5-18 フィルの休日~魔物図鑑・海編~
ベッドに腰を下ろしていたアイヴィは、フィルから『かくかくしかじか』とある程度の事情を聞き、上体を後ろへ倒した。
あまり柔らかくない簡素なベッドが、細身の体を受け止める。
「は~。いきなり何ごとかと思ったわよ」
「あはは。ごめんごめん」
部屋に一つしかない椅子に座らせてもらっているフィルが、申し訳なさそうに自分の頭を掻いている。その側、フィルの肩に立てかけられているメフィストは「相棒はせっかちだからな」と、機嫌よさげに相槌を打っていた。
引っ越してきたばかりのアイヴィの部屋には、物が少ない。
机、椅子、クローゼット、そして簡素なベッド。それぐらいである。
あまり寛げる空間ではないのだが、フィルとメフィストは気にする様子はない。
『せめて一脚ぐらい椅子を買おうかしら』
部屋の主たるアイヴィは、そんな事を思いながら筋トレで疲れた体を大儀そうに「よっこいしょ」と起こした。
「あー、おばさんくさーい」
「悪かったわね。で、師匠に言われてリヴィアに行くって話よね」
「そう。私とメフィちゃんが行くのは決まりとして、アイヴィちゃんにも出来れば一緒に来て欲しいなぁ、って。アイヴィちゃんにはアイヴィちゃんの予定があるだろうし、無理にとは言わないけど」
「いいわよ」
「え? 本当に?」
思わぬ快諾に、フィルは立ち上がりアイヴィの方へと――行こうとしたフィルの体をメフィストが押しとどめた。
大人しく椅子に座り直したフィルであったが、相棒へ向け「むー」と頬を膨れさせている。だが、相棒たるメフィストはそんなフィルの怒ったふりを気にした様子もなく、アイヴィへ笑声を向けていた。
「ケッケッケッ。随分と気前が良いじゃねーか」
「まぁね。ただし、貴女たちの用事に付き合えるかは分からないわよ。私は仕事の手伝いに行きたいだけだから」
「「仕事の手伝い?」」
フィルが子供っぽく首を傾けるのと同時に、メフィストの体も疑問で横へ傾いてしまう。
そのシンクロした動きに、アイヴィは口元を手で隠しながらクスッと笑った。
「ほんと仲いいわね。ねぇ、フィルメイル。貴女って、当然マイトさんのことは知ってるわよね」
「HEY、アイヴィちゃん。我、先輩ぞ」
「フフッ、分かってる。そのマイトさんのことなんだけど、今、ダグさん達と一緒にリヴィアへ魔物討伐に出ているの。丁度フィルが帰って来るのと入れ違いだったわ」
『マイトさん』とは、銀水晶に所属するギルド員の一人であり、三十後半の渋みの効いた男性である。
マイトは武芸百般な戦士であり、かつ銀水晶の中では年齢が高いため、魔物討伐や護衛任務など荒事となる仕事ではリーダーを務めることが多く、皆の信頼も厚い男でもあった。
基本的に単独で仕事をしているフィルも、何度か共に仕事をしたことがある。
ギルドに加入して間もないアイヴィもまた、銀水晶での初仕事であるレッドフードボア討伐で世話になっていた。
「へぇ。みんな居ないなぁって思ってたら、そういうことだったんだ。食堂に筋肉が足りなくて寂しいよねぇ」
フィルのその冗談めいた言葉に対して、アイヴィはそっと視線を逸らした。
「……ノーコメントで。でね、今回私は役に立てなさそうだったから同行せず、代わりに魔都周辺の仕事をこなしてたの」
「熱心だな」
「いいことだよメフィちゃん。まだ銀水晶に入って間もないのに、アイヴィちゃんは偉い……ってあれ? リヴィアでの討伐依頼ってことは戦場は海だよね?」
問いと共に、フィルは左手で銃の形を作り『バンッ』と撃つ素振りをする。
『海なら遠距離攻撃が必要でしょ?』
そう、魔法の銃を得意武器とするアイヴィへ言外に言っているのだ。
「ええ。けど獲物はシーサーペント。表皮に矢が刺さりにくいらしいから」
フィルの背後にある机。その上に置かれている簡素な魔法の銃を指差しながら、アイヴィは言葉を続けた。
「私の魔法の銃『レイ』じゃ歯が立たない。そういう判断。と言っても、私、シーサーペントがどんな魔物かあまり知らないのよね」
「おっ! そんな時には……これ!」
そう言ってフィルは、もぞもぞと腰の鞄を漁り、一冊の本を取り出した。
「ちゃっちゃらーん。魔物図鑑、海編っ」
フィルが掲げるその本は、渋い茶色の装丁をした重厚な本であった。
もしもその本で他者の後頭部を殴れば、一撃で昏倒させることが出来る。そんな厚みのある一品である。
お道化るフィルの横でメフィストが上機嫌に笑っている。
一方、アイヴィにはその『魔物図鑑』というものが気になって仕方がなかった。
「へぇ。色んな物持ってるのね。その本も魔女関係?」
