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第21話:改鋳令

 王宮の御前会議の間である。部屋の中央にはマホガニー材の長円卓が置かれている。


 卓の周囲には、背もたれの高い革張りの椅子が等間隔に並べられていた。


 奥には豪奢な装飾が施された国王の席がある。それは空席であった。


 国王の椅子の左隣の席も空いている。第一王女ダフネの姿はない。


 席を埋める形で、十数名の家臣たちが着席している。彼らの前には、それぞれインク壺と羊皮紙が置かれている。


 室内の窓は全て閉じられている。分厚いカーテンが半分ほど引かれている。


 ナルキスは国王の椅子の右隣に座っている。彼は両手を肘掛けに置き、ゆっくりと立ち上がった。


 椅子の脚が床材を擦る音が響く。列席する家臣たちが、一斉にナルキスへ目を向ける。


 ナルキスは顎を上げる。彼は列席者の顔を順番に見回し、口を開いた。


「諸君、王国の財政再建のため、改鋳令を発令する」


 ナルキスは両手を腰に当てる。胸を張り、声を一段階大きくした。


 室内には彼の声だけが反響する。他の家臣たちは呼吸の音を殺している。


「ディナールの金含有量を、現行の十分の一に改める」


「諸貴族の対外債務、ならびに王家のミリオン家への債務、契約書の文言は変えぬまま、王国の実質的な負担を十分の一に圧縮する」


 左側に座る家臣たちが、一斉に姿勢を正す。彼らはナルキスへ向けて深く頭を下げた。


 首の角度は皆一様に等しい。


「殿下、ご慧眼でございます」


 右側に座る財務大臣テソリが身を乗り出す。彼は懐から取り出した布で、額に浮かぶ汗を拭った。


 テソリは目を伏せる。膝の上で両手の拳を強く握りしめ、言葉を絞り出した。


「殿下、改鋳した王朝で国家を保った例は、歴史上ございません」


「アシリオン朝、フェロニア共和国、サルマティア王国。いずれも、改鋳から十年以内に……」


 ナルキスはテソリを見下ろす。右手のひらで天板を強く叩いた。


 乾いた打撃音が室内に響く。テソリの肩が跳ね、握られた拳の力が抜けた。


「黙れ、私は決定した」


 ナルキスは再び胸を張る。彼は末席に座る家臣の書記へ顎をしゃくった。


「鋳造所に通達を。新通貨は今月中に市中へ」


 書記は両手で羊皮紙を掴み、姿勢を正す。


「は……」


 文官マルクスは末席の壁際に立っている。彼は無言で手元の木板に羽ペンを走らせていた。


 ペン先が表面を擦る音が続く。改鋳の歴史を、殿下はご存じなのか……。


 マルクスは手を止める。顔を上げ、ナルキスの横顔を見つめた。


 ナルキスは窓の外を見たままである。右手の人差し指が天板を叩く音だけが、室内に規則的に響いていた。


 ◇ ◇ ◇


 王都の中央広場である。石造りの掲示板の前に、数十人の群衆が集まっていた。


 白い羊皮紙が数枚、木製の鋲で板面に固定されている。


 羊皮紙の末尾には、赤色で王家の紋章が押印されていた。


 最前列に立つ庶民の男が布告を見上げる。彼は首を右へ傾けた。


「改鋳令ってのは、何だ」


 隣に立つ別の男が右手を挙げる。彼は人差し指で布告の二行目を指し示した。


「銀貨に銅を混ぜるってことだろう。今までの銀貨が、半分以下の値打ちになるんだ」


 大通りに面した商店である。店先の棚には空の木箱が積まれている。


 店の奥の長机に、主人の商人が座っていた。彼は開かれた帳簿を両手で強く握りしめる。


 紙が折れ曲がり、黒いインクの文字が歪んだ。


「これじゃ商売にならん」


 商人は帳簿から手を離す。両手で自らの頭を抱え込み、机の上に突っ伏した。


 貴族街にある三階建ての邸宅である。二階のバルコニーの扉が開け放たれていた。


 金糸の刺繍が入った上着を着た男が、手摺りの前に立つ。


 彼は右手に持った銀の酒杯を、空へ向けて高く掲げた。


「これで借金が十分の一だ!」


 男は酒杯を傾ける。中の液体が喉を通り、数滴が顎から首筋へ流れ落ちた。


 王都の東区画にある中堅貴族の屋敷である。書斎の机の上に、数枚の書類が広げられていた。


 当主の男が、机の前の椅子に深く腰掛けている。


 彼の視線は、一番上にある羊皮紙の契約書に落とされていた。


