5-23 疲れによく効くマッサージ
騎士達が間借りしている診療所に突然現れたフィル。
魔女の秘薬とフィル自身による光魔法を併せた治癒は、夕刻からそのまま深夜にまで及び……現在、執務室に居るボルグ隊長の前に立つフィルは、精も根も尽き果てていた。
床に突いた杖に全体重を預け立つ姿は、先程まで治癒を受けていた騎士たちと彼女、どちらが負傷者か分からぬ程に疲れて見える。
「そ、それではぁ、御入用の際は、魔都ギルド『銀水晶』の魔女見習いフィルメイル・クリスタをどうぞ御贔屓にぃ」
「ああ。今日は本当に助かった。ありがとう」
「支払もよろしくぅぅ」
フィルは弱々しい声でそう応えると、まるで老婆の如き歩みで執務室をあとにした。フィルが部屋から居なくなっても、廊下から杖を突く音が響いている。
部屋に独り残ったボルグ隊長は、先程フィルから受け取った粗雑な紙を見て、フッと小さな笑みを口元に作っていた。笑みの歪みに合わせ、鼻下のちょんと横に伸びた髭が揺れる。
離れいく杖の音と入れ違う形で、一つの重い足音が近づいて来る。
両開きの扉の前で止まった足音の続きを奏でるように、扉がノックされた。
「隊長。まだおられますか?」
「入れ」
入って来たのは、夕刻にも共にいた部下の男であった。
近づく部下の男へ向けられるボルグ隊長の表情。それは先程とは違い、普段と変わらぬ真面目腐ったものに戻っていた。
「カルロス。ガルムとリバーの様子はどうだ?」
「峠を越えるどころか、あとは安静にしていればそのまま快方へ向かう程まで回復しています。他の騎士たちも同様。みな戦闘が出来るほどではありませんが、これ以上ウルザに無理をさせることもないでしょう」
そう語る部下カルロスの表情は明るい。
「彼女は、まさに天の助けだな」
「はい。突然薬売りが現れ助けてくれる、なんて昨日の自分に言えば、恐らく鼻で笑われるでしょうね」
「全くだ」
冗談めかしたカルロスの言葉に、ボルグ隊長は表情一つ変えずに頷き返す。
カルロスもそうだが、表情が変わらぬ様にみえるボルグ隊長の顔もまた、夕刻よりも光を帯びていた。
仲間から犠牲が出なかった。
それはあまりにも当たり前に嬉しく、あまりにも大きな吉報なのである。
幾度戦場を駆けようとも、幾度友の死出を見送ろうとも、それは変わらない。
他にも報告があるだろうに、カルロスが機嫌よさげにフィルの話を続ける。
「しかし彼女も商売上手だ。これでは幾ら請求されようが断れるわけがない」
「カルロス。お前も存外、人を見る目がないな」
「は、はぁ……」
唐突な酷評にたじろぐカルロス。
そんな部下へ、ボルグ隊長は今し方まで見ていた紙を差し出した。
受け取ったカルロスは、質素な紙に書かれた短い文字を読み、目を見開いた。
紙には『薬代』そして使った『十二』という文字と一本当たりの単価。
そして十二×単価を示す総額。
あとは、『支払は銀水晶まで。よろ』とだけ書かれている。
支払期日すら書いていない、あまりも簡素な請求書だ。
カルロスが驚いたのは、薬の単価の部分であった。
「この請求額……桁が間違っていませんか……」
「本人にもそう聞いたが、間違っていないそうだ」
「……安すぎる……この単価だと、調達屋の薬の半分にもならない」
「彼女は語らなかったが、それは一般流通しているハイポーションと同じ値段だ。目の前で効き目を見た限り、ハイポーション程度の安物には見えなかったがな」
一般的に、光魔法である『ヒーリング』の力を込めた魔法の水の事を、通称としてポーションと呼ぶ。そして、ハイポーションは『ヒーリング』よりも高度な光魔法を込めた物を指し示す、ある意味俗称である。
当然ポーションよりも高値で取引されている物であるが、腕の立つ狩人や冒険者などは常用している程度の価格で一般流通している薬であり、それなりに大きな町であれば入手も容易な品だ。
もちろんハイポーションに、今日二人が目撃したほどの効果はない。
「光魔法の治療費は?」
「『おまけ』だそうだ」
隊長の言葉を聞き、カルロスは夕刻に聞いた『今なら光魔法もついてお得だよぉ~』という調子の良い歌声を思い出した。
