5-15 フィルの休日~沈黙の森~
「ありがとうございました。フィルさん、また来てね」
商店通りから少し外れた小道の中にある、一軒の菓子店。
鳴るベルと店員の笑顔を背に、焼き菓子を中心に取り扱う店から出て来たフィルの顔は浮かなかった。
先刻、見送る店員へ向けていた笑顔とは、真逆の表情である。
フィルは奥歯に物が挟まったような顔をしたまま、商店通りへと歩を進める。
隣を歩くアイヴィは、苦笑いを浮かべたままだ。
暫し、無言で歩く二人と一杖。
昼食時を少し過ぎた時刻の今。雑貨屋などが所狭しと両脇に立ち並ぶ通りには、魔都の賑わいを示すかのような活気ある声があふれていた。
そんな人通りの多い商店通りに出たフィル達。
すると突然、フィルの奥歯に挟まっていたもの――鬱憤が取れた。いや、取れてしまったと言うべきか。
「どうなってんのさ? ほんとに。どこに行ってもどこに行っても生クリーム! 生クリームゥ!! 生クリィィムゥ!!! いつから人は生クリームのしもべになっちゃったのさぁ」
行き交う人々は、突然の大声に『なにごとか!』と注意は向けるものの、長い杖を持った美女の姿を確認し、何事も無かったかのように日常へと戻ってしまう。
魔都で無駄に他人と関わることは、得策ではないのである。
それが、ある意味有名な人物であるならば、特に。
だが、行き交う他人と違い、隣を歩くアイヴィに他人の振りは許されない。
とはいえ、どこへ向かっているのか分からぬ友人と歩調を合わせながらも、アイヴィはフィルの言葉に調子を合わせなかった。
「仕方がないでしょ。流行を前に私達は無力なの」
「それはそうだけどさぁ、何でパイ屋やクッキー屋までシュークリームを作ってるの? 意味わかんないんですけどぉ。しかもカスタード様に背を向けちゃってさ」
四軒目のアップルパイが有名な店と、先程訪ねた五軒目の焼き菓子店を思い出しながら、フィルは憤りを口から発する。
三軒目に行った焼きプリンで行列が出来る店。そこの看板娘たる十歳程の幼子が笑顔で紹介する生クリームたっぷりの新商品の事を、フィルはあえて言及しない。
「商売なんだから別にいいでしょ。まぁ、この町からカスタードなシュークリームが消えたのは、私も少し寂しいけど――」
「だよね! アイヴィちゃん。嗚呼、カスタード様ぁぁ。いずこへ……」
「ん? カスタード様? ねぇメフィスト? 何それ?」
「いや、俺様だって知らねぇよ」
フィルが子供の頃からずっと一緒にいるメフィストにも、分からぬ事は多分にあるのだ。
『ただの冗談よね』と納得するアイヴィの横で、フィルがもう一声放った。
「もぅ、魔都の周りで魔物が大量発生してる今の世の中ぐらい訳がわからないよ。あれも流行なら私達にはどうしようもないね、HAHAHAHAHA! ふぅ。すっきりしたぁ。やっぱり声に出すってのは大事だね」
「ああ。人間、溜め込むのはよくねぇからな」
「出来れば往来では止めて……うっ。私も人のこと言えないか」
苦言を呈そうとしたアイヴィであったが、ポルナの町で自分も似たようなことをしでかしてしまった過去を思い出し、薄い胸を苦し気に押さえてしまった。
隣で陽気に笑うフィルが、猫背になったアイヴィの背をポンッと優しく叩く。
「気にしない気にしなぁい。さぁ、次行こう、次」
「次はどこ?」
「そうさねぇ……遅い昼食にでも――ってありゃりゃ、無理そうだね」
昼食と聞き「うっ」と胃の辺りを手で押さえた友を見て、流石のフィルも昼食に誘うのを止めた。心の中で『予定が狂ったなぁ』と呟きながらも、フィルは内心を表に出さない。
代わりにフィルは、閃いた、とばかりに青い瞳をキラリと輝かせてみせる。
「それなら、ここらを冷やかすとしますか」
「私に構わず食べてくれば?」
「えー。折角のデートなのに独りで食べても美味しくないよぉ。ほら、行こっ」
そう言いながら、フィルは空いた左手でアイヴィの手を掴み、そのまま前へと軽快に踊り出た。
引っ張るフィルに、アイヴィは抵抗しない。
その表情は『仕方ないわね』とでも言いたげだが、進む足は逸るフィルに合わせて動き出していた。
フィルの気の向くまま、足の動くまま。
二人と一杖は、商店通りに立ち並ぶ店々を回る。
服屋で互いのセンスで服を選び合い、呆れられるフィル。
家庭向け魔法の道具を扱う店で、魔法の道具に食い付くアイヴィ。
雑貨屋の中で寛ぐ白猫を愛でる二人。それを微笑ましそうに眺めるメフィスト。
三者三様に楽しんだのち、一行が辿り着いたのは一軒の本屋であった。
