5-16 フィルの休日~日が暮れたら帰りましょう~
貸本屋『沈黙の森』をあとにしたフィルとアイヴィ、そしてメフィストは、その後もフィルが誘うがまま、ふらふらふらふらと近くの店を見て回った。
寄る必要があるのか疑問に思う店にも冷やかして回る。
職人の居る家具屋や鍛冶師が経営している金物屋。パン屋に八百屋に肉屋、果てにはチーズ専門店にまで。
フィルがほくほく顔で円盤状のチーズを鞄に詰め込んだ頃には、既に空は茜色に移り変わっていた。町も太陽に合わせて暗み、赤く色づいている。
「そろそろお腹空いたし、名残惜しいけど帰るとしますかぁ。飛んで帰る?」
「いいえ。歩いて帰りましょう。近いし」
「それじゃあ、レッツゴー」
「ゴーだぜ」
号令と共に杖を天に掲げ、意気揚々とフィルが歩き出す。
昼間よりも人通りが少なくなった道を、上機嫌なフィルが跳ねるように歩く。夕日に照らされた顔に陰りなく、口角を上向かせている。
隣で速度だけ合わせて歩くアイヴィもまた、目元を柔らかに緩めていた。
アイヴィは視線だけを横へと流し、陽気なフィルを見つめる。
「ねぇ、フィルメイル。今日はありがとう」
「んー? どしたの急に?」
「今日のデートって、デートじゃなかったんでしょ?」
「はてさて、なんのこと?」
とぼけるフィルに、アイヴィはフッと鼻で息を払った。
あちこち店を回る中、アイヴィは気が付いていたのだ。
今日のフィルの目的が『デート』などではなく、魔都に不慣れな友人を『案内』することであったのだと。
実際に二人と一杖が回ったのは、ギルド『銀水晶』の本拠地から歩いて行きやすい場所ばかりであった。
「引っ越してきた私の為、でしょ」
「ハッハッハ。買い被り買い被り。私はただ、一緒に行けたら楽しいかなぁってお店に、アイヴィちゃんを連れ回しただけなんだけどなぁ」
軽い口調で否定するフィルへ「ふーん」と疑わし気な視線が向けられてしまう。
そのアイヴィの視線に不快さが混じっていないことぐらい、フィルにも分かっていた。ただのポーズであると。
メフィストもそれを知ってか「ケッケッケッ」と、機嫌よさげに笑っている。
「そういうことにしとけ、アイヴィ」
「それもそうね。野暮だったわ」
「二人してなにさ、もぅ……」
そう言ってフィルは「フンッ」とそっぽを向き、子供っぽく頬を膨らませてしまった。
フィルがあからさまに不機嫌を表しているのだが、メフィストとアイヴィはそれに取り合わず、ただただ笑うだけである。
不機嫌な演技をしていたフィルも、すぐに再び表情をやわらげた。
「ねぇ、フィルメイル。貴女って結構顔広いのね」
「そんなことないよー」
「謙遜よ、それ。今日一日、色んな人と仲良かったじゃない」
そんな言葉に、陽気に歩いていたフィルがすっと歩調を緩め、自分の顎に手を当て「うーむ」と悩み始めてしまった。
アイヴィからすれば、そうやって悩むフィルが可笑しく思えた。
今日まわったどの店でもフィルの名は知られており、同時に歓迎もされていた。なのに当の本人は、どうやら本当に謙遜していない様子なのである。
「相棒は色々首突っ込んでるからな。そのせいだな」
「だねー。私ってさぁ、確かに顔見知りは多いんだよ。けど、結局みんなそこ止まりなんだよねぇ。うっ。自分で言ってて悲しくなってきた」
フィルは杖持つ右手を己が胸元に押し付け、苦し気に背中を丸めてしまう。
フィルの大きな胸の中から、メフィストの声が聞こえる。
「相棒はこんなんだけど――「こんなんって何さ!?」――友達作んのは下手なんだよなぁ。まぁこればっかりは仕方がないんだけどさ」
「何となく分かるわ。ちょっと変わり者よね」
「ぐはぁぁ……直接言われると、心がっ、心がぁぁ」
苦しみもがくフィルは、先程よりも俯いてしまっていた。
歩く速度は変わらぬのだが、その杖を突いて歩く姿はまるで老婆のようである。
石畳をコツコツ鳴らしながら、メフィストがボソッと呟いた。
「アイヴィ、お前。面と向かって言うか、普通……意外と人の心がねぇのな」
「うっ! 私も人のこと……いいえ、やめましょう。これ以上はお互い傷つけあうだけよ」
「YES、ノーサイド」
急にスッと背筋を伸ばしたフィルが、まるで試合の審判かのように引き分けを態度で示した。先程までの苦悩が嘘に思えるほどの早変わりである。
「難しいけど、これからは気を付けなきゃ。目指せ! 普通ぅ! 私、アイヴィちゃんに嫌われたくないし」
「別にいいわよ。そのままで」
「いいの?」
「ええ。貴女が変でも可笑しくても、私、貴女のこと嫌いじゃないもの。それに嫌なことは嫌ってちゃんと言うわ」
そう言ってフフンと笑うアイヴィに、フィルの青い瞳がキラリと輝く。
「げっ!」と予兆に気付いたアイヴィが、素早く横へ手を伸ばした。
「アイヴィちゃ~ん――ぐはっ!」
抱き着かんと迫るフィルの体を、先手を打つアイヴィの細い腕が突っぱねた。
互いに足を止め、押す力と拒む力が拮抗する。
「だから、そういうのは禁止って言ってるでしょ」
「えー。こんなに可愛いのにぃ……」
そう言い抱き着くのを諦めるフィル。
だがしかし、その唇はツンと尖り、大いなる不服を示していた。
一方、フィルの凶行を阻止したアイヴィの口からは、深い深い溜息が零れ落ちてしまう。
