5-36 暇つぶしと魔術師試験
アイヴィは今、砂浜に立てられた大きすぎる傘の下で横になっていた。身を預ける木製寝台には上半身側に角度が付いており、正面に海が見渡せるようになっている。
簡素な木製寝台はやや固いものの、目の前に広がる砂浜、高く上った太陽に照らされ輝く青い海、さざ波の奏でる柔らかな音色、湿り気があるも涼しい風、身を包む傘の影……そんな心地良さを前に、アイヴィは癒しのひと時を堪能していた。
優雅な時間……という訳ではなく、アイヴィの手には、先程メロウがどこからともなく取り出したイカの串焼きが握られており、アイヴィの閉じた口は今ももぐもぐと動き、歯応えあるイカと戦いを繰り広げている。
港町リヴィアの特産品であるらしい魚醤で濃く色づくイカ焼きは、その茶色に照る色合いに見合った味の濃さをしており、噛んでも噛んでも味わいが尽きることがない。
むわっと広がる酸味が独特な風味を醸し出していた。
アイヴィは、食べかけのイカ焼きを右手に握ったまま、左手を横へ伸ばした。
そこには小さな台があり、アイヴィの左手がそこに置かれたグラスを捕まえる。
グラスに刺さったストローがアイヴィのプニッとした唇へ近付き、グラスに満ちた青い謎の液体をアイヴィの口の中へと運ぶ。
それは、柑橘香る甘い飲み物であった。
体に甘さが溶け込む感覚に、ストローから離れたアイヴィの口から「ふぅ~」と喜びの吐息が零れ落ちてしまう。
そんな気の抜けた音を聞いているのは、アイヴィと同じ傘の下、右隣の寝台に身を横たえているメフィストだけであった。
長い杖が寝台に横たわる姿はどこか不思議であるが、アイヴィは気にしない。
メフィストとは逆方向、アイヴィから左に少し離れた場所には別の傘が立てられており、その下に並ぶ二つの寝台でフィルとメロウがくつろいでいる。
そちらの二人は、イカ焼きを食べながら和気あいあいと話をしていた。
フィルに至っては両手にイカである。
再び無言でイカを口へ運ぶアイヴィの耳に、フィルたちの会話が流れてきた。
「……もぐもぐ……ねぇ師匠。このイカ焼きもそうだけど、師匠って本当にバカンスのためリヴィアに来たの?」
「アハハ、そんな訳ないでしょ。パラソルや特製ジュース、そしてイカ焼きやこの色っぽぉぉい水着も、海で泳いでたあなたたちに合わせて用意しただけよぉ。決して遊んでたわけじゃないんだから」
弁明するメロウの声を聴きながら、アイヴィはメロウのこんがりと焼けた肌のことをぼんやりと考えていた。
その事はフィルも気になっていたらしく、フィルは舐めるような視線を師匠へと向けている。メロウの黒い水着の下は分からないが、それ以外の肌は小麦色一色であり昨日今日焼けたようには見えない。
「海を満喫してるようにしか見えないよ、師匠」
「ああ、この肌? いいでしょ~。これ、新しい防御魔法なんだぁ」
「……ええぇ……何にも感じないよ」
「うんうん。フィルちゃんが気付かないなら、成功成功」
体を起こしたフィルが、イカ焼きの串を持ったまま指を伸ばし、メロウの腕をツンツンと突き始める。
ふにっとへこむ肌からは、防御魔法のぼの字も感じられない。
「まっ、いっか」と、自分の寝台へゴロンと寝転ぶフィル。
そのままフィルは積もる話ばかりだと、魔都での生活やクレア先生との訓練の話などを師へ語り始めた。
それを盗み聞く形になっているアイヴィは、フィルの声が普段よりもどこか子供っぽいなと思った。それは、お道化た態度とも違って感じられる。
『そんな相手。誰でも一人ぐらい居るわよね』
そう心の中でひとりごち、アイヴィは弾力あるイカ焼きを食む。
アイヴィがイカ焼きを食べ終えても、まだフィルとメロウの話は尽きない。