「違うよぉ。貴重な本だけど、これは一般流通してる本。魔物研究家であるカラミティ・O・ハイランダー氏の長年の研究成果をしたためた名著だよ」
「……誰?」
「えっ? 狩人なのに知らないの!?」
目をクワッと開き、青い瞳を大きくさせるフィルに、ハイランダー氏を知らぬアイヴィは、どこか責められている気分になってしまう。
「そ、そんなに有名な人なの?」
「ううん。ぜーんぜん。むしろ知ってたらビックリな人」
「だぜ」
あっけらかんと言葉を翻したフィルへ、諦めにも似たまなざしが伸びる。
「……じゃあ、今の驚きはなん――いえ、やめましょう。けど、フィルメイル。その図鑑信用出来るの?」
有名でない人の記した魔物図鑑。
その信憑性を問う当然の言葉に、フィルは大きく頷き立ち上がった。そのままフィルは、ベッドに腰掛けているアイヴィの横へドッシリと腰を下ろす。
アイヴィは揺れるベッドに不快を顔に出したものの、隣に座ったことは気にしていない様子である。
「心配ご無用。私が今まで見てきた図鑑の中では、魔物の特徴や情報を一番正確に描いてるものだから。フィルちゃん印の太鼓判を押しちゃおう」
「不安な太鼓判だな、おい」
ふわふわ寄って来たメフィストをぺちっと叩き、フィルは図鑑を開く。
鼻歌交じりで捲られるページを、横のアイヴィが覗き込んでいた。
「ふっふぅーん。シーサーペント、シーサーペントっと……見ぃつけた」
「どれどれ」
背後で浮かぶメフィストが、開かれた本を見る。
左のページに大きく描かれていたのは、荒れ狂う海の中、帆船が巨大な蛇に巻き付かれ襲われている光景であった。
その円柱状の長い体の径は、側に描かれた船員よりも長く、その巨大さを表していた。全長すら分からぬ体が船体に巻き付き、大きな帆をへし折っている。
破壊されている船の奥側から、先の尖った大きな顔を見せており、船の上に居る小さな人間へ向け、口一面に広がるギザギザな牙を見せつけ威嚇していた。
その大口は、今にも丸飲みせんとする勢いで開かれている。
魔物の恐ろしさを如実に表した絵だ。
「うん、デカい」
「デカいわね」
「デカいな」
誰もその恐ろしさに言及せず、その巨体さに注目していた。
それは恐ろしさの欠如なのか、ただの慣れっこなのか、はたまた想像力の欠如なのか、それは分からない。
二人と一杖は左の絵から右のページの紹介文へと視線を移す。
「えっと、なになに……主に外洋を生息地とする海の魔物。丸みを帯びた顔の鼻先から尾までの長さは確認されている個体で最小十二メートル、最大で五十メートルと個体差が大きく様々である。蛇に似た円柱状の胴体は分厚い筋肉により自在に動き、ぬめりのある表皮で覆われている。そのぬめりには身に迫る脅威を逸らす効果がある――厄介だねぇ~」
「『矢では効果が薄い』って聞いたのは、これのことね」
「にょろにょろでぬめぬめかぁ……ちょっとキモイ」
「まぁ魔物だし、そんなもんだろ」
二人は背後から聞こえるメフィストの声に頷き返し、図鑑を読み進める。
長い体長の中に緑色の血を巡らせるポンプ器官。表皮のぬめりを伝い獲物を痺れさせる発電器官。毒持つ四本の大牙。口から放たれる水撃。自分より大きな存在から逃れる臆病さ。火を恐れる性質等々。
長々と解説文が続き、フィルの読む最後の一文でしめられていた。
「浅瀬に現れることは稀である――だってさ。アイヴィちゃん。本当に手伝いに行くの? 手強そうだよぉ」
「手強いならなおのことでしょ」
アイヴィは隣に座るフィルを見上げてそう言い切ると、フフンと口角を上げた。
そのどこか自慢げな姿に、フィルの中に『やっぱりいい子だなぁ』と抱き締めたい気持ちが湧き上がる。だがフィルは、それをグッと堪えることに成功する。
フィルの気持ちを知ってか知らずか、アイヴィはベッドからスッと立ち上がると、フィルの側から離れて行ってしまった。
フィルの名残惜しそうな視線を背に受けながら、アイヴィがクローゼットを開け、中から一本の銃を取り出す。振り返ったアイヴィが右手に構えていたのは、机の上に置かれた簡素な銃とは違い、細工美しいどこか儀式剣めいた魔法の銃であった。
フィルとメフィストには、その銃に見覚えがあった。
「それにこの『射貫くもの』の修理も終わったし、今ならきっと役に立てるわ」
「なるほどね。じゃあ、明日の朝一出発でOK?」
「ほんと急。だけど助かるわ」
「いぇーい。アイヴィちゃんとおっ出かっけだぁ」
勢いよく立ち上がったフィルが、大きく腕を振り上げる。
分かり易く喜びを表現するフィルに、メフィストもぷかぷか浮かびながら楽しそうに笑い、アイヴィもまた、目元柔らかに微笑んでいた。
友との旅路に心躍らせながら。




