第28話:利権の整理
王宮の小会議室には、午後の陽光が淡く差し込んでいる。円卓の上には、磨かれた銀のトレイと羽ペンが整然と並ぶ。
ジュネーヴァは分厚い羊皮紙の束を卓上に置き、内容を指で示す。そこには港湾使用権と鉱山採掘権の譲渡、そして既往利息の棒引きが明記されている。
「殿下、契約書のご確認を」
ダフネは書類を手に取り、頁を一枚ずつめくって文言を追う。年利六分の返済条項と中央銀行設立の項目を確認し、視線を落とす。
「拝見いたしました。すべて承諾いたします」
ジュネーヴァは無表情のままペン皿から羽ペンを取り、インク瓶の底にペン先を浸して差し出す。
「ご署名を」
ダフネはペンを受け取り、羊皮紙の末尾に自らの名を刻み込む。ペン先が繊維を擦る音が響き、インクが紙に吸い込まれていく。
「これで、王国とミリオン家の関係は、正式な契約関係になりましたね」
「ええ、その通りでございます」
ジュネーヴァは一礼し、書類の束を揃えて卓の端へ寄せる。傍らに控えていたマルクス・スクリプトルが、音を立てずに一歩前へ出る。
マルクスは三十年返済計画の別紙を取り上げ、内容を精査してから革綴じの冊子に収める。彼は書類の端を指先で整え、脇に抱えて一礼した。
「殿下、書類の控えをお預かりいたします」
ダフネは椅子の背に深く身を預け、卓上のインク瓶の蓋を閉める。ジュネーヴァは残された書類の束に、重い真鍮の公印を静かに捺した。
◇ ◇ ◇
ジュネーヴァは銀のトレイに置かれた空のグラスを脇へ除け、厚みのある革綴じの冊子を指先で引き寄せる。彼女は王国全土の地図が描かれた頁を開き、領内を縦断する主要街道の経路をなぞる。
「街道通行権は、ヴィアトル男爵様との共同管理を継続いたします」
ジュネーヴァは黒いインクにペンを浸し、余白へ王宮の紋章と男爵の家紋を書き添える。彼女は未だ光沢を放つ墨の上に砂を振り、余分な粉を卓の端へ吹き払う。
「三者契約として、王宮にもお関わりいただきます」
ダフネは羊皮紙に並ぶ連名の署名を目で追い、一拍の沈黙を置いてから顎を引く。彼女は羽ペンの軸を指先で静かに転がし、口元の強張りを解く。
「ヴィアトル男爵への配慮、感謝いたします」
ジュネーヴァは冊子の頁を繰り、筆で彩色された鑑定品の一覧表を提示する。彼女は指先で紙面を滑らせ、ダフネの正面に三つの石の図案を置く。
「希少魔石3点は、新女王即位記念として、各家にご返却いたしますわ」
ダフネは書面の文言を見つめたまま、ペンを握る指先の動きを止める。彼女は視線を水平に上げ、感情の起伏を見せないジュネーヴァの瞳を覗き込む。
「返却、ですか?」
ジュネーヴァは淡々とした表情を保ち、人差し指の腹で羊皮紙の端を一定の拍子で叩く。乾いた音が小会議室の静寂の中に響く。
「ただし、買い戻し権付きでございます」
ダフネは睫毛を震わせて一度瞬きをし、引き結んだ唇の端を僅かに緩める。彼女は返却が意味する実質的な権利関係を察し、深く首を縦に振る。
「……なるほど」
ジュネーヴァは一覧表の最上段を指し、そこへ記されたペルラ公爵家の名を指し示す。彼女はかつて担保として預かった白珠石の返還条項を、爪の先で叩く。
「ペルラ公爵家にも、白珠石をお返しいたします」
ダフネは椅子の背からゆっくりと体を離し、背筋を垂直に伸ばして居住まいを正す。彼女は窓の隙間から入り込む風を頬に受け、整えられた書類の束へ視線を落とす。
「公爵様もお喜びになるでしょう」