青いジュースをチビチビと飲むアイヴィ。
そんなアイヴィへ、メフィストが話しかける。
「それ飲んだらひと泳ぎ行くか? 付き合うぜ」
「いえ。思ったよりさっきので疲れてたみたい。しばらくゆっくりしておくわ」
「なら俺様も骨休めしとくかな。んー、優雅な休日だぜぇ」
そう言い、寝台の上に横たわったまま身じろぎ一つしないメフィスト。
アイヴィは、自分の暇をつぶそうとしてくれる紳士な杖を見て、表情に小さな花を咲かせていた。
「ありがとうメフィスト。けど貴方はいいの? メロウさんと話をしなくても」
「別に良いさ。元気に生きてりゃそれでな」
「そう。なら私とお喋りしましょう」
「いいぜ。暇つぶしぐらいにはなるかもな」
『それはどっちにとっての暇つぶし?』
そう問おうとして、アイヴィは止めた。
「ケッケッケッ」と笑うメフィストに、わざわざ水を差す必要などないのだから。
「けど困ったわね……話題がないわ」
「俺様もあんま話術は得意じゃねぇなぁ。しゃべる杖なのに不甲斐ないぜ」
「意外ね。フィルメイルとは軽快に喋ってるじゃない」
「なんせ独りだった時間が長かったからな。まぁ得意じゃないと言っても、悪党の頭かち割るのに比べたら、だけどな」
「フフッ、なにそれ?」
「言葉通りだぜ」
そう言って再び笑い出すメフィスト。
実はアイヴィには、尋ねるべき話題があった。
月の魔女と名乗ったフィルの師匠メロウ・グロウのこと。
そして何より知りたい、祖父の死に関わっている魔女、節制の魔女のこと。
だがアイヴィは、それらを話題に出すことを止めた。
それだと暇つぶしにならない……何よりメフィストが面白くないだろう、と。
ゆえに先にも口にした通り『話題がない』ので、アイヴィは困ってしまう。
ひと悩みついでにストローを口にするアイヴィであったが、ズゾゾッと音を立てグラスの中の青が消えてしまった。
「おいおい。んな悩むことじゃねぇだろ。世間話なんて何でもいいんだよ。『いい天気ですね』でも『最近何食べた?』でもな。まっ、何食ったかなんて俺様答えられねぇけどな」
「杖だけに?」
「ケッケッケッ、分かってんじゃねーか」
軽い口調のメフィストに、アイヴィの口も軽くなる。
話題なんて何でもいいか、と。
「ねぇ、メフィスト。杖と言えば貴方――」
アイヴィは空のグラスを脇の台へ戻し、始める。
自分のではなく、相手の暇つぶしを。
きっと、横で動かぬ杖も自分と同じことを考えているだろうと、勝手に信じて。
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「濡れも汚れもしないらしいけど、ちゃんとお風呂入ってるの?」
「おいおい、杖が風呂入ると思ってんのか? まぁ風呂には入らねぇけど相棒に布で手入れして貰ってるぜ。こう見えて俺様綺麗好きだからな」
「汚れないのに?」
「おうよ。それとこれとは話が別なのさ」
そんなアイヴィとメフィストの会話に聞き耳を立てる少女が居た。
当然、アイヴィ達から少し離れた場所でイカ焼きを食べながら師匠と話をしていたフィルである。
何も近くの会話を盗み聞きしていたのは、アイヴィだけではないのだ。
相棒たるメフィストが友人に変なことを吹き込まないかを探るため、フィルの耳はピクピクと動き続けている。だが、探るフィルの表情に猜疑の色はなく、むしろ嬉しそうであった。
そして、そんな弟子の姿を見るメロウの表情にも柔らかな皺が生まれていた。
「フフッ。フィルちゃんもいい友達が出来たみたいねぇ。私も嬉しいわぁ」
「およ? それは私も胸張って言えるけど、今のどこにアイヴィちゃんを褒める成分が含まれてたの?」
「杖と語らう少女……あの光景そのものが素敵よ」
