5-6 謝らない理由
クリスタ家の応接間のソファに座ったまま、フィルと村長ボーマンは卓を挟み、互いに視線を交えていた。
この場に居るフィルの祖母トリーナ、村長の妻カラ、そして村長の息子ブレックの三人は、それぞれ瞳に信頼、怒り、怯えと別の感情を浮かべたまま村長とフィルを見守っている。
静けさが広がる中、フィルが握る杖メフィストの声が応接間に響いた。
「フィル。無理しないでいいんだぜ」
フィル以外の四人には聞こえぬその声に、フィルは村長から視線を逸らさぬまま杖を撫で、それを返事とする。
メフィストの心配をよそに、フィルは落ち着いていた。
フィルの青い瞳を見つめる村長にも、フィルの平静が充分に伝わっていた。
これならば、これから話すことも混乱なく終わえる事が出来るだろう。
そんな安堵と共に、村長が口を開く。
「フィルちゃん。改めて聞かせてもらっていいかな? 広場でうちの息子ブレックを杖で殴り、怪我を負わせたのは君で合っているかな?」
「うん」
村長の穏やかな声に、フィルは視線を逸らさぬまま素直に頷いた。
隠す気など、フィルには毛頭ないのである。
「なるほど。最初は腕を叩き、その後倒れたブレックを何度も殴った……間違っていないね」
「そうだよ。全部わたしがやった」
「違うだろフィル。腕を折ったのは俺様がやったことだぜ」
フィルは、メフィストの言葉に声を返さない。
だが、無視をしていないことを撫でる左手で示していた。
村長は、そのフィルが先程から行っている『杖を撫でる』という行動を、自分自身の心を落ち着かせる為の癖か何かだろうと判断していた。
落ち着いては見えるが、まだ六歳の子供なのだから無理はない。
子供の心は大人の言葉一つで深く傷ついてしまうことも、簡単につぶれ形を変えてしまう事も、そして容易に元には戻らぬことも、村長は重々承知していた。
まかり間違っても怒りの感情を声に乗せぬよう、村長は努めて平坦な声でフィルに語り掛ける。
「うん。正直なのは良いことだ。けどね、今日やったことがどれだけ悪いことなのか、フィルちゃんはわかっているかい? もしも、君が大人だったら、今頃牢屋の中さ」
「わかってる。人を傷つけちゃ駄目って、お婆ちゃん言ってた」
素直に認めるフィルに向けられる視線は、それぞれである。
聞いていたよりも良い子ではないか、と柔らかな村長。
嬉しさと心配で、瞳が潤む祖母トリーナ。
苛立ちを隠しきれない、鋭い目をした村長の妻。
怯えから、そもそもフィルへ視線を向けられない村長の息子。
そしてメフィストは――
「ちくしょう。牢屋に行くべきなのは俺様だってのに……声が他の奴にも聞こえれば、フィルは悪くねぇって説明出来んのによぉ……」
己の不甲斐なさに憤っていた。
メフィストの声が聞こえぬ村長は、メフィストの声に被せるように話し始めてしまう。
「そうだね。人を傷つけるのはいけないことだ……ブッレクにも、もっと言い聞かせるべきだったよ。ブレックが君に対していっぱい嫌なことをして来たことも理解しているし、それは親である私達の責任でもある。それは本当にすまないと思っているよ」
村長はそう言うと、フィルへ静かに頭を下げた。
「あなた!」と叫ぶ妻の声を無視し、村長は頭を下げたまま動かない。
しかし、謝罪を受けたフィルには、それが疑わしく思えて仕方がなかった。
「……ほんとうに?」
「ああ、本当に。ごめんなさい」
あえて大人の謝罪には似つかわしくない『ごめんなさい』という言葉を受け、フィルは少し驚いた。
フィルは自分が責め立てられることは予想していたのだが、まさか謝罪されるとは思っていなかったのである。
「そっか……」
そう呟くフィルとは違い、祖母トリーナの目には少々疑いの色が浮かんでしまっていた。それは、よく知る村長の善性や、謝罪の心を疑っている訳ではない。
