第36話 実習
大聖女様の特別講義の第一回は、現在聖女庁で作成している天気図の読み方、さらにはその天気図からノルトラントで天気がどのように移り変わっているかの解説であった。
「残念ながら天気図は、まだ2年分しかできておりません。したがってまだノルトラントの年間の天候の移り変わりを解き明かせているわけではありません。何年も、いや何十年もかかってデータを収集する必要があります。だからといって今この事業を継続しなければ、将来天候の予測ができるようにはなりません。ただ、ヴァルトラントは国としてこの事業に参加してくれています。最新の天気図は、今お見せしている天気図よりもより広い範囲をカバーしつつあります」
この部分では大聖女様は、とてもうれしそうにされていた。
講義後、私はヴァルトラントの仲間たちに話しかけた。
「みなさん、ノートをお互いに見せあったらどうでしょう。私、だいたいは書けたと思うのですが、貴重な講義ですから完璧を期したいと思うのです」
すぐにシルヴィ嬢は応じてくれた。
「殿下、そうしていただけますと、私も助かります」
また、マルティナは、
「私は神学部なので、ノートには自信がないです。間違いや聞き損じがあいそうで、殿下やシルヴィー様のノートを、ぜひ見せていただきたいですわ」
と言う。
「とりあえず寮に戻りましょう。夕食後、復習いたしましょう」
と提案したら、皆賛成してくれた。
その復習では、マルティナ嬢のノートはそんなにミスはなかった。シュテフィ嬢、カレン嬢、グリゼルダ嬢も同様だった。それでも理学部の私達が見て大丈夫だと言うと、4人とも安心してくれた。
「あの殿下、この6人のノートをつきあわせて、もう1冊、ちゃんとしたノートを作ったらどうででしょうか」
「どういうことでしょうか、グリゼルダ嬢」
「はい殿下、いずれ帰国した際、もう1冊ノートがあればそれを然るべきところに提出したらどうかと思うのです」
「なるほど、それはとてもいいことですね」
もう1冊のノートを作る作業はそれなりに時間はかかったが、祖国のためと考えると、私は多少眠くてもその作業に精を出すことができた。
翌週の特別講義は、大聖女様でなくステファン殿下が行った。気象観測に用いる温度計、湿度計、気圧計、風向計、風速計の原理と使用法を紹介された。大聖女様はアシスタントとしていらしていて、殿下が紹介する計測器をいそいそと持ってきたりして、失礼ながら微笑ましく拝見していた。
「日が長くなったら、実習しますからお楽しみに」
ステファン殿下は講義の最後にそうおしゃった。
毎回の講義は、大聖女様のお仲間が交代で行った。
そして春になり、そして初夏といえる季節がきた。日が長くなってきたので、講義の1日がステファン殿下のお話にあった実習が組まれた。聖騎士団の円周場の一角に集合する。十名ずつに班を組まされる。昼間は暑かったのだが、日没が近づくにしたがって気温が落ちてくるのがわかる。
「みなさん、おわかりのように今急速に気温が下がってきています。まずは気温と湿度を測りましょう」
ヘレン先生が声をかけて回っている。大聖女様はというと、ある班に混ざって自ら計測器をのぞきこんでいる。
「最小目盛りの十分の一まで読んでください。交代でなるべく多くの方が実際に読み取るようにしてください」
ヘレン先生の指示が続く。フローラ先生、ネリス先生、レイコ先生は各班を順にまわってアドバイスしている。
「時刻の記録を忘れないように」
乾湿計の乾球から気温は18.3度、湿球の差から湿度は72%であることがわかる。続いて、気圧を読む。
「今日は天気がいいのに、少し低い気がするわね」
つい、そう独り言がでてしまった。
「そうね、天気は下り坂なのではないかしら」
そのお声は、大聖女様だった。いつの間にいらしたのか、全く気が付かなかった。
「そういえば大聖女様、空の高いところに筋状の雲が見えるようです」
「いいことに気が付かれましたね。それはそうと、あなた方の班の測定値は、私の計測値に近いわね」
「それはお褒めいただいたと解釈してよいのでしょうか。それとも私どもの機器の調整具合が、大聖女様のものと近かったのでしょうか」
「う、それは耳の痛いことをおっしゃるのね、殿下。たしかにまだ、機器の性能にばらつきがある気がしてるのよね。ネリス!」
「ん、なんじゃ」
「測定器具のばらつきって、どう?」
「更正すれば一応、実用範囲内に入っていると思うぞよ」
「じゃ、ヴァルトラントの方々が優秀ってことよね」
「うむ、じゃろうな」
「ありがとうございます」
もう夏が近い。夏が来れば学年が終わり、この特別講義も終わりである。この日はすっかり暗くなるまで気象観測の実習を行った。
「最後にもう一度、気温と湿度の測定を行ってください」
大聖女様の指示が聞こえる。気温は15.2度、湿度は80%に達した。
「みなさん、湿度はどう変化しましたか?」
大聖女様の近くの学生が答える。
「上がっています、聖女様」
「なぜだかわかりますか?」
「はい、気温が低くなり、飽和水蒸気量が低下したからです」
「飽和水蒸気量とはなんですか?」
「空気に入り込める、水蒸気の限度です。気温の関数になっています」
「よくおわかりですね。では、今日の実習はここまでにいたしましょう」




