5-17 フィルの休日~メロウの手紙~
ヨハンナ特製チーズたっぷりカルボナーラを堪能したフィルとアイヴィは、大浴場でサッパリした後、食堂でカードに誘う友人を袖にし、各々の部屋へと戻っていった。
スイーツを食べ過ぎたぶん動かねば、と筋トレを始めたアイヴィと違い、フィルは黒い封筒を片手に椅子に腰かけていた。
「さて、何が書いてあるかなぁ」
「メロウも手紙じゃなくて直接会いに来ればいいのにな」
「師匠は忙しいからねぇ」
後ろで浮くメフィストへ返事をしながら、フィルが右手に握る黒い封筒へ魔力を通す。すると、フィルの魔力に反応した黒が徐々に白へと変化し始めた。
封筒全てが白に染まった瞬間、赤い封蝋が溶けるように消えてなくなり、中の便箋が解放された。魔女の送る黒い封筒は、特定の人物にしか開けられないようになっているのである。
「さて、どれどれ……」
フィルは期待に胸を躍らせながら、三つ折りの白い便箋を開き、そこに書かれた綺麗な文字を目で追った。
『拝啓。フィルちゃん、お元気ですか? 私は超が付くほど元気で~す。いぇい』
「いつも通りだな」
「いつも通りだね」
その二つの声は呆れた風ではなく、どこか安心したような優しい声であった。
フィルとメフィストは、続きを読み進める。
『風の噂で聞いたよぉ……今年も魔術師試験に落ちたってね。まぁ気にしない気にしない。そんな時もあるさ。フィルちゃんを一人前の魔女と認める条件に魔術師試験合格を選んだけど、肝心なのは合格することじゃなくてクレア先生に鍛えて貰うことだから。もうクレア先生には、我が愛しき弟子をみっちり、みぃっっちりしごいてもらうよう菓子折り付きで頼んでおいたよ。やったね』
「ぐえぇー。またハチの巣にされるぅぅ」
「ケッケッケッ。大変だな、相棒」
第二の師匠たるクレア先生の訓練――という名の凶行を思い出したフィルは、明日の我が身に待ち受ける命の危機と痛みを想像し、顔を青くしてしまう。
フィル自身、クレア先生のことを心から好いているし、正式な弟子ではない自分を直接鍛えて貰えることは非常にありがたいと思っている。
だが、それとこれとは別なのだ。
フィルはぶるぶると顔を横に振り、まだ見ぬ明日のことを憂うよりも手紙の続きを読むことを優先した。
『とはいえ、あんまり根を詰めるのも良くないから、たまには羽休めに海でも眺めに行くといいよぉ。海はいいぞぉ……潮騒が心を洗ってくれるようだぁ』
「海かぁ……イカ焼き、タラのポワレ、パエリア……じゅるり。お腹空いた」
「さっき食ったばっかだろ?」
「冗談だってばぁ……本当だよ」
メフィストに目などついていないものの、フィルは杖から放たれる疑いの視線にたじろいでしまう。
まぁそれすらも二人の冗談なので、すぐに笑声が重なり、二人の視線は手紙へと戻っていった。
『まぁ色々書いたけど、フィルちゃんが元気ならばそれが何よりです。メフィスト君もね。それでは健康にお気をつけてご自愛下さい。敬具』
「そんな色々は書いてねぇよな。俺様のことも書いてんのは嬉しいけどさ」
「うむ。師匠は気配りさんだ。あとメフィちゃん。これ、続きあるよ」
「ん? 何も書いてねぇぞ」
メフィストの言葉通り『敬具』を最後に文章は終わっている。
だがフィルは、黒で書かれた文字の下をチョンチョンと指差していた。
そこには、紙が余ったかのような余白がある。
「ここ。薄っすらと魔力で文字が書いてあるのさ」
「へぇ。メロウは相変わらず器用だな」
「うん。この薄さならレリックを使っても読み取れないと思う」
「で、なんて書いてあんだ?」
フィルは、余白に描かれた文字へ目を通すと、念の為それを脳内会話でメフィストに伝えた。
『PS.私は今リヴィアでバカンス中で~す。フィルちゃんも新しい友達連れて遊びにおいで~♡』
フィルとメフィストは、その文章の意味を暫し考え……引き続き脳内会話でお互いの意見を出し合った。
