5-31 暗い朝と釣りと覚悟
シーサーペント討伐の翌日。
港町リヴィアに残るフィルとメフィストとアイヴィは、魔都へと帰るマイトら銀水晶の皆を見送ったあと、無人のリヴィア探索へと繰り出していた。
師匠に関係する物はないか? 何か可笑しなことでも起きていないか?
空を飛び、町中ぐるりと調べて回ったものの、特に成果は得られなかった。
怪我人の治療がてら騎士にも聞き込みを行ったものの空振りに終わる。
丸一日無駄となったことで翌日から方針を変えることにしたフィルたちは、早々と床につき、翌朝――
「ヒットォォォ! またまた食糧確保ぉぉ!」
「朝から元気ね」「ケッケッケッ」
まだ日が昇らぬ暗い朝。
カジュアルな服装で暗がりへと飛び出したフィル、アイヴィ、メフィストは、永遠に続くように広がる暗い海へ光を放つ灯台のその下で、現在釣りをしている真っ最中であった。
時刻的にもことわざ的にも灯台の下は暗いのだが、今は空中に浮かぶ魔法の光がフィルたちを淡く照らしており、程よく明るい。
魚との戦いの結果も、魔法の光が照らしていた。
フィルの上げた竿から伸びる糸。その先端にある釣り針には三十センチほどの魚が引っ掛かっており、勝者たるフィルを黒い瞳で見つめている。
背は黒に近い暗い色をしており、腹側へいくと白や銀に近い色へと変わる。アーモンド形の体の側面には特徴的な鋭い鱗があった。
恐らくアジの仲間であろう。そうフィルは魚の同定を済ませ、急ぎ針を外しに掛かる。
哀れ、釣りあげられてしまったアジ君。
しばらくの間はピチピチと活きよく抵抗を続けていたものの、慣れた手つきで針を外されたあと、氷の浮かぶキンキンに冷えた海水の入った大きな桶の中へと放り込まれてしまった。
桶の中では、既に仲間たちが身を横たえたまま動かなくなっていた。
今入った新入りも、同じ末路を辿るのであろう。
桶の中を見つめていたフィルの顔が、ニンマリと歪む。
「うへへぇ、もう一匹ぐらい欲しいねぇ。焼いてヨシ、煮てヨシ、揚げてヨシ」
「おい相棒。自分で調理するってのを忘れんなよ」
「わかってるわかってるぅ。よっと」
そう言いながらフィルは、うにょうにょする虫を素手で掴むと、それをテキパキと針に通し、「そいっ」という掛け声とともに糸を海へ落とした。
釣れないなどと微塵も思っていない、ウキウキ顔である。
その横で、アイヴィの竿が海へ向けグイッとしなった。
力強い引きに竿が曲線を描き、その先端が海を指す。
アイヴィは両手に力を込め、竿を持っていかれないようにグッと堪えた。
曲がる竿はフィルの魔法によって強化されており、折れはしない。
細く切れやすそうな糸も同じである。
相手の引く方向に合わせ竿を倒し、海中の見えない魚と戦い続けるアイヴィ。
しばしの間、攻防が続き……先に根負けしたのは魚の方であった。
竿を立て、糸を手繰ったアイヴィの手元に、針に掛かったアジがお目見えする。
竿を握っていた時に感じた力強さとはうってかわって、そのアジは少々小振りなサイズであった。
それでもアイヴィの内側からは、確かな満足感があふれていた。
釣ったアジを嬉しそうに見つめるアイヴィに、メフィストが声を掛ける。
「早く針を外してやろうぜ」
「そうだった……大人しくしててよね……よし」
少々針を外すのに手こずったアイヴィであったが、無事傷口開かずアジを桶の中へと解放する事に成功した。手先が器用な方であると自負しているアイヴィであったが、慣れぬことは難しいものである。
ふぅ、と一息ついたアイヴィは、桶の中で冷やされ動かなくなってしまった魚たちを見て、フィルと違って釣竿を置いた。
「ありゃ? 飽きちゃった?」
「いいえ。楽しかったわよ。たまにはこういうのもいいわね」
「うんうん。あとは私が食いぶちを稼げれば――来たぁ! ってお前かぁ」
針に食い付いた獲物を竿の張力を活かし海上へと持ち上げたフィル。しかし獲物を見つめる青い目からは、憎悪の色が零れていた。
