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金曜クラブ  作者: しうちさん
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第一章  秘密結社

 野沢宏幸は放課後の薄暗い廊下を急ぎ足で歩いていた。たったいま聞かされた話のせいで、色白で細面のその顔は普段よりもっと蒼白になり、ただでさえ小柄な体は緊張でさらに縮こまっていた。

 目的地にはすぐに着いた。放送室。この学校の支配者の牙城だ。入り口の引き戸には「土足厳禁」の張り紙があり、その前には靴が一足。中にいる。

 いざその場所を前にしてしまうと足がすくんでしまった。ほんの二十分前に聞いた話が再び脳裏をよぎる。秘密結社……クラブ……帝王……。何度反芻しても信じがたい……。


 それは、野沢宏幸が県立桜木高等学校に入学して、まだ二週目の木曜日のことだった。野沢は教室でたった一人、自分の席に座り込み、返却されたばかりの「学力テスト結果」を眺めていた。細長い紙切れに五教科の点数が出席番号とともに書かれているだけの、味も素気もない代物だ。

 英語、四十二点。五十点満点ではない。このテストは百点満点だ。

 そんなはずはない。野沢は心の中でこうべを振った。野沢の成績は中学のころからどの科目も平均並みだったが、英語だけは違った。幼いころから洋画を字幕で観ていたせいか、英語だけは苦も無く勉強できた。それが自分でも唯一の取り柄だと思っている。この公立の高校に入れたのだって、英語が抜群にできたことが他の教科を補ったからだと自分でも思う。

 事実、入学してすぐに行われたこのテストだって、難しいと思うものはひとつもなかった。野沢自身が大きな思い違いをしていなければ(思い違いということもあるので誰にも言わなかったが)、満点が取れているはずだった。それなのになぜ……。

 野沢が悶々としていると、バタバタと派手な音を立てて誰かが廊下を走ってくる音が聞こえた。野沢は物思いから覚め、帰り支度をはじめた。

 その瞬間、教室のドアがバーンと音を立てて開き、担任の京田先生が飛び込んできた。額には汗が光り、大きく肩で息をしている。どうやら職員室からここまで一目散に走ってきたらしい。

「ああよかった。野沢くん!」京田先生はビブラートを響かせながら、野沢のほうへ駆け寄ってきた。

 京田加代子先生は入学直後の自己紹介で自分の年齢を三十一歳だと言っていたが、そのふくよかな体型のせいでどうしても四十過ぎに見えてしまう。こういう時にこの体型では不便だったようだ。もちろん、それは本人には