 男は右手で羽ペンを持つ。親指と人差し指でペンの軸をゆっくりと回した。


「ジュネーヴァ嬢との契約は、新通貨で受け取られるのか、古い銀貨で要求されるのか」


 男は手元の羽ペンを机の上へ置く。金属のペン先が木板に触れ、小さな音を立てた。


 彼は両手を膝の上で組む。視線を窓の外の空へ向けた。


 ◇ ◇ ◇


 ミリオン家屋敷の執務室である。ジュネーヴァは肘掛け椅子に座り、卓上の帳簿を捲った。


 彼女は傍らに置いたキセルを手に取る。吸い口を唇に運び、煙を細く吐き出す。


 ボリスが扉を叩かずに室内へ入る。彼は眉を寄せ、上半身をジュネーヴァの方へ向けた。


「お嬢、改鋳令でっせ。借金が実勢で十分の一やと」


 ジュネーヴァはキセルを灰皿の縁に置く。彼女は顔を上げず、帳簿の次のページに指を掛けた。


「ええ、聞きました」


 ボリスは机の端に両手を突く。彼は腰を屈め、ジュネーヴァの顔を覗き込んだ。


「どないしまんの」


 ジュネーヴァは席を立つ。背後の棚から、革表紙の歴史書を数冊取り出した。


 彼女は書物を机に広げ、特定の頁を指先で叩く。


「アシリオン朝、フェロニア共和国、サルマティア王国」


 ボリスは身を乗り出し、記された文字を追う。彼は首を捻り、ジュネーヴァを見た。


「お嬢、これは何ですの」


 ジュネーヴァは背筋を伸ばし、開かれた歴史書の上で手を休める。


「改鋳した王朝で、国家を保った例は、歴史上ございません」


「市中の商人は、軽い銀貨を受け取らず、良貨を懐に隠します。市場には軽い銀貨だけが残り、商業が止まる」


「ナルキス殿下は、ご存知ない」


 ボリスの目が見開かれる。彼は開いた口を手で押さえ、数歩後ろへ下がった。


「お嬢、それ、殿下、知ってはらしませんやろ」


 ジュネーヴァは歴史書を閉じる。彼女は窓の外の王宮の方角へ目を向けた。


「お読みになっていらっしゃらないご様子ですわ」


 ボリスは懐から取り出した布で、額の汗を拭った。


「お嬢、姐さんに連絡しまんの」


 ジュネーヴァは机の引き出しから、一枚の羊皮紙と羽ペンを取り出す。


 彼女はペン先にインクを浸し、紙の右上に数行の短い文章を記した。


「軽めにですわ。『念のため、お手隙でしたら』程度に」


「軽い方が動きやすいですわ。重く書くと姉様、走ってきますもの」


 次は、王宮で歴史をお見せすること、ですわね。


 ジュネーヴァは書簡を折り畳み、机の上の封蝋を手に取った。


 ミリオン家屋敷の執務室である。窓ガラスの向こうには夜の闇が広がる。


 机の上に置かれたランプの炎が揺れる。光がジュネーヴァの手元を照らしていた。


 ジュネーヴァは新しい羊皮紙を机の中央へ置く。インク壺に浸した羽ペンで、羊皮紙の上に文字を書き連ねた。


 彼女はペン先を浮かせ、羽ペンを机の上へ置く。


「ボリス、王宮に面会要請をお出しください」


 ボリスは壁際から一歩前へ出る。組んでいた腕を解き、体の横へ下ろした。


「面会、でっか」


 ジュネーヴァは引き出しから赤い蝋を取り出す。机の上のランプの炎へ近づけた。


「改鋳令の発令、お見直しを伺いに参りたいと」


 溶けた蝋を、折り畳んだ羊皮紙の縁に垂らす。金属の印璽を押し当て、数秒後に引き離した。


 ボリスは両手を腰に当てる。彼は顎を少しだけ引いた。


「お嬢、これで決まりまんな」


 ジュネーヴァは封をした羊皮紙を机の隅へ移動させる。傍らの灰皿から、金属製のキセルを手に取った。


「第二発自爆ですわ」


 ボリスは上体を前へ傾ける。


「第三発もお考えで?」


 ジュネーヴァはキセルの吸い口を唇に挟む。火を点け、白い煙を空中へ吐き出した。


「相続放棄、ですわ」


 ボリスは腰を伸ばし、姿勢を真っ直ぐに直す。彼の目元が僅かに細められた。


「お嬢、用意周到でんな」


 ジュネーヴァはキセルを指に挟んだまま、手元に置かれた帳簿へ視線を落とす。


「契約に基づいて処理しているだけですわ」


 ジュネーヴァは右手で帳簿のページを捲る。紙の擦れる音が室内に響いた。


 彼女は人差し指で、帳簿に記された数字の列を上から下へなぞる。


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