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第5話:増税

 ローレンシア朝の王宮、その深部に位置する御前会議の間。高い天井に響くのは、財務大臣ロブストゥス・テソリの乾いた声だけであった。


 窓から差し込む午後の陽光が、立ち込める重苦しい空気を照らし出している。長い黒檀の円卓を囲む大臣たちの顔は一様に暗く、誰一人として口を開こうとはしなかった。


 テソリは眼鏡を指先で押し上げ、手元の羊皮紙を苦渋に満ちた表情で読み上げる。


「……以上が、各領主へ通達する増税案の概要でございます。これを速やかに、全国の直轄地および各侯爵・伯爵領へ通達いたします」


 円卓の末席に近い場所に座る王女ダフネ・ローレンシアは、その言葉を静かに聞いていた。装いは王族としては驚くほど質素で、過剰なレースも目を惹く宝石もそこにはない。彼女の視線は、テソリの手元にある書類の一行一行を精査するように追っている。


「殿下、ミリオン家への返済が急務です。背に腹は代えられません」


 テソリが吐き捨てるように言った。


 沈黙が会議室を支配した。誰もが「増税はやむなし」と諦念を抱きかけていたその時、ダフネが静かに、しかし迷いのない動作で手を挙げた。


「父上、お話してもよろしいでしょうか」


 円卓の上座、彫刻の施された重厚な椅子に深く背を預けていた国王テオドリクス三世が、ゆっくりと視線を向けた。その顔色は以前よりもわずかに優れず、椅子の肘掛けを掴む手にも、どこか力なさが漂っている。だが、その眼光には依然として、王国を統べる者としての峻厳な知性が宿っていた。


「申せ」


 ダフネは控えめな礼を尽くしてから口を開いた。


「増税は領民を苦しめます」


「特にカンプス領は今年の収穫が芳しくないと聞きます」


「種もみまで取り上げては、来年の作付けができなくなります」


 ダフネの声は淡々としていた。感情に流されることも、声を荒らげることもない。


「では、別の財源を。王家の宝物庫の整理は」


 ダフネの言葉に、大臣たちの顔が青ざめた。王権の縮小、ひいては権威の失墜を意味しかねない提案であった。


「それは……王家の威信に関わる」


 国王の声には、確かな躊躇が含まれていた。


 だが、ダフネは一歩も引かなかった。彼女は国王をまっすぐに見据えた。


「威信より民でございます」


 その一言が、御前会議の間を貫いた。


 テオドリクス三世は、深い沈黙に落ちた。その沈黙は、永遠に続くかのように長く感じられた。国王は目を閉じ、何かを咀嚼するように動かなかった。やがて、彼はゆっくりと目を開いた。その瞳は、ダフネのそれと交錯し、そして静かに逸らされた。


「……増税は決定だ」


 王の宣告が、御前会議の間に重く落ちた。


 ダフネは、小さく呼吸を整えた。彼女はゆっくりと視線を落とし、深く俯いた。その肩が、わずかに震えていた。


 ◇ ◇ ◇


 王都から放たれた早馬は、ローレンシア王国の全土へと散っていった。


 数日後、王都に近い肥沃な領地。石造りの執務室に、激昂した声が響き渡った。


「ふざけるな、王太子の尻拭いをなぜ我々が」


 武人気質の領主は、届けられたばかりの羊皮紙を机に叩きつけた。窓の外では、何も知らぬ領民たちが黙々と農作業に励んでいる。


 所変わって、王国の経済を支える中核都市を抱える領地。博識で知られる領主は、書面に記された「特別徴収」の文言を眼鏡の奥の瞳で見つめ、深く溜息をついた。


「ミリオン家への返済のためだと? あの婚約破棄のせいか」


 さらに遠く、王国の辺境に近いカンプス領。凶作の続く田畑を抱える老齢の領主が、力なく椅子に沈み込んだ。


「もう絞れる血がない。領民が逃げ出すぞ」


 城館の窓から見える領民たちの背中は、以前よりも心なしか小さく見える。


 ある者は怒り、ある者は困惑し、ある者は絶望した。特に、帝国の国境を背負うファルキウス領では、この知らせは深い亀裂となって広がりつつあった。


 ◇ ◇ ◇


 帝国との国境を間近に控えるファルキウス領。その中心にそびえる城館は、優美な王都の建築とは対極にある、武骨な石造りであった。


 分厚い石壁に囲まれた執務室の窓から、絶え間なく野太い声が響いてくる。兵士たちの掛け声とともに、木剣や木槍が打ち合う乾いた音。馬場を駆ける重々しい蹄の音が、この領地が常に戦場の空気をまとっていることを物語っていた。