『これって『来い』って言ってるよな』
『だねぇ。リヴィアって王国西部の港町だから、たぶん当たり。本文中にも海を推してたし。まぁ沈黙の森経由の手紙ってことは、急ぎじゃないんだろうけど』
『で、隠したかったのはメロウの居場所か』
『師匠の所在を知りたい人は多いからね。だからこれも……』
フィルは脳内会話を中断し、実際に口を動かし「火よ」と呪文を唱えた。するとフィルの右腕で腕輪が赤く輝き、生まれた赤い炎が右手に握る手紙を一瞬にして焼き尽くした。
炎は手紙以外を焼かず、フッと空気の中へと消えていく。
燃えた手紙もまた、塵一つ墨一つ残さずに消滅した。
フィルは、もう何も持っていない右手を少し残念そうに見つめ『仕方ないね』と薄い吐息を吐き出す。
魔女の師匠であるメロウからの便りなど、そう来るものではない。
直接会うのに至っては、フィルが魔都で生活するようになってから片手で数えられるほどしかないのだ。
手紙一つでさえ、燃やしたくないのは当たり前だろう。
「情報が漏れねぇようにする為だ。仕方ないよ」
「うん。しゃーねー、だね」
フィルはそう言うと、口角を上向かせ、背後に浮かぶ相棒へ左手を伸ばした。
そして撫でたまま、口を閉ざし会話を続ける。
『師匠が呼んでるのは分かったけど、なんでアイヴィちゃんも一緒なんだろう?』
『メロウのことだし一緒に呼ぶ理由が何かあると思うぜ。てか何で相棒とアイヴィの関係を知ってんだろうな……』
『相変わらず不思議だねぇ。まぁとりあえずアイヴィちゃんと相談かな』
フィルはヒョイッと椅子から立ち上がると、自然とメフィストを掴み、部屋の外へと歩き出した。
「善は急げ。隣に突撃だぁ」
「寝てなきゃいいけどな」
「流石にまだ寝る時間じゃない……いや、ありえる! アイヴィ―ちゃーん」
勢いよく部屋を飛び出したフィルは、そのまま隣の部屋、アイヴィの部屋の扉を勢いよく開けた。
フィルの眼前に映るのは、透き通るような肌と薄い胸元を覆う白。
上半身下着姿のまま白布で汗を拭くアイヴィ。彼女の冷めたまなざしが、突然の乱入者へと突き刺さる。
「いやぁん。アイヴィちゃんったら、そんな格好でハシタナイ」
「はしたないのは貴女よ、フィルメイル。てか早く閉めなさい」
「おっとこれは失礼致しました」
急ぎ入室し、紳士ぶって扉を閉めるフィル。
そのまま「あはは」と笑って誤魔化そうとするも、アイヴィのジトリと細くなった目は変わらない。
「俺様は見てないぜ」
「別に見てもいいわよ。見て楽しい体じゃないし」
そう言ってアイヴィは自分の細い体を見下ろすと、軽く肩を竦めてしまう。
そして彼女は椅子の背にかけてあった上着を取り、何ごとも無かったかのように着替え始めた。
そんな努めて平静を保とうとしているアイヴィへ、フィルの右手から「おいおい」と声が飛んだ。
「アイヴィ。こういうのは楽しいか楽しくないかじゃねぇだろ」
「そうね。たとえ女同士や杖相手でも、ふいに見られたら気分は良くないわ」
「だろ。それに俺様にも杖としての矜持があんのさ」
「へぇ。意外と紳士。そこの似非紳士とは大違い」
一瞬和らいだ視線が杖からフィルへと戻り、冷たさと共に青い瞳へ突き刺さる。
「うっ!」とメフィストごと胸を押さえたフィルは、素直にぺこりと頭を下げた。
「突然入って、ごめんなさい」
「はぁ……次からは気を付けてよね」
「はい。反省します」
表情ごと反省の態度を見せるフィルに、アイヴィはまるで幼子の粗相を許すかの如き穏やかな表情を向けていた。
元より、それ程怒っていない様子である。
「で? 何か急用じゃないの?」
「おっとそうだった。アイヴィちゃん」
「なに?」
「海行こうぜ、海」
親指を立てた左手を突き出しキラッと歯を輝かせるフィルを前に、アイヴィは喉から飛び出そうな言葉をグッと堪え、飲み込んだ。
だが、アイヴィの目は雄弁に物語っていた……『何言ってんだこいつ』と。