そこに響く仲裁の声。
「ケッケッケッ。お互い、そのぐらいの距離感が丁度いいのかもな」
「ふぅむ。メフィちゃんが言うならそうかもねぇ……残念だけど、引っ付くのは無しで」
「そうしなさい」
今度は安堵のあんど)の息を零し、アイヴィは再び歩き出した。
その横を陽気に歩くフィルが、機嫌よさげに口遊む。
「じゃあ、今度からはくっつくね」と。
『何言ってんだこいつ』とは口に出さず、アイヴィはそれを冷たい視線に乗せる。
「……何が違うのよ、それ。メフィスト?」
「いや、だから俺様にも分かんねぇよ」
疑問で首を捻るアイヴィと、困惑を声で示すメフィスト。
戸惑う二人をよそに、謎の発言をしたフィルは呑気に口笛を吹いている。
調子の乗ったメロディの中に『仕方がないわね』と言わんばかりの吐息が溶け込み、黄昏の帰路を楽し気に色付かせていた。
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我が家たる銀水晶の本拠地に戻ってきた二人と一杖を待っていたのは、受付の奥から手を振る金髪の小さな女の子であった。
この十二歳の愛らしい少女の名は、ララ。
ギルド事務員の制服を着ている事からも、彼女が仕事中であることが窺える。
「フィルさん。メフィストさん。アイヴィさん。おかえりなさいです」
「たっだいまぁー」「おう、ただいまだぜ」「ただいま」
そう三者三様の挨拶を返し、フィル達は受付へと向かう。
今日は仕事じゃないのだから受付に行く用事などない。
そうアイヴィが思うのとは違い、フィルは歩きながら腰の鞄をガサガサと漁り、取り出した小さなバスケットをララへと差し出した。
「ほい、お土産」
「アイヴィさんとデートでしたよね? おぉぉぉ」
バスケットの中を覗き込んだララの大きな目が、キラキラと輝きを放つ。
中には、今日フィルたちが寄ったスイーツ店の人気商品がずらりと並んでいたのだ。ララの目が光るのも無理はない。
ララはキラキラした瞳のまま、すぐに正面のフィルを見上げた。
「いいんですか?」
「もち。おばちゃんの分も入ってるから独り占めしちゃ『メッ』だよ」
「しないです」
バスケットから零れ出す冷気に、ララはゾワッと背を震わせてしまう。
その冷気がフィルの魔法によるものであり、そのままバスケットに入れたままでも大丈夫なことをララは知らず、彼女は「冷やしておかなきゃ」と、そそくさと食堂横の厨房へと駆け出してしまった。
だが、途中で何かに気付き急停止したララが、クルッと華麗なターンを決める。
振り返ったララの丸っこい顔には、日の沈んだ外とは真反対の眩しい笑顔が浮かんでいた。
「フィルさん、ありがとうです」
それだけ告げ、再びクルッと身を翻し、ララは厨房へと消えてしまった。
「フィルメイル。貴女、意外とマメよね」
「まぁねぇ。お陰でいい笑顔見れたっしょ」
互いに横目で視線を交わし、フィルとアイヴィ、そしてメフィストは一笑を鼻から零した。
自然とフィルたちの足は食堂へと向かう。
だがそこに、既に食堂で酔っ払っている同僚から声が掛かった。
「フィルちゃーん。俺らにお土産はぁ?」
「残念、ありませーん。この前のワインで我慢しなさい」
「ぶーぶー」
朝にも聞いた青年の声に顔も向けず、フィルはそう冷たくあしらってしまう。
だが、それが気の知れた仲ゆえの言動であることぐらい、この場の誰もが理解していた。
「フィルちゃん。ワイン美味しかったよ」
「また買って来てくれ」
同僚たちからの声に、フィルは「はーい」「また行ったらねぇ」と笑顔で適当な返事をしながら、どっしりと席に腰を下ろした。
その横に自然と立てかかる杖メフィスト。
アイヴィもまた、フィルの正面に座り、顎に手を当てたフィルを見つめていた。
「さて、何を食べようか」
フィルの呟きが周囲で咲くワイン談議に混ざり、アイヴィの耳に届く。
もう既にフィルの頭の中は、晩御飯のことしか入っていない様子だ。
アイヴィは、そんな悩めるフィルをゆったり眺めながら、自然と笑みを浮かべていた。
「どうかしたか? アイヴィ?」
「何でもないわ。私も何食べようかしら」
不思議がるメフィストへそんな誤魔化しを言いながら、アイヴィは今日の『デート』を振り返り、フィルの言葉を思い返していた。
『確かに顔見知りは多いんだよ。けど、結局みんなそこ止まりなんだよねぇ』
そして思う。
本当に、ただの謙遜だと。
今日、アイヴィが出会った店員にしろフィルの知人にしろ、多くの人々がフィルへと向ける視線と表情は、皆、自然と明るく朗らかであった。
この食堂に居る皆もそうだ。
だが、当然全員が全員ではない。
それでもきっと、それはただの『顔見知り』ではないのだろうと。
「よし、決めた。カルボナーラだ!」
「なら私も同じので」
「じゃ、注文してくるねぇ。アイヴィちゃんも特盛で――「普通の!」――冗談冗談。さーてと、今日買ったチーズさっそく使って貰おっと」
勢いよく立ち上がり、そのまま厨房へと突撃するフィル。
そんな落ち着きのない少女の背を、アイヴィは自然と目で追っていた。
アイヴィは気付かない。
アイヴィ自身、フィルを見る表情が皆と同じ柔らかなものになっていることに。
それに気づいているのは、二人を見守る杖メフィストだけであった。




