第八章 予算会議
野沢の「金曜クラブ」への入会は、会員の中でもとりわけ上層部だけの秘密となった。あまり考えたくはないが、クラブの会員の中に敵方へ情報を流している人物がいる場合、放送部員である野沢の入会は内海の復帰と同義となり、内海の立場が今以上に危うくなる可能性があるからだ。現状でのクラブの動きは最小限にするべきというのが麻生の考えだった。
しかし麻生は、会員による明確な裏切りではなく、何かの拍子に情報が漏れた可能性の方が高いと考えていた。内海に代わってクラブを率いる立場となった麻生は、各部活に散らばる全ての会員に指令を発し、年度初めから「貼り紙事件」までにクラブ外の人間と接触した時の状況を包み隠さず報告するよう求めた。クラブの会員は皆、いずれ劣らぬ優等生で人望もある。内海を裏切ったり、ましてクラブそのものを壊滅させようと考える人間はいないと麻生は確信していた。これに関しては野沢も同意見だった。
クラブの中での野沢の役どころは、内海とクラブとの連絡係ということになった。幹部に直接の攻撃が向けられる事態になった以上、これまでのように麻生が内海のもとを訪れるのは危険極まりなく、内海は自らの配下に意思を伝えることができない。野沢の任務は、表向き放送部を滞りなく運営し、麻生らの動きや学校の状況を内海に伝えることである。
その学校の状況は目に見えて変化していた。事件の翌日、さっそく陸上部とソフトボール部がグラウンドや体育館の使用で小競り合いを起こした。この時は大きな衝突はなかったが、かつて校内の覇を争った野球部、サッカー部、剣道部は、傘下の部活を再び呼び集め、派閥抗争に備えるべく結束を固めはじめていた。麻生によれば、これはまだ万が一に備えて各派が警戒を強めているだけらしかった。
「どの派閥だって、好きこのんで抗争したいわけじゃないもの」
事件から二日目。水曜の昼休みだった。野沢は麻生晴美、佐久間千鶴とともに、校舎の屋上に出ていた。周りには誰もいない。麻生はグラウンドを見下ろしながら、ため息交じりに言った。
「クラブを作る前の状態からすれば、こんなのはまだ序の口よ」麻生は大きなため息をついた。野沢と佐久間は不安げに目を見かわした。麻生は独り言のように話し続けた。
「いまは内海くんがいなくなってみんな浮足立ってるだけ。また派閥が固まれば、一旦は落ち着くわ」
麻生が黙ると、下のグラウンドから生徒の笑い声が聞こえてきた。話が途切れたところで、佐久間が野沢に向かって言った。
「もう部活には慣れましたか?」
「いまはまだ内海さんの指示がありますから、なんとか……」
内海が自宅待機になる前に残していったメモには、向こう二週間の放送部の予定が書かれていた。いまはとにかく、内海の代わりに部を運営していくだけで野沢には手一杯だった。
「心配いらないわ。必要があれば事務局から応援に行かせるから。二年前に内海くんが部を復活させるまでも、生徒会が代行してたわけだし」麻生はグラウンドでサッカーをして遊んでいる男子連中を見やったまま言った。
「それで? 何か分かった?」麻生は佐久間の方に向き直り、声を落とした。もっとも、声をひそめなくとも聞く者は誰もいなかった。佐久間は首を横に振った。
「いいえ、今のところ何も……。事件当夜の目撃情報を求めていますが、まだどこからも有力な情報は上がってきません」
「やっぱりそう……。こっちもよ」麻生は再びグラウンドを見下ろした。
「あれだけの数のポスターなんだから、わたしは複数犯だと思った。だからきっと目撃者もいると思ったんだけど」
