5-27 シーサーペント討伐作戦~トドメの一撃~
「泡よ、泡よ、泡よ――」
紡がれた言葉が魔法となって現実に現れる。
フィルを包む球状の膜の外に、数え切れないほどの小さな泡が次々と生まれ、生まれ、生まれ、周囲へ急速に広がり始めた。
周囲一帯の海底を小さな泡が埋め尽くしてしまう。
魔法を放つ間、回避一つしなかったフィルは、正面から迫ったシーサーペントの体当たりを受け、球状の膜ごと吹き飛ばされてしまう。
だが、吹き飛ばされながらも、フィルは声を止めてはいなかった。
「――炎を包め」
フィルの言葉に従い、周囲に満ちた泡たちの中に炎が生まれた。
海底一面に広がっていた全ての泡が、海の中を煌々と照らす。
穏やかであった青一色の海。
そして、傷つき暴れるシーサーペントによって緑色に穢れた海。
それが一瞬にして、炎の赤へと様変わりした。
フィルへ追撃を試みようとしていたシーサーペントが、突如として現れた炎の海にたじろぐ。
自身を下方から照らす炎に、先程の一撃の面影を見たのだろうか?
それともただの生物的な嫌悪感だろうか?
海底に広がる炎から逃れるように、シーサーペントが上へ上へと逃げ始めた。
フィルもまた逃げる獲物を追い、自身も浮上を始めた。同時に全ての泡を自在に操り、上へ上へとシーサーペントを追い立て続ける。
炎を内包した泡全てが、整然と、そして規則正しく動く。
その光景は、まるで海の中に炎の渦が生まれたかのようであった。
逃げる巨体。追う炎の渦。
一部の泡がシーサーペントへ追いつき――内包された炎が皮膚をジュッと焼く。
たまらずシーサーペントが逃げる速度を上げた。
『メフィちゃん、カウント行くよ……十。九。八。七……』
フィルのカウントが減るにつれ、シーサーペントの頭部が海面へと近づき――
~~~~
「六。五。四――」
メフィストの声を聴きながら、アイヴィは海面へ向け右手に持つスティンガーを向けていた。
右腕を左腕の上に乗せ、十字を描く構えだ。
スティンガーの前方には、二つの複雑な文様の描かれた白い円が連なって展開されており、現在第二封印までを解放していることが分かる。
スティンガーと白円が正面に捉えるのは、海の中に見える黒い影。
海が燃えているかのような異様な光景にもかかわらず、アイヴィの視線は浮上してくるシーサーペント一点のみを捉えていた。
『外さない』
心の中の呟きを、メフィストの声がかき消す。
「――三。二。一。零!」
『零』に合わせ、黒い影が海の上へと姿を現した。
飛沫を上げながら現れたシーサーペントの顔が、そのまま高く、高く昇る。あまりにも勢いよく昇ったために、シーサーペントの先端は海面から十メートル程の高さまでに達していた。
それはまるで、海に大木が出現したかの様である。
アイヴィは冷静に照準を定め直し――スティンガーから光が放たれた。
太い白線が空を走り、シーサーペントの喉元を貫く。
貫いた白線は、そのまま裏側を突き抜け、空の彼方へと線を描いた。
命中した喉元には皮膚も肉も骨も残っておらず、空虚な穴が残るだけであった。
断末魔を上げ倒れ始めたシーサーペントへ、狩人達は手を止めない。
浮上により生まれた波を軽やかに踏み越え、マイトがシーサーペントのそびえる胴の横を通り抜けた。
遅れてシーサーペントの胴が裂け、緑色の血が噴き出す。
身の丈よりも長い剣による一閃が、胴の半分ほどを切断したのだ。
そこに、更に追撃が加わる。
「ダグ。行くよ」
「筋肉に不可能は――」
シーサーペントに背を向けた大男ダグが腰を落とし、その前方で両手を重ね足場を作った。
そこに大斧を持ったミィミンが軽やかに飛び乗る。
「――ないっ!」
掛け声に合わせてダグの筋肉が盛り上がり、手で作った足場に乗ったミィミンを斜め後ろへと放り投げた。
身体強化魔法により力の高まった筋肉が、体躯のよいミィミンを天高くへ誘う。
高く昇ったシーサーペントよりも更に高くへと跳んだミィミンは、空中で身をクルリと翻し、大斧を構えながら叫んだ。
「≪ブレイズ≫」と。
ミィミンの胸元で発動体が淡く光り、両手で持つ大斧の刃が炎を纏う。
上昇から落下へと移ったミィミンの描く軌道の先には、既に死へと向かい始めたシーサーペントの顔があった。
落下の力とミィミンの膂力が掛け合わされた一撃が、シーサーペントの両目の中心へと振り下ろされる。
強烈な一撃に、シーサーペントの全身が震え、揺れる。
ミィミンが深々と突き刺さった燃え盛る大斧を引き抜いた時、ようやくシーサーペントの淀んだ目から色が消えた。
死したシーサーペントの体から力が失われ、高く聳えた体が海へと倒れ始める。
顔から跳躍一つで離れたミィミンは、そのまま海へ落ちる覚悟をしていた――のだが、ふと近付く何かを察知したミィミンは、とっさに右手を大斧の柄から放し、その近付く何かを掴んだ。
本来なら今頃海面に叩きつけられているはずだった体が、今はふわりと浮いている。ゆえにミィミンは、自分が何を掴んだのか見ずとも理解出来た。
「助かったよ、メフィスト」
「お安い御用だぜ。いいトドメだったぜ」
「お疲れ様です、ミィミンさん」
ミィミンが掴んだ杖の上に視線を向けると、丁度アイヴィが腰元へと二つの魔法の銃を収納している最中であった。
一仕事終えた感を出すアイヴィへ向け、ミィミンが告げる。
「残念だけど、お疲れなのはここからなのさ」
そう言って海を見下ろすミィミン。
釣られて下を見たアイヴィの表情が『ゲッ』と歪む。
そこには、シーサーペントの死体が海の中へと落ちぬよう必死に掴んでいるマイトとダグの姿があったのだ。
そう。狩人の仕事は、討伐しただけでは終わらない。
持ち帰るまでがお仕事なのである。
「あー、そうですね。メフィスト、下に行きましょう」
「おうよ」
メフィストが降下し、手を離したミィミンが再び海の上に立つ頃には、既にシーサーペントの体が海の上にぷかぷかと浮いていた
それは死体の中にガスが生まれ――た、訳ではなく、単純に魔法の力によるものである。
もちろん魔法を使ったのはフィルであるが、未だにフィルは海の上に姿を現していない。
浮かんだシーサーペントの横で「ふぅ」と息を吐くマイトとダグ。
二人の横へと駆け寄るミィミン。近付くメフィストとアイヴィ。
四人と一杖の前に、ゆっくりゆっくりと、フィルが海の中から浮上してきた。
柔らかな微笑みを湛えながら両手を軽く横へ広げている姿は、まるで自分が女神か何かだと言わんばかりである。
そのまま空中に浮きながら、フィルが呟く。
「あなたが落としたのは、金のシーサーペントですか? 銀の――」
「落としてないぞ」
「うむ」
「ちぇー。ちょっとは乗ってよ、マイトさん、ダグさーん」
ぷくっーと頬を膨らませ、不満を露わにするフィル。
そんな子供っぽい反応に、元よりない神秘性がペロッと剥がれてしまう。
マイトたちは怒れるフィルに構いもせず、シーサーペントのぬるぬるする皮膚を掴み、移動を始めてしまった。
「陸まで運ぶぞ。アイヴィとメフィストは応援を呼んで来てくれ」
「はい。行きましょう」
「んじゃ、相棒、後でな」
すぅーと陸の方へと遠ざかるメフィストとアイヴィを見送り、その後を追うように狩人たちは歩き続ける。
フィルもまた、浮上前に密かに使っていた魔法で今もふわふわ浮いたまま、シーサーペントを運ぶ三人の後ろを追う。
遠い陸地を目指し、狩った獲物を黙々と運ぶ狩人たち。
そんな中、正面を向いたままのマイトが言った。
「よくやったな、フィル。今日の功労者はお前だ」
「えへへ。どういたしまして」
真っ直ぐな称賛の言葉に、フィルは白い歯を輝かせ、自然な笑みを浮かべた。
