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金曜クラブ  作者: しうちさん
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第四章  波紋

 新聞部の号外担当は、大会議室の両開きの扉の隙間に耳を押し当てていた。緊張の面持ちで全身を耳にし、中で開かれている緊急職員会議の様子をうかがっていた。扉の外にいても、中の重苦しい空気が伝わって来る。この会議の結論は、ここ最近例を見ないほどのビッグニュースになる。この扉がもう少し薄くできてくれていたら……。部員はより一層耳を澄まして、聞き耳を立てた。


 召集された教職員の半数は、校長がたった今発表した内容を聞いて、一時的に口がきけなくなっていた。

 今年の春に桜木高に赴任してきたばかりの中尾利政は、同時に四十五歳という県下史上最年少の若さで校長に昇格した。濃い灰色の髪に、同じ色の口髭を生やし、その風貌は往年の三國連太郎を思わせる。常に喪服のような真っ黒のスーツを着て、目は鋭い光を放っている。異例の昇進を遂げたが故のエリート的かつ威圧的な態度は、他のベテラン・中堅の教師たちにとって評判のいいものではなく、用務員の熊倉一郎にいたっては校長を毛嫌いするあまり出来るだけ顔を合わせないようにしていた。しかし、新任や若年の教師の目には、中尾利政の言動が「指導力ある教師」と映ったようで、今ではすっかり校長のシンパと化していた。

 その中尾校長が提案したのは、なんと内海憲隆の「自宅待機」だった。最初に反対の声をあげたのは、校長の隣に腰掛ける老教頭、大平春彦だ。

「本人の言い分も聞かずに一方的に処分を決めるのは、いかがなものかと……」

 会議室のあちこちで賛同の声があがった。しかし、定年まぎわの数学教師のか弱い異議は、若い校長の敵ではなかった。校長がハキハキと言った。

「私はこの、誰でしたか……あ、そうそう、この内海何某という生徒がポスターに書かれていることをやった、などとは言っておりません。ただの一言も。しかしながら、こんな貼り紙をされたのでは、これから彼が冷たい目にさらされるのは確実です。このような事態は私としましても非常に遺憾であります。事の真偽がはっきりするまで、彼には自宅にいてもらった方が賢明であると考えます」

 若手教員の一団から拍手が上がった。校長の素早い決断が、また若手の心をつかんだらしい。

「ちょっと待ってください」すべての視線が声のした方を向いた。

 声を上げたのは第二教頭の高山益代だった。高山教頭はそのエリンギのような髪を揺らしながら立ち上がった。桜木高OGである彼女は、その自由と責任を基調とした校風を愛し、生徒の自主性を重んじているために、現校長の中尾とことあるごとに対立していた。それを知っているほかの先生方は、嵐を予感して身を固くした。

「ポスターの告発文はだれが書いたのかもわかりません。内海くん自身に聞き取りもしていない今の段階でそんな処分を決めてしまっては、我々教師が暗にあのポスターの内容を認めてしまったことになるじゃありませんか」

 高山教頭の反論に、今度は中堅の教師陣から拍手が上がった。年長の教頭からの反論にも、中尾校長はびくともしなかった。

「これは決して処分ではありません。あくまでも措置です」

「しかし、我々が結論を急ぐ必要はないでしょう!」と高山教頭。

「なにも急いでいるわけではない。ポスターの内容と昨今の教育界への風当たりを考えれば当然の緊急避難的な処置です。一種の危機管理とも言える。マスコミに嗅ぎ付けられてからでは遅い」中尾校長は冷静に答えた。

「たとえ処分ではなく措置だとしても、内海くんの経歴に傷がつきます!」

「それはここにお集まりの先生方の胸一つでしょう」高山教頭が激昂するのと対照的に、中尾校長の声はだんだん低くなっていった。「我々は一丸となって事に当たっている。彼を守ろうと。内申書の評価は後からどうにでもなる。外部に漏れない限りは」

 中尾校長は言いながら、さっき拍手した若手陣に目くばせした。若い教師たちは自分たちが校長から信頼されていると思って目を輝かせた。

「校長!」高山教頭のヒステリックな声で、中尾校長はゆっくりと視線を高山教頭に戻した。

「いくら措置でも、我々教師が早々に結論を出せば生徒に噂が広がります。とくに今週末から連休です。校長が仰るように、外部に漏れないようにするためには……」

「だからこそです!」中尾校長の突然の大声に、隣で心配そうに成り行きを見守っていた大平教頭は飛びあがった。

「今週は後半から連休に入ります。その前に食い止めなければならない。まずはとにかく、生徒たちの間から、この由々しき告発によって生じた無用な心配を取り除くことのほうが肝要だと考えます!」

 中尾校長に圧倒され、高山教頭はすぐに反論できなかった。校長はこの機を逃さなかった。

「学生の本分は勉学にあります。そして、その学習環境を整えることも我々教師の仕事です。先ほども申し上げましたが、これはあくまでも暫定的な措置です。真偽が判明して無実が証明されれば、彼の名誉を回復できるよう全力を尽くす所存です。いかがですか?」