『ブレックがフィルに対し何をして来たのか』
そこを本当に理解しているのかを、トリーナは疑っていたのである。
「わかったから、頭を上げなボーマン。まだフィルに言わなきゃいけないことがあるんだろう」
「はい、トリーナ様」
頭を上げた村長は居住まいを正すと、再びフィルへ真っ直ぐ視線を向けた。
その目に浮かぶ真剣さに、メフィストを握るフィルの右手がギュッと縮こまる。
「フィルちゃん。私達はね、君に罰を与えに来たんじゃないんだ。治療に掛かったお金を払って欲しいとも言わない――「あなた!」――ただ一言、息子に謝って欲しいんだ」
怒気を込めた視線を向ける妻を視界にすら入れず、村長はじっとフィルの青い瞳を見つめ続けていた。
蚊帳の外の村長の息子。黙って見守るトリーナ。
そしてフィルは……黙って村長を見つめ返していた。
その幼い顔には、謝罪の色も戸惑いの色も浮かんではいない。真顔である。
謝罪か拒絶か。
村長には、フィルが抱く心は分からない。ゆえに村長は、意思の固そうなフィルへ柔らかに言葉を促した。
「『ごめんなさい』出来るかな?」
「…………いや」
「まぁ! なんて子!」
村長の妻が声を張り上げるが、フィルは全く動じない。
ただただ、真っ直ぐに村長だけを見ている。
村長もまた、妻のことなど見ていなかった。
「理由を聞いてもいいかな?」
「うん。だって、今までこいつに、一回も謝って貰ったことないもん」
「そうか。どうしても嫌なのかい?」
「だってわかんないもん。杖で叩いたらあやまって、ドンッて後ろから押すのはあやまらなくていいの?」
「それは――」
『謝るべきだね』と村長に言わせず、フィルは淡々と言葉を続ける。
「通せんぼするのはいいの? みんなで悪口いうのはいいの? かばんを木の上に隠しちゃうのはいいの? 突然土をもこってして転ばせちゃうのはいいの?」
「土を……」
フィルの訴えを聞き、今まで静けさを保っていた村長の目が鋭く尖った。
その目はフィルを見つめたままだ。だが、その目が自分を見ていない事を、フィルは理解していた。
だからこそ、フィルは訴えを止めない。
「遠くからドンッってするのはいいの? 風をばぁーってして砂をかけちゃうのはいいの? 周りをどろんこにして投げて服をぐちゃぐちゃにするのはいいの? 顔にお水をばしゃーってかけるのはいいの?」
「カラ……ブレック……おまえたち……」
「ち、違うのよ、あなた」
静けさの中に怒気を潜めた村長の声に、無意味な弁明をする妻。
そして、より縮こまる村長の息子。
フィルは対面に座る三人を気にせず、吐き出した分「すぅぅぅ」と大きく息を吸っていた。
そして、今までされたことの中で、一番嫌だったことを村長へぶつけた。
「メフィちゃんごとわたしを燃やそうとしたのは、いいの? どれがごめんなさいしなきゃいけなくて、どれが謝らなくていいのか、わたし、わかんない」
言い終えたフィルは、ふんすっと小さな鼻から息を吐き出す。
フィルの視線の先にいる村長は、首をガクッと落とし頭を抱えている。
そんな村長の態度に、先程までオロオロとしていた村長の妻の顔に血の気が昇り、再び赤く染まり出した。
その血の気は、当然うな垂れた村長へではなく、フィルへと向けられてしまう。
「出鱈目言わないで! あなた、ブレックはそんな事に魔法を使ったりしないわ。
その子は昔からうそ――」
「うそつき……おばちゃん、あの時近くにいたよ……あの時もあの時も、いつも遠くでクスクス笑ってる。わたし、ちゃんと憶えてるよ」
村長の妻へ冷めた視線を向けたフィルへ、村長の妻はキッと鋭く睨みつけた。
だが、睨まれても一切動じないフィルに、逆に睨んだ方がたじろぐ始末である。
「そういや遠くに居たな、このババア」
