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第37話 最終講義とノート

 初夏といえる季節になった。気象観測の特別講義は今日が最終回である。この講義はいつも満席のまま、この最終回を迎えた。気象観測の意義、機器の原理としくみ、観測実習、さらには各地から送られてくる気象データの集計、天気図の作成まで行った。シラバスによると今日のテーマは「天気の長期予報」である。


「今日のテーマは長期予報ですが、現在の私達は、長期予報どころか明日の天気予報の精度すら満足な状態ではありません」

 大聖女様の講義は、この厳しい言葉から始まった。

「その原因は簡単で、気象データの蓄積が足らないからです。私たちが考えている長期予報の方法は、日々の天気の変化のパターンを過去のパターンと比較することです。ですが私達の気象データは、せいぜい数年分しか蓄積がないのです。もちろん王都や大都市ならば何十年分もありますが、それも晴れとか曇りとか、暑いとか寒いとか程度のごく簡単なものしかないのです。したがって全国に観測ネットワークを構築し、そのデータの蓄積を何年も何年もやっていく必要があるのです」

 大聖女様は、ノルトラント内での気象観測網のしくみについて詳しく語った。そしてその未来についても語り始めた。

「現状も観測網は機能していますが、その要員は教会関係者です。本来の教会業務の合間に観測をしてもらっているのです。私としては観測に専従する要員を各観測所に配置したいと考えており、みなさんがその第一候補としたいとも考えています」

 大聖女様の構想どおりにすすめば、いずれ長期予報も可能になる気がしてきた。

「しかし実は、もう一つ大きな問題があります」

 講堂中がしんとしている。皆が息を止めているようだ。

「それは我が国の国土の狭さです」

 大聖女様はしばらく言葉を発しなかった。


「天候というものは、大気の活動です。我々人間は大地に勝手に境界線をひいていますが、空はつながっています。すでに皆さんご存知のように、大まかに言ってノルトラント周辺の天気は西から東へと伝わっていきます。ですから我が国の観測網が充実すれば、1日・2日程度なら天気予報は早晩実現するでしょう。しかし長期となると、いや長期どころか1週間程度の予報ですら、現在の観測網では不可能です。ですから私達は、ノルトラントの外の気象データについても入手する必要があるのです」

 フローラ先生とレイコ先生が大聖女様の背後に、ノルトラントとその周辺国の地図を広げた。

「ご存知のように、我が国の西側は海です。短期の予報のためにも海上の気象情報は必要です。今後は海軍の協力も得たいと考えており、交渉中です。海軍の協力が得られれば海水温の状況などもわかり、予報制度の向上が見込めるでしょう。それでは……」

 大聖女様は海がノルトラントの気象に与える影響、そしてそれを観測する手法などを語った。


 やがて講義の時間の終わりが来た。

「これでこの特別講義『気象観測の基礎』は終了です。まだ私としても語り尽くせない事がたくさんありますが、時間は有限です。これからはみなさんがこの知識を元に、日々観測をしてください。個人個人が記録を残すのも良いと思います。まとまりましたらぜひ、聖女庁にお送りください。また、これからの夏休み、帰省される方も多いでしょう。各地方の教会は、すでに観測拠点として稼働している場所も多いです。講義に参加されたかた全員に、観測拠点宛の紹介状を用意させていただきました。講義が終わりましたら、講堂出口でお渡し致します。時間の余裕があれば、お近くの観測拠点をお訪ねください」

 そして聖女様は、私達ヴァルトラント、帝国、その他の留学生一人ひとりに目を合わせながら仰った。

「留学生の方も、ノルトラントの観測拠点をぜひお尋ねください。もうあなたたちは私達の仲間です。実際、ヴァルトラントはすでに気象観測のお仲間として準備中です。きれいごとかもしれませんが、この気象観測の仲間が、大陸中にひろがればよいと、本気で考えているのです」


 名残惜しいが講義が終わり、私達は食堂へ急いだ。食事のためではない。ノートを整理するためだ。今日の講義の内容が記憶から薄れてしまう前に、ノートをしあげてしまいたい。食堂のすみの方を陣取り、お互いのノートを見せあい、質問しあう。これを特別講義の日は毎回繰り返していた。今夜もまた、夢中になって作業をしていた。

「あ、いたいた、オクタヴィア姫殿下」

 大聖女様のお声だった。私はあわてて立ち上がった。

「失礼いたしました、大聖女様。作業に夢中で」

「いいのよ殿下。それよりノート、見せていただけない?」

「え、ええ、お恥ずかしいですが」

 大聖女様はしばらく私のノートを読んでいた。ふと顔を上げ、

「フローラ、ヘレン、ネリス、レイコちゃん、あんたたちもこれ、読んだほうがいい。ちょっと皆さんのノート、私達に貸してくれないかしら」

 大聖女様のお仲間たちも、私達のノートを回し読みし始めた。


 しばらくして大聖女様は、仰った。

「ヴァルトラントのみなさん、このノート、出版しましょう」

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