第16話:借り換えの分かれ道
王宮の御前会議の間。
国王が病に倒れて以来、政務の主導権はナルキス王太子の手にあった。ダフネも病床の父に付き添っており、会議を欠席している。
「諸君、王国の財政再建のため、新たな政策を打ち出す」
上座のナルキスは声を張った。
「貴族個別のミリオン家への借入を、国庫が一括して引き受ける」
ナルキスは卓上に書類を置いた。
「これにより、ミリオン家との交渉窓口を一本化し、有利な条件を引き出す」
財務大臣テソリが立ち上がった。手には資料が握られている。
「殿下、その場合、貴族個別の責務が国庫に集約されます」
テソリは言葉を区切り、ナルキスを見た。
「もしもの時、王太子個人の責務に……」
「『もしも』など起こらん。財務大臣、貴公の杞憂だ」
ナルキスは鼻を鳴らし、言い放つ。テソリは口を閉ざして席に着いた。
「殿下、ご慧眼でございます」
家臣の一人が身を乗り出して言った。周囲の席からも同調する声が上がる。
会議の末席には、文官マルクス・スクリプトルが座っていた。
彼は羊皮紙に羽ペンを走らせていた。マルクスは記録の手を止め、眉根を寄せて上座を見つめた。
◇ ◇ ◇
王都にある貴族の邸宅。
王宮からの通達書が広間の卓上に置かれている。
「これは助かる! ミリオン家への借金が国庫扱いになる」
貴族の男が声を上げた。
「あの令嬢から逃げられるぞ」
同席していた別の男が手を叩く。
カンプス子爵邸の執務室。
アヴェリオ・カンプスは届いた書類を手に取り、文面を確認した。
「殿、いかがなさいますか」
傍らに控えていた家臣が尋ねた。
「参加しない」
アヴェリオは書類を机に置く。
「ですが、参加すれば借金がなくなります」
「ジュネーヴァ嬢との契約は私個人のものだ。王宮を通すと、約束が変わる」
アヴェリオは窓の外へ視線を向けた。
ヴィアトル男爵邸の書斎。
ヴィアトルは手元の通達書を見下ろした。
「街道の共同事業も含まれている。王宮を通せば、共同事業が破綻する」
ヴィアトルは書類を束ねた。
「参加しない」
王宮の政務室。
長机の上に、貴族たちからの参加表明書が次々と積み上がっていく。
文官のマルクス・スクリプトルは、集まった書類を黙々と仕分けしていた。
◇ ◇ ◇
ミリオン家屋敷の執務室。
ジュネーヴァは机に向かい、帳簿を開いていた。
机の端には、借り換えへの参加を示す書類の束が積まれている。
扉が開き、ボリスが部屋に入ってきた。
「お嬢、これで貴族の借金、ほとんど王宮にまとめられまっせ」
ボリスは書類の山に視線を向けた。
「ええ、そうですわね」
ジュネーヴァは帳簿から顔を上げずに答える。手元のキセルから細い煙が上がった。
「これって、お嬢にとって不利やないんですか」
「不利、ですか?」
「個別の貴族から取り立てる方が、回収率高いんちゃいますか」
ボリスは首を傾げた。
「ボリス、個別の貴族は別カテゴリーで残しますわ」
ジュネーヴァは羽ペンを手に取った。
「別カテゴリー、でっか」
ジュネーヴァは帳簿の項目に印をつける。
「個別関係維持組」
彼女は筆を動かしながら言葉を続けた。
「カンプス子爵、ヴィアトル男爵、その他数名」
ジュネーヴァは帳簿の頁をめくった。
「彼らは借り換えに参加しない」
「お嬢、それは何か意味があるんですか」
ボリスが尋ねる。
ジュネーヴァは羽ペンを置き、キセルを口に運んだ。
「自然な帰結ですわ」
ジュネーヴァは静かに煙を吐き出した。
◇ ◇ ◇
夜のミリオン家屋敷。
遊戯室のビリヤード台で、ジュネーヴァが玉を撞いている。
ボリスは少し離れた位置から、その様子を見ていた。
「お嬢、楽しそうでっせ」
ボリスが声をかける。
「業務中ですの」
ジュネーヴァは姿勢を低くした。手元のキューを構え、玉を見据える。
「業務中なのに、楽しそうでっせ」
「気のせいでしょう」
乾いた音が室内に響いた。
手玉が的玉を正確に弾く。弾かれた玉は別の玉に当たり、連鎖的に転がっていく。
玉は次々と、台の四隅にある穴へと落ちていった。
「綺麗に落ちましたわね」
ジュネーヴァは身を起こした。キューを床に立て、台の上を見下ろす。
「お嬢、ビリヤードのお話ですか、それとも借り換えのお話ですか」
「ボリス、何のことかしら」
ジュネーヴァは顔を上げ、ボリスに視線を向けた。
「そういうことにしときまひょ」
ボリスは短く息を吐き、肩をすくめる。
執務室。
ジュネーヴァは部屋に戻り、机上のランプに火を灯した。
彼女は椅子に腰を下ろし、分厚い王国法の写しを開く。
室内には紙をめくる音だけが響く。ジュネーヴァは特定の頁で手を止め、文字の羅列を追った。
「徳政令の発令条件、第○条……免責条項の例外規定……」
ジュネーヴァの口元が、わずかに緩んだ。