同時に、先程すれ違った少女の疲れ果てた姿を。
釣り合わぬ『労力』と『報酬』に困惑を抱くカルロスへ、ボルグ隊長が問う。
「これでもお前は彼女が商売の為に来たと思うのか? カルロス」
「……いいえ。では彼女は何の為に?」
「先程も言っただろう。助けにだ。あの気難しいコルレオーネ様が隣に置くのも頷ける」
部下から紙を受け取ったボルグ隊長は、それを木製のファイルの中に挟み、大事そうにそっと机の上へと置く。
その、部下に背を向けたボルグ隊長の顔には、穏やかな微笑みが生まれていた。
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深まる夜の中に、寄せては返る波の音が静かに溶け込んでいる。
先刻までギルド『銀水晶』の面々が語らっていた酒場も、今は真ん丸な月に照らされながら静けさを保っていた。
酒場の二階は宿泊施設となっており、銀水晶の面々は、それぞれ借り受けた部屋で寛ぎ、眠り、穏やかな時間を過ごしている。
診療所から戻って来たフィルもまた、酒場二階にある一室を使わせて貰い、不得意な光魔法を酷使した疲れを、少し硬い寝台に預けていた。
暖色に淡く輝く魔法の光が、室内を暗く照らしている。
その光の中を動くものが一つ。
それは、寝台の横に立てかけられている杖メフィスト、ではない。
疲れてうつ伏せに寝そべるフィルでもない。
ゆっくりと動く人影が、うつ伏せのフィルの背に寄り添うように重なった。そして、人影から伸びた手がゆっくりと、そして優しく動きフィルの肩へ置かれた。
人影の両手が、それぞれフィルの両肩を愛撫し――瞬間、人影がフィルの肩をガシッと掴むと、そのまま後ろへと引いた。
当然、フィルの上体は背中側へとグイッと反ってしまう。
すると途端に疲れたフィルの顔が苦悶の表情へと様変わりし、開いた口から悲鳴が飛び出してしまった。
「ぎゃぁぁぁぁあぁぁぁ。まって――いや、折れる折れる折れちゃうぅ」
「ハハハ。そんな簡単には折れないから安心しな」
「ミィミンさぁん――ぐおぉぉ、ちょっとは加減をぉぉぉ」
「中途半端にやったら逆効果なのさ。我慢我慢」
フィルの肩を掴み彼女を海老反りにしているのは、戦士然とした引き締まった筋肉の美しい女性、フィルの同僚であるミィミンである。
力強い彼女に掴まれては、いかにフィルでも脱することは出来ない。
だが安心して欲しい。
別にフィルが無理や無茶をしたお叱りを受けている訳でも、ましてや拷問を受けている訳でもない。ただのストレッチである。
しかしながら、痛いものは痛い。
本来、無理なストレッチは怪我の元なので、皆は充分に注意しよう。
話は戻って、しばしの間フィルの悲鳴が続き……ミィミンの手が開くのに合わせ、フィルの上体がベッドへと落ちた。
「次は横向きな」
「はーい。次は痛くしないで、ねっ♪」
「それはあんたの体次第だ……いくよ」
「私も女だ! どんと来い!」
横を向いて寝そべるフィルの上体を、ミィミンが捻り始める。
腹とあばらが捻じれ、フィルの両肩がベッドに付いた。
「これは大丈夫。むしろ気持ちいい」
「……よし。次は反対」
その後もミィミンの指示に従い、フィルは様々なポーズを取らされ続けた。
徐々に伸び徐々に火照っていく体に、フィルは心地良さを感じる。
丹念にストレッチした後には、ミィミンのマッサージが待っていた。
女性らしさを感じぬややごつごつした手から繰り出されるミィミンの揉み技は、彼女が一流の狩人である事を忘れてしまう程に魅惑的であった。
固くなっていた肩が解け、凝った背がふにゃふにゃになり、バリッと張った腰がもちもちな餅と化す。岩のように強固な腹が人並みへと戻り、棒となった足がしなやかさを取り戻す。
施術を受ける中、フィルの嬌声じみた甘い声が部屋中に広がり、同時にフィルの全身が柔らかな肉質へと戻っていく。
最早、フィルの全身はスライム状にでもなったかのようにとろけ、だらんとベッドと一体化していた。
「ふぅ……極楽、ごくらくぅ……」
「かなり凝ってるじゃないか。随分と大変な観光だったみたいだね」