 中尾校長は高山教頭に向かって問いかけたが、教頭は顔をしかめたまま何も言わなかった。他の先生方は互いに暗い視線を交わした。みんな、教頭の意見すら通らなかったのなら自分たちの意見など聞かれもしないと諦めていた。

 それに、校長の言い分ももっともだった。ポスターの内容を信じる生徒が皆無とは言えない。内海にあらぬ疑いをかけたくはないが、学校全体の事情を考えれば仕方がないのかも知れない。新学年が始まったばかりの今、下手に混乱をまねくより、一旦、仮の結論を出すほうが良い。内海は賢い生徒だから、それくらいは理解してくれるだろう……。大多数の教員が反対しなかったのはこういう理由からである。

 一同が静まったのを確認した校長は、立ち上がりながら結論をまとめる雰囲気で言った。

「繰り返しになりますが、これは決して処罰ではないことを強調しておきましょう。この、えー……内海くんでしたか、彼は私の手元にある資料を見る限り、我が校の最も優秀な生徒の一人であることに疑問の余地はありません。そのような生徒が授業を受けられないのは学校の力量の是非にも関わる事態であります。彼が他の生徒に遅れを取ることがないように、三年団の先生方は万全の体制を整えて下さい。以上で散会とします」

 中尾校長は他の教員には目もくれず、猛スピードで会議室を出ていった。扉の外にいた新聞部員は危うく仰向けにすっころぶところだった。だが彼は、新聞部員として最高のニュースを手に入れた。

「内海部長が、自宅待機?」

 号外担当部員はわっと駆け出した。昼休みまでに記事にしなくては。もつれる足で新聞部の編集室に向かいながら、部員は自分が大ニュースを書ける喜びを隠せなかった。

 たとえそれが、誰かを不幸にするかもしれなくても……。


 職員会議の緊急招集のために、一時間目は全学級が自習になっていた。内海憲隆の所属する三年四組の教室では、誰一人として自習などで時間を無駄にすることなく、クラスメート全員が一丸となって対策を協議していた。三年四組の生徒たちはある意味で内海の親衛隊的な役割を果たしている。みんなが内海のことを快く思っていたし、貼り紙を信じる生徒などこのクラスには一人もいなかった。そこで、今朝の「貼り紙事件」のあと自習になるやいなや、三年四組は自主的に学級会を開催し「内海を守る」ことを満場一致で可決した。問題は、職員会議がどんな反応を示すか、だった。学級会がどれほど意見を提出しても、所詮は「参考」程度にしかならないのが現状である。

「困ったね……」

 会議の進行役で三年四組学級委員長、増岡浩二は、自分の椅子を教卓まで持ってきて、どっかりと腰をおろし、ため息混じりに呟いた。内海のために何かできることは無いかと全員で知恵を絞れるだけ絞ってはみたが、もうみんな持てる力を使い果たし、水を絞った後の雑巾のように萎れていた。

 当の内海は、学級会が始まってからずっと、両腕を組んで目をつぶったまま、じっとしていた。しかし表情はいたって穏やかだった。

 チャイムが鳴った。教室中に緊張が走った。果たして、職員会議はどんな結論を出したのか……。


 野沢は午前中ずっと落ち着かなかった。一時間目の自習の後、先生方は何事もなかったかのように授業をしていた。いや、意識してそう振舞っていた。野沢には先生方の微妙な表情の変化が読み取れた。授業自体は普段となんら変わることはなかった。しかし、体育の柔軟体操の間、家庭科で使ったミシンを片付けている間、数学の練習問題を解く間、それぞれの先生は眉間にしわを寄せ、考え込んでいる様子だった。心ここにあらずで、生徒に数回呼びかけられてやっと我に返る先生もいた。何かおかしい。

 考えられる理由は、今朝の「貼り紙事件」とその直後の職員会議である。因数分解の問題を一つひとつ解きながら、野沢は考えた。職員会議の内容は生徒に知らされることはない。だが、おそらく新聞部が事の次第を学生用掲示板に掲載するだろう。新聞部はそのまま広報委員会の活動と連動しているから、さっきの自習の時間も取材をしていたはずだ。今が四時間目。号外なら昼休みには出るだろう。昼食を済ましたらすぐに見に行こう。しかし、この授業が終わるまでまだ二十五分、いや三十分か。野沢は符号の書き間違いを発見し、消しゴムで訂正した。ふと、左斜め前に座る沙紀の姿が目に留まった。

 沙紀は当然ながら、授業中に他のことを考えているような生徒ではない。ひとたび始業のチャイムが鳴れば、先生の話に一心に耳を傾ける。ノートを見てみれば、これ以上整理する必要がないくらいに、まるで印刷したかのような字で懇切丁寧に書き込まれているのが普通だ。だが今日は違った。

