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第18話:甘い話

 王都に構えられた大貴族邸の広間。幾つもの煌びやかなシャンデリアが、磨き上げられた床を照らしている。


 広間の中央では、華やかなドレスをまとった貴婦人たちが談笑の輪を作っていた。給仕たちが銀の盆を掲げ、人々の間を縫って歩く。


 ジュネーヴァが会場の入り口に姿を見せ、広間へ足を踏み入れた。過度な装飾のない淡い青のドレスに、控えめな銀の宝飾を合わせている。


 ボリスはジュネーヴァの斜め後方へ付き従った。数歩離れた壁際へ移動し、静かに控える。


 会場の貴族たちが、ジュネーヴァの姿を視界に捉えた。彼らは手にしたグラスを掲げ、次々と彼女の周りへ集まってくる。


 貴族たちの足取りは軽く、交わされる声のトーンも高い。彼らは互いの肩を叩き合い、笑い声を漏らす。


 群衆の先頭から、アガタ・フォエニカ伯爵夫人が進み出た。豪奢な装飾の施された扇を広げ、ジュネーヴァの正面で立ち止まる。


「ジュネーヴァ嬢、お久しぶりですわ」


「アガタ様、ご機嫌麗しゅう」


 ジュネーヴァは両手を前で合わせ、静かに頭を下げた。顔を上げ、アガタ夫人の目元を見据える。


 アガタ夫人は広げた扇を閉じた。手元で軽く打ち合わせ、口角を上げる。


「最近、王宮の借り換えで、皆様気が楽になられましたのよ」


 周囲の貴族たちが、アガタ夫人の言葉に同調して深く頷いた。互いに顔を見合わせ、グラスの酒を呷る。


「あなた様にも、もう個別のご融資は不要ですわね」


 アガタ夫人は再び扇を広げ、口元を隠した。扇の縁から、細められた目がジュネーヴァへ向けられる。


 ジュネーヴァはアガタ夫人の眼差しを正面から受け止めた。瞬きをし、首を傾ける。


「左様でございますか」


 ジュネーヴァの声音に高低の揺らぎはない。青いドレスの裾が微かに揺れ、床に影を落とす。


 壁際のボリスは、腕を組まずに直立していた。口を真一文字に結び、広間の中央へ目を向けたまま微動だにしない。


「ところで、新しい宝飾を仕入れたいと思っておりますの」


 アガタ夫人が扇を下げ、ジュネーヴァへ一歩近づいた。彼女の胸元で、大ぶりな宝石がシャンデリアの光を反射する。


 ジュネーヴァはアガタ夫人の目から、その宝石へと目を移した。静かに息を吸い、唇を開く。


 ジュネーヴァは唇を閉じ、右手を静かに肩の高さまで上げた。


 広間の隅に控えていた男が、足音を立てずに進み出る。黒い仕立ての服を着た彼は、両手で銀盆を捧げ持つ。


 銀盆の上には、黒い布が敷かれている。その中央には、三つの魔石が等間隔に置かれていた。


 シャンデリアの光を受けた魔石が、赤、青、白の三色の輝きを放つ。炎髄石は内側から赤い光を放ち、青嵐石は深い群青色を湛え、白珠石は表面に真珠色の艶を帯びていた。


「皆様、希少な魔石が手に入りましたの」


 ジュネーヴァの言葉に、周囲の貴族たちが銀盆を覗き込む。彼らの目が、盆の上の石へ集中した。


「炎髄石、青嵐石、白珠石。それぞれ三つだけ」


 アガタ夫人が口元から扇を外した。銀盆の縁へ歩み寄り、赤い石へ身を乗り出す。


「炎髄石! あの伝説の」


 アガタ夫人の声が僅かに上擦る。彼女の目は、赤い光を放つ石から離れない。


 群衆の中から、ベラリオ・キャエルス侯爵令息が歩み出た。彼は両手の拳を握り、青い魔石を凝視する。


「青嵐石、長らく市場に出ておらなんだ」


 ベラリオは片足を踏み出し、さらに銀盆へ近づいた。彼の瞳に、深い青色が反射する。


 その隣で、クラウディア・ペルラ公爵令嬢が胸元に手を当てた。唇に微笑を浮かべ、白い魔石へ目を向ける。


「白珠石なら、わたくしに似合いますわね」


 クラウディアは姿勢を正し、顎を僅かに上げた。


 三人は銀盆の前に並び立ち、それぞれの魔石を見つめている。


「お値段は……」


 ジュネーヴァは身をかがめ、アガタ夫人の耳元へ顔を寄せた。極端に声を落とし、短い言葉を囁く。