 窓辺に近い机に向かっているのは、ファルキウス領を治める領主、ベルクト・ファルキウス侯である。


 大柄な武人であった。顎を覆う濃い髭と、丸太のように太い腕。何より異様なのは、平時の執務中であるにもかかわらず、鈍い光を放つ甲冑を身に纏っていることだ。重みのある金属音が、執務室を満たしていた。


 ベルクトは、王都から届けられたばかりの増税の通達文を険しい目つきで睨みつけていた。


「兵の維持費だけで精一杯だというのに」


 ギリリと奥歯を噛み鳴らす音が響く。


「あの小娘め、よくも我が王国を……」


 その時、重厚な扉を控えめにノックして、一人の家令が入室してきた。神経質そうな顔つきをした中年の男の手には、一通の封書が握られている。


「ミリオン家からの督促状でございます」


 ベルクトは書状を一瞥しただけで、中身を改めようともしなかった。太い指先で乱暴に弾き、机の隅へと押しやる。


「……今はそれどころではない」


 まるで路傍の石でも払いのけるかのような動作であった。身じろぎするたび、甲冑の肩当てが擦れて低い金属音を立てる。


「兵を養えなければ、辺境を守れぬ」


「殿、ご返済が滞りますと……」


 家令がなおも食い下がろうとした。


「黙れ! 帝国側との緊張も高まっておる。儂はやらねばならぬことが山ほどある」


 執務室の空気が震えるほどの怒号が飛んだ。家令は怯えて一歩後ずさりした。


 ベルクトは大きく息を吐き、机の隅に追いやられた督促状へ蔑むような視線を投げた。


「あの女には、いずれ会いに行く。儂の方からな」


 外からは、兵士たちの勇ましい掛け声が、なおも絶え間なく聞こえ続けていた。


 ◇ ◇ ◇


 ミリオン家のローレンシア朝駐在屋敷。執務室は、王都の喧騒から完全に切り離されたかのように静まり返っていた。


 聞こえるのは、分厚い帳簿の頁を捲るかすかな摩擦音と、ペンの先が紙に触れる硬質な音だけである。


 ジュネーヴァ・ミリオンは机に向かい、各地から届けられた膨大な報告書を前に、淡々と業務を進めていた。装飾を削ぎ落とした実務的なドレス姿のまま、数字の羅列を一行ずつ確認していく。傍らには、大柄な従者ボリスが立っている。彼の手にもまた、各地からの情報が記された報告書の束が握られていた。


「増税始まりましたな。あちこちで悲鳴上がってまっせ」


「そうですの」


 ジュネーヴァは帳簿から目を上げない。


「ファルキウス侯のとこ、督促状ガン無視やそうですわ」


 その名前に、ジュネーヴァのペンの動きがほんのわずかに止まる。


「ファルキウス侯。私兵を多く抱えている方ですね」


「武闘派でっせ。腕っぷし自慢の」


「腕っぷしで帳簿は黒くなりませんわ」


 ジュネーヴァは淡々と告げた。武力がどれほど強大であろうと、不変の数字を変えることはできない。


 帳簿の頁を一枚捲ると、そこにはファルキウス侯の名と、未払いのまま放置された債務の数字が並んでいる。


 彼女はペンの先を紙に落とし、その名前の横に小さく印をつけた。カリッ、という小さな音が静かな執務室に響く。


 そこで初めて、ジュネーヴァは帳簿から顔を上げた。


「そろそろ、こちらにも伺いましょうか」


 その口元には、薄く静かな微笑みが浮かんでいた。


「お嬢、ええ笑顔ですな」


「業務上の笑顔ですわ」


 ジュネーヴァは平坦な声で言い放ち、手にしたペンを静かに置いた。


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