第38話 ヴァイスヴァルトへ
「ヴァルトラントのみなさん、このノート、出版しましょう」
大聖女様は、私達の講義ノートを読んでこう仰った。そして立て続けにこうも仰った。
「このノートがあれば、私達の講義に出なくても、多くの人が気象観測に参加できる。出版して大陸中に流通すれば、自然と観測網ができる」
「大聖女様、お言葉ですが大陸中に流通すると、敵対する国にも知られてしまうことになりますが」
私がそう言うと大聖女様はニヤッとされた。
「隠したところで無駄よ。むしろ隠したほうが、そんな国はこの情報を何が何でも手に入れてくるわよ」
そしてその場で大聖女様は、夏休みに私達ヴァルトラント留学生をヴァイルスヴァルトの離宮へ来るようお誘いになった。
「ご存知だと思うけど、私達は夏や離宮で過ごすの。あそこは森しかないから、原稿をつくるには最高よ。涼しくて気持ちもいいし」
そういうわけで、夏休み早々、私達ヴァルトラントからの留学生はヴァイスヴァルトの離宮にお邪魔することになった。夏休みの後半は皆、祖国に帰省することになっている。もちろん私もだ。
ヴァイスヴァルトまでは、馬車で一日の道のりだった。早朝に王都を出発し、午後には森に入った。針葉樹林の森を何時間か進み、明るいうちに離宮に到着した。真っ白な離宮の建物は、少し赤みがりはじめた陽光に輝いている。
車止めで馬車を降りると、女の子たちに出迎えられた。
「ヴァルトラントのみなさん、お待ちしてました」
十歳もいかない女の子3人が声を合わせてニコニコしている。その後ろにはレイコ先生が立っている。
「お出迎えありがとうございます。私はヴァルトラント王女、オクタヴィアです」
「はじめまして、サッポロのマホです」
「はじめまして、サッポロのミホです」
「はじめまして、サッポロのアカネです」
私はシルヴィーをはじめとした同行者を紹介した。
マホちゃん・ミホちゃん・アカネちゃんの3人の存在は聞いていた。レイコ先生と同時期に、突然大聖女様の近くに現れたという。マホちゃんだけちょっと年上で、ミホちゃん・アカネちゃんは学校に通い始めるかどうかという年齢に見えた。そしてレイコ先生と同じく、3人は黒髪である。
「殿下、どうぞこちらへ」
そう言ってアカネちゃんが私の手をとった。
案内されたた部屋は、2人部屋だった。応接室と寝室がある。続きの3部屋で、私とシルヴィー嬢が真ん中の部屋、マルティナ嬢とシュテフィ嬢、カレン嬢とグリゼルダ嬢の二人ずつに分かれた。
応接室の外はベランダになっており、森の木まで手が届きそうである。暖炉の上にはノルトラント王室の方々が一つに収まる画が掲げられている。正直うらやましい。ヴェローニカ妃はステラ姫をだっこしている。
寝室には勉強机が2つ入れてある。よくみると他の家具と少しデザインがちがうから、私達のためにわざわざ用意したのにちがいない。アカネちゃんと離宮のメイドさんが荷解きを手伝ってくれた。
「ありがとう。お名前をうかがってもよろしいかしら」
「はい、マルガレーテと申します。なんでもお申し付けください」
「マルガレーテさん、お世話になります」
シルヴィー嬢と頭を下げたら、マルガレーテさんとアカネちゃんが並んで頭を下げてくれた。
夕食の時間になった。マルガレーテさんの案内で食堂へ移動する。夕暮れを迎えた森はセピアカラーに染まり美しい。日没時のこの美しい色合いを、私はここ2年ほどろくに見ていない気がする。正直なところ女子大での学習が忙しくてそれどころではなかったわけだ。その女子大を率いる大聖女様にそのことを指摘しても、光の波長がどうとか数値を交えてこの美しさを称え、ご自身もそれを見る機会が少ないことをお嘆きになるだろう。
「どうかされましたか? 殿下」
シルヴィー嬢の質問に、いつもなら今考えていたことを口にしてしまうのだが離宮のスタッフに聞かれてはまずい。
「いえ、美しい光景だなと。大聖女様もこの光景をご覧になったら、私と同じ思いになられるかと思いまして。マルガレーテさん、大聖女様はこちらの離宮では自然を満喫されているのでしょうか」
「ええ、奥様はそうなさっています、殿下。私達下働きのものにもその美しさを力説されるんですけど、ちょっと説明が難しいことが多いですね」
「それは数字が多いということですか?」
「はい、そういうことです、殿下」
マルガレーテさんは微笑んでいた。
ちょっとして私は気づいた。マルガレーテさんは大聖女様を「奥様」と呼んだ。大聖女様はこの離宮をもう一つの家のように思っていらっしゃるのだろう。日頃激務をこなす大聖女様は、こちらでゆっくりと1年の仕事の疲れを癒すのだ。私達がそれを邪魔するようではならないとも思う。