 アガタ夫人は手元の扇を打ち合わせた。


「よろしくてよ」


 ジュネーヴァは身体を起こし、次にベラリオの傍へ移動した。彼の耳元で同じく声を落とす。


 ベラリオは握った拳を自らの胸に当てた。


「父上に相談してでも、入手したい」


 最後に、ジュネーヴァはクラウディアの耳元へ顔を寄せる。静かに言葉を紡いだ。


 クラウディアは片手を胸元に置いたまま、深く頷く。


「ペルラ家の名にかけて」


 壁際では、ボリスが壁に背を預けることなく直立していた。広間の中央を見据えたまま、微動だにしない。


 ジュネーヴァは三人の顔を順番に見渡した。静かに息を吐き、薄く頷く。


 ◇ ◇ ◇


 広間の喧騒から離れた別室。壁に掛けられた数本の燭台が、室内へ静かな光を落としている。


 ジュネーヴァは重厚な木の机に向かって座った。手元の羊皮紙の束に目を落とし、羽ペンをインク瓶に浸す。


 アガタ・フォエニカ伯爵夫人が入室し、机の前へ進み出た。


「アガタ様、ご融資の条件はこちらですわ」


 ジュネーヴァは一枚の契約書を前へ滑らせる。


「担保はフォエニカ家の至宝、紅炎の指輪」


 アガタ夫人は契約書の文面に目を落とした。彼女は手元の扇を閉じる。


「家宝は確かに古びていますし、新しい宝石の方が……」


 アガタ夫人は短く息を吐き、机上のペンを手に取った。


「契約書に署名いたしますわ」


 ペン先が紙を擦る音が、室内に響く。アガタ夫人は署名済みの羊皮紙を残し、部屋を後にした。


 入れ替わりで、ベラリオ・キャエルス侯爵令息が別室を訪れる。彼はキャエルス家家宝の青嵐石の柄頭の剣を担保とし、新たな契約書へ署名する。


 続くクラウディア・ペルラ公爵令嬢も同じく机の前に立つ。ペルラ家家宝の白珠石の宝石箱を担保とする書面に、彼女は素早くペンを走らせた。


 三人が去り、室内にはジュネーヴァとボリスだけが残る。


 ジュネーヴァは机の上に並んだ三枚の契約書を重ねた。両手で端を揃え、手元を見つめる。


「散財の最終形は、家宝の売却ですわよ」


 少し離れた扉の傍で、ボリスが直立していた。彼は机の上の書類へ目を向け、口を開く。


「お嬢、これ、楽しんではりますな」


 ジュネーヴァは重ねた契約書を机の引き出しに収めた。正面を向いたまま応答する。


「業務ですわ」


 ボリスは首を僅かに傾けた。


「楽しそうな業務ですな」


 ジュネーヴァは引き出しを閉めた。両手を机の上に重ね、静かに息を吐く。


 ◇ ◇ ◇


 ジュネーヴァは別室の重厚な扉を開けた。短い廊下を抜け、再び大貴族邸の広間へ足を踏み入れる。


 会場の喧騒は静まる気配を見せない。頭上の幾つものシャンデリアが、磨き上げられた床へ煌びやかな光を落とし続けている。


 色鮮やかな衣装をまとった貴族たちが、手にしたグラスを掲げて談笑していた。給仕たちが空になった銀の盆を持ち、人々の間を縫って歩く。


 ジュネーヴァは広間の入り口で立ち止まった。左の壁際から右の奥まで目を巡らせ、群衆の顔触れを一つ一つ確認する。


 斜め後ろへ、ボリスが進み出た。広間の様子を一瞥し、ジュネーヴァの横顔へ声をかける。


「お嬢、領主Aさんも老貴族Gさんも、来てはらしませんな」


「彼らは来ませんわ」


 ジュネーヴァは正面を見据えたまま短く答えた。重ねた両手を解き、静かに息を吸う。


 彼女は淡い青のドレスの裾を翻し、広間の出口へ向かって歩き出した。


 ボリスは壁際から離れた。彼女の背を追い、数歩の距離を保って静かに付き従う。


「派閥が分かれてはるんでっか」


「自然な帰結ですわ」


 ジュネーヴァの足取りは淀みない。規則正しい靴音が、弦楽器の調べに混じる。


「お嬢、それ、最近よう仰ってますな」


 ボリスの言葉が背後から届く。


 ジュネーヴァは歩みを止めない。前を見据えたまま、目元を細める。


 彼女の口角が、僅かに上がった。


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