5-35 再会
水泳講座を終え、陸へと戻ろうとするフィルたち。
彼女たちが目にしたのは、砂浜に立った大きな傘であった。
やや不自然に思えるほどの大きな傘が砂浜に二つ刺さっており、その下に日陰を作っている。
その影の中に並べられた四つの簡素な木製寝台は、頭から足先までその全てを影の中に収めていた。
その寝台の一つに、誰かが寝そべっているのが見える。
黒の水着を着た女性だ。
再び陸へと向かい歩きだしたフィルとアイヴィの目には、影の中で優雅に寝そべる女性の姿が徐々にハッキリと映り始めた。
全身カラッと焼けた小麦色の肌。太すぎず細すぎない肉付きの丁度良い足。その付け根から昇り、鼠径部に沿うようにV字に高く切れ込んだ水着が腰元を隠していた。
『後ろは隠せているのか?』とアイヴィは不安になるが、仰向けに寝そべる女性からは、その真偽は読み取れない。
キュッと引き締まった腹に無駄な肉は見当たらず、その流麗さすら感じる線と肌を隠す物はない。そこから上へ行くと、横たえた体に大きな山が出来ていた。胸元は肩ひもなしの黒のトップスが覆っており、胸から上を大胆にさらけ出していた。
邪魔するもののない肩も、どこか蠱惑的に見える。
『あれは体に自信がないものには、触れることすら許されぬ水着だ』
アイヴィは横を歩く友人の姿をチラッと見て、そう心の中で呟いてしまう。
再び視線を前に戻したアイヴィは、まだ遠くに見える謎の女性の体と黒の水着を見て、そこに若々しさを感じなかった。
どちらかというと妖艶さの方が強い。
年齢を推測しようと、アイヴィは謎の女性の顔へと目を向ける。
皺なく美しく伸びる首。無駄の感じない顎の線。不思議と端が上向く赤い唇。形の良い鼻からスッと通る鼻筋。
残念ながら目元は色付きの眼鏡によって隠されていて見えなかった。波打つ髪の色もまた、影に居るため黒か紺か判別できない。
アイヴィには、その女性が二十代半ば程の女性、いや美女に見えた。
町民の消えた町の近くにある砂浜に突然現れた美女。
アイヴィには、該当する人物が一人しか思いつかなかった。だが確証はない。
同じくフィルも、女性の正体――いや、それが自分の師匠であるのか否か、その確証を持てていなかった。
それは、健康的に焼けた小麦色の肌のせいである。
『ねぇ、メフィちゃん。師匠って透き通るような白い肌してたよね?』
『だぜ。けどこの場に突然現れるのなんて……なぁ』
『だよねー』
メフィストと脳内会話で相談するも、やはり『たぶんそう』の域から抜け出すことはない。
逸る気持ちを抑えながら歩くフィル。
だが次の瞬間、その『たぶんそう』が確証に変わった。
砂浜で寝転ぶ女性から一瞬たりとも目を放していないにもかかわらず、いつの間にか女性の横に小さな台が出現しており、女性がその上に乗ったグラスを手に取ったのである。
グラスに満ちる青い飲み物がストローを流れ、彼女の口へと消えていく。
突如物が現れるという光景に、アイヴィは目をパチパチさせ驚いてしまったが、フィルにとってその光景は当たり前のものであり、そして慣れ親しんだ魔法によるものであった。
『師匠だ!』
そう感じたフィルの動きは早く、速かった。
駆ける足は我先にと海から脱し、振る腕が右手に持つ杖メフィストを揺らす。
あっという間に陸に戻り、素足のまま砂浜を駆け――フィルは影の下で優雅に寝そべる女性の横で、ザザァァと滑るように止まった。
その顔に満面の笑みを浮かべながら。
「久しぶりぃぃ、師匠」
「よっ、メロウ」
「はぁ~い。フィルちゃん、メフィストちゃん。元気してたぁ?」
謎の美女――もといフィルの師匠であるメロウが、色付きの眼鏡を上にずらしながら陽気に挨拶を返す。
それはまるで、久しぶりに帰郷した親戚のような声であった。家族にも似た者との久しき再会を喜ぶ。そういう意味では似たようなものかもしれない。
事実フィルは、健康的な水着姿で胸を張り、再会した師匠へ自分の成長を誇示していた。
「見ての通り元気だよ。一昨日も小粋にシーサーペント退治してたぐらい元気」
「うんうん。実は遠くから観測してたから知ってるよぉ。嗚呼、愛しき弟子の成長を近くで感じられるだなんて、感無量で涙が出ちゃうわぁ」
「一滴も流れてねぇけどな」
薄紫色の瞳を閉じ涙を拭うメロウに、メフィストが素早くツッコミを入れる。
一方フィルはというと、顔を子供のように緩めていた。
「えへへ。師匠的には合格?」
「んー……残念。不合格」
「ガァァァーン!!」
緩んでいたフィルの顔が、一瞬にして嵐に打ちのめされた野良犬のようになってしまった。
