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金曜クラブ  作者: しうちさん
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第二章  うごめき

 ノックすると中から「どーぞぉ」と男の声がした。野沢がそろそろと戸を開けると、内海憲隆はそこにいた。小太りでメガネをかけている。髪は軽くウェーブのかかったくせ毛だった。内海は部屋の片づけをしていた。前かがみになりながら顔を野沢の方へ向けた。ほんの刹那、内海はメガネ越しに鋭い目つきで野沢を見た。野沢は一瞬ドキリとしたが、次の瞬間、内海の顔は穏やかな笑みに変わっていた。

「あ、ひょっとして、入部希望?」入り口で縮こまっている野沢に向かって、内海はやさしく呼びかけた。

 野沢が聞こえるか聞こえないかという声で「はい」と答えると、内海はにこやかに話しかけた。「じゃ、靴脱いで、こっち来て」

 放送室は二部屋に分かれていた。入り口から入ってすぐのところに、アンプやスピーカー、一斉放送用のマイクなどがあった。ほかにも様々な機材やカセットテープがあり、物置としても使われているらしい。その奥にさらにドアがあって、防音の録音室らしき部屋があった。

 内海は手前の部屋のテーブルに野沢をいざなった。

「ま、座ってて。あ、入部届も出しといて」

 野沢を椅子に座らせ、内海はてきぱきとテーブルを片付けた。体育館や講堂の見取り図、カセットテープ、レコードまであった。ひととおりスペースが空くと、今度は戸棚の引き出しをごそごそとかき回した。

「ええと、ハンコ、ハンコ……」

 やがて引き出しから印鑑を取り出し、野沢から受け取った入部届に署名して、判をついた。

「野沢宏幸くんね。はい、これでOK」内海は入部届をキャビネットの引き出しに仕舞った。

「じゃあ、細かいことは明日かな。とりあえず放課後になったら放送室に来てね」

 野沢は内海に挨拶をして放送室を出た。野沢が何か口をはさむ余地もなく、手続きはあっけなく済んでしまった。

 内海の印象は京田先生の話から想像したものとはまるで違った。確かに、高校生離れしてあたりを払うような雰囲気はあるが、物腰もやわらかく、口調も穏やかだった。犯罪組織の首魁のような印象を持っていただけに肩透かしを食らった感じだ。ひょっとして、すべて先生のジョークたったんじゃ……。いや、まだ断言はできない。何はともあれ、野沢は放送部員になったのだ。真偽はそのうち判明するだろう。

 部屋を出て数歩も歩かないうちに女子生徒とすれ違った。三年生のようだ。ショートボブの髪型でメガネをかけている。野沢が振り返って見ると、その女子生徒は放送室のドアをノックして、そのまま中へ入って行った。


 翌日、野沢は一日中、放課後の部活が気になった。部長の内海にまつわる噂はこの際置いておくとしても、もともとが社交的な性格ではないので、新しい部活に一人だけで参加すると思うだけで気が重かった。

人前では普段通りふるまっているつもりだったが、幼なじみで親友の林原沙紀には、野沢が明らかに挙動不審なのが嫌でも目についた。

「ちょっとヒロくん、聞いてる?」沙紀が聞いた。

 朝、登校途中だった。沙紀は小学生の時から野沢のことを「ヒロくん」と呼んでいた。高校生にもなると野沢には少し恥ずかしかったが、沙紀は他人がどう見ようと気にしていないようだった。

「えっ、何が?」野沢はすっとぼけたが、沙紀の眉根にぎゅっとしわが寄ったので、ごまかしきれなかったと悟った。沙紀が早口でまくし立てた。

「だって、ヒロくんさ、さっきからおかしいよ。道でつまずくし、あたしの話は聞いてないし、道は間違いそうになるし、信号が赤でも横断歩道渡ろうとするし。あんた、いつもはもっと落ち着いてるでしょうが。いったい何考えてんのよ。大体あんたが考え事してること自体おかしいよ」

 言われてみれば確かにそうだ。いつもの野沢なら、沙紀と話しながら歩いているときはきちんと受け答えしている。だが今日は、気づいてみると靴もズボンの裾も汚れてシミになっている。どうやら知らない内に水溜りを踏んだようだ。野沢はなんとか取り繕おうとした。沙紀に余計な心配はかけたくなかった。