それを聞いて、野沢の脳裏に事件当日の朝の様子がよみがえった。廊下に貼られたポスターはおびただしい数だった。一人で貼るには多すぎる気が野沢もしていた。告発文の最後に書かれた「(9)」という署名もずっと気になっている。個人の名前なのか、グループの名前を意味するのか……。
佐久間と麻生が話し出したので、野沢は考えるのをやめ、二人に注目した。
「とにかく、千鶴は引き続き情報を集めてちょうだい。私は滝口くんとも話をしてみるから」そう言う麻生の表情は厳しかった。
「わかりました。あ、それから……」佐久間も心配そうに尋ねた。「青野くんの容体は?」
金曜クラブ幹部の青野仁は、土曜の夜、何者かに階段から突き落とされ、月曜日の時点ではまだ意識が戻っていなかった。麻生は厳しい表情のままだったが、少し和らいだ。
「昨日、気がついたそうよ。幸い、記憶や障害はないみたいだけど。まだ検査をしてみないといけないらしいわ」
佐久間もほっとした様子だったが、すぐにまた不安な顔にもどった。
「それはそうと晴美さん、明日の予算会議は……」
麻生はこれまでで一番の渋面をつくった。
「荒れそうだわね……」
「予算会議」は、桜木高校で生徒会予算が割り当てられている部活動の代表者が一堂に会し、生徒会が作成した予算案に補正を加える重要な会合である。五月の連休直前に開催され、その日の授業は午前中で終了となり、午後一杯が会議に費やされる。会議に参加しない生徒は下校するか部活に励む(生徒総会の日も同様だが、こちらは全校生徒の参加である)。桜木高の誇る「自由と責任」を体現するかのようなすさまじい会議である。なにしろ、会議のために時間割まで変更されるのだから。
本来、生徒会予算は生徒総会で決議されるものだが、総会は全校生徒が参加するため、当日に予算案が提示されたのでは話し合いに時間がかかりすぎて採決をとるどころではなくなってしまう。細かい修正や協議もやりづらい。そこで、あらかじめ各部活の代表者だけを集めて事前協議を行うのである。とは言っても、桜木高校には運動系・文化系を問わず数多くの部活があるので、代表者だけ集めたとしても大人数になる。どの部活も予算を獲得しようと躍起になるため、会議は毎回白熱する。もっとも、「クラブ」が台頭してからは、内海がにらみを利かせたうえで予算作成、会議の進行がなされるので、無法状態だった頃からすればずいぶんトーンダウンしているらしいが。
麻生から命じられた野沢は、不在の内海に代わって放送部の代表者として会議に参加することになった。内海が自宅待機になり、その代わりに部を一人で切り盛りするうちに、野沢の顔は全校に知られるようになった。しかし、もともと存在感があまりなく、なおかつ入学したばかりの一年生である野沢は、内海の名代とは誰にも思われていなかった。無論、野沢にとってもそれは願ってもないことだった。だから今回の会議は、野沢が正式に放送部・部長代理として出席する初めての公な会議だった。野沢は気が重かった。内海の代理や会議で発言するというだけでおそれ多い状況なのに、各部活の代表が予算を奪い合う場に同席するなど絶賛願い下げだった。ところが会議前日の放課後、生徒会事務局会計係からまわってきた予算原案を読んで、野沢の心配は一時的に吹っ飛んだ。
放送部 0円
「なんですかこれ?」あまりにも予想外の数字を目にした野沢は、遠慮するのも忘れて廊下で麻生を呼び止めた。仮にも学校中の放送機材を管理し、時には助っ人として他部の活動に参加までしているのに、予算がまったく割り当てられないとはこれいかに? しかし麻生の答えは冷淡だった。