 沙紀は窓の外にあるイチョウの木を見つめていた。今朝、登校中に見せたのと同じような物憂げな表情で、ボーっと何事か考えている。教科書の練習問題を解こうとすらしていない。どうも今朝から様子がおかしい。野沢には、どうして沙紀が内海の事件に過剰に反応したのか分からなかった。野沢の方が内海に近い位置にいるというのに、不思議なことに沙紀よりも自分の方が落ち着いている気がしていた。

 ようやくチャイムが鳴った。先生が教室を出ていくと、昼休みのガヤガヤが始まった。沙紀のことも気にかかるが、今は内海のことがもっと気になる。沙紀のことは後で考えよう。野沢は教科書とノートを片付け、弁当箱を取り出し、急いで食べ始めた。

 そこへ一人の男子がやって来て、野沢の前に座った。

「もお『ざわっち』、いつも一人で食べ始めちゃうんだから。孤食は体に悪いんだよ?」

 そう言いながら、その男子は野沢の机の上に何のためらいも遠慮も無く自分の弁当を広げ、「いただきます」と食べ始めた。野沢は何も答えず、しばし箸を止め、目の前に座っているクラスメートを見つめた。あらためて見ると、わりとイケメンだということに野沢は気づいた。

 野沢を「ざわっち」と呼ぶ唯一の男、納谷聡史。林原沙紀と同じく野沢の親友である。といっても正確には、聡史のほうが一方的にひっついているというだけなのだった。うっとうしくはなかったが、いつも野沢の知らないうちに傍にいるので、周囲は二人が大の仲良しなのだと思い込んでいる。別に不自由はなかったから、野沢もそのままにしているのだった。

 それに、人間関係が希薄な野沢にとって、聡史の存在はある意味で重要だった。野沢が聡史と知り合ったのは中学に入ってからだが、そのころから聡史はとても社交的で、沙紀と同じく、やはり野沢とは対照的だった。いろいろなところに首を突っ込んでいるせいか顔が広く、様々なうわさを耳にしてくる。そしてそれを聞いてもいないのに野沢に教えてくる。なにしろ「金曜クラブ」の幹部と思しき生徒の名前と、その経歴まで野沢が知ることができたのは、他ならぬ聡史が教えてくれたからだった。いったいどこから情報を仕入れてくるのか、少し不気味ですらある。そして、それほど社交的で明るくて、顔もイケメンの範疇に入るヤツが、なぜ自分のそばにいたがるのか、野沢には皆目わからなかった。

「なに? おれの顔、なんか付いてる?」聡史が不思議そうに聞いた。

「ん、いや、別に」

 野沢は、このごろ物思いに耽ることが多くなった自分に気づいて苦笑した。以前は考え込むことなんて滅多になかったのに。

「あ、そうだ。ざわっちってさ、放送部に入ったんだよね、たしか」

 野沢はドキリとした。なんでよりによってその話題を持ち出す? 野沢は慎重にこたえた。

「うん。それがどうかした?」

 聡史は口に入れたものを飲み込むまで少し間を置いた。

「今朝のポスターの、『内海』って人、ざわっちの先輩だよね」

 なんだ、またか……。野沢は少しウンザリしながら気のない返事をした。

「そうだよ」

 野沢が内海の後ろでちょこまかと働いている姿は全校朝礼が始まる前などに全校生徒が見ていたので、今朝、放送室から教室に帰ってきた途端、クラスの全員から質問攻めにあった。

「内海先輩ってどんな人?」

「あれってやっぱ使い込み?」

「おまえも一枚かんでるのか?」

「おれ今日、財布忘れて来ちゃってさ。貸してくんない?」

 本筋とまったく関係のない質問がほとんどだったが、どれにしたって野沢に答えられるはずもなかった。下手に答えて内海に迷惑がかかるのを心配した野沢は全部「ノーコメント」で通したが、それが余計にクラスメートの好奇心と想像力に拍車をかけてしまったらしい。野沢は大いに後悔していた。この上さらに仕様もない質問に答えて余計な憶測を招きたくはなかったが、こうして一対一で質問されると無言で通すわけにもいかない。

「それがどうかした?」

 野沢は一刻も早く「内海絡み」の話題を終わらそうと、なかば畳み掛けるように言ったが、聡史はすぐに返事をしなかった。口いっぱいに入れたものをしっかり咀嚼していた。マイペースなやつめ。

 ごくん、と音を立てて飲み込み、お茶を一口飲んで一息入れた。何か言おうと聡史が口を開いた瞬間、クラスメートの高木祐介が泡を食った様子で教室へ飛び込んできた。

「号外が出たぞ!」

 教室内は一瞬、騒然となった。高木は教室内の掲示板に刷りたての号外を貼った。野沢は慌てて席を立ち、掲示板へ駆け寄った。そのあとから聡史がついてきた。

 号外の見出しは衝撃的だった。

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