「別に……あ、ちょっと……疲れてる、かも」ありきたりな返事だ。

 沙紀は野沢の顔をのぞきこみ、今度は少し心配そうに言った。

「そうね、確かに顔色は良くないね。昨日寝てないんじゃないの?」

 寝てないわけではなく放課後が不安なだけだが、うなずいておいた。

「気をつけなさいよ。いま大事な時期なんだから」

 野沢はまたうなずいた。沙紀はまだ少し心配そうに野沢を見ていたが、そうこうしているうちに国道を渡り、学校の前の坂道まで来た。

「それじゃ、あたし朝練があるから、またね」

 そう言って、沙紀は学校まで坂を駆け上がっていった。

 そのあとからゆっくりと坂を上りながら、野沢は少し後悔した。沙紀は野沢の数少ない友達の一人だ。高校で同じクラスになれて本当に良かった。いっそ打ち明けてしまえばよかったか。いや、この方がいいんだ。野沢の心の奥のほうでそんな声がした。幼なじみの親友を不必要に怖がらせることはない。

 野沢宏幸と林原沙紀は小さな頃から仲がいい。野沢自身は、仲間とつるまずに一人でいるほうが好きだったが、沙紀は例外だった。沙紀とは一緒にいても違和感がない。しかし、周囲からはよく「不つりあいな仲」と言われた。それも当然だ、と野沢自身も思っていた。

 野沢は中学ではごく平凡な、どちらかといえばちょっと暗い生徒だった。成績はいつも真ん中か、その少し上。友人は多くない。だからと言って、別にそのことで不自由を感じたことはない。もともと人付き合いは苦手だ。一緒にいる相手に気を遣いすぎて疲れてしまうのだ。学校から帰ったら、一人で近所の映画館に行くか、家で映画のビデオやDVDを観ていることがほとんどだった。幼いころから数々の外画を観てきたおかげで英語の成績だけは抜群に良い。俳優が何を言っているのか本人の声で聞くために、英語だけは小学校の高学年あたりから独学で勉強していたので、今では日本語字幕を見ずとも大方は理解ができるほどだった。桜木高に入ったのは、歩いて通える公立高校だからという理由だった。知り合いの多くが環境の良い私立に行ってしまった。

 一方の沙紀はといえば、昔から近所の友達みんなと遊んでいたし、中学時代はブラスバンド部のサックス一筋で、学業成績も常に上位。おまけに控えめに言っても美人だ。野沢とは、はっきりと対照的だった(もっとも、野沢もジャニーズ系の美男子というわけではなかったが、それなりに顔は整っていると言われる。それなり、というのがひっかかるが)。

 沙紀ぐらいの成績があれば、もうひとつランクの高い県立校でも、部活に打ち込める私立校でも入れたのに、と野沢は思っていた。沙紀本人にそれを指摘すると、「あたしのウチはそんなに余裕ないし、それに桜木って吹奏楽が有名なんだから!」と猛烈に主張していたが、本当のところどうなのか野沢には分からなかった。桜木高が吹奏楽で有名だなんて、少なくとも野沢は聞いたことがない。

 それはともかくとして、二人は仲が良かった。幼い頃からよく二人だけで遊んだ。家が近かったせいもあるかもしれないが、二人ともお互いのことをよく知っていたし、どちらも相手のことが一番気を許せる間柄だった。そんなこんなで、お互い高校生になった今でも肩を並べて登校しているのだった。もはや腐れ縁とでも言うべきか。

 遠い過去に思いをはせながら歩いていると、知らないうちに正門の前まで来ていた。野沢は今来た道を振り返った。桜木市郊外の高台に建つ校舎からは、遠くに少しだけ海も見える。野沢はまた振り返って、ポケットに手を突っ込み、今度は校舎を見上げた。今年で創立八十五年になる県下有数の伝統校。創立当時は木造だったという校舎は何度か建て替えを経て、いまはごく普通の四階建ての鉄筋コンクリート製だ。その建物が、なぜだか今日は巨大で醜悪な怪物に思えた。