「伝統です」麻生はすげなく言い放った。「放送部の管理する機材はすべて学校の備品です。新規の購入もメンテナンスの費用も学校の経費になるから、生徒会予算は必要ありません。OK? それから、今後、予算に関しての質問はわたしに直接するんじゃなく、会計係に持っていくように」
突っ立ったままの野沢をその場に残し、麻生はスタスタと立ち去った。「金曜クラブ」に関係ないところで会う時の麻生は必要以上によそよそしい。麻生は表向き、生徒会こそが桜木高校を正式に代表する生徒組織であると公言しており、非公式な組織でもって学校を裏から左右する内海に批判的な「ふり」をしている。クラブのナンバー2自ら内海に敵対的な態度をとることにより、クラブ会員の特定を防いでいるのだ。その役どころからすれば、内海の腰巾着的な立ち位置にいる野沢に対し、人目のあるところで冷淡な態度をとるのは至極当然だった。
それにしても不思議な部活もあるものだ。何はともあれ、熾烈を極める予算の奪い合いに、野沢は参加せずに済みそうだった。
「で? 結局どうなったの?」聡史は呑気な調子で聞いてきた。
「どうもこうもないよ。話は進まなかったんだから」野沢は疲れきった声で答えた。そう、結論から言えば、会議は何の進展もなかったのだ。
会議終了後の放課後だった。一年三組の教室には野沢と納谷聡史の他は誰もいない。帰宅部という、この学校では希少種に属する聡史は、会議の様子を逐一聞きたがった。野沢ははじめ相手にするつもりはなかった。第一、当たり前だが帰宅部には生徒会予算の話し合いなど関係ないのだ。だが聡史があまり熱心に食い下がるものだから野沢もとうとう観念して、ちょうど今、会議の全貌を話し終えたところだった。
会議室の様子は圧巻だった。普段は職員会議などに使われる大会議室には、桜木高校の全部活動の部長かそれに准ずる立場の生徒が勢ぞろいしていた。長机をつなげて部屋の真ん中を大きく開け、進行役の生徒会が黒板を背にした議長席に陣取っている。会議の前に麻生からこっそりと耳打ちでレクチャーされたことによれば、現在、桜木高校の部活は四つの派閥に別れている。内海が率いる最大派閥の「文化部連合」、野球部主将が率い、陸上部、水泳部が傘下に入る「野球部派」、サッカー部以下、現在の運動系最大の一派である「サッカー部派」、剣道部主将が盟主を務め、武道系部活が連合している「剣道部派」である。各派閥の領袖は四つの角に別れ、左回りにサッカー部キャプテン、放送部部長、剣道部主将、野球部主将の順だ。傘下の部活の代表者たちはその周囲に座った。文化部すべてを統率する任は野沢には重すぎるということで、今回は新聞部編集長の佐久間が内海の席にしとやかに座っていた。
会議の進行は生徒会長の羽佐間祥吾だ。役員らを両脇に従えて議長席に座っている。その端正なルックスで女子から絶大な人気を誇り、芸能事務所の関係者がはるばるスカウトの話をもってくることもあると聞いた。非公式ではあるがファンクラブまで存在し、噂ではその組織票でもって現在の地位を手に入れたらしい。一種カリスマ的な人気が物語るように、その立ち居振る舞いや何気ないしぐさが自然と目を引いた。しかし、時にオーバーとも思えるリアクションや、もったいぶった話し方、地位と人気を鼻にかけるようなその態度が、野沢にはどこか鼻についた。
羽佐間会長が野沢の用意したスタンドマイクの電源を入れると、それまでざわついていた会議室がしんとなった。羽佐間は充分に間を取り、全員に注目される心地よさを味わっているようだった。部長たちが徐々にしびれを切らしはじめ、うしろに控えていた麻生晴美に小突かれて、ようやく会議の開会を宣言した。
