眩んだ教会の老人たちは民に対し召喚の成功を高らかに宣言し、ヒイロに聖剣を与えてしまった。
レオノールの娘、クラリッサの婿にというのは苦肉の策であった。
カールグレイン家は古くより「勇者の友」と称えられる名門である。二代目の勇者が聖剣を手にした時、その補佐として仕えたのがカールグレイン家の始祖であった。
しかしカールグレイン家が王より南方境候の位を賜っているのは二百年も昔の伝説に依るものではない。ひとえに建国より今に至るまでの王への献身と絶対の忠誠故である。
レオノールならばヒイロを管理できる。
そしてやがてヒイロとクラリッサの間に出来た娘を王家に嫁がせる。
これで再び王家に勇者の血を入れることができる。
だがあの男は、ヒイロは、レオノールの娘クラリッサの献身すら最悪の形で踏みにじって見せた。
レオノール・カールグレインとて人の親である。世界の為にと自らの運命を受け入れたクラリッサが社交の場で嘲笑の的となるのではあまりにも不憫だった。
聖剣を手にしたヒイロの力は凄まじく、遠征以外でも数多のモンスターの討伐など様々な武勲を上げている。
民衆のヒイロへの熱狂は凄まじく、聖剣教会の内部では既に聖剣ではなくヒイロを神聖視する動きが出始めている。
性別、民からの人望、そして恐るべき力。
ヒイロのその全てが国にとっての脅威。
もしもまかり間違って魔王討伐などということが実際に達成されてしまえば聖剣教会や議会派の貴族たちはこぞってヒイロを担ぎあげるだろう。
王権が形骸化し、ともすれば内戦にすら発展しかねない。
国は滅亡へ向かって歩き始める。
もはや猶予はない。
レオノールは懐から褐色のガラスでできた小瓶を取り出した。中にはどろりと粘性のある液体が入っている。
「熱刺蜂と黒斑茄子の毒を合わせた物。傷口に入れば強い幻覚作用と強烈な痛みを与えた上で死に至らしめる。東の国では重罪人の処刑に用いられる猛毒だ」
如何な猛毒とはいえ聖剣に守られた勇者には通じない。まったくもって厄介な話だが、要は使い方次第だ。
「エディス将軍。嫌な仕事になる。だがあなたにしか任せられないことだ」
「仰せのままに」
エディスは小瓶を受け取ると低く一礼した。
「閣下、教会にはどのように?」
「どうもこうもない。どうせ奴らには何もできぬよ。だが召喚の儀には莫大な費用がかかる。次は当たりを引いてくれると良いのだがな」
メルダの問に、ヴァルセインという国、ひいてはエクスキュリアに暮らす全ての人々の平和と安寧を憂いて南方境侯は深くため息をついた。
「メルダ君、ヘル=マリスに使者を出してくれ。分かってるとは思うがくれぐれも内密にな。魔族など到底信じられる相手ではないが、奴の野心は利用できる」
「畏まりました」
ドレイヴ・ザ=モウ討伐の手引きへの代償にヒイロを差し出す、既にレオノールと魔王軍四鬼将の一人ヘル=マリスの間で取り決められている。
四鬼将の一人であるドレイヴ・ザ=モウを討ったのは確かにヒイロ。
だがそれを可能にしたのは四鬼将の一人であるヘル=マリスと内通し、利用したレオノールの手腕によるものだ。
魔王の元に団結したなどといっても所詮は魔族。自己中心的で人のような忠誠心や他者を思いやる心など一片も持ち合わせていない者達だ。そんな彼らに真の団結などありえない。実際レオノールの提案にヘル=マリスはいとも簡単に飛びついてきた。
ヘル=マリスにしてみれば邪魔なドレイヴを始末出来た上に勇者討伐の栄誉を手に入れられるのだから断る理由がなく、こちらとしても最も厄介な鬼将と内戦の種を同時に行えるのだから全く問題ない。
一見双方に利益をもたらす取引。
ただ一つ、ヘル=マリスは大きな勘違いをしている。勇者とはヒイロを指す言葉ではない。ヒイロが死んだとて、勇者は死なない。
ヒイロが死ねば剣は再び大聖堂の祭壇へと戻る。
そして、本当の三人目の勇者の伝説はそこから始まる。
こんどこそせかいは救われる。
――だが「世界」を守ることに必死な彼らは気づかない。
彼らのすぐ傍らに、この会話の全てを聞いている者がいることなど。