 野沢は大きなため息をついて、門を抜け、自分のクラスへと向かった。


 それからまる一週間、野沢は内海の後ろを影のようについて回った。

放送部の正式な部員は内海憲隆だけだったので、野沢を含めてようやく二名である。朝礼や参加人数の多い会議でのマイク準備や、軽音部や演劇部に機材を貸し出したり、時には音響の助っ人として活動そのものに参加することもあった。桜木高校では一部の部活と委員会が連動しており(新聞部と文芸部は広報委員会、美術部・書道部は掲示委員会といった具合だ)、放送部と放送委員会もその一つで、アナウンスなどは委員会のほうの仕事だった。校内放送を流したりアナウンスを録音するのは委員会所属の生徒で、放送部員はその監修という立場である。放送の裏方の仕事のほうに興味があった野沢にとって、これは願ってもないことだった。

 内海は丁寧に仕事を教えてくれた。野沢もそれに応えようと必死に仕事を覚えた。活動そのものは楽しかったので苦にはならなかったが、とにかく覚えることが多かった。体育館のステージ練習は曜日ごとに部活が異なり、使うマイクの種類も違った。職員会議があれば、ポータブルマイクをかついで校内を走り回った。マイクを使うのは文化系の部だけとは限らず、運動系も練習試合で時々マイクを借りに来た。野沢が入部する前は、内海が一人ですべての仕事をこなしていたのかと思うと、否が応にも尊敬してしまう。内海はほぼすべての部活と顔見知りで、教職員にも広く認知されていた。それに加えて、沙紀から聞いた話では、内海は三年生全体の中でも成績上位に名を連ねているらしい。野沢にはまったく信じられなかった。

 そしてときどき、部活とは関係のない来訪者があった。活動の最中に内海と短い時間だけ立ち話をして、そそくさと去って行った。噂の「金曜クラブ」の会員のようだ。これまでに野沢が顔を出した部活の面々から考えて、ほぼすべての部活動に会員がいるらしい。中でも何人かは頻繁に内海のもとへ何事かを話しに来た。野沢が最初に内海と会った日に放送室の前ですれ違ったショートボブの女子の他にも、長い髪を後ろで結っている女子、髪の毛のツンツン立っている男子、とても痩せていて背の高い男子、ポニーテールの女子、大柄で屈強な体育会系の男子などなど。野沢の目には、内海がまるで巨大な巣の真ん中にじっとしている大きな蜘蛛のように思えた。糸が一本でも揺れればすぐに把握できる、万全の体制だ。

 他にも、部活を終えて野沢が帰った後、部の代表者やそれに近い生徒が内海に何事か相談に来ることがあった。野沢は現場を見ていないので、実際にどんなやり取りがなされているのかは知らないが、そういう来訪者があった翌日などは、生徒会の会合や「クラブ」会員の来訪が頻繁になるような気がした。

 内海と頻繁に会話を交わす生徒の中でも特に何人かは、内海と同様に、ある意味で有名な生徒だった。

 ショートボブでメガネをかけた女子は麻生晴美。生徒会の事務局次長で、事実上、生徒会の中では会長以上の権力者という噂だ。

 長い髪を後ろで束ねている女子は佐久間千鶴。新聞部の編集長。実家は旧家で金持ちだ。

 髪をツンツン立てた男子は古谷公平という文芸部の部員らしい。

 痩せて背の高い男子は二年生で青野仁。沙紀と同じ吹奏楽部で、沙紀が言うには成績は二年生でトップクラスとのことだ。

 日高まさみというのがポニーテールの女子で、何でも「カリスマ」らしく、女子たちの話題に頻繁にのぼっている。

 いかにもごつい大柄の男子は滝口努という柔道部の副主将だそうだ。どうりで高校生離れした体格だと野沢は思った。

 野沢が観察した限りでは、この面々が「クラブ」の主要メンバー、つまり幹部のようだ。ただ、内海自身多数の部活に顔を出し、様々な生徒と会話しているので、それを特定するにはかなり近くで観察する必要があるだろうと思われた。桜木高校は県下でも有数の伝統校であり、また自由な校風のため個性的な生徒が多い。それも、幹部の特定を難しくするのに一役買っているのではないかと野沢は思った。

 この学校の過去に何があって、どんな経緯で「クラブ」ができたのかは知らないが、京田先生が話したことは、どうやら嘘ではなさそうだ。一見平和に見える学園生活の裏に、触れてはいけない秘密が確かにある。野沢はそう思った。

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