5-25 シーサーペント討伐作戦~おいでおいで~
急速に接近したフィルたちであったが、シーサーペントへ向け先手を打つことをしなかった。
速度を下げ、シーサーペントから距離を離し、彼女たちは周囲を飛び続ける。
近付いたからこそ、より分かるその巨体さ。その長さ。
シーサーペントは蛇やウナギをそのまま太く、長く、巨大化させたような姿をしており、その円柱状の胴体がうにょうにょと自在に動き、海中と海上を自由自在に行き来している。全長八十メートルはあらんかという巨体をうねらせ泳ぐ姿は、まるで海を割るかようであった。
もちろん八十という長さはただのフィルの目算であり、あまりの大きさによる錯覚であると彼女は理解していた。
実際の長さは半分ほどであろうと、フィルは考えを改める。
それでも魔物図鑑に最大五十メートルと書かれていたことを鑑みるに、このシーサーペントも充分に大きな個体であろう。
「こう近付くと、大きいわね」
「だねー。実物は大迫力だぁ」
「ケッケッケッ。なら逃げるか? 相棒」
メフィストは、自分に乗るフィルを囃し立てながらも、泳ぐシーサーペントの側面から正面へと躍り出ていた。
フィルたちの目と、シーサーペントの淀んだ目が合う。
スッと横切るフィルたちを、もたげたシーサーペントの首が追い、曲がる。
細くなった顔の先端がフィルたちへ向き、淀んだ両目がギョロリと動く。
敵が自分たちに食い付いたのを確認したフィルたちは、シーサーペントから大きく距離を離した。
逃げるフィルたちに何を思ったのか、その場に止まったシーサーペントが大きく口を開き、咆哮を上げた。
聞く者の意思を砕く大声が、大海原を震わせる。
そんな中でも、フィルの笑みは消えない。
「まっさかぁ。まずはマイトさんたちの所まで引きつけるよ。風よ、矢となれ」
フィルの右腕にはまる腕輪が青空の中で一つ輝くと、空を飛ぶフィルの周囲に透き通った緑の矢の群れが生まれた。
鋭い矢尻を斜め下へ向け、風の矢が次々と放たれる。
降り注ぐ風の矢が、シーサーペントの体と海面へと次々に吸い込まれていく。
だがしかし、命中した矢がシーサーペントの皮膚を傷つけることはなかった。
それでも、フィルの魔法は目的を達していた。
「GUGYAAAAAAAA」と叫びをあげたシーサーペントが、飛ぶフィルたちを追って泳ぎ始めたのだ。
フィルたちは、追跡者たるシーサーペントと付かず離れずの距離を保ちながら町の方へと逃げる。
逃げながらも、矢の生成と発射が止むことはない。
降り注ぐ魔法の矢。
それを物ともせず、巨体に似合わぬ速度で泳ぐ大海蛇。
フィルの横に座るアイヴィもまた、左手に持つ魔法の銃『レイ』を海を割いて迫る巨体へ向け、一つ、二つ、三つと放っていた。
次々と流れる矢の雨の中を、白く細い杭が駆け抜ける。
狙い正しく飛ぶ杭の先端が、海面から出た顔に――当たった瞬間、ぬめる皮膚が杭を逸らし、矢が外へと流れてしまった。
二射目も、三射目も。
シーサーペントの顔には、小さな赤さが生まれただけで、その皮膚には明確な損傷は見られない。
「チッ。やっぱり効かない」
「本命はあとで、ねっ」
効かぬと分かっていても、フィルとアイヴィは攻撃を止めない。
東へ、東へと空を駆け、徐々に徐々にマイトたちの待つ戦場へと近付いていく。
その最中、レイを撃ち続けていたアイヴィがボソリと呟いた。
「というか結局、私たち餌よね」
「アハハ。気にしない気にしなぁい。それに、アイヴィちゃんには指一本触れさせないから安心していいよー」
「だぜ。あんなデカ物に追いつかれる俺様じゃねぇよ」
「でも確か、あの図鑑には――」
アイヴィが先を言うよりも早く、シーサーペントが開けた口をフィルたちへと向けていた――瞬間、シーサーペントの大口から青白い何かが放たれた。