「本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。来たる生徒総会に先立ちまして、我々生徒会執行部が作成した予算原案についての話し合いをしたいと思います。司会進行の生徒会会長、羽佐間でございます。まずは、予算原案の詳細について会計役員から説明をお願いします」
それを受けて執行部の会計役員がワイヤレスマイクをにぎり、予算案の説明を始めた。とは言っても、予算案は事務局が作成してあらかじめ各部活に配っておいたので、中身は全員が承知していた。役員も数字を読み上げるだけだったので至極退屈である。
読み上げだけで十五分もかかった。会計役員がマイクを置くと、羽佐間会長が再び、型どおりの進行の台詞を述べた。
「つづきまして、この予算案について質疑をおこない……」
羽佐間はここで言葉を切った。理由は誰の目にも明らかだった。会議室の一角を占める人物が手を挙げていた。佐久間の対角線上に陣取る男、野球部主将の飯塚優だった。大柄の坊主頭という「いかにも」な野球部員。その手がまっすぐ天井を指していた。野沢が議長席に目をやると、羽佐間会長は予定外の展開に動揺しており、うしろの麻生は眉間にギュッとしわを寄せていた。
「あ……えー、野球部主将、なにか」慌てている羽佐間とは対照的に、野球部の飯塚は落ち着いてマイクを握り、あまり抑揚のない声で話しだした。
「全員ご承知とは思いますが、わが野球部は今回の春の大会で県ベスト4まで進みました。今後さらなる好成績を収めるために、道具の新調や遠征のための費用が必要になることが予測されます」会議室の中が一気にざわめいた。部長たちは各々の隣同士とひそひそ話し合っている。野沢には何がそんなに重大なことなのかわからず、その様子をただ見守るだけだった。飯塚は少し間をおいてから、決定打となる言葉を発した。
「野球部は予算の増加を要求します」
飯塚がマイクを置くと同時に、会議室がどよめいた。会議に参加している部長たちほぼ全員が一斉に言葉を発したので、野沢の耳には「そんなバカな」とか「ふざけるな」といった怒号が切れぎれに聞こえてきた。野沢が議長席を見ると、羽佐間会長はどう進行してよいやら途方に暮れ、後ろの麻生をチラチラ見ていた。麻生は飯塚の方を睨みつけている。あまりにも理解できない状況にたまらなくなり、野沢は隣の佐久間に小声で問いかけた。
「いったいどうしたんです?」
佐久間はすぐには答えなかった。さすがに上品な佐久間だけあって、他の部長たちのように野次を飛ばしたりはしていなかったが、目を見開いて驚愕の表情を浮かべていた。佐久間は周囲の様子をうかがいつつ、野沢の方に体を傾け、ひそひそと耳打ちした。
「内海くんが文化部連合を率いて以来、野球部が正式に予算増を訴えたのは今回が初めてなのです。要求があるときは通常、会議より前に内海くんに直談判に来ていました。内海くんも何もかもはねつけていたわけではありません。聞くべきは聞き、断るときはきちんと理由を説明していました。こんなふうに事前のすり合わせも何もなく唐突に予算増を要求すれば、他の部長さんたちの反発は必至ですし、何より、野球部派が内海くんや私たち文化部連合と決定的に対立することを宣言するも同様なのです……」
そういうことか。野沢はようやく状況が理解できた。さっきの飯塚の発言は、野球部とその一派が内海の支配体制に公然と反旗を翻したのと同義なのだ。なおかつ、内海の不在という今の状況でこれほど強気な発言をしたことで、「貼り紙事件」への関与の疑いも強まった。これまでの経緯を考えれば、野球部は容疑者の筆頭だ。飯塚は限りなくクロに近くなったわけだ。
野球部・飯塚の発言を皮切りに、会議室は予算増の主張合戦で惨憺たる状況になってしまった。野球部傘下の陸上部も便乗して予算増を要求した結果、互いが互いを非難した。しかし、問題はそのあとだった。