「まぁねぇ。でも、有意義な観光だったよぉ」
うつ伏せに寝転び、枕に顔を埋めたままフィルがそう呟く。
その背を両拳でグッと上から押すミィミンは、豪気に見えるその顔を嬉しそうに歪めていた。
互いに顔は見えぬものの、静かな室内に広がる声には好感の色が乗っている。
「それで、騎士たちの様子はどうだった?」
「んー。死にそうな人はもういないよ――おっ。そこ良い。効きますにゃぁ……」
「そりゃよかった。あの騎士隊には何人か知り合いがいてね。無事ならいいさ。で、戦力的には?」
少しの間フィルは問いに答えず、「うーん」と悩みを声で表現していた。
その間にミィミンはフィルの頭を両手で挟み、立てた指で頭皮を動かし始める。
「あああぁぁ」と声を揺らしながら、フィルが答えを返す。
「無理はさせられないかなぁ。怪我人は三十人ちょっとだったかな? 騎士隊が全部で何人か知らないけど、とても今から船を動かして魔物を狩りにいくぞって感じじゃなかったよ」
「だな。動ける奴はそんな見かけなかったぜ」
メフィストの相槌に、ミィミンの手が止まり、フィルの頭部が解放された。
背から離れるミィミンの動きから、フィルは魅惑のマッサージの終わりを知り、少しだけ残念な気持ちになってしまう。
ベッドの上から退きながら呟くミィミンの声が、フィルの耳に届いた。
「なら、こっちが動くしかないね」
「おっ? やっちゃう? 明日にでもやっちゃう?」
そう言うとフィルは、「よっと」とベッドの上で体を反転させ上体を起こした。
フィルはその小さな動きだけで、自分の身体の変化に気付いた。
先程まで感じていた老婆の如き重さはなく、実に軽やかであると。
フィルがグッと親指を立てミィミンへ喜びを示す。だが何故か、視線の先のミィミンは首を横へ振っていた。
「それは明日みんなで決めることさ。それと、まだマッサージは終わってないよ」
「んー? もう万全だよ。ありがと、ミィミンさん」
「ハハッ。礼は終わってから言いな」
唐突に、ミィミンが宿に備え付けの椅子をベッドの横へと移動させる。
フィルへと向き直ったミィミンの顔は、不敵に歪んでいた。
どこか怪しげな笑みを浮かべるミィミンに、フィルの背がゾワリと震える――瞬間、スッと伸びたミィミンの手がフィルの右足を捕まえた。
「え? ちょっと!?」
引っ張られるままに回転し、フィルの座る向きはミィミン側へと向けられてしまう。丁度伸ばした右足が、椅子に座ったミィミンの太ももの上に乗る形だ。
フィルは、その体勢に覚えがあった。
止めねば……彼女を止めねば……。
その一心で、フィルが声を上げる。
「待って、ミィミンさ――」
「さぁ、最後の仕上げだよ」
「だからまっ――ぎゃぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁ」
フィルが感じたのは、痛み。痛み。痛み。
それは、まるで足の裏に尖った石が突き刺さったかの如き痛みであり、まるで神経を直接触られているかの如き痛みであった。
ミィミンがグッと親指を押し込むたびに、フィルの足裏から黒髪のてっぺんへと激痛が走り、突き抜けていく。
至福の全身マッサージとは打って変わり、その足裏への刺激は地獄であった。
フィルは、そのあまりの痛さにベッドの上でのたうち回ってしまう。
だが、しっかりと確保された足は微動だにしない。
「足裏は勘弁し――うもぉぉ。お、お金。お金なら出す――いやぁぁぁぁ」
「あたしはねぇ、半端は嫌いなのさ――「うひぃぃ」――それに健康なら、痛くはないはずなんだよ。不健康な自分を恨みな」
「嘘だ! 健康優良児たるフィルちゃ――ノー。これ絶対物理だよ――ミギャッ。ミィミンさんの指、刺さってる。突き刺さってるぅ――もうやめてぇぇぇ」
懇願の声は虚しく、ミィミンの凶行は止まらない。
静かな夜にフィルの悲鳴が木霊する。
だが外でシーサーペントを見張っている番の者も、ギルドの同僚たちも、フィルを助けに来る者などおらず、ただ、隣室のアイヴィが『騒がしいわね』と内心毒づくだけであった。