そこは商店通りの端に位置し、ギルド『銀水晶』の本拠地がある銀蹄通りにも近い場所にある、こじんまりとした店。
本そのものが描かれた木製看板には『沈黙の森』と店名が刻まれていた。
「ここ?」
「そう、ここ」
フィルが片開きの木製扉を引くと、チリンと小さな鈴の音が店内に響き渡った。
日の入らない店内は薄暗く、暖色の魔法の灯りが店内を柔らかに照らしている。
店内は外から見るよりも狭く、ぎっしりと本が並ぶ両壁の棚と中央を左右に二分する棚が、店内をより狭く感じさせていた。
客の姿が見えぬ店内からは、落ち着き過ぎていてどこか落ち着かない。そんな少々排他的な雰囲気が漂っていた。
それは、鼻をくすぐる本独特の匂いのせいかもしれない。
だが、そんな雰囲気もなんのその。
フィルは、勝手知ったる我が家の如くずかずかと店の奥へと向かうと、鈴の音が消えたあとに広がる静寂を元気な挨拶で破り捨てた。
「おっはよう、シープ君」
簡素なカウンターの奥にある背もたれの長い椅子。
そこで読書に勤しんでいた少年が、フィルの声に反応しのっそりと顔を上げる。
肩甲骨まで伸びた浅葱色の長髪が揺れ、幼さの抜けていない中性的な顔がフィルの方へ向いた。
少し眠そうな目がフィルを見つめている。
彼を知らぬ者からすれば、一見美しき少女の様にも見えてしまうだろう。
事実、初対面であるアイヴィには、シープ君が男性なのか女性なのか判別出来なかった。細身の体を包む仕立ての良い洋装も、成長途中であるそう高くない背丈も、彼の性別を断定する証拠にはなりえない。
「やっほー。起きてた?」
「少し前に」
声変わりしてもなお少し高めなソプラノ声が、本に囲まれた森の中に穏やかに広がる。ゆったりと本に栞を挟み本を閉じる所作一つ優雅に見えるのは、店内の仄暗い雰囲気に寄るところも大きいのだろう。
『綺麗な子だな』と気後れするアイヴィと違い、知り合いであるフィルは気安くカウンターの側まで歩み寄っていた。
「この間、借りた本……よっと。面白かったよ。ありがと」
フィルが腰の革鞄から取り出した本を受け取ったシープ少年は、本をじぃーと見つめ、再び眠そうな目でフィルを見上げた。
「いまいちだったみたいだ……残念」
「あはは……分かる?」
「クリスタさんが……もし気に入っていたら……もっと食い付いてる」
ゆったりと喋るシープ少年に、メフィストが「だな」と相槌を打つ。
顎に手を当て「そんなに分かり易いかなぁ」と顔を横へ倒すフィルを見ながら、自然とアイヴィは頷いていた。
「もぅ、アイヴィちゃんまで……まぁ正直その本微妙だったよ。主人公が死ななかったのがねぇ。せめてグサッと刺されればよかったのに」
「まだそんなこと言ってんのか? 相棒は兎も角、俺様は楽しめたぜ、シープ。やっぱハッピーエンドは良いよな」
「それはよかった……でも貸したの……恋愛小説だよね……」
シープ少年は、もしや間違ってピカレスクものでも貸してしまったのかと思い、手元の本を確かめ始め……「うん」と、こくりと頷いた。
のっそりゆったりと。
その間、アイヴィは店内を見回していた。
とはいえ、周囲は本ばかりである。
アイヴィは読書家ではないが、それでも幼き頃に読んだことがある本もちらほらとあり、ほんの少しだけこの店に親近感を抱いていた。
「これって全部売り物?」
「そうだよぉ。まぁ本って高いから、貸本がメインらしいけど、ねー」
「はい……お探しの本があれば……僕にご用命を」
「その時はお願いするわ。それにしても、落ち着いた雰囲気のいい店ね」
「ありがとうございます……お姉さん」
美しい少年から『お姉さん』と呼ばれた為か、アイヴィの顔に花が咲いた。
「ふぅん。良い子じゃない」
残念なことにアイヴィは、その幼く見える容姿のせいで『お姉さん』と呼ばれ慣れていないのである。
アイヴィが素直に喜ぶ姿は、実に愛らしく、そして実に――
「ちょろいねぇ」「ちょろいな」
「あんたらぁ! ちょろくて悪かったわね!」
静寂満ちる本の森に、少女の怒声が木霊する。
ぐわっと掴みかからんばかりのアイヴィに対し、フィルは自身の整った顔をだらしなく緩めるだけであった。
「あはは、ごめんね。アイヴィちゃんがあんまりにも可愛いからさぁ」
「わりぃわりぃ」
「もぅ。仕方ないわねぇ」
許容の言葉を口にしながらも、アイヴィの眉と口には小山が出来ており、憤りを示したままであった。
だが、そんな怒った顔もまた可愛らしく、フィルの顔は緩むばかりである。
楽し気と言っていいのか、いけないのか?