羽佐間会長はこの状況にうろたえながらも、これを不在の内海に代わって統率力を発揮する好機と捉えたらしかった。麻生が後ろから差し出すメモを打ちやり、何を思ったか実績のない部活から予算を削ると言い出した。これはどう控えめに見ても蛮勇だった。怒ったサッカー部派からバレー部と卓球部が、実績が評価されるなら今のままでは少ない、と予算案の再検討を求め、事態はますます混乱した。サッカー部自身が予算増を要求しなかったのは、それに足るだけの実績がないからだと佐久間が教えてくれた。しかし、それでも羽佐間はまだあきらめなかった。羽佐間は運動部の批判をかわそうと、今度は文化部の予算は規模に対して多すぎるのではないかと言い出した。大人しく様子を見守っていた文化部連合の部長たちはここで一斉に発言した。吹奏楽部や文芸部の予算というのは、楽器の購入やメンテナンス費、同人誌の印刷費として不可欠なのだ、と各々主張した。
文化部と運動部が互いに轟々と非難をしあい、おいちょっと待て、そもそもこんな混乱を招いたのは生徒会長ではないか、と羽佐間に向かって双方からの砲火が始まり、もはや収拾がつかなくなったところで、もうとっくに匙を投げていた麻生が羽佐間の後ろからマイクを奪い取り、会議の日延べを宣言して散会となった。
「あはは。うわさには聞いてたけど、会長さんってホントにだめだねぇ」
笑いごとじゃない、と言いかけて、野沢も聡史の言うとおりだと思った。会議の冒頭は麻生が逐一メモを差し入れていたが、飯塚の発言をきっかけに妙なリーダーシップを発揮しようと羽佐間が自分の意志で発言した瞬間に、会議は大荒れとなったのだ。そして、その無能会長がさらに一波乱を起こすであろうことを野沢はすでに知っていたが、聡史には言わないことにした。どちらにしろ明日になればわかることだ。
会議の終了後、野沢と佐久間は会議室を片付けるという口実で一緒に残った。麻生は予算会議の善後策を講じるため、カッカしながら執行部の面々を生徒会室へ引っ立てて行った。
「野沢さんはどう思います?」佐久間がてきぱきと椅子を片付けながら野沢に問いかけた。
一瞬、野沢は返答に窮した。『クラブ』の人間は話の重要部分を伏せて会話する癖があるらしい。「飯塚の態度をどう思うか」なのか、「生徒会長の優柔不断さをどう思うか」なのか、「クラブ」に加わったばかりの野沢には判断がつきかねたが、今は佐久間と二人きりということもあり、前者の質問と捉えることにした。後者の方も話題としては捨てがたいが。
「やっぱり、野球部じゃないでしょうか……」
会議の間、部長たちの応酬を見ながら野沢は考え込み、そして思い当った。内海を告発するポスターの最後、署名の代わりの「(9)」の意味。もっぱらインドア派の野沢でも、野球が九人でするスポーツだということくらいは知っている。あの数字は野球部を暗示するものではないのか。
佐久間は片付けの手を止めた。「私もそう思うんですが……」佐久間は考えをまとめながらゆっくりと話した。「これまでの経緯もあり、野球部が今回の事件の容疑者であることはほぼ間違いないと思います。ですが……」
佐久間は野沢の方へ向き直った。
「調査の結果、事件が起こったと思われる日曜日、野球部は県外に泊りがけで遠征に行っているのです。帰ってきたのは月曜の朝です。部員全員が団体行動でしたから、彼らにポスターを張ることはできないのです……」
野沢は佐久間の目を見つめた。もう頭が混乱してどうにかなってしまいそうだった。ということはつまり、ポスターを貼ったのは野球部ではない?
