ついにウイッグやカラコンまで手を出すことになっちまった
そして翌日、俺はまた白檮山さんと待ち合わせをして、駅前へ向かっていた。
昨日まで二日がかりで洋裁をして、ようやく衣装が完成したばかりだというのに、今度は別の買い物である。
朝のうちに白檮山さんから連絡が来て、「ちょっと買い物に付き合ってほしい」と言われたので、何を買うのかと尋ねたら、ウィッグとカラコン、それからコスプレをするのに必要そうな小物だそうだ。
まあ、コスプレをちゃんとやるなら、衣装だけではなくウィッグやカラコン、小物や化粧まで合わせないといけないのは分かる。
とはいえ、昨日の帰り道では「これで間に合った」と安心していたし、家に帰ってからも、もうこれ以上やることはそんなにないだろうと思っていたので、そのはずなのに朝になってみれば、こうしてまた駅まで歩いているのだから、我ながら少し不思議な気分になる。
もっとも、昨日までのような「また細かい作業をずっとやらないといけないのか」という気の重さはなくて、むしろ、これから何を選ぶことになるのかと考えてしまっているあたり、俺自身もだいぶ毒されてきた気はする。
昨日は布を切ったり縫ったり、ずれたところをほどいてやり直したりする作業が延々と続いていて、正直ちょっときついところもあった。
その分、コスプレ衣装が完成したときの感激も大きかったわけだが、今日は買い物で、しかも自分たちが実際にどんなものを選ぶのかを見るだけでも、それなりに面白そうだと思ってしまっているのだから、自分でも少し変わってきたなと思う。
そんなことを考えながら歩いていると、昨日、白檮山さんが完成した衣装を着た姿を見たときのことも自然と思い出した。机の上で見ていたときには、ただ「完成したな」くらいにしか思わなかったのに、実際に着て、羽織を広げて鏡の前に立った瞬間には、ちゃんとコスプレの衣装に見えたのだ。
あのときの白檮山さんは、鏡に映った自分の姿をしばらく黙って見つめて、それから小さく笑っていた。その表情が妙に印象に残っているせいか、あれを見てしまうと、髪の色くらいは合わせてもいいんじゃないかと思ってしまう自分がいて、そんなことを考えながら歩いていると、待ち合わせ場所の少し先で白檮山さんがこちらに気づいたらしい。
ぱっと顔を上げた白檮山さんと目が合った瞬間、その口元が嬉しそうに緩み、続いて右手を大きく振る。そのまま昨日と変わらない軽い足取りでこちらへ向かってくる姿を見ていると、昨日完成した衣装のことが本当に嬉しかったのだろうな、と改めて思った。
「おはよー、秦くん」
白檮山さんは俺の目の前まで来ると、少しだけ息を弾ませながら笑った。その顔には朝から機嫌がいいのが分かるくらい明るい表情が浮かんでいる。
「おはようございます」
俺が軽く頭を下げると、白檮山さんも嬉しそうに頷き、それから何かを思い出したように「あっ」と小さく声を漏らしてスマホを取り出した。
「昨日、帰ってからも衣装の写真ずっと見てたんだよね」
そう言いながら、白檮山さんはスマホの画面を俺のほうへ向ける。口元には隠しきれない笑みが浮かんでいて、どうやら本当に見せたくて仕方がないらしい。
「そんなにですか?」
「だって、ちゃんと完成したんだよ?」
白檮山さんは少し頬を膨らませるようにしながら、画面を指先で軽く滑らせた。
「嬉しくて何回も見ちゃった」
写真は昨日、机の上で完成したばかりの衣装を撮ったものらしい。見慣れた服の形なのに、写真の中で見ると昨日より少しだけ違って見え、白い羽織の模様も、黒い隊服との重なりも、実際に着た姿を知っているからなのか、もう単なる手作りの服には見えない。
白檮山さんは俺が画面を見ている間も、隣から少し身を寄せるようにして写真を覗き込み、「ここがね」と言いながら衣装の部分を指先で示していく。その表情は、昨日まで布を相手に苦戦していたときとは違っていて、苦労して作ったものがちゃんと形になったことを、眺めているだけでも嬉しくて仕方がないらしい。
やっぱり女性なんだなあと、なんとなく思う。
「こうして見ると、やっぱりウィッグも合わせたくならない?」
写真を一通り見せ終えると、白檮山さんはスマホを胸元へ引き寄せ、それからこちらの反応を窺うように少しだけ顔を傾けた。
「たしかに」
「でしょ?」
待ってましたと言わんばかりに、白檮山さんの顔がぱっと明るくなる。
「昨日までは服だけだったけど、髪型まで合わせたら、もっとコスプレキャラっぽくなると思うんだ」
「髪の色も結構違いますしね」
「そうそう」
白檮山さんは何度も頷きながらスマホをバッグへしまうと、今度は今日の買い物の予定を説明するように指を一本立てた。