今にも『く~ん』と泣きそうな表情は、明るい砂浜には似合わない。
そんな弟子へクスッと息をこぼし、師メロウは寸評を与える。
「チームワークも良かったし、簡単な魔法の組み合わせで作った即席の炎の渦は素敵だったわよぉ。普段の頑張りが伝わるような綺麗な魔力操作だったわ。ただし、途中パクッと食べられちゃったのがねぇ……」
「うっ。けどそのお陰で効率的にダメージを――」
「そもそもあの程度の相手に危険な目に合っちゃ駄ぁ目っ。シーサーペントぐらい一人でパパッと倒せるようにならないと、この先厳しいわよぉ」
「ぐっ、ぐぬぬぅぅぅぅ」
絶望顔の次は、苦悶の表情を浮かべ始めるフィル。
力んだ右手が、掴むメフィストをギチギチと締め付けている。
まぁ、メフィストにはその程度何でもないのだが。
「メロウって普段は弟子に甘々なのに、評価はやたらと厳しいよな」
「当然でしょメフィストちゃん。そこを甘くしちゃったらフィルちゃんの為にならないもの。クレア先生共々、そこは厳しくきびしぃぃく行くわよぉ」
「ぐぇー」
今度は半日走り続けたかのようなぐったりを、フィルが顔で表現し始めた。
コロコロと変わる弟子の表情にメロウは笑い、寝そべったままの全身をガタガタと揺らしている。
ようやく追いついたアイヴィは、ぐったり顔のフィルへ心配そうに――声を掛けようとして、止めた。十中八九、いつもの冗談だろうと。
アイヴィは特に表情なく、ぐったり顔のフィルへサンダルを突き出す。
「フィルメイル。忘れものよ」
「おっ? これはうっかり……よっと。ありがとう、アイヴィちゃん」
受け取ったサンダルを履いたフィルの顔には、もう先程までのぐったりは存在していなかった。代わりに、気恥ずかしさが頬に赤く色付いている。
だがそれも一瞬のこと。
次の瞬間には、閃きが頭の上にピコンッと浮かんでいた。
「おっとそうだ。師匠師匠。たぶん師匠はもう知ってるだろうけど、この子が、私の新しい恋人――」
「違うでしょ」「違ぇだろ」
「――うおほっん。この子が、今、銀水晶で最もキュートで激カワだと巷で有名な新人狩人、アイヴィ・アルケインちゃんだよ」
否定されてなお冗談を続けるフィル。
その横顔に突き刺さるアイヴィの視線は冷たい。
逆にそんなアイヴィの姿を見てか、メロウは嬉しそうに表情を緩め、「よっこいしょ」とわざわざ声を出しながら上体を起こした。
「もぉぉ、こんなに可愛い友達が出来るだなんて、我が弟子ながら羨ましぃぃぃ」
そんな事を言いながら、メロウが地団太を踏む代わりに腕をブンブンと振る。
フィルは笑っているが、アイヴィは苦笑いである。
メロウはひとしきり悔しがると、アイヴィを薄紫色の瞳で捉え、細い腕をスッと差し出した。
「初めまして、アイリス・ブラッドさん。私の名はメロウ・グロウ。フィルちゃんの師匠であり、月の魔女なんかもやってる謎多き美女よ。よっろしっく、ねっ」
「あっ、はい。アイリス・ブラッドです。フィルメイルさんにはお世話になってます」
ガッシリと握手を交わすメロウとアイヴィ。
一つ二つとシェイクし、アイヴィは手を離そうとする――が、離れない。
繋がったままのメロウの手から異様な熱を感じたアイヴィは、サッと身を後ろへ引こうとする。だがアイヴィの手は、まるで岩か何かに固定されたかのように動かなかった。
不思議とメロウの息が「ハァ……ハァ……」と荒くなっている。
「ねぇフィルちゃん……ハァハァ……どうしてこの子、こんなにギュッてしたくなるの? わかるぅ?」
「分かる!」
「分からないで! ちょ、ちょっと離して下さい」
「だぁぁぁぁめぇぇぇぇ」
その冗談めいた声を聞き、アイヴィは思った。
フィルメイルが二人になった、と。
「ちょっとギュッとするだけだから、ねっ……ちょっと、ちょっとだけ」
「フィ、フィルメイル。貴女のお師匠様でしょ。どうにかして」
「アハハ。大丈夫だよアイヴィちゃん……私には止められないから」
そう言って呑気に笑うフィル。
その右手に握られたまま、メフィストがボソリと呟く。
「いつも通りで安心したぜ」
「いやぁぁぁぁ」
その後、助けを求められたメフィストが美女と美少女の間に挟まり、アイヴィは肌と肌が触れ合う前に事なきを得た。
元より無理矢理すぐに抱き締めない時点で、フィルとメフィストには、それがメロウの冗談であると分かっていた。
だが、そんな事をアイヴィが知る由もない。
助けてくれなかった友人フィルメイルへ向けられる信頼度が、いったいどうなってしまったのか……それは言うまでもないだろう。