◇ ◇ ◇
ダフネは卓上に積み上がった羊皮紙の束を見つめ、背筋を伸ばして椅子に深く座り直す。彼女は正面のジュネーヴァへ視線を向け、口元を僅かに緩めて顎を引く。
「ジュネーヴァ嬢、あなた、本当に隙がない」
ジュネーヴァは乱れた書類の端を指先で揃え、真鍮の重しを元の位置へ戻す。彼女は卓上の整頓を終えてから真っ直ぐに視線を返し、低く安定した声で応じる。
「金貸しでございますもの」
ダフネは革表紙の冊子を指先で捲り、王国の南部を示す地図の頁を広げる。彼女はカンプス領の境界線を人差し指で辿り、以前に交わされた合意書の内容を思い返す。
「カンプス領のスキル貸与は継続なさるのですか」
ジュネーヴァは手元の記録に記された収支の予測へ目を向け、一度だけ首を縦に振る。
「ええ、継続収益源として」
「カンプス子爵にとっては、ありがたい話ですね」
ジュネーヴァは使用済みの羽ペンを銀のトレイに置き、クリスタル製のインク瓶の蓋をゆっくりと回して閉める。彼女は指先に付いた僅かな青い汚れをリネンの布で拭い、表情を変えずに言葉を継ぐ。
「契約は契約ですわ。彼が誠実な限り、当家も誠実に」
ダフネは机に肘をつき、ジュネーヴァの瞳の奥を覗き込んで身を乗り出す。彼女は問いかけて、僅かに片方の眉を上げる。
「あなたの『誠実』は、契約の話ですか」
ジュネーヴァは拭き終えたペンを見つめた後、窓の外に広がる中庭の木々へと視線を外す。彼女は背筋を僅かに硬くし、卓上の書類の端に指を添えて答える。
「他に何がございますか」
◇ ◇ ◇
王宮の重い門扉が開き、石畳の上を馬車が滑り出す。ジュネーヴァは車内の座席に深く腰を下ろし、膝の上に厚い大帳を広げる。
彼女は指先で貸借の数字を追い、羽根ペンで欄外に小さな修正を書き加える。車輪が石の継ぎ目を踏み越え、低い振動が座席のクッションを通じて伝わる。
向かいに座るボリスは、ひとつの書状を懐から取り出し、ジュネーヴァへ差し出した。
「お嬢、もう一つ、ご報告が」
ジュネーヴァは帳簿から顔を上げ、書状を受け取る。封蝋にはノブリス家の家紋。
彼女は封を解き、文面に視線を走らせた。
『拝啓、ジュネーヴァ嬢。
先の改鋳の余波により、当家の貯蓄、実勢で当初の十分の一を割り込みました。
借入のお願いに参る非礼、ご寛恕いただきたく』
ジュネーヴァは書状を畳み、膝の上に置いた。
彼女はキセルを取り出し、火を点けないまま吸い口を唇に当てる。
「……ノブリス子爵」
「家宝も、街道もない、誠実さだけのお家でしたな」
ボリスの声は低く、車輪の音と混じり合う。
「家宝を売る覚悟を持って完済なされた方が、改鋳一つで貯蓄を奪われる」
ジュネーヴァはキセルを指で回し、車窓の外を流れる夕暮れの街並みを見つめる。
「契約は完全に履行されました。当家とノブリス家のお取引は、既に清算済みでございます」
ボリスは膝の上で手を組み、視線を落とす。
「お嬢、新たにお貸しになるんでっか」
ジュネーヴァはキセルを下ろし、書状を懐へ収める。
「業務外でございますわ」
彼女は帳簿を閉じ、革の鞄の中に丁寧に収めた。
長い沈黙が車内を満たし、馬車の影が街路に長く伸びていく。ジュネーヴァはキセルを指で回し、僅かに顎を引いて呟く。
「綺麗に落ちましたわね」
馬車は中央広場を抜け、朱色に染まった夕陽の中をミリオン家の屋敷へと進んでいく。窓の外では、家路を急ぐ人々の影が長く伸びていた。