「だから今日はウィッグとウィッグネットを探す! まずは秋葉原に行って、なければ池袋」
まるでこれから楽しみにしていたイベントが始まるみたいに拳を軽く握る。その勢いに、俺は思わず苦笑した。
「あと、カラコンも」
「そこまでやるんですか?」
思わず聞き返すと、白檮山さんは一瞬も迷わなかった。むしろ「何を今さら」とでも言いたそうに、きょとんとした顔で首を傾げる。
「やるよー」
その迷いのなさに、俺はとうとう笑ってしまった。
「昨日、完成したら終わりじゃなかったんですね」
「むしろ、完成したからこそじゃない?」
白檮山さんは悪びれもせず、少しだけ得意そうに眉を上げて笑った。
「なるほど」
言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。途中までは、とにかく服を形にすることだけで頭がいっぱいだったし、布を切って、縫って、ずれればほどいて、また縫って、昨日なんかは「これ、本当に間に合うのか」と何度も思っていたくらいだ。
それが完成してしまうと、今まで見えていなかったところまで目につくようになる。せっかくここまでやったんだから、髪も合わせたい。髪を合わせるなら、目も合わせたい。そうやって一つずつ欲が出てくる。
……なるほど、コスプレに凝る人が、どんどん細かいところまで気にするようになる理由が、少しだけ分かった気がしたし、コスプレにハマると金がどんどん出ていく理由もなんとなく分かった。
「そういえば、秦くんのほうはどうする?」
歩きながらそう尋ねた白檮山さんは、俺の顔を横から覗き込むようにして、少しだけ口元を上げた。
「俺ですか?」
「うん。秦くんの衣装も完成したんだから、髪とか小物とか合わせたほうがいいんじゃない?」
「俺はそこまで本格的にやるつもりはなかったんですけどね……」
そこまで答えたところで、白檮山さんがすっと横から俺の顔を覗き込んだ。さっきまでの明るい笑顔とは少し違っていて、目を細めるようにしながら、俺の言葉の続きを待っている。
「本当に?」
声もほんの少しだけ低い。からかっているようにも聞こえるが、その目は意外なくらい真剣だった。
「……本当に」
俺が目を逸らさず答えると、白檮山さんは数秒ほど俺の顔を見つめたあと、ふっと口元を緩める。
「でも、せっかく衣装作ったんだよ?」
「それはそうなんですけど」
昨日までなら、ここで「衣装があるだけで十分でしょう」と押し切っていたかもしれない。でも、昨日実際に白檮山さんの衣装が完成する瞬間を見てしまったせいで、どうにも反論しづらい。完成した服を着て鏡の前に立った白檮山さんが、あれだけ嬉しそうにしていたのだ。
それを見てしまうと、自分だけ適当でいいというのも、なんとなく味気ない気がしてくる。
「まあ、見るだけなら」
そう答えた瞬間、白檮山さんの顔がぱっと輝いた。
「やった!」
思わず声まで弾ませてから、白檮山さんは自分でも少し照れたのか、口元を手で隠すようにして笑った。
「最初からそのつもりだったんですね」
「あはは」
図星だったらしく、白檮山さんは視線を逸らし、肩をすくめるようにして笑って誤魔化した。
そんなやり取りをしているうちに、電車は秋葉原に到着し、駅の外へ出てしばらく歩くと目的の店へ着いた。扉を開けた瞬間、棚いっぱいに並んだウィッグが目に入り、俺は思わず足を止める。
「うわ……多いな」
「でしょ?」
白檮山さんは俺の隣から店内を見回すと、目を輝かせながら一歩前へ出た。さっきまでの歩調より明らかに速くなっていて、このままだと俺を置いていきそうになる。
けれど、すぐに「あ、ごめん」と振り返り、少し照れたように笑った。
同じ紫に見えても、少しずつ色が違うし、長さも違えば、毛先の形も違う。俺には「紫の髪」という程度にしか見えないものが、白檮山さんにはかなり細かく違って見えているらしい。
「同じ紫でも、明るいのと暗いのがあるし、毛先の色が違うのもあるんだよ」
白檮山さんは棚から一つを取り出し、光の当たる場所へ持っていくと、角度を変えながら色を確かめた。
「こんなに種類があるんですね」
「コスプレ用だからね」
白檮山さんは一つのウィッグを手に取ると、顔の横へ持っていって、鏡に映った色と見比べた。眉間に少しだけ皺を寄せてしばらく眺めたあと、納得がいかなかったらしく首を横に振る。
「これはちょっと違うかな」
そう呟いて棚へ戻すと、今度はすぐ隣のものを手に取った。
「こっちのほうが近い」
「何を基準にしてるんです?」
俺が訊くと、白檮山さんはウィッグを持ったまま振り返り、少し考えるように視線を上へ向けた。
「漫画の色と、衣装の色」
「なるほど」
そう言われてみると、確かに衣装の色との釣り合いを考える必要はあるのだろう。
「あと、髪型も大事なんだよ」
「色だけじゃないんですか?」
「私がコスプレするキャラって、後ろで髪をまとめてるでしょ?」
「ええ、そうでしたよね」
俺が頷くと、白檮山さんはウィッグを持ち上げ、その長い部分を後ろへ流すように手を動かした。
「だから当然、長さも必要なの」
そこまで言われて、ようやく俺も「確かに」と思う。髪の色が合っていても、後ろを結べなければ全体の印象が変わる。
「ここが短いと、結んだときに形が変になるんだって」
白檮山さんはそう言いながら、自分の後ろ髪を指でつまむような仕草をした。実際に結んだときの形を想像しているらしい。
「なるほど。奥が深い」
俺が素直に感心すると、白檮山さんは少しだけ胸を張り、得意そうに笑った。
「コスプレは奥が深いよー」
どうやら、このあたりになると白檮山さんの独壇場らしい。
しばらく棚を見て回ったあと、いくつか候補を絞り込んだ白檮山さんが試着スペースへ入っていった。俺はその前で待ちながら、さっきまで手に取っていたウィッグをぼんやり眺めていたが、やがてカーテンが少しだけ開き、白檮山さんが顔を出す。
「どう?」
その顔を見た瞬間、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。さっきまでとは髪型が違うだけなのに妙に印象が変わっていて、白檮山さん本人であることに変わりはないのに、その髪色と長さが加わったことで、昨日完成した衣装を着た姿まで頭の中に重なってしまった。
「……似合ってます」
「ほんと?」
白檮山さんの目が少しだけ大きくなる。
「はい。昨日の衣装と合わせたら、かなりそれっぽくなると思います」
「やったー」
白檮山さんは嬉しそうに笑うと、鏡の前へ戻った。そして横を向いたり、後ろ髪を指で軽く整えたりしながら何度も自分の姿を確認し、そのうち鏡越しに俺のほうをちらっと見て、また嬉しそうに頬を緩めた。
その表情が、だんだん昨日と同じ顔になっていく。作っている最中の真剣な顔でもなく、俺をからかっているときの楽しそうな顔でもない。自分の姿を見て、純粋に嬉しくなっている顔だ。
「やっぱり買おうかな」
そう言いながらも、すでに気持ちはほとんど決まっているらしい。
「いいと思いますよ」
「じゃあ決定!」
白檮山さんは鏡を見たまま嬉しそうに頷き、それから俺へ視線を戻した。
「秦くんのも探そう」
「俺は……」
そう言いながら、俺も棚へ目を向ける。
昨日、完成したばかりの自分の衣装を思い出す。ここで適当に済ませるのも、それはそれでありなのだろう。でも、せっかく二日かけて作ったのだ。どうせなら、できるところまでは合わせてみたい。
そう考えた自分に、少しだけ驚いた。昨日までなら絶対にこんなことを考えていなかったはずなのに、気づけば俺は棚から一つのウィッグを手に取っていた。
「……これならいいかもしれません」
「おっ」
白檮山さんがすぐに横から覗き込んできた。俺の手元を見たあと、今度は俺の顔を見て、にこっと笑う。
「それ、似合いそう」
「じゃあ、これにします」
白檮山さんは満足そうに頷き、それから俺が手にしているウィッグをもう一度眺めると、「うん、これでいいと思う」と小さく頷いた。
こういうところは、最初から変わらない。楽しそうだと思ったことには、とことん乗ってくる。昨日の洋裁だってそうだったし、俺が途中で「まだあるのか」と思っている横で、白檮山さんは次の作業を楽しそうに待っていた。
そして今日は、昨日の次にやることまで見つけている。
結局、俺もそれにつられてしまう。
最近は女の子に振り回されてばかりだな。
ウィッグを決め、ウィッグネットも買うと、今度はカラコンを見ることになった。
「これ、目の色も変えるんですか?」
「うん。紫っぽくする」
白檮山さんはそう答えながら、いくつか並んだ商品を順番に手に取っては、パッケージの写真と色を見比べていた。色だけで決めるわけではないらしく、説明までしっかり読み込んでいるところを見ると、さっきまでウィッグを選んでいたときより少し真面目な表情になっている。
「そこまで変わると、もう別人ですね」
俺が思わずそう言うと、白檮山さんはカラコンの箱を指先で軽くつつきながら笑った。
「だからコスプレなんだって」
もっともである。
衣装だけ変えて、髪も目もそのままだと、本人が本人のまま衣装を着ただけ、と言われれば確かにそうだ。いや、別にそれが悪いわけではないのだが、昨日まで「衣装が完成すれば十分」と思っていた自分が、今ではそんなことまで考えているのだから、我ながら現金なものだと思う。
ただ、カラコンについては、ウィッグほど簡単に「じゃあこれで」と決める気にはならなかった。白檮山さんもいくつか見比べながら説明を読み、商品を指で押さえたまましばらく考えていたが、やがて小さく頷いて顔を上げる。
「これはちゃんと説明を読んで、無理しないようにしないとね」
「目に入れるものですからね」
俺も頷く。
「うん。せっかく夏コミに行くのに、目が痛くなったら嫌だし」
「それは本当にそうですね」
さすがにそこは、見た目のためなら何でもいい、という話ではない。
昨日の衣装だって、何度か縫い直した。見た目を整えるためなら面倒なこともするが、無理をして身体に負担をかけるのは違うだろう。
そんなことを考えながら、俺たちは必要なものを一つずつ決めていった。全部決まってしまえば、あとは会計だけなので思ったよりあっさり店を出ることになったが、外へ出てから手にした袋を見下ろしていると、俺は妙に落ち着かない気分になった。
中に入っているのは、ウィッグやウィッグネット、それからカラコンといった、昨日までなら自分の頭の中にすらなかったものばかりだ。それなのに、それらを手に持っているだけで、夏コミというものが急に現実味を帯びてきた気がする。
「なんか、本当に夏コミが近づいてきた感じがしますね」
俺がそう言うと、白檮山さんも自分の袋を持ち上げるようにして眺めた。
少し嬉しそうに目を細めたあと、こちらへ視線を戻して笑う。
「うん。楽しみになってきた」
「俺もです」
少し前までは、コスプレなんて衣装を着れば終わりくらいに思っていたし、昨日までは、その衣装を完成させるだけで精いっぱいだった。それが今は、髪型まで合わせて、本番でどう見えるのかまで気になっている。
人間というのは、本当に、一度形になったものを見ると欲が出るらしい。
せっかくここまで作ったのだから、もっとキャラクターに近づけたい。そう思い始めると、昨日までは「そこまでやる必要があるのか」と思っていたことまで、今では少し分かるようになってきた気がする。
「じゃあ、次は実際に合わせてみようよ」
歩きながらそう言った白檮山さんが、ふいにこちらを振り返る。歩調を少し緩めて俺の隣に並び直すと、楽しそうに目を細めながら、次の予定まで当然のように口にした。
「家で衣装着て、ウィッグつけて、カラコンも入れてみて。ちゃんと本番と同じ状態にしてみようよ」
「そこまでやるんですか?」
思わず苦笑すると、白檮山さんは肩をすくめるようにしながら、それでも口元には楽しそうな笑みを浮かべている。
「本番で初めてやるよりいいでしょ?」
「それは確かに」
会場へ行ってから、ウィッグの形が上手く決まらなかっただの、衣装のどこかが動きにくかっただのと慌てるより、先に試しておいたほうがいい。それくらいのことは、俺にも分かるし、昨日二日がかりで衣装を作ったばかりだからこそ、本番前に確認しておく大切さもなんとなく理解できるようになっていた。
「じゃあ、今度は着る練習ですね」
「そう!」
白檮山さんが嬉しそうに頷く。その勢いで少し前のめりになりかけて、すぐに姿勢を戻すところまで、いかにも楽しみにしているらしい。
「夏コミまで、あと少しだよ」
そう言って笑う白檮山さんの横顔を見ながら、俺は買ったばかりの袋をもう一度見下ろした。
昨日まで机の上に置かれていたのは布だった。それが二日かけて服になり、今日はそこへウィッグやカラコンまで加わった。準備するものが一つ増えるたびに、「いつか行く予定のイベント」だったはずの夏コミが、少しずつ「もうすぐ実際に行く場所」へ変わっていく。
そう思うと、胸の奥がまた少しだけ騒がしくなった。
楽しみなのか、緊張しているのか、そのどちらなのかは自分でもまだよく分からない。ただ、嫌ではなかった。むしろ、昨日衣装が完成したときには感じなかった種類の高揚感が、今日は買ったばかりの袋を手にして歩いているだけなのに、ゆっくりと胸の奥へ広がっているような気がする。
――そう考えていたところで、ふと現実的な問題を思い出した。
それはそうと、コミケまでに予定より遅れている宿題を終わらせないといけないんだよな。
コスプレの準備は、こんなにも着々と進んでいるというのに、肝心の宿題のほうは、どうにも予定どおりには進んでいない。
……遊ぶ準備ばかり進めて、勉強が遅れている。
我ながら、なんとも学生らしい夏休みになってきた気がする。




