5-2 壊された宝物
「ない! ないよー。うぅぅ。どこにいっちゃったの?」
祖母の手伝いを終え、急いで手を洗ったフィルは、魔法の練習をしようと急ぎ足で自室に戻って来た。
だが、引き出しを開けた彼女を待っていたのは、ぐしゃっと雑に置かれた白いハンカチであった。
その中に安置されているはずの指輪が見つからない。
置いたはずの指輪が消えている。
そんなあり得ない状況に、フィルの眉尻が困惑で下がり、口元も変な形に曲がってしまっていた。
無いなんてあり得ない。そう思ったフィルが引き出しの中をひっくり返さんばかりに必死に探し始める……それでも、母の指輪は見つからない。
探す手を止め、隣で浮かぶメフィストを見るフィル。
その青い瞳は、うるうると濡れ、今にもこぼれそうであった。
「なんで? なんで?」
「そこに置いたのは俺様も見てたぜ……ってことは」
メフィストの言葉で『ここにはない』と確信したフィルは、引き出しの中を探すのを止め、辺りをきょろきょろと見回し――嫌なものを感じ取った。
それは、フィルにとって馴染みのあるもの。
いつも、いつも、村長の息子が嫌がらせをしてくる時に感じるもの。
土で転ばされた時も、水をかけられた時も、風で砂を飛ばしてきた時も、遠くからバンッと押された時も……いつも感じていた――
「あいつの魔力だ」
「魔力? あのクソガキの仕業か」
「取り返さなきゃ」
フィルはメフィストを両手で握ると、猪の様に自室を飛び出した。
フィルには向かうべき場所が分かっていたのだ。
「まずは婆ちゃんにチクろうぜ」
家を飛び出したフィルは、いつもいつも敵がいる場所へと必死に走った。村の子供たちとその母親たちが屯する村の中央広場へと。
全力で走る彼女の心には、メフィストの言葉を聞く余裕なんてなかった。
彼女の心を埋め尽くしているのは、黒いもやと赤い熱。
何度蹴り飛ばしてでも取り返してやる。
ぶたれたってかまわない。絶対に取り返すんだ。
お母さんの指輪を、絶対に。
そんな思いを胸に広場へとやってきたフィルの目に、探していた敵の姿が映り込んだ。
相も変わらず、ニヤニヤとフィルを見る村長の息子。
その後ろで、ばつが悪そうにフィルから視線を逸らす取り巻きの子供たち。
そして、我、関せずとばかりにヒソヒソと話す大人たちの姿。
敵だ。
フィルにとっては、全員敵だ。
蹴り飛ばしてやる。
そう思い、村長の息子へ向け駆け出そうとしたフィルであったが、彼女は視界の中――石造りの井戸の側でキラリと赤く光る何かを見つけ、そちらへと近づくことにした。
目的は、敵を蹴り飛ばすことじゃない。
大切な指輪を取り返す事なのだから。
だが、赤く光る何かに近づいたフィルは、井戸の横の地面に放置された赤い宝石を見つけてしまった……割れ、四つに砕けた赤い宝石を。
一緒に転がる銀細工の指輪を。
本来、そこに納まっていたはずの赤くて綺麗な宝石は、もうなかった。
「あっ、あぁぁ……」
メフィストを手放し、飛び付き這うように割れた宝石を拾うフィル。
割れた宝石で指を切りながらも、フィルは小さな左の手の平の上に宝石だった四つの欠片を並べ、そして冠を失った指輪を置いた。
並べても置いても、くっつく訳がなく、元に戻る訳もない。
「うっ、うぅぅぅぅ」
自分の手の平に置いたことで、フィルはより強く実感してしまう。
壊れてしまったのだと。
もう、元には戻らないと。
同時に、薄っすらと残る嫌な魔力が、発動体であるこの指輪に何が起こってしまったのかをフィルに教えていた。
