5-26 シーサーペント討伐作戦~喰うもの、喰われるもの~
海の底へと逃れ、陸から離れるように西へと逃げるシーサーペント。
フィルとアイヴィを乗せたメフィストが、空から海中の影を追う。
「作戦通りとはいかないねぇ……仕方がない。メフィちゃん、奴の前に出て」
「チッ。無茶はすんなよ、相棒」
「わかってる。風よ、殻となり、我を守り給え」
加速するメフィストの上で、フィルは軽やかに魔法を唱える。
フィルの腕輪が赤き輝きを放つ中、フィルたちは逃げる影を置き去りにし、更に西へと進んだ。
逃げる獲物を追っていたフィルたちが、逆に先行する形となっている。
両者間の距離が充分に離れた所で、突如フィルが自分の被るとんがり帽を外し、アイヴィの丸い頭へポンッと被せた。
『こんな時に何をしてるの』と言わんばかりの視線が、アイヴィからフィルへと突き刺さる。
そんな咎める視線に対し、フィルはニコリと笑い返す。
そしてフィルは、軽い口調で呪文以外の言葉を口遊んだ。
「じゃ、ちょっと行ってくるねー。アイヴィちゃん、あとよろしくぅ」
その言葉を置き去りにし、フィルがヒョイッと杖から降りた。
落ちた、と表現すべき状況に、アイヴィは驚きで目をカッと開き「ちょっとなにを!」と叫んでしまう。
大海原に広がる叫びに返答はなく、下を覗くアイヴィの視線の先で高い水しぶきが上がった。
~~~~
足先から海の中へと潜るフィル。
その体には、一滴の水滴すらついていなかった。
理由は単純。
フィルの周囲には風の魔法で作り上げた球状の膜があり、フィルの体は風の力に巻き上げられ、その球状の膜の中でふわふわと浮かんでいるからである。
球状の膜の大きさは、女性としては比較的背の高いフィルの身長に少し上下を足した程度だ。中は空気で満たされており、フィルは自然な呼吸を保っている。
球状の膜は、落下の速度をそのままに、フィルと共に海の底へと落ちていく。
本来であれば、球状の膜は空気を多分に内包しているため海の中へと落ちることはない。だが、巧みなフィルの魔法の操りが浮力に勝り、球状の膜を下へ下へと落としているのだ。
透明な膜越しに海中を見渡すフィル。
そこには、この近海でシーサーペントが暴れていた影響なのか不思議と周囲に生き物の姿はなく、ただただ澄んだ青が広がっていた。
フィルの目には、明らかに生物でも魔物でもない不定形の何かが見えているのだが、フィルはいつもの事とそれを無視し、黙々と潜り続ける。
フィルが東、陸側の方へ視線を向けると、海底近くをうねうねと泳ぐ巨大な影が一つ見つかった。
当然、シーサーペントだ。
体中から血を流し続けているので、遠目でも一目瞭然である。
フィルは、降下し続けている自分の方へと近付くシーサーペントを見ながら、次に放つ魔法の準備を始めていた。同時に、頭の中でメフィストへ語り掛ける。
『メフィちゃん。どうにかして海上に追い出すから、皆に連絡よろー』
『どうにかって、策なしかよ』
『一応あるよ。ただ、成功するかは……神に祈りっましょ』
『ハッ。神なんかに祈るよりお前を信じる方が確実だろ。しくじんなよ、相棒』
『まっかせて』
会話が終わる頃には、既にシーサーペントがすぐ近くにまで迫っていた。
泳ぐシーサーペントの淀んだ目が、膜の中に居るフィルを捉えている。
さて、敵は逃げるか? それとも――速度を上げ向かって来るシーサーペントを見て、フィルは「フフッ」と笑みを作る。
傷ついた長い体を波打たせながら迫りくるシーサーペント。
近付くシーサーペントに対し、フィルはまだ何もしない。
『我慢、我慢』
獲物に対し何もしないのならば、獲物になるのはフィルの方である。
フィルの側までやって来たシーサーペントが、その泳ぐ速度そのままに体当たりを仕掛けた。
迫る巨体とフィルを包む球状の膜が衝突し、フィルは叩かれたボールのように、そのまま海の中を飛ばされてしまう。
しかし、フィルは冷静なままだ。
吹き飛ばされはしたが、フィルを包む魔法の膜に傷一つなく、吹き飛ばされた揺れや衝撃も、膜の中で浮かぶフィルの体を傷つけはしない。
それが気に入らないのか? 単に獲物を弄んでいるのか?
