5-21 合流、そして薬売り
巨大な蛇、シーサーペント。
怪物が近海を自由に泳ぐ光景は、いかにもな異常事態に思われた。だが、遠目から見ていても町を襲う様子は見受けられない。
ゆえにフィルたちは高度を下げ、まずは町の門へと向かう事にした。
港町リヴィアの陸側を覆う石造りの防壁。そこに設置された大きな木製の門。
まだ夕刻前のこの時間、門が開け放たれているのは普通のことであるのだが、本来そこに居るべきはずの門番兵たちの姿が見えなかった。
フィルが「すみませーん。通りまーす」と叫んでも、何も反応がない。
仕方なく門をすぃーと通り抜けるフィルたち。彼女らの眼前に石造りの街並みが広がり、磯の香りがふわりと風に乗って流れてきた。
寂れてはいないが華やかさも感じない町の中を、低く、ゆっくりと飛ぶ。
華やかさを感じない理由は、フィルやアイヴィ、そしてメフィストには分かっていた。この町には人の姿がないのだ。
町には誰も居らず、しばらく海へ向け飛んだ後も人の姿は見つけられなかった。
野良らしき猫の姿が、ちらほらと見つかるだけだ。
人っ子一人居ない町は、酷く静かで、酷く寂しく感じられる。
「これって避難済み?」
「だと良いんだがな」
「もぅメフィちゃん。不安になること言わないでよぉ」
飛びながらペチペチと杖を叩くフィル。
その横に乗るアイヴィは、真面目な顔をしたまま周囲を見回し、微かな安堵を目元に浮かべていた。
「大丈夫よフィルメイル。空から見たとき港側は壊されていたけど、それ以外は無事みたい。魔物がシーサーペントだけなら、町の人たちはみな無事に逃げ出せているはずよ」
「それは朗報。じゃあ、私たちはどーする? 直接殴り込む?」
「いいえ。一度マイトさんたちと合流しましょう。恐らくあいつを見張れる海の側に仮拠点を作っているはずだから、行先はそっち」
「OK」「了解だぜ」
快諾の声と共にメフィストが高度を上げる。
一直線に目的地へと向かうことに対し、アイヴィには思う所があった。
「ねぇフィルメイル。貴女はいいの? きっと貴女の師匠も、シーサーペントを討伐させたくて貴女を町に呼んだ訳じゃないでしょ」
「いいよー。あれを倒すのが先、先。そもそも私、この町に来た理由すら知らないんだから、そんなの気にしても仕方ないっしょ」
あっけらかんとしたフィルの態度に、シーサーペントを見てから真剣味を帯びていたアイヴィの顔に柔らかさが生まれた。
「助かるわ。ありがとう、フィルメイル、メフィスト」
「そういうのは終わってから、ねっ」
「だぜ。てか、あれを見てメロウが『放っておけ』なんて言うわけねぇしな」
「うむ。師匠ならこう言うね……『やっちゃいなさい』ってさ。アハハ。さぁ大物退治にレッツゴー」
杖に乗ったまま、意気揚々と腕を振り上げるフィル。
それを横目で眺めるアイヴィの顔からは、すっかりと固さが抜けていた。
~~~~
「フィル、メフィスト、アイヴィ。こっちだ」
地上から聞こえる男性の声を目印に、フィルたちは地上へ降り立った。
そこは、海を一望できる――いや、今も海を泳ぐ巨大なシーサーペントを監視できる位置に立つ、一軒の酒場であった。
フィル達の前、酒場の入口前には、三十後半程に見える渋い男が一人。
彼が、ギルド『銀水晶』の実働部隊をまとめる男マイトである。
「やっほー、マイトさん。遊びに来たよぉ」
「邪魔するぜぇ」
「違うでしょ、もぅ。すみませんマイトさん。来てしまいました」
フィルと、その右手に握られたままの杖メフィストが陽気に笑う。
アイヴィはその横で、少々申し訳なさそうにしている。
呼んでもいない来訪者に、マイトは歓迎の意を示すように酒場の解放的な木製扉を押し、開いた。
「いや。三人ともよく来てくれた。こっちだ」
そう言って酒場へ入るマイトの背に、フィル達は付いて歩く。
「マイトさん。皆も無事?」
そう問いながらも、既にフィルの目には店の隅っこにある卓を囲む同僚たちの姿が映っていた。
筋肉質な大男ダグ。頬傷の目立つ厳つい顔の男ビルザー。引き締まった筋肉の美しい茶の髪を編んだ女性ミィミン。ローブを着た糸目の男モノス。
彼ら彼女ら以外にも、銀水晶で魔物狩りの依頼をこなす者たちがおり、みな、不満気に乾燥肉を齧っている。特にやることも無さげである。