盗んで、勝手に使って、挙句に壊したのが、誰であるかを。
フィルの瞳に涙はない。
地面についたフィルの小さな右手が、フィルの心を発するかのように自然と土を抉り始めていた。
ギリギリ、ギリギリと。
指が汚れ、傷つくのも構わずに。
「どうしてこんなことするの……返してよ! お母さんの指輪、返してよっ!」
「何が楽しくてこんなことしてんだぁ! このクソガキどもが!」
フィルの叫びを聞き、助けに入る者はこの村には居ない。
そしてメフィストの怒声は、フィルにしか聞こえない……いや、今のフィルの耳には、メフィストの声は届いていなかった。
許さない。許さない。
そんな言葉ばかりが、フィルの頭の中をぐるぐると駆け巡る。
フィルメイルという少女は、本来暴力的な気質ではなかった。
村の子供たちからの嫌がらせに対して蹴り返すようになったのも、それは『やり返さなければやられ続ける』から……ただ、それだけでしかない。
だが、今のフィルの頭の中には、殴るか蹴るか噛みつくか引っかくか……そんな手段しか思い浮かんでいなかった。
敵が自分より大きくても構うもんか。
魔法でやり返されても構うもんか。
悪い奴は、潰さないと。潰さないと。
感情を黒一色で塗りつぶすように、ぐるぐると、ぐるぐると悪意が広がる。
フィルは、手の平の宝石だったものを腰のポッケに詰め込むと、敵を――指輪を壊した犯人である村長の息子へキッと顔を向け、ゆっくりと立ち上がった。
丸くて愛らしかった顔は赤らみ、敵を睨む目は、まるで火が出んばかりである。
そんな見た事のないフィルの姿に、村の子供らも普段の嫌がらせとは状況が違う事を実感していた。
ただ一人、大馬鹿者を除いて。
そんな大馬鹿者こと、村長の息子がにやにやしながら歪な口を開く。
「『返してよぉ、返してよぉ』だってさ、おいおい誰に言ってるんだ?」
「おまえだぁ! ブレック!」
村長の息子の名を叫び、フィルは歩き出す。
雑草を掴むよりも強く、両の手をギチギチと赤に染めながら一歩一歩近づくフィル。そんな彼女に、子供たちはゴクリと生唾を飲む。
ただ一人、村長の息子を除いて。
怒気のこもった視線を受けてなお、村長の息子はわざとらしく肩をすくめ、あざけるように鼻を鳴らしていた。
「おれがやったなんて証拠、どこにあるんだ? 言ってみろよ」
「魔力が残ってた。部屋にも指輪にも……おまえの気持ち悪い魔力が」
「あ? 魔力? また変な嘘をつき始めたぜ、このうそつき。やっぱ親が――」
「うそつきはおまえだ!」
フィルは怒りのあまり、つい足を止めてしまった。
フィルと子供たちとの距離は、もう駆ければすぐの距離であり、フィルは今すぐにでも走って飛び掛かりたい気分であった。
同時に言ってやりたい事が頭の中でごちゃごちゃ混ざり合い、それがフィルの口から吐き出されてしまう。
「悪いことして逃げて、自分がやったって言わないおまえだ。ずっとずっと、うそつきはおまえたちだ。お母さんの指輪を返すまで許してあげない……許すもんか」
「はぁ? 壊れたものを返せって、馬鹿じゃねーの。それにさぁ、どーせ魔法の使えないお前にはいらねーもんじゃん」
言い訳にもならない事をのたまう村長の息子を見て、フィルは『やっぱり』と思っていた。
彼らは、たった一度たりともフィルの言葉を聞き入れた事がない。
そんな奴は……人間じゃない。
フィルにとって今はもう、彼らは緑の気持ち悪いゴブリンや薄汚いコボルトに似た化物の類にしか感じられなくなっていた。
怒りの赤。悲しみの青。憎しみの黒。諦めの無色。