そんな二人と一杖の姿に、シープ少年の眠そうな目が更に細まり、ゆったりゆっくりと弧を描いた。
「面白いお姉さんだ……クリスタさんの友達は……みんなそうだね」
この中で最年少であるシープ少年の落ち着き払った声を聞き、アイヴィは気恥ずかしそうに頬を掻いてしまう。
同じ声を耳にしても、フィルとメフィストは「ハハハ」「ケッケッケッ」と相も変わらず普段通りであった。
シープ少年も一緒になって微笑んでいたのだが、ふと、シープ少年が何かを思い出したかのようにポンッ手槌を打ち、おもむろに椅子から立ち上がった。
「クリスタさん……ちょっと待ってて」
「およ? はーい」
ゆったりゆったりと店の奥へと向かうシープ少年を見送り、フィルとアイヴィはしばしの間、店の本を眺めることにした。
アイヴィは、幼き頃に読んでいた魔法使いが活躍する童話の本を手に取ると、パラパラとページをめくり始めた。
『僕は魔法使いなんだ。だから、怖くても行くんだ』
童話の一節を追うアイヴィの瞳からは、懐かしさが溢れている。
一方フィルはというと、魔法について書かれた本から料理のレシピまで雑多に並んだ本棚を眺めながらも、その意識はアイヴィへと向けられていた。
「フィルメイル。何かいい本あった?」
「んー? 特にないかなぁ。結局シープ君のお勧めを借りちゃうんだよねぇ」
「読むだけ良いじゃない。私なんて随分と読んでないもの」
「アイヴィちゃん。読書はいいですぞぉ~。知的ですぞぉ~」
そんなお道化た声のする方へ視線を向けるアイヴィ。するとそこには、掛けてもいない眼鏡をクイクイッとするフィルがいた。
その姿からは、知性の欠片一つすら見受けられない。
今、手に持っている本への懐かしさとは無縁の光景に、アイヴィはクスッと小さく息を噴き出してしまった。
フィルの方も、アイヴィから一笑い取ったことで満足そうにしている。
「アイヴィ。その本、借りてったらどうだ?」
「いいえ。また今度にするわ」
メフィストの勧めを断り、アイヴィは本を元の位置へと戻した。
そして、本棚へと収まったその背表紙を指で一撫でする。
その愛おしそうな光景を見て、フィルは、それがきっとアイヴィちゃんの思い出の本なんだろうと納得しながら、その本の内容を思い出そうと――
「お待たせしました」
思考を遮るように、店の奥から戻ったシープ少年の高い声が聞こえた。
少年の手には黒い封筒が握られている。
その封筒を見た瞬間、フィルは考えていたことを忘れ、飛び付くようにシープ少年へと詰め寄った。その勢いは、まるで空から獲物へ急降下する鷹のようであり、まるで追う獲物の首筋へ噛みつかんとする狼のようである。
だがそれもシープ少年にとってはいつもの事らしく、カウンター越しに顔を急接近させたフィルに対しても一切動じる気配はない。
口づけを交わさんばかりの距離で、フィルが勢いのままに口を開く。
「シープ君!? 師匠、来たの!?」
「いいえ……手紙だけです」
「……ふぅ。そっか。やっぱり忙しそうだねぇ。これ、ありがと」
フィルは、シープ少年から受け取った黒い封筒の封を解かず、そそくさと腰の革鞄へと入れた。
「フィルメイル。それ、読まなくていいの?」
「うん、あとででいいよぉ。手紙ならたぶん近況報告だし……あっ! アイヴィちゃん。私がここで手紙のやり取りしてるのは、誰にも言っちゃ駄・目・だ・よ」
そう言いながら、フィルがアイヴィの頬をツンと突く。
その突く手は無常にもペシッと払われてしまう。
「それで、もし誰かに言ったら?」
「私が困る。ちょー困る」
「そうなの? 師匠ってことは、もしかして魔女関係?」
「そう、魔女の秘密」
「秘密」
フィルとシープ少年は二人同時に自身の口元に人差し指を立て、アイヴィに沈黙を促した。
シープ少年の仕草を見てアイヴィは、彼がただの手紙の受け渡し係などではなく、彼もまたフィルと同様『魔女』の関係者であると気が付いた、
この本屋は魔女に関係している。
祖父の死に関わっているかもしれない、魔女の。
だがそう知りながらも、今のアイヴィには、ここへ深く探りを入れる気など全くなかった。
二人に倣い、アイヴィも自分の柔らかな唇に人差し指を立てかけた。
友達の秘密は守る。
そう、フィルへと伝える為に。
それが伝わったかどうか……白い歯を見せ笑うフィルを見れば、どちらかなど一目瞭然であった。




