5-43 ゆらゆらと船に揺られて
ゼブ島へ向け進む王認武装船スカーレットデビル。
フィルは今、アイヴィと共に甲板の端に立ち、一面に広がる海を眺めていた。
既にリヴィアの町は遠く、進む先も青一色に染まっている。
ふわっと潮風が流れ、黒羽色の髪がフィルの背中で揺れた。
「ん~涼しいぃ~。空の旅もいいけど、船旅も悪くないねぇ。それに意外と早い」
そう言ってフィルはとんがり帽子を手で押さえながら船の端から身を乗り出し、海面を見下ろした。
船の周囲で流れる水には魔力が含まれており、船全体の推進を補助している様子がフィルの青い瞳に映る。
「危ねぇぞ、相棒」の声に従い上体を戻したフィルは、続いてドクロの描かれた帆を見上げた。
帆を押す風もまた、魔法によるものである。
他者には見えぬ緑のうにょうにょが風の魔法に乗って流れており、そのまま帆を通り抜けているのがフィルには少し面白く思えた。
「昔乗った船はこんな豪華じゃなかったよね、メフィちゃん」
「メロウと旅してた時に乗ったのは、普通の客船だったからな」
「流石は海ぞ――げふんげふん。王認武装船だぁ」
海賊船と言おうとしたフィルであったが、背にゾワリと走る悪寒に従い、穏便な表現に変えた。近くに恐ろしき女船長が居る訳ではないのだが、なぜかフィルの脳裏には、曲刀の柄に手をかけた船長の姿が浮かんだのである。
お道化て周囲を見回し「ふぅ~。大丈夫。いないいない」と額を拭うフィルであったが、隣にいるアイヴィはフィルの方を見ていない。
アイヴィの視線は、ずっと遠くの海へと向けられている。
彼女はアンニュイな表情で海を見つめたまま、淡々と語り始めた。
「まぁ王国中探してもこんな船ないわよ。魔導船における標準的な推進装置である風の魔法だけじゃなく、周囲の水を操って進む補助推進機構を採用してる船なんて、他には王族の乗る船ぐらいよ」
「へぇ~」
適当な相槌に乗せられ、アイヴィが平坦な声で語り続ける。
「更に左右に四門、計八門の火竜砲を備えているうえ、対火竜砲用空間防壁までついてるなんて、ほんとなんて船よ。魔力の総使用量的に、恐らく小型の魔力炉を搭載してるわね」
「この船すごいんだねぇ~。で? アイヴィちゃん、大丈夫?」
覗き込むように気遣うフィルに、アイヴィは視線一つ合わせようとしない。
だがアイヴィは、ずっと海を見続けながらも努めて平静な声を保ち続けていた。
「大丈夫じゃないわ……初めて乗ったけど……船ってこんなに揺れるのね」
「むしろ全然揺れてない方だよ、この船」
「だな。やっぱデカいと安定感があるぜ」
海の穏やかさもあってか、フィルとメフィストが言う通り船上に揺れはあまりない。しかし、当然ながら揺れは皆無ではなく、その小さな揺れがアイヴィの三半規管を狂わせていた。
すまし顔で平静を装うアイヴィの背を、フィルの手が優しく撫でる。
「アイヴィちゃん、船室に戻る?」
「いいえ。今戻ると……きっと吐く」
「ありゃりゃ。そりゃ困った」
「あんま辛ぇようなら俺様の上に乗っとけよ、アイヴィ。安定感は抜群だぜ」
「もしもの時はお願いするわ」
そう言うとアイヴィは口を閉ざしてしまった。
背中をさすさすとさするフィルの手にも無反応である。
フィルはそんなアイヴィを観察し、ぐったりはしていないから大丈夫だろう、と判断した――が、それと目の前で友人が苦しんでいるのを放っておくのとは別問題である。
少なくともフィルにとっては、そうであった。
「よし。メフィちゃん。ちょっとの間、アイヴィちゃんをよろしくねぇ」
「任せな。って何すんだ? 相棒」
背中さすり係をメフィストと交代したフィルは、腰に手を当て「エッヘン」と胸を大きく張った。
「今からアイヴィちゃんに薬を作って進ぜよう」
「……別にいいわよ」
「遠慮しない遠慮しない。えっと材料はあったかなぁ……」