当たり前であるが、褒められれば嬉しいものである。
それはフィルにとっても同じだ。
だが、そんな嬉しさに水を差すかのように、ダグの肩がピクピクと動いた。
「だがフィル君。餌は俺の役目だと言ったはずだ! 俺の三角筋が泣いているぞ」
「いやぁ、そんなこと言われてもぉ……」
「あのねぇ、ダグ。もしもあんたが餌になってたら、今頃死んでるだけだよ……けどフィル。たとえあんたであろうと冷や冷やしたのは変わらないんだからね」
「ああ。お前が強いのは知っているが、あまり無茶をするんじゃない」
ダグだけでなく、ミィミンやマイトからも追及を受け、フィルは「すみません」と謝るしかなかった。
素直なフィルに、三人の背が小さく揺れる。
その後、フィルたちは再び黙々と陸へ向かって移動し続けた。
途中、他のギルド員たちの援護もあり、無事シーサーペントの死体を陸地へ運び込むことに成功した。だが陸に戻ったフィルもまた、地に横たわるシーサーペントのようにぐったりとしていた。
巨大なシーサーペントの死体を運ぶのは、流石に手間だったらしい。
浮いたメフィストにまたがり、そのまま倒れるように正中線を乗せ、四肢を下へと垂らしたフィルの姿は、海の中でシーサーペント相手に果敢な戦いを魅せた者と同一人物には到底見えない。
フィルはぐったり顔を下へ向けたまま、大儀そうに右手を持ち上げ、皆へ向けよろよろと振る。そして、気怠そうな声を口から絞り出した。
「じゃ~、解体はよろ~。おつかれさまでしたぁ~」
「ああ、ゆっくり休めよ」
「あとは任せな、フィルちゃん」
空中を滑るように離れていくフィルを、同僚たちは笑顔で見送る。
シーサーペントの死体の側で「この場で解体するぞ」「「「「応!」」」と狩人たちの声が響くのを背に、フィルは酒場へと向かう。
「お疲れさん」
「うい~。メフィちゃんもね~」
メフィストと労い合うフィルの側に、軽快な足音が近づいて来た。
フィルは側に来た誰かを見もせず、足音だけでそれが誰かを看破する。
「アイヴィちゃん。あっちはいいの?」
「マイトさんが『休んでおけ』だって。それに……」
「およっ?」
後頭部にポンと何かが乗った感触から、フィルはアイヴィが何をしに駆け寄って来たのかを理解した。態々頭の上に乗ったものを手で確かめる必要もない。
クスッと笑う二人の声が重なり、アイヴィの声が続く。
「これがないと、落ち着かないでしょ」
「ありがと。アイヴィちゃんに預けて正解だ」
とんがり帽子を後頭部に乗せたまま、アイヴィと並び酒場への道を進む。
「それ、大事な物なの?」
「うん、ちょー大事。師匠から譲り受けたものだからねぇ」
「そういえば、貴女をここに呼びつけたのに当の本人は居ないのね」
「だねー。今はどこで何をしているのやら」
フィルはアイヴィに同意しながらも、別の考えを持っていた。
恐らく師匠は、今も近くに居ると。
しかしながら、シーサーペント騒動のあったこの町で、手紙に書いてあった通り師匠が『バカンス中』であるかは、当然疑わしく思ってもいる。
果たして師匠が、この町で何を自分に望んでいるのか?
ぐったりしたまま「うーむ」と悩むフィルに、隣を歩くアイヴィが笑う。
「フィルメイル。お師匠様のことはあとで考えたら? 一仕事終えたんだから、今はゆっくり休みましょう」
「それもそーだねー。たぶん夜は祭りもあるし」
「祭り?」
歩きながら首を傾げるアイヴィを、今度はフィルが笑う番であった。
「祭りって何なの? メフィスト?」
「なあ、アイヴィ。お前、とりあえず俺様に聞けばいいと思ってねぇか? まぁ、俺様も知らねぇけど」
「フフッ、すぐにわかるよー」
愉快そうに笑うフィルは、その後アイヴィに問われても答えを返すことはなかった。
アイヴィのささやかな疑問は、その夜、明らかとなる。