危なげなく横へと回避したメフィストの脇――避けなければ命中していた場所――を、細く伸びた線が通り抜けた。
フィルたちは、それが何かを知っている。
シーサーペントの放つ水撃であると。
「ハハッ。しびれを切らし始めたぜ」
「メフィちゃん。回避は任せるよ」
「おうよ」
そう言っている間にも、フィルたちへ向け水撃が飛んでいた。
先程まで空から海へと一方的に降りていた矢と杭。だが今は、お返しとばかりに海から空へと鋭い水撃が昇る。
だが、右へ左へ、上へ下へ、前へ後ろへと自在に動くメフィストをシーサーペントの水撃が捉えることはない。同時に、フィルたちから放たれる矢と杭も、シーサーペントを傷つけることが出来ないでいた。
更にしびれを切らしたのか、突如としてシーサーペントが急加速を始め、潜水からの急上昇をし始めた。そのままシーサーペントは、海上に大きく姿を現した長い体で、空を駆けるフィルたちを落とさんとする。
空を飛ぶかの大跳躍に、アイヴィの目がギョッと開く。
迫る巨体。開かれた大口。
近付く大海蛇の口の中には、四本の大きな牙と、口内に所狭しと無数に生えた小さな牙が見えた。
だが当然、そんな大雑把な動きが空飛ぶフィルたちを捉えられるはずもない。
メフィストが軽やかに躱す中、フィルは『ガルムさん。これに噛まれてよく生きてたなぁ』と呑気に観察する余裕すらあった。
両者、無意味にも思える追走劇を続け、続け、続け……シーサーペントは、近くに獲物が増えたことに気が付いた。
不自然に海上に立つ、三つの獲物に。
「よくやった。お前たち」
「さぁ、やるよ」
「こい。俺が受け止めてやろう」
海の上に立つマイト、ミィミン、ダグの三人の頭上を駆け抜け、フィルたちはクルッと弧を描きシーサーペントへと向き直った。
メフィストがシーサーペントに側面を向ける形、すなわち横向きに腰掛けているフィルたちが正面を向く形だ。
フィルの視線の先には、自分たちへの追跡を止めたシーサーペントが、その長い首を海から出し、マイトたちへ威嚇するかのように大口を開く姿があった。
今まで巨体が泳いでいた余波が海を波打たせ、大口から轟く咆哮が空を揺らす。
マイトたちは酷く上下する海面を、素早い動きで駆け出していた。
再び動き出したシーサーペントとマイトたちの距離が縮まる中、フィルは彼らの援護をすべく風の矢の展開を止め、次の魔法の構築をし始めた。
同時に、アイヴィが右手に持つ銃『スティンガー』を標的へと向ける。
「風よ、貫け」「第一封印解放」
二本の細長い円錐状の槍がフィルの頭上に生まれ、アイヴィの握るスティンガーの前方に白く輝く円形の文様が浮かび上がる。
「いっけぇー」「発射」
太陽の日を反射する風の槍が緑色に輝きながら宙を走り、スティンガーの銃口に位置する透明な宝石から光が放たれ、斜め下へと白線を描く。
槍を追い越した光の線が、シーサーペントの細まった顔へと進み――不規則にうねる動きが光の線を躱す。しかし、光の進む先にはシーサーペントの太い胴体が海面から出ており、白線がシーサーペントの胴に命中した。
スティンガーの力は放たれた光の太さに寄らず、光を追うようにその力を広げ、シーサーペントの肉を消し飛ばす。
だが、固い皮膚とぶ厚い肉全てを貫くことは叶わなかった。
風の槍が光に遅れてシーサーペントの胴へと辿り付く。
槍の尖る先端が、触れる物質を逸らすシーサーペントのぬめる皮膚をものともせず、並みの刃を拒む硬い皮膚を破り、深々と突き刺さった。
二本の槍が、空を走る勢いのまま奥へ奥へと肉を抉り、その運動の静止と共に消滅した。
光と槍によって傷ついたシーサーペントの体から、どぽり、どぽりと緑色の血が流れ落ち、青い海へと溶けていく。
肉を抉られ、痛みに叫び悶える――かと思われたシーサーペントであったが、まるで何も無かったかのように、その巨体を動かし続けている。