二人が立ち尽くしていると、部屋のドアが開いて麻生が会議室へ戻ってきた。麻生の顔は疲れ切っていた。
「おつかれさま」麻生は残っていた椅子に座り込んだ。
「大丈夫ですか、晴美さん」佐久間も麻生の隣に腰を下ろした。野沢は少しだけ二人のそばに寄ったが、そのまま立っていることにした。今この場に敵方の誰かが突然入ってくるとまずい。そう思いながら、自分の隠密めいた行動に野沢は内心で苦笑した。
「あんなに荒れた会議は久々だったわね……」麻生がため息交じりに言った。佐久間もうなずいた。
「ええ、まったく。でも、飯塚くんは別として、他に怪しいそぶりをする部長はいませんでしたが……」
「そうね……。ま、今回は内海くんがいなかったからと言うよりも、羽佐間くんが優柔不断だったからあんなに揉めた、と言うほうが正確ね。それに飯塚くん……」麻生は眉間にしわを寄せ、口を真一文字に結んだ。野沢は、会議のときに麻生が飯塚のほうを睨みつけていたのを思い出した。
「飯塚くんが今回の会議で何か主張をするだろうとは思っていたわ。それは予想できた。でもまさかあんなに堂々と予算増を突きつけるなんて。根回しもなく実現なんかするわけないのに。会議を混乱させるためとしか思えないわ」麻生はまた大きなため息をついた。
「あ、そうだ、それから……」麻生は佐久間と野沢を交互に見た。「悪い知らせよ。会長が辞任する」
「あら、それはスクープですわね」
「発表は明日。朝の号外には間に合うでしょ。ついでに副会長も一緒に辞めるんですってよ」
佐久間は眉を吊り上げた。「あら、それもスクープですわね。でもどうして?」
「ほら、副会長は羽佐間ファンクラブの会長の山本さんでしょ。もともと羽佐間くんが一人じゃ心細いからって一緒に役員になってもらったのよ。ふつうは事務局の中から選ぶものなんだけど。まあでも、これは想定の範囲内だわね……」
いまの生徒会は、内海の意を受けた麻生が一から十まで面倒を見ている。それは公然の秘密として桜木高の全生徒が承知している。麻生は早口でまくし立てた。
「だいたい、もともとわたしは反対だったのよ。羽佐間くんてば顔が良いだけで、こっちがイライラするぐらい能天気だもの。まあ、わたしがサポートすれば済むことだし、こんなことになるなんて思わなかったから……」
「でも、それだと次の会長が決まるまでの代理はどなたが?」
「それがね……」麻生はメガネをはずし、目をごしごしこすった。「生徒会規則を読み返すと、臨時代理の序列一位は副会長、二位と三位は直前の生徒総会の議長と副議長になってるんだけど、この二人は先月卒業した去年の三年生なのよ。規則に書かれてるのはここまで……」
「それは……でもそれだとどうなりますの?」
「さっき古い例を調べてみたんだけど、どうやら慣例的に事務局の次長になるらしいわ」
「じゃあ、晴美さんですか」
麻生は顔をしかめながらメガネをかけ直し、うなずいた。「十年ぶりみたい。まあ、私はあくまでも臨時代理だから、はやいとこ後任の会長を選んで体勢を立て直さないと」
麻生は少しのあいだ沈黙したあと、ポツリと言った。
「永井くんに、相談したいわね……」
佐久間が目を見開いた。視線を泳がせて、落ち着かない様子で言葉を探していたが、小さな声で「それは……難しいのでは……」と言った。野沢はその名前に聞き覚えがあった。
「永井って、永井博信さんのことですか?」野沢が問いかけると、麻生が野沢に向かってうなずいた。
「そうよ。さすがに一年生にも名前は知れ渡ってるのね」
永井博信。三年生の中で最上位の成績をほこり、運動神経も抜群で、様々な部活で助っ人として活躍している。元バレー部だが現在は退部しており、サッカー、陸上、バスケなどマルチな才能を持つ、通称「天才」永井。知名度は内海と同じくらい高いが、内海のそれが暗い側面を持っているのと違い、永井は華々しい経歴と才能によるものだった。しかし、野沢は内海らが永井と接触しているところを見たことがなかった。
「その永井さんもクラブのメンバーなんですか?」
「元、ね」麻生は言葉少なに答えた。
「永井くんは最初の人なんです」麻生があまり話したくなさそうなのを察して佐久間が説明した。「内海くんがクラブを立ち上げるとき、最初の会員となったのが永井くんです。二人は親友ですから。でも、永井くんは去年の秋にクラブを辞めてしまったんです……」
「どうして……」
「さあね」麻生がきっぱりと言った。
「内海くんもこのことは話したがらないし。永井くんはクラブを辞めるのと同時に、それまでエースを張ってたバレー部も辞めてしまった。理由は知らないわ」
麻生は一呼吸おいてから付け足した。
「そうね。その理由を一度きちんと聞いてみたかったっていうのもあるかな……。どっちにしても」麻生が立ち上がった。
「二つの組織を同時に率いるなんてこと、わたしにはできないわ」