「見ての通り無事だ。そもそも俺達は、まだ戦ってもいないからな」
「およっ? そうなの?」
「俺達が到着した時には既に町はこのありさまでな。本来ならこの町の領主であるイトゥ伯爵の持つ船を借り、討伐へ向かう手筈だったのだが……」
「船がないんですね」
アイヴィが言葉を引き継ぐと、先を歩くマイトの肩が上下に揺れた。
どうやら肯定の意味らしい。
「港にあった船は全滅だ。どうもあの巨体が水際まで迫って来たらしい。詳しくは交戦した騎士団にでも聞いてくれ」
「はーい。で、今は作戦会議中って感じ?」
そう言ってフィルが、気怠そうに手を振る同僚たちへ手を振り返していると、その中の一人であるビルザーが声を上げた。
「今は騎士団待ちだ。よそから船を出せないか交渉中らしい」
「あー……それは時間掛かりそうだねぇ」
「船が来るか奴が動くか。てなわけで暇してんのさ」
「うむ! 獲物を前に、腹直筋がうずうずしているというのにぃ!」
俄かに立ち上がり腹の筋肉をピクピクさせ始めた大男ダグに、周囲の者は何も言わない。面倒だから何も言わない。
アイヴィもまた、フィルの隣で苦笑いを浮かべているだけだ。
フィルはというと、自分の顎に左指を添え、少し考え事をしていた。
そしてフィルは一つ頷くと、ヒョイッと後ろへ下がった。
自分達から離れたフィルへ、皆の視線が集まる。
「よっと。なら今の所やることないし、その間にでもリヴィア観光でもしとこうかなぁ。それじゃ、みんなまったねぇー」
「待ってフィルメイル。一緒に行かなくて大丈夫?」
「だっいじょーぶっ。アイヴィちゃんはアイヴィちゃんのやることを、ねっ」
「じゃあな、お前ら」
メフィストの言葉に合わせ、フィルがくるりと身を翻す。そして、そのままフィルは酒場の外へと歩きだした。
相変わらず忙しないな、と見送る同僚たち。
だが独りマイトだけは、遠ざかるフィルの背に声をかけていた。
「フィル。観光なら北の診療所がお勧めだ」
「ありがと、マイトさん」
その二人のやり取りを聞き、銀水晶の同僚たちは皆、フィルが何をしに外へと向かったのかを理解した。
分からぬのは、今来たばかりのアイヴィただ一人である。
~~~~
診療所の中は、重い空気に支配されていた。
並ぶベッドの上には傷ついた騎士達が横たわっており、各々が痛みと倦怠に呻き声を上げている。
寝台からあぶれた者達もまた固い床に腰を下ろし、力なくうな垂れていた。
首から垂れる三角巾で吊るされた腕が痛々しい。
傷ついた騎士達は皆、既に光魔法と薬と包帯で治癒を済ませているにもかかわらず、淀む血の臭いが彼らの鼻から離れることはなかった。
ここは、そんな重苦しい雰囲気の病室から少し離れた一室。
執務室のような部屋の中には、騎士であることを示す金属鎧を身にまとった男二人と、いかにも安っぽい庶民的な服を着た男一人がおり、三人は立ったまま顔を突き合わせていた。
その中で最も地位の高そうな人物、鼻の下から横へチョンと伸びた髭が特徴的な男、王国騎士団第八遊撃隊隊長ボルグ・ガンバインが、手に持った紙に目を通している。
それは調達する物資の量と値段を羅列した目録であった。
生真面目そうな目で内容を精査したボルグ隊長が、納得を頷きで示す。
「デイダイ。このまま物資を集めてくれ」
「へい。ですが旦那。そこに記載しました通り、薬は少々高くつくかと……」
言い淀んでいるのは、まるでネズミを思わせる顔をした庶民的な服を着た二十代後半程の男デイダイであった。彼は騎士ではない。
この場に居るもう一人の騎士、ボルグ隊長の部下である男は、胡散臭いデイダイの事を訝し気に睨みつけている。
値を吊り上げる為であることなど、分かりきっているとばかりに。
だがデイダイは、そんな責める視線を気にする事なく、己が両手を胸の前で揉み合わせながら、この場で決定権を持つボルグ隊長へ媚びた視線を送っていた。
ボルグ隊長は、真面目腐った顔をしたまま、再び大きく頷く。
「構わん。君の顔の広さが頼りだ」
「いえいえ。騎士様の助けになるからこそでっせ。それに、あの憎きシーサーペントを討伐しようとする勇敢なる騎士様たちに手を貸さぬなど、調達屋の名が廃るってもんですよ」
「多少のことは目を瞑ろう」
先を読むボルグ隊長の言葉に、デイダイの顔がニヤリと歪む。
「いやぁ旦那ぁ、話が早くて助かりやす。流石は隊長様、実に懐が大きい。委細合切、あっしにお任せ下せい」
「頼んだぞ」
「では、失礼いたしやす」
デイダイは長い体を折り曲げ仰々しく頭を下げると、まるで猫に後ろから追いかけられたかのようにそそくさと部屋を後にした。
両開きの扉を閉じながらペコペコする姿からは、小者感を感じざるを得ない。
しばしデイダイが離れるのを待ち、ボルグの部下が口を開く。
「宜しかったのですか、隊長」
「人の流れが消えた町で物資を集めるのは容易ではない。時には『非合法的な輩』も使わねばならん」
「はっ。隊長の判断に従います」
「すまんな」
真面目腐った顔から放たれた謝罪の言葉に、部下の男は逆に背をピシッと伸ばし隊長への敬意を表した。
ボルグ隊長は、そんな部下の姿を見ても生真面目な表情を崩さず、部下へ報告を促す。
「それで、皆の容体はどうだ」
「今すぐに動ける者が九人。戦闘を望めぬ者が二十七名。重傷者十二人。特にリバーとガルムの傷が深く、今すぐにでも上級の治癒師の元へ搬送すべきです」
「帰還に人員を割く余裕はない……ウルザだけでは手が足りんか」
「はい。彼女は良くやっています。ですが彼女の魔力も限界かと」
話題に出た騎士隊付きの治癒師ウルザは、今現在も光魔法を用い、シーサーペントに胴を噛まれ死の淵を彷徨っている騎士ガルムの治療に専念していた。
だが、彼女がいくら褐色の肌を汗で滲ませようとも、騎士ガルムの容体は一向に良くならない。
それが彼女の責任でないことぐらい、ボルグ隊長も理解しているし、そもそも全滅の憂き目にあった騎士隊を一人の治癒師で治しきる事など、現実的ではないこともまた理解していた。
思案するように言葉を返さぬボルグ隊長へ、部下は報告を続ける。
「それと、先程は調達屋に足元を見られまいと報告を止めましたが、王都より携行したポーションは既に全て使い切りました」
「隠さずとも奴はもう知っているだろうな……だがそれは考えても詮無きこと。薬もない、船もない。シーサーペントは動かない。せめて卿が快く首を縦に振ってくだされば、まだ動きようがあるのだがな……ふぅ」
弱々しく吐息を零すボルグ隊長の姿に、部下は驚きを禁じ得なかった。
いかなる苦難を国から押し付けられようとも、折れずたゆまず真っ直ぐに任をこなす騎士ボルグの愚痴にも似た弱音など、部下の騎士は一度たりとも聞いたことが無かったからである。
部下の騎士が何を言えばいいのか迷っていると、突然、部屋の外から不思議な歌声が聞こえてきた。
「くすり~、くすり~、薬は要らんかねぇ。傷によく効くぅ薬は要らんかねぇ~」
そんなゆるい歌声は、まだ遠い。
だが、小さくともハッキリと聞こえる。通りの良い女の声だ。
まるで焼いた芋か鳥の串焼きでも売るかの如き声に、ボルグ隊長と部下は耳を疑い、互いに顔を見合わせてしまう。
ボルグ隊長は、その声にどこか聞き覚えがあったのだが、思い出せない。
「魔女印のぉ~秘薬だよぉ~。今なら光魔法もついてお得だよぉ~。あぁ、くすり~、くすり~、薬は……」
繰り返す歌声が、どんどんと近づいて来る。
先に声の主の正体に気が付いたのは、部下の方であった。
「この声、以前コルレオーネ様と共にいた――」
「とんがり帽の少女か。名は、確か――」
その時、調子の乗った歌声が途切れ、両開きの扉がバンッと開け放たれた。
無意味に両方の扉を開けた犯人が、堂々とそこに立っている。
それは、ボルグ隊長が想像した通りの人物。
右手に長い木製の杖を持ち、とんがり帽の下から伸びる黒い髪を濃紺のローブの後ろではためかせた美しき少女。
ボルグ隊長たちの視線を受け、少女の柔らかな唇がニュッと歪む。
そのまま少女は、ビシッとポーズを取り始めた。
「どもー。呼ばれてなくても現れる、神出鬼没な魔女見習いフィルメイル・クリスタでーす。怪我をした良い子は何処かなぁ~」
驚きと喜びと呆れで目が点になったボルグ隊長と部下の男へ向け、乱入した少女フィルは、アハハと楽し気に笑みを浮かべていた。