メロウを見ながらイカ焼きを噛んでいたフィルが、反対側へ向く。
そこには、穏やかに杖と語らう友人の姿があった。
再び師匠へ視線を戻し、フィルが言う。
「……もぐもぐ……そうかも」
「でしょ~。メフィストちゃんをフィルちゃんのオマケとしてじゃなく、一個人として扱ってくれるのって素敵なことよ」
「銀水晶の人たちもそうだから忘れそうになっちゃうけど、普通は違うんだよね。魔都に来るまでは、おばあちゃんと師匠と……みんなくらいだったかぁ」
フィルは、昔メロウと共に旅をしていた頃に出会った少年少女たちのことを思い出していた。少しだけ寂しそうに眉をハの字に変えながら。
メロウも、フィルの言う『みんな』が誰のことかを知っているためか、弟子を心配そうに見つめてしまう。
そんなメロウの視線に気づいたフィルは、『心配ご無用』とばかりに串に残ったイカ焼きを豪快に頬張ると、満面の笑みで顎を動かし始めた。
本当に美味しそうに食べる弟子の姿に、メロウの表情も和らぐ。
「フィルちゃんを魔都に残して本当に正解だった。あとは魔術師試験に合格してくれれば言うことなし! なんだけどなぁ」
「うっ……げふっ……」
メロウの左指に填まった指輪から魔力が動き、咳き込むフィルの側へと駆ける。
フィルもその微細な魔力を感じ取り、そこへ手を伸ばす。
瞬間、何も無かった空間に突如として透明なグラスが出現し、ピッタリとフィルの手の中に納まった。
急くように、フィルがグラスの中の水を口へと運ぶ。
「ぷはぁ、助かったぁ。ありがとう師匠。ってそうじゃなかった! 手紙では鍛えることの方が大事って言ってたのにぃ、ぶーぶー」
「もちろんそーよー。心身ともに強くなるのが第一。そもそも一人前の魔女だと認める試練を魔術師試験に決めたのって、何か目標がないとフィルちゃんつまらないかなぁって思っただけだしぃ」
そんな師匠の言葉に、フィルはぽかーんと口を開けてしまう。
恐らく腕試し的なものだろうと適当に思っていたフィルも、まさかただのモチベーション維持目的だったことに驚きを隠せなかった。
「おぉ……思ってたより適当な理由だった。それ聞いちゃったら逆にモチベ下がっちゃうよぉ」
「あちゃー、それは困った困った」
返す言葉とは裏腹に、メロウの声と表情は実に楽し気だ。
がっくりと肩を落とす弟子の演技を見抜きながら、メロウは弟子の手から空のグラスを消し去っている。
フィルは魔力によって感知できるのもさることながら、唐突に物が現れたり消えたりするのに慣れているらしく、手からグラスが消えても反応一つしない。
「そう言えば師匠も魔術師なんだよね。師匠の時はどうだったの?」
「当然一発合格よ。実技試験で参加者全員薙ぎ倒したお陰でクレア先生と出会えたのよねぇ……嗚呼、懐かしいわ」
望郷の色を瞳に浮かべ、青い海を見つめるメロウ。
その横顔に『何年前の話?』などと迂闊に聞く程、フィルの口は軽くなかった。
もしも話を聞いていたのがアイヴィであったのなら、今頃は命の危険にさらされていたかもしれない。
しばし無言で海を眺めるメロウ……不意にその横顔がフィルへと向けられた。
何か嬉しいことでもあったのか、メロウの口元がにんやりと半月を描いている。
「フィ~ルちゃんっ。私、いいこと思い付いちゃったぁ~」
「あはは……良くない予感」
「このままやる気がなくなっても困るし、魔術師試験は次で最後にしよっ」
「なんですとぉぉぉ!? ……はぁ、師匠といるとビックリしてばっかりだぁ」
もう知らんとばかりに両手両足を伸ばし、フィルは寝台に全体重を預ける。
そして青い瞳を困惑で揺らしながら、ボソリと呟く……「どうしましょ」と。