「う、う、うそよ! 知らないわ!」
メフィストの声に重なり、応接間に響く耳に障る声。
そこに、トリーナが溜息交じりの訂正を入れる。
「あんたが知らない訳ないだろう。何度も何度も、何度も……はぁ。いったいどれだけあんたに文句言いに行ったと思ってるんだい」
「そんな言いがかりぃ、信じる訳ないでしょ!」
「ハッ。あんたが知らない振りするのは分かってたさ。ボーマン。私らの言いがかりかどうか、そこのしょぼくれてる自分の息子にでも聞いてみたらどうだい?」
トリーナに促され、村長が頭を抱えていた手を下ろし、姿勢を正した。
表情もまた、それが自分の正しい顔だと言わんばかりに、頭を抱える前の静けさや平静を思わせるものへと戻っていた。目の奥から感じる力強さ以外は。
その力強さは今、隣に座る息子ブレックへと向けられている。
「ブレック。フィルちゃんの言っていることは本当なのか? お前は他人へ向けて魔法を使っていたのか? 自分よりも小さな子への嫌がらせのために」
「僕は……」
言い淀む息子へ向け、村長は「正直に言いなさい」と短く言い放つ。
催促された村長の息子は、ビクッと体を震えさせ、口内を満たす生唾をごくりと喉へ流した。そして村長の息子は、体のように震える唇を動かした。
「……やってない」と。
フィルはそんな敵の嘘を聞いても、特に心は動かなかった。
なぜならば、そう言うと分かっていたからである。
分かり切っていたからである。
「やっぱり、うそつきはそっちだったね」
「うっ……」
「この子はやってないって言ってるでしょうが!」
「カラ。頼むから少し静かにしてくれ」
「そんな、あなた……」
浮き沈みの激しい妻の言動に辟易しているものの、村長の声は静かで落ち着きを持ったものであった。だがそれは、努めて平静を保とうとしているだけである。
今の村長の顔には、目に見えて疲れの色が浮かんでいた。
そんな村長の姿を見れば、罪を否定した息子の言葉をどう受け止めたのか一目瞭然である。トリーナにもフィルにも。
だが、村長の口から出たのは、それとは別の答えであった。
「トリーナ様、申し訳ありません。過去の事実をはっきりする方法がない以上、私は親として息子を信じることにします」
「まぁ、あんたならそう言うだろうね」
「フィルちゃんも、すまない」
「いいよー、村長さん。わたし、はじめから謝って欲しいなんて思ってないもん」
みじんも気にする様子がないフィルを見てか、村長の顔が苦い汁を飲み下した時のように歪む。
正しいか間違っているかは兎も角、心苦しくとも親として判断した村長。
それを受け入れた、トリーナとフィル。
だが、三者のやり取りに納得しない者もいた。
村長の息子……ではなく、もちろん妻のカラであった。
彼女の顔が今何色なのかなど、言わずとも分かるだろう。
「謝るも何も、この子はやって――」
「カラ! はぁ……このまま話を続けても、やったやらないの水掛け論にしかなりません。ですので今日の所は――」
「あっれれぇ? 帰っちゃうの? 私になら、どっちが嘘つきかわっかるんだけどにゃー」
突如、鈴を転がすような声が村長の言葉を遮った。
部屋の外から割り込んだ声に、フィル達五人の顔がきょとんとなってしまう。
「ん? 誰の声だ?」
聞こえぬメフィストの声に促されるよう、五人の視線が声の聞こえた方向、廊下へと向く。
するとそこには、紫と黒を基調としたドレスじみた装いの美しい女性が立っており、まるで『やっほー』と言わんばかりに右手を振っていた。
「おや? あんたはパーラの――」
「お久しぶりでぇす、お・ば・さ・ま。勝手にお邪魔してまぁす」
背の高い女性はそう言うと、不自然さすら感じるとんがり帽を右手で押さえ、トリーナへ向けエヘヘっと笑みを浮かべた。