針の先に付いていたのは、丸っこいフグであったのだ。
空中を舞う糸を器用にキャッチしたフィルは、素早い動きで針を外す。
「君は毒があるから食べられないのだよ。外道は帰れ。シッシッ」
言葉とは裏腹に、フグを海へ帰す仕草は優しい。
だがしかし、『またな』と言わんばかりに海の中へと消えて行ったフグへ向けられるフィルの瞳には、やはり怒りに満ちたままである。
フグに取られた餌を付け替えるフィル。その様子を――主に虫を――見ながら、アイヴィが顔をしかめていた。
「今日は釣れたから楽しかったけど、その餌はどうにかならない?」
「これね。うにょうにょキモイからね、うにょうにょ。一応疑似餌も作れなくはないけど、やっぱり本物は掛かりが違うのだよ――それもう一丁」
「そ、そうなの」
「まぁ今日釣れたのは、シーサーペントに追われてここらに隠れてた魚が丁度出て来たからだと思うけどねっ――って早い。またお前か! 帰れ!」
『やあ。また会ったね』と言わんばかりに針に引っ掛かったフグを見つめ、フィルの語気が強まる。
それでも穏やかに海へ帰す光景に、アイヴィはクスッと笑ってしまった。
アイヴィからひと笑い取れたので良しとしたのか、フィルの表情からはフグへの怒りが消えていた。
「今日はこのぐらいにしといてやらぁ。じゃ、帰って調理調理」
そう言うとフィルは、水の入ったままの桶を両腕で抱え、アイヴィの返事を待たずに歩き出した。
それなりの重量があるはずなのだが、フィルの足取りは軽い。
アイヴィはフィルの釣竿を代わりに持ち、その後ろに続く。
そんな二人に合わせ、メフィストと魔法の光がふわふわ動く。
追従する光に照らされたアイヴィの眉は、少々困り気にハの字になっていた。
「その……フィルメイル……お願いがあるんだけど」
「んー? 駄目ぇー」
「ちょ! まだ何も言ってないでしょ」
アイヴィが驚きと叱責の混じった声をフィルの背へ投げつけるも、彼女は陽気に笑うだけであった。隣で浮かぶメフィストも同じく。
溜息を一つ吐いたアイヴィであったが、この陽気に笑う友には自分が何を言おうとしているのかお見通しなのだろう、と感じていた。
それでもアイヴィは、先を歩くフィルの背へ気後れした声を投げ掛ける。
「その、私ね……実は料理したことが一度もないの……だからフィルメイル。その魚は貴女が――」
「だから駄目だってば。『やったことない』じゃなくて、やるの。OK?」
「私がやると絶対大変な事になるわよ」
噴き出す血。ズタズタになった魚だったもの。異臭漂うキッチン。
自分で想像した未来に、アイヴィは口を横一文字に固めてしまう。
だが、その想像を吹き飛ばすかのように「アハハ」と陽気な笑い声が暗い朝に広がった。それに合わせるように、フィルの隣にいたメフィストがふわりふわりとアイヴィの隣へ移動してきた。
「別にいいだろアイヴィ、今は俺様たちしか居ねぇんだぜ。まぁ釣られたそいつらには悪ぃけどな。ケッケッケッ」
「だね。それにアイヴィちゃん。出来るか出来ないかなんて一回やってからだよ。まずはやる。出来ないって言うのはそのあと」
「わかったわよ。やればいいんでしょ、もう。どうなっても知らないわよ」
「大丈夫だよ。ちゃーんと私が教えるから、ねっ。よぉーし、フィル’s・キッチン、オープンだぁ」
自信満々なフィルの声を聞いても、アイヴィの不安が消えることはなかった。
初めてやることは、誰だって怖いものである。
不安を抱えたまま酒場のキッチンに戻ってきたアイヴィは……今、刃渡り十八センチほどの包丁を片手にプルプルと震えていた。
魔物ならば幾ほども命を奪ってきたアイヴィであるが、まな板の上で横たわっているだけの魚に恐れを抱いていた。ナイフ捌きならばフィルにも負けぬと思うアイヴィも、今だけは包丁の震えを止められない。
やらねば。やらねば。自分がやらねば……。
そう思うアイヴィの横で、無慈悲に包丁が振り下ろされた。