シーサーペントが執拗に体当たりを繰り返す。
何度も、何度も、何度も。
その度にフィルは、海の中を縦横無尽に吹き飛ばされ続けた。
「自分のテリトリーだからって、好き勝手するねぇ……けど、マイトさんたちが追いつくまで待たないと――にゃぁ?」
フィルの口から唐突に変な声が出たのは、眼前に映る光景のせいであった。
そこにはシーサーペントの開かれた大口があり、海底であるにもかかわらず四本の大牙がキラリと光り、その奥にびっしり生えた無数の歯が見えていた――いや、迫っていたからであった。
大きく開いた口は、フィルを包む透明な膜よりも大きく、容易くフィルをその中へと取り込み――口が閉じると共に、膜の中にガンッと衝撃が響いた。
半端に閉じた大口は、そのままフィルを守る球状の膜を破壊せんとギリギリと閉じ続ける。更に顎の力が強まり、フィルの背中側に位置した大牙が球状の膜に突き刺さらんとしている。
口内の上下に生えた歯もまた、膜との接点をガチガチと傷つけ始めていた。
他の生物の例にもれず、シーサーペントの噛みつきは強力であり、強固なフィルの守りにも流石にひびが出来てしまう。
それでもフィルに焦りはなく、冷静に守りの膜を操り、シーサーペントの口から脱出しようと試みていた。
「あと、三、四回くらいなら――って、ちょ」
再び可笑しな声を上げてしまったのは、唐突に噛みつき攻撃が終わったからであった。代わりに脱出しようとしていたフィルの試みに反し、球状の膜ごとフィルはシーサーペントの中へと飲み込まれていく。
丸飲みにしようという魂胆だ。
口の奥へと飲み込まれたことにより、フィルは暗闇に包まれてしまった。
闇に視界が閉ざされていても、周囲に満ちる食道なのか喉なのか分からぬ肉壁が、球状の膜の外で蠢いているのが分かる。
脈動する肉壁が、ゆっくりゆっくりとフィルを奥へ奥へと運んでいく。
ゆっくりであっても、その力は強く、フィルの魔法操作では抗う事が出来ない。
周囲の肉壁から漏れ出す液体――酸によって、フィルを守りの魔法ごと溶かそうとしていることも、フィルには感じ取れていた。
『流石にこんなことまで図鑑に載ってなかったなぁ』
そんな呑気なことを考えながら、フィルは先程まで使おうとしていた魔法を一旦保留し、別の魔法を放たんと集中を始めた――途端、脳内に声が響いた。
『おい! 相棒! 無事か!』
『無事だよぉ。もうちょっと待ってねぇ』
焦るメフィストとは対照的に、フィルの言葉は軽い。
それはなぜか?
巨大な怪物に飲み込まれた今、メフィストが焦るのも当然なほど誰がどう考えても危機的状況である……のだが、むしろフィルにとっては好機なのであった。
それを証明するかのように、フィルの口元はニヤリと半月を描いている。
その口から零れた言葉も、笑みに似合う軽いものであった。
「もぅ丸飲みはよくないなぁ。ちゃーんとよく噛んで食べなきゃ、ねっ」
そう言ってフィルは、真っ暗闇の中、飲み込まれて行く先へと右手を向けた。
そして一つ息を吸い、一つ息を吐く。
集中と想像。
思い描くイメージを現実にするため、フィルは声高らかに言い放った。
「受けよ。師匠直伝のぉ、炎よ、連鎖し、破裂せよ」
フィルを守る膜の外。フィルの手が指し示す先に一つの赤い光が生まれた。
赤い光が照らすのは、周囲を埋め尽くす血色の悪い薄緑色をした肉壁。
ぐにゃり、ぐにゃりと蠢く肉壁が見えた瞬間、赤い光が爆ぜた。
光から生まれたのは、恐ろしき熱を帯びた炎。
フィルの近くで拡散した炎が周囲の肉壁を焼き、同時に拡散する力の奔流が荒れ狂う。力の奔流が衝撃となり肉壁を外へ外へと押し、シーサーペントの胴の一部を内側から膨れ上がらせる。
ほぼ同時に響いた爆発音が、フィルの耳をつんざく。
魔法はそれで終わりではない。
魔法による爆発は、『連鎖』と唱えた呪文の通り一度では止まらない。
爆発の力が最大限に広がるよりも早く、炎の先で次の爆発が起きた。そして、その爆発が最大限に広がるよりも早く、炎の先で次の爆発が起き……次の爆発が起き……次の爆発が起き……次の爆発が起き……。
繰り返される爆発。止まらぬ連鎖。
それにより生まれた衝撃が、体の奥から返るようにシーサーペントの口側へと流れた。迫る力の波は、そのままフィルを包む球状の膜を吹き飛ばんばかりに押し、膜ごとフィルを移動させる。
フィルが魔法の発生場所から離れようとも、一度起動してしまった爆発の連鎖は込めた魔力の限り止まりはせず、シーサーペントの奥へ奥へと進み、体内を蹂躙し続ける。
強靭なシーサーペントであれども内なる痛みには耐え切れず、全身をよじり、海の底で暴れ狂ってしまう。
たまらず開く大口。
するとそこから、まるでペッと吐き出されたかのような勢いでフィルが飛び出してきた。
その時ばかりは魔物であるシーサーペントも、自分がどんな不味いものをよく噛まずに飲み込んでしまったのか気付いたのかもしれない。
だが後悔しようにも、遅すぎる。
爆発が止まったのは、シーサーペントの長い体の半分ほどを内側から焼いた頃であった。しかし、体内での爆発が止まろうとも、魔法により受けた傷が消えた訳ではない。
痛みに悶え、シーサーペントが駄々っ子のように暴れ続けている。
一方、魔物の体内から脱出したフィルはというと、緑の血と立ち昇る砂が濁らせる海の中で、止まらぬシーサーペントの動きを目で追っていた。
「あれでも死なないなんて、ほんとタフだねぇ。困った困った」
言葉とは裏腹に、フィルの声は跳ねるように軽やかだ。
瞬間、シーサーペントが暴れるのを止め、フィルの方を向いた。
球状の膜の中に響く声は外に届いていない筈なのだが、シーサーペントは挑発されたかのように淀んた瞳に怒りの色を浮かべ、フィルへ向け叫びをあげた。
海中から伝わる振動が、球状の膜を震わせる。
だが、その程度で恐れを抱くフィルではない。
『怪我してねぇか!?』
『もち』
『ふぅ。マイトたちもそろそろ追いつくぜ』
『よおぉし。メフィちゃん。今から追い込むよ』
先程よりも動きが鈍くなったシーサーペントが迫る中、フィルは悠然と右腕を前に構え、戦闘中とは思えぬほどに穏やかな声で呪文を紡ぎ始めた。