全てぐちゃぐちゃに混ざったフィルの心の色を、判別出来るものなどいない。
ただきっと、目の前の化け物を殴り飛ばしたとしても、心のぐちゃぐちゃが消えない。そのことだけは、フィルにも分かっていた……だが、止まらない。
衝動は止められない。
あざけ笑う村長の息子の言葉を無視し、フィルは走り出した。
「ハハハ。むしろありがとうって言って欲しいぐらいだぜ。あきらめついて――」
「ふざけんじゃねーぞ、クソガキィ!」
村長の息子の声に重なるように響く、メフィストの声。
気付けばその声は、走るフィルを追い越していた。
その時、素早く宙を駆ける長い杖の動きに、反応出来た者はいなかった。
村長の息子の横で大きく離れるようにブンッと動いた杖メフィストが、そのまま揺り返すかのように村長の息子の腕へ目掛けて動き――ガンッと鳴る鈍い音とともに「ギャッ」という短い悲鳴が広場に響く。
メフィストに打ち据えられた村長の息子は、打たれた勢いのまま横へ吹き飛び、離れた地面にズサッと倒れ込んでしまう。
広場に居た者達は、誰もが呆気にとられ動きを止めていた。
何が起こったのか、理解すら出来ていなかった。
動いているのは、折れた右腕を左手で庇いながら痛みで泣き叫び、地を転がっている村長の息子だけである。
駆け出していたフィルもまた、突然のメフィストの行動に足を止め、ポカンとしてしまっていた。
誰もが状況を理解しようとする中、怒りに震えたメフィストの声がフィルの耳に流れ込む。
「婆ちゃんから指輪を貰ったフィルが、どんだけ嬉しそうにしてたのか知らねえ野郎が。毎日毎日どんだけ頑張ってるかも知らねえクソ野郎が――ハッ……クソ。俺様、何してんだ……」
メフィストの声は、周囲の人々には聞こえない。
少女を想う擁護の声も、やってしまった事への後悔の声も。
きっと何にもならない吐露。
届けるべき相手に届かぬ無意味な声。
それでも、その声を受け取ったフィルにとっては、それで充分だった。
周りの者が動かぬ中、フィルは独り先んじて動き出していた。
フィルは、浮かぶメフィストにテクテクと駆け寄ると、杖であるその体を両手でむぎゅっと握り締めた……落ち着きを取り戻した、普段と変わらぬ愛らしい顔で。
「フィル。俺様は――」
「だいじょーぶだよ」
それは小さくも優しい声。先程までの怒声とは真逆な声。
『自分も杖で殴られる』と後退り、その場から我先にと逃げ始める子供たち。彼らには、フィルの言葉の意味が、欠片ほども理解出来なかったことだろう。
取り乱した友へと向けた、柔らかな笑みの意味も。
「フィル?」
フィルはメフィストの呼び声にコクリと頷くと、自分がやるべき事のために歩き出した。今も痛みにのたうち回っている村長の息子へ向け、一歩一歩。
今もフィルの心の色は、ぐちゃぐちゃと淀んでいた。
赤も黒も青も変わらず残り続けている。
だが、フィルの頭の中はすっきりとしており、自分がやるべきことをハッキリと理解していた。
『メフィちゃんを悪者にしちゃいけない』
フィルを突き動かす衝動は、赤でも黒でもない。
長い杖を両手で持ちながら近づくフィルに対し、村長の息子は、自分を打ち据えた杖とフィルを見て「ヒィィ」と情けない声を上げていた。
遠くからは、ようやく事態を飲み込んだ大人たちが動き出していた。主に村長の妻が「ブレックゥ」と息子の名を叫んでいる。
だがフィルは、そんな外野の声を気にも止めない。
フィルは村長の息子の前で立ち止まると、両手を大きく振り上げ――小さな手で、自分の手で、思いっきり杖を振り下ろした。