「タフい!」
短く感想を述べたフィルを咎めるかのように、シーサーペントが口からシュッ、シュッ、シュッと空へ水撃を放つ。
フィルたちへ狙いを向けた隙を突くかのように、シーサーペントの側面を走っていたマイトが、己が身長よりも太い胴へ一太刀を決めた。
横一文字に開く傷。
この討伐の為に準備された波打つ刃は、特有のぬめる皮膚を無力化している。
それはマイト本人の剣技による所も大きい。
自身を傷つけたマイトを潰さんと、シーサーペントが巨体をうねらせ――その前に、次の攻めがシーサーペントを襲う。
そう。攻めていたのはマイトだけではない。
シーサーペントの胴の側に踏み込んだミィミンが、まるで地面へ叩きつけるかのように両刃の大斧を振り下ろしていた。
そして他方では、ダグが触れるだけで大怪我を負いかねない巨体の躍動を殴り飛ばし、その軌道を反対方向へと変えている。
専用の武器など用意していないミィミンとダグであったが、二人は持ち前の怪力によってシーサーペントを攻め立てていた。
シーサーペントも、狩人たちの攻めを黙って受けるお人好しではない。
海の上を駆ける三人を噛みつかんと開く大あご。
自在に動く円柱状の長い胴を活かした波打つ体当たり。
どこにあるか分からぬ終点の尾による回避困難な薙ぎ払い。
当然のように空への水撃も合間に挟みながら、シーサーペントは己に纏わりつく羽虫の如き狩人たちを滅し、喰らわんとする。
しかし、いかにシーサーペントがその重厚な肉体による攻撃を仕掛けようとも、マイトたちは冷静に攻撃を見切り、軽やかに躱し、逆に迫る巨体に傷を刻み込んでいた。
水上という不慣れなど、熟練の狩人には関係ないとでも言わんばかりである。
だがそれは、此度の狩りが安全であることを示している訳でも、シーサーペントの危険度が下がった訳でもない。
依然、海を自在に泳ぐ巨体に触れれば当然の如く吹き飛ばされ、迫る大あごに噛みつかれれば毒と傷により死と見え、高速で跳ぶ水撃に当たれば人の肉体などひとたまりもない。
それでも狩人たちは死地に踏みとどまり、嵐のように暴れるシーサーペントを御し、攻撃を続けた。
空から降り注ぐ風の槍が皮膚を穿ち、宙を走る光が肉を抉り、巧みな剣の一閃が血を噴き出させ、荒ぶる大斧が胴を裂き、屈強なる剛の拳が大樹の如き敵を吹き飛ばす。
狩人たちの苛烈な攻めに、シーサーペントはその全身から緑色の血を流し、響く叫びを強めていた。
先刻まで青く透き通っていた海が、シーサーペントの血で淀み、滲み、今や薄汚さすら感じるほどに変色しており、流れた血の多さを物語っていた。
それ程の血を流していても、シーサーペントの動きは衰えない。
だがしかし、戦いは膠着の様相を見せておらず、戦況の変化はすぐに起こった。
シーサーペントが、その長く大きな体全てを海の中へと隠したのだ。
先程まで騒がしかった海の上が途端に静かになり、波打っていた海面が穏やかさを取り戻していく。
静けさは、嵐の前の前兆。
恐らく、血で濁った海に紛れて下から攻撃を仕掛けてくる。
そう考えたマイトたち三人は、海上で足を止めた。
そのまま意識を濁った海の底へと向け、各々構えを取ったまま下方からの奇襲に備える……だが、待ち構えてもシーサーペントは襲ってこない。
足元の海が血で濁ってるせいもあり、マイトたちはシーサーペントの影を追うことが出来ずにいた。
その時、空に居るフィルたちには見えていた。
海の底で蠢き、西へ西へと逃れる大きな影が。
「マイトさん。あいつ、逃げてます」
そう言いながらアイヴィが、逃げる影へスティンガーを放つ。
だが、白き光は海という厚い壁に遮られてしまった。
「デカいのは図体だけかよ」
「逃っがさないよぉ」
フィルが声を上げるよりも早く、メフィストは動き出していた。
逃げる影を追って。




