~side 一二文香~
秦くんが家を出て、玄関の扉が閉まって、ぱたん、と響いた音が、妙に大きく聞こえる。
私はその扉を見たまま、しばらく動けなかった。手の中には、さっきもらったプレゼントがあって、それはまだラッピングされたままなのに、なんだか妙に存在感があった。
ついさっきまで、そこに秦くんがいたのに、もういない。
「……ふう」
ようやく、小さく息を吐いた。
それまで自分でも気づかないうちに肩へ力が入っていたらしく、息を吐くと、それがすっと抜けていく。
別に変なことをしていたわけじゃない。
誕生日プレゼントをもらっただけ。
ただ、それだけなのに。
「……なんでこんなに緊張してたんだろ」
誰に聞かせるでもなく呟いて、自分でちょっと首を傾げた。
「……ふーん」
そのとき、後ろから妙に含みのある声がした。
「…………」
私は肩をぴくっと震わせてから、ゆっくり振り返る。
そこには、腕を組んだクラスメイトたちが立っていた。
みんな、同じような顔をしている。
口元だけが、やたらと楽しそうに緩んでいた。
「……なに?」
少し警戒しながら眉を寄せて聞く。
すると、その子はわざとらしく首を傾げ、にやっと笑った。
「いやあ?」
その言い方だけで、なんとなく嫌な予感がした。
「なんか、ずいぶん嬉しそうだったなって」
「……そりゃ誕生日プレゼントもらったんだから、嬉しいでしょ」
そう返す。
できるだけ普通に言ったつもりだった。
なのに、すぐ横にいた子が、じっと私の顔を見た。
「それだけ?」
「それだけ」
「本当に?」
「本当!」
思わず声が大きくなった。
一瞬だけ、みんなの顔が止まる。
そして。
「ふふっ」
「……もう!」
笑いが起きた。
「だって文ちゃん、さっきから分かりやすいんだもん」
「何が!」
私がむっとして睨むと、横から別の子が身を乗り出してきて、目を輝かせながら、面白そうに私の顔を覗き込む。
「でもさ、彼、すごい緊張してたよね?」
「……そうだった?」
「してたしてた」
「玄関の前で、めちゃくちゃ固かったじゃん」
「そうそう」
別の子まで頷く。
「『俺だよ。いまちょっと時間いい?』って、声まで硬かったし」
「……まあ」
私は言葉を濁して、少しだけ目を逸らした。
言われてみれば、たしかにそうだった。
いつもなら、もっと気楽に話す。
隣の家なんだから、それこそわざわざ構えなくてもいい。
なのに、今日は妙にしゃんとしていたというか、なんというか。
「……まあ、ちょっと緊張してたかも」
「やっぱり!」
「なんで!?」
思わず聞き返す。
すると、みんなが一斉に顔を見合わせた。
完全に面白がっている。
「いや、だってさ」
一人が肩をすくめる。
「誕生日プレゼント渡すだけでしょ?」
「しかも隣の家なんでしょ?」
「毎日でも会えるじゃん」
「…………」
私は黙った。
そう言われると、反論しづらい。
「……そうだけど」
「じゃあ、なんであんなに緊張してたの?」
「知らないよ!」
頬を膨らませて答えると、みんながどっと笑った。
「文ちゃん、顔赤いよ」
「赤くない!」
「赤い赤い」
「だから赤くないって!」
笑いながら、一人が自分の頬を指でとんとん叩く。
「ほら、ここ」
「……!」
慌てて自分の頬に触れた。
熱い。
思った以上に熱い。
……いや。
でも、これはさっきまで秦くんと話していたからだ。
そうに決まっている。
たぶん。
「……もう!」
これ以上見られたくなくて顔を背ける。
それを見て、みんながまた笑った。
「で?」
今度は別の子が、私の手元へ視線を落とした。
「何もらったの?」
「……まだ開けてない」
「なんで?」
「なんとなく」
「見たい!」
「嫌」
「えー!」
みんなが一斉に声を上げる。
私は反射的にプレゼントを胸元へ抱え直した。
「だって……」
そのまま、包みをぎゅっと抱える。
「……私がもらったものだから」
一瞬だけ、静かになった。
自分でも、思ったより真面目な言い方になってしまった気がする。
「……ふーん」
さっきの子が、今度は少しだけ目を細めて笑う。
「大事なんだ」
「……うん」
そこだけは、素直に頷いた。
すると、みんなの顔つきが少し変わる。
からかうような笑い方ではあるけれど、さっきよりほんの少しだけ優しい。
「だって」
私はラッピングの端に指先を添えた。
包装紙を撫でる。
「ちゃんと選んでくれたんだって」
「へえ」
「どんなのがいいか、お母さんにまで聞いたって言ってた」
「えっ」
今度は本気で驚いたらしい。
「お母さんに?」
「うん」
頷く。
そのことを思い出すと、やっぱり少し嬉しくなった。
私が何を使っているかとか、どういうものなら喜ぶかとか。
わざわざそんなことまで考えてくれたらしい。
「……それは嬉しいねえ」
しみじみ言われた。
「でしょ?」
思わずそう返してから。
「……あ」
しまった。
みんなの視線が、一斉に私へ集まる。
「今、自分で嬉しいって認めたよね?」
「いや!」
私は慌てて首を振る。
「プレゼントが嬉しいって言っただけ!」
「はいはい」
「絶対それだけじゃない」
「違うってば!」
顔が熱くなる。
もう一度、プレゼントを胸元へ引き寄せる。
こうしていれば、少なくとも顔は隠せる。
「じゃあ聞くけど」
一人が少し身を屈めて、いたずらっぽい笑みを浮かべながら私の顔を覗き込んできた。
「ふみちゃんは、秦くんのことどう思ってるの?」
「…………」
動きが止まった。
「……どうって」
言葉が続かない。
「好き?」
「えっ!?」
声が裏返った。
目を丸くして、その子を見る。
「な、なんでそうなるの!?」
「だって幼馴染なんでしょ?」
「そうだけど!」
「隣に住んでるんでしょ?」
「そうだけど!」
「昔から知ってるんでしょ?」
「……そうだけど」
「じゃあ、好き?」
「だから違うって!」
ぶんぶん首を振る。
なのに、耳まで熱くなっているのが自分でも分かった。
「恋人じゃないから!」
勢いよく言い切る。
すると、一人が「ああ」とでも言いたげに眉を上げる。
「でも彼も、そこ、わざわざ否定してたよ?」
「…………」
その言葉に、私は黙ってしまった。
たしかに。
さっき秦くんは、「恋人とかじゃないから」と、妙に素早く否定していた。
あれは変な誤解をされたくなかっただけ。
……たぶん。
「……あれは」
私は少し唇を尖らせた。
「……変な誤解されたくなかっただけでしょ」
「でも、ふみちゃん」
「なに?」
「ちょっと残念そうじゃない?」
「…………ない」
「今の間なに?」
「ない!」
勢いよく言い切る。
すると、みんなが一斉に笑い出した。
「もう!」
私は頬を膨らませた。
「今日は私の誕生日なんだから!」
「そうだね」
「主役が怒った」
「じゃあ、そのプレゼント開けようよ」
「それはまだ!」
「なんでー?」
「あとで開けるの!」
「一人で?」
「……うん」
そう答えてから、私はもう一度プレゼントを見つめた。
さっきから、何度も触っている。
すぐに開けようと思えば開けられる。
でも、みんなの前で開けてしまうのは、なんとなく嫌だった。
これは、秦くんが私のために選んでくれたものだから。
みんなに見せてしまうより、もう少しだけ、自分だけのものとして眺めていたかった。
「……そんなに気になるなら、みんなでお祝いしよ」
誰かがそう言って、私の肩をぽんと叩く。
「ほら、ケーキもまだ残ってるし」
「あ」
私は顔を上げた。
「そうだった」
思わず笑ってしまう。
危うく、誕生日会の途中だということを忘れるところだった。
――と思ったら。
「それはそれとして」
「まだ続くの!?」
「だって気になるもん」
「何が!」
「本当に何でもないの?」
「だから、隣の幼馴染だって!」
「ふーん」
「その『ふーん』やめて!」
また笑い声が起きる。
もう何を言っても、しばらくはこんな感じなのだろう。
「……もう、今日はこれ以上聞かないで」
私が少し疲れたように言うと、一人がにやっと笑った。
「じゃあ、あと一個だけ」
「嫌」
「まだ質問してないよ?」
「どうせろくでもない質問でしょ!」
睨む。
でも、その顔を見てみんなが笑うので、私もつられて少しだけ笑ってしまった。
結局、そのあとも何度か秦くんの話を振られた。
そのたびに「違うって」と言い返して。
そのたびに笑われて。
それでも、私はプレゼントだけは胸元から離さなかった。
やがて、楽しかった誕生日会も終わり、みんなが帰っていった。
「じゃあね」
「うん。またね」
玄関まで見送り、手を振る。
最後の子が扉の向こうへ消えるのを見届けてから、ゆっくり扉を閉めた。
さっきまであんなに騒がしかった家の中が、急に静かになった。
「…………」
私は閉じた玄関の扉を、しばらく眺めていた。
静かになってみると、さっきまで何をあんなに騒いでいたんだろうと思う。
秦くんのことを聞かれて。
違うって何度も言って。
みんなに笑われて。
「……もう」
思い出しただけで、また少し恥ずかしくなる。
私はそのまま自分の部屋へ戻ると、ベッドの端に腰を下ろした。
そして、膝の上にプレゼントを置く。
「……これ」
口に出してから、少し笑う。
さっきからずっと持っていた。
みんなに見られるのが嫌で、抱え込んでいたもの。
でも今は、もう誰もいない。
「……開けてもいいよね」
誰に言うでもなく呟いて、ラッピングを眺める。
改めて見ると、なんだか妙に丁寧に見えた。
秦くんがこれを選んでいるところを想像する。
お母さんに相談したと言っていた。
私が普段どういうものを使っているのか考えて。
喜んでくれるかどうか悩んで。
「…………」
そこまで考えたところで、口元が勝手に緩んだ。
「……ふふ」
慌てて、自分の頬に手を当てる。
「……何笑ってるの、私」
誰も見ていない。
なのに、なんだかちょっと恥ずかしい。
でも、一度緩んだ口元は、なかなか戻らなかった。
プレゼントを指先で撫でる。
包装紙の端を、意味もなく何度もなぞる。
「……嬉しいな」
ぽつりと声に出してしまった。
さっきも何度も言った言葉なのに、今は誰にも聞かれていないからなのか、妙に素直に出てきた。
「秦くん、ちゃんと私のこと考えてくれたんだ……」
そこまで言って、自分で恥ずかしくなる。
でも、頬は自然と緩んでしまった。
誕生日プレゼントをもらっただけなのに。
隣に住んでいる幼馴染からもらっただけなのに。
「……まあ、そりゃ嬉しいよね」
自分で自分に言い聞かせるように頷く。
そして、もう一度プレゼントを見る。
今度は、さっきよりもっと嬉しそうな顔になっていた。
「……早く開けよう」
そう言いながらも、すぐには手を伸ばさなかった。
しばらく、その包みを眺めていた。
開ければ中身は分かる。
なのに、なんとなく、もう少しだけこのままでいたかった。
たぶん私は、プレゼントの中身だけじゃなくて。
秦くんが私の誕生日を覚えていてくれたこと、そのこと自体が嬉しかったんだと思う。
私は少しだけ名残惜しく思いながら、ラッピングの端に指をかけた。
ゆっくりと包装をほどいていく。
紙が擦れる小さな音が、静かな部屋の中ではやけに大きく聞こえた。
やがて包みの中から出てきたのは、シンプルな黒いポーチだった。
「……あ」
思わず声が漏れる。
派手なものではない。
黒くて、飾り気も少なくて、すごくシンプル。
でも、なんだか私にはしっくりくる気がした。
私は両手でそれを持ち上げて、しばらく眺める。
指先で表面をそっと撫でてみる。
さっきまで包まれていたものが、今は私の手の中にある。
「……これ、選んでくれたんだ」
そう思うと、また胸の奥がじんわりと温かくなった。
お母さんに相談して。
私のことを考えて。
これなら使ってくれるかな、とか。
喜んでくれるかな、とか。
そんなことを考えながら選んでくれたのだと思うと、ただの黒いポーチには見えなかった。
私はポーチを胸元へ引き寄せる。
ぎゅっ、と抱きしめるようにして、頬をそのまま寄せた。
「…………」
誰もいない部屋なのに、急に恥ずかしくなって、少しだけ目を伏せる。
でも、離そうとは思わなかった。
むしろ、もう少しだけこのままでいたかった。
さっきまでみんなにからかわれて、必死になって否定していたのに。
今は一人になると、こんなにも素直になってしまう。
ポーチを抱えたまま、私は小さく息を吐いた。
「……ありがとうね」
思わず、その言葉が口から出た。
もちろん、ここには秦くんはいない。
聞いている人もいない。
それでも、言わずにはいられなかった。
私はポーチを抱きしめたまま、しばらく動かなかった。
胸の奥に広がっていく嬉しさを、誰にも邪魔されずに味わうように。
そして、もう一度だけ、ポーチをぎゅっと抱きしめる。
「……大事にするから」
そう呟いた自分の声が、思ったより嬉しそうで。
私はまた、ひとりで小さく笑った。