否定の言葉は聞かんと言わんばかりに、腰の鞄をガサゴソと漁り始めるフィル。
そしてフィルは独りアイヴィたちから離れ、「風よ。殻となれ」と呪文を唱えた。
すると右腕の腕輪が赤く輝き、フィルを中心に半球状の透明な膜が現れる。
甲板の一部を勝手に占拠したフィルは、潮風を防ぐ膜の中で座り込むと、周囲にあれやこれやと道具を並べ始めた。
「ふっふふぅ~ん……キアリク草と……マンドラゴラの根と……ミントと……」
フィルは、乾燥したキアリク草を鼻歌交じりで切り、叩き、すり潰し、小瓶で保存していた材料共々、ササッと乳鉢の中で混ぜ合わせていく。
手際よく作業する姿は、船上で作業しているとは思えぬ軽快さだ。
「水よ、生まれ出でよ、それと火よ……よし。あとは全部煮詰めて煮詰めて……これをああして……」
『これをああしてって何よ』と思いながらも、海を眺め続けるアイヴィ。
平静を装い続けているが、アイヴィは今にも海に嘔吐しかねない程であった。
『こんな初めては、いらないわね』
アイヴィが『ウエップ』と我慢している間に、フィルの薬作りは終わりを迎えており、既にろ過した液体を小瓶へ注ぐ作業に入っていた。
漏斗を通し、薄緑色の液体が小瓶の中へ満ちてゆく。
「よし。あとは――」
液体を詰め終わった五つの小瓶を前に、フィルは一つ魔法を唱えた。
「呪いの、罠を」と。
そして四つの小瓶の蓋を閉じて思い出す。
一個はすぐに使うのだと。
使った魔法を即座に解除したフィルは、パパッと片付けを済ませ、蓋を閉じていない小瓶を片手にアイヴィの元へと駆け寄った。
「お待たせ、アイヴィちゃん。出来たてホヤホヤの魔女の秘薬だよっ♡」
「ありがと――うっ」
小瓶から漂う香りに拒絶反応を示すアイヴィ。
スンッとした表情で平静を装っていた彼女の眉間に、三本の皺が生まれる。
「ごめん。私、スーとするの苦手なの」
「Oh……これは失敗失敗。じゃあ、味わいを、騙し給え。これでどう?」
フィルの腕輪が輝きを放ち、アイヴィの持つ小瓶に魔法が掛かる。
するとどうだろう?
アイヴィの鼻に伝わる涼やかな香りが消え、甘い香りへと変化したではないか。
心地良い香りを受け、アイヴィは『これならいける』と小瓶を口に運び、中身をゴクリと飲み干した。
口内に残る優しい甘味に、アイヴィの愛らしい顔が元に戻っていく。
「ふぅ。香りだけじゃなく本当に甘くなるのね。不思議な魔法……でもこの甘さって昨日も感じたような……」
「おっ!? アイヴィちゃん、鋭い! 昨日のかき氷と同じ味だよ。あのかき氷、実は全部魔法産で、味は弟子、色と香りは師匠の合作だったのだぁ」
「嘘でしょ……あれ、本物の果汁を使ってなかったなんて……」
驚きの事実、というほどアイヴィが衝撃を受けることはなかった。
魔女の秘薬を飲んだことで気分的には軽くなったが、薬がそんなに早く効く訳もなく、海を見つめる瞳はすぐにアンニュイなものに戻ってしまっていたのだ。
かき氷の真実など、わき上がる不快感の前には無力なのである。
ゆえに、船酔いで苦しむアイヴィは、『水着姿のフィルメイルは、一体どこに発動体をつけていたっけ?』という疑問を右から左へと受け流し、ぼんやりした頭の中から放り出してしまった。
背をさするのが硬いメフィストから柔らかなフィルの手に戻ったことも、思考を放棄した要因の一つかもしれない。
「後は安静にしてれば良くなるよ。魔女の秘薬を信じなさぁい」
「ええ。助かるわ。メフィストもありがとう」
「おうよ」
背に柔らかな感触を感じながら、アイヴィはぼんやりと考える。
以前、ゴブリン退治した森でフィルメイルが使っていたのも『魔女の秘薬』だったなぁ、と。そして今回のも『魔女の秘薬』であると。
果たして、いくつ魔女の秘薬があるだろうか?
その疑問もまた、かすかに感じる船の揺れと背中をさする優しい手に促され、アイヴィの頭の中からかき消えていった。




