5-12 フィルメイル・クリスタの休日~朝のひと時~
魔女見習いフィルメイル・クリスタが、カーリア子爵の護衛任務を終えてから数日後の朝のこと。
フィルが所属するギルド『銀水晶』の本拠地一階にある食堂は、普段と違い少々閑散としていた。
それでも席は半分ほど埋まっている。
銀水晶のギルド員達は空いた席へ思い思いに座り、朝のひと時を堪能していた。
香ばしく焼けたトーストに乗るベーコンと目玉焼き。
甘く温かなコーンスープ。レタスが栄えるみずみずしいサラダに、ちょこんと脇に置かれた添え物のチーズ。
具があふれんばかりの玉子サンド。
こってりとしたチキンステーキに、湯気と共に香り立つコーヒー。
卓の上から届く香気が寝ぼけた目を覚まし、色付く料理たちが口元を緩ませ、口に広がる味わいが一日の活力を呼び起こす。
食堂の主ヨハンナの提供する朝の楽しみは、これから仕事へ行く者にも、久々の休日を楽しむ者にも、皆へ等しく与えられるのである。
今日のフィルはというと、後者――そう。久々の休日であった。
それが一目で分かるのは、卓上の料理に目を輝かせている今のフィルの服装であろう。
上は、飾り気の少ないボタン式の白いブラウス。
下は、黒に近い深い緑の細身のズボン。
ブラウスの首元は少々開いており、健康的に張った鎖骨がチラリと自己主張をしていた。
休日らしい、比較的ラフな格好である。
普段身に着けているお気に入りの紺のローブと先の曲がったとんがり帽は、休日のコーディネートには不釣り合いなのであろう。
普段と変わらぬのは、右腕に輝く赤の腕輪と腰に納まる革鞄ぐらいである。
無帽の頭もまた少々違い、普段は背に真っ直ぐ流している長く艶やかな黒髪も、休日の今、後頭部で蝶のように広がる結び紐で一纏めにされていた。
「てなわけでデートしよ」
朝食へ手を伸ばしていたフィルが、唐突にそんな事を口走った。
正面に座った『デート相手』の返事を待たず、フィルは香ばしく焼かれたトーストを素手で掴み、曲線を描く端っこをガジッと噛り付く。
上に乗ったベーコンと目玉焼きが、土台となるトーストと共に口へ潜り込み、ジュワァとした動物的なコクをフィルの舌へと伝えた。
鼻筋を通り抜けるベーコンのむわっとした香りに、咀嚼で上下する顎は加速するばかりである。口内に広がる美味しさに、フィルの顔にも爽やかな朝に似合った心地良さが浮かんでいた。
フィルの正面に座る『デート相手(仮)』である少女もまた、フィルと同じ料理を食べている。だがしかし、美味しそうに食べるフィルと違って、少女は爽やかな朝に似合わぬしかめっ面で、黙々と顎を動かし続けていた。
明るく短い髪の少し下、橙色をしたパッチリ大きな目も、今は細く横に伸びてしまっており、本来の愛らしい顔が台無しである。
彼女の名は、アイリス・ブラッド――いや、今は偽名であるアイヴィ・アルケインと呼ぶべきかもしれない。
つい先日から銀水晶で世話になっているアイヴィであるが、この日はフィルと同じく休日であるらしく、その装いもまた仕事着ではなく、大き目の水色のシャツとベージュのパンツを組み合わせた緩めの服であった。
細い腰に巻いた革のベルトと、そこに下がった簡素な魔法の銃『レイ』が異質に見えるが、周りの者もフィルも、そしてメフィストも銃を気にする様子はない。
ゴブリンやオークなどの魔物を狩る職業『狩人』である彼女が、常に武器を携帯しているのは何も可笑しくはない。ということなのだろう。
銃はさておき、猜疑に色付くアイヴィの橙色の瞳は、美味しそうに食べるフィルの隣に立てかけられた杖、成人男性の身長よりも長い木製の杖へ向けられていた。
そんなアイヴィの視線を受け、フィルの相棒たる喋る杖メフィストが短く言う。
「俺様にも分かんねぇ」と。
嚥下しながら『そうよね』とばかりに、アイヴィが大きく頷く。
まぁ当然ながらアイヴィにも、先のフィルの言葉がただの冗談である事ぐらい分かっていた。
つい数分前、朝食が卓に並ぶまでの間、フィルとアイヴィとメフィストは普通に朝の会話をしていた。にもかかわらず『いただきます』の次の言葉が『てなわけでデートしよ』だったことに不審を抱いているだけである。
「何が『てなわけ』なの? ちゃんと説明して」
「……あぁ、美味しい。だってさぁ、アイヴィちゃんの歓迎会ってもうやっちゃったんでしょ……私もしたかったなぁーって」
「その話、三日前もしたでしょ。それに歓迎会というか、普通に魔物討伐の打ち上げよ」
「ぶーぶー、一緒だよぉ、もう」
本気で悔しがりながら大きくガジッとトーストを齧るフィルを見てか、ふと、遠くから青年の声が聞こえた。
「俺たち参加しちゃったもんねぇー。どうだフィルちゃん。羨ましいだろー」
「おい馬鹿。やめろって」
先輩ギルド員である爽やかな青年二人へ向け、アイヴィは軽く会釈をしていた。
銀水晶のギルド員に上下はないのだが、それと礼儀は別の話である。
ニッコリ笑って手を振る彼らも、どこか気分良さげに見える。
気分が良くないのは、挑発されたフィルの方であった。
フィルは、手を振る青年二人を青い瞳でギョロリと見つめ、口内のパンを食道へと流し込むと、そのまま空いた口で演技掛かった仰々しい声を放った。
「メフィちゃん。あの不届き者達を懲らしめてやりなさい!」
「任せな、相棒。ケッケッケッ。お前ら口は災いの元だぜ」
フィルの隣でメフィストがスゥーと浮かぶと、そのまま食堂の中を自在に飛び、爽やかな青年二人へと襲い掛かった。
「げっ! うわっ! 止めてぇ、メフィスト先生ぃ」
「だからやめろって言ったんだよ……って、お前ら? 俺も? ぎゃぁぁぁ」
食堂中に響く騒がしい声とは違い、メフィストは爽やかな青年二人を己が先端でぐりぐりしているだけであった。
責め苦を受ける青年達も、特に苦しげではない。
そう。ただのじゃれ合いである。
『危なそうなら止めなきゃ』と、心配そうに眺めていたアイヴィも、すぐに呆れ顔で食事に戻る始末であった。
相棒を青年へけしかけたフィルもまた、同じである。
もぐもぐしながら、会話に戻る二人。
「ねぇフィルメイル。別に歓迎会じゃなくても、こうして一緒に食事してるじゃない。それじゃ駄目なの?」
「駄目じゃないけどさぁ」
「ならいいでしょ」
「ほら……私も何かしたいじゃん」
そう言って照れくさそうに頬を掻くフィルを見て、アイヴィはトーストを齧ろうとしていた口を止めた。
アイヴィのパンジーのような可憐な顔が、うっすらとはにかむ。
「別にいいって。私、貴女には充分感謝してるんだから」
「えー。私がよくないんだよ。もぅ、私も一緒に楽しみたかったのにぃぃ」
悔しさをにじませながら、フィルはガジガジとトーストを齧り始めてしまう。
そんな本気で悔しがってみせるフィルに、対面で咲いていた明るい花は途端にトゲトゲしく様変わりしてしまった。
放たれる声もまた、素っ気ない。
「あっ、そっち。感謝を返してくれない」
「ハハハ、返さないよー。てなわけでアイヴィちゃん、デートしよ」
「貴女ねぇ、この流れでOKして貰えると思ってるの? まぁ、別に遊びに行くくらい良いけどね」
「いいの!」
跳ねんばかりに喜ぶフィルに、アイヴィはもぐもぐ顎を動かしながら頷いた。
「……私の用事が終わってから。いい?」
「もちろん。いぇーい、オッケー頂きましたぁ。メフィちゃんと三人で魔都スイーツ巡りだぜぇい」
「そんなに喜ぶこと?」
そう素っ気なく言いながらも、アイヴィは喜ぶフィルの姿に満更でもない気分であった。
しかし、遠くで真逆の表情を浮かべている者たちがいた。
それは、今もメフィストにぐりぐりされている青年二人ある。
「聞きました、奥様。メフィストさんが両手に花でデートですってよ」
「ええ、聞きましたわ奥様。不届き者は懲らしめなくちゃぁいけませんわね」
「お前ら、その喋り方気持ち悪いぜ――ってコラッ急に掴むんじゃねぇ。くそっ。お前ら、手ぇ放しやがれ」
「この色男が! いや、この色杖がぁ!」
「羨ましいぞ、ちくしょー! 俺達も連れてけぇ」
「連れてく訳ねぇだろうが――止めろ、ぐりぐりすんな」
先程のお返しとばかりに掴まれ、拳でぐりぐりされるメフィスト。
ぐりぐり程度で『世界一硬い杖』であるメフィストが傷つくことはないし、むしろ痛いのは青年二人の拳の方である。だが、嫉妬で血の涙を流す彼らにとって、そんな痛みなど勘定に入らぬのだろう。
執拗に攻撃を続ける彼らに、メフィストは申し訳程度の抵抗を続けている。
そんな騒ぐ彼らに、周囲のギルド員達の反応は……皆無であった。彼らがどれだけ騒ごうとも、周りの者たちは皆、平然と朝食を頬張り続けている。
まぁ彼ら彼女らにとって、この程度の騒動は取るに足らない日常なのである。
「あれ、放っておいていいの?」
「大丈夫大丈夫。メフィちゃんが本気で嫌がってたら誰にも捕まえられないから。私でもねー」
「そうなの?」
「そーなのだ。はむっ…………うぅん、いい朝だねぇ」
「そろそろ放せ、お前らぁ!」
相棒の叫びを聞き流し、フィルはほっこり顔でスープの器を卓に置いた。
それを目で追っていたアイヴィは、同じ卓上に並んだ大量の料理を見て、ふと疑問に思う。
トースト・オン・ベーコン。コーンスープにオリーブオイル輝く山盛りサラダ。ちょこんとチーズ。二個の玉子サンド。二枚重ねされたチキンステーキ。そして琥珀色のコーヒー……。
これを全部食べた後、本気でスイーツ巡りなどする気なのだろうか、と。
だが、ほんの少しだけフィルと交友を持ったアイヴィには、分かっていた。
ゆえに自分もトーストを齧る。
この世には、気にしても仕方がないこともあるのだと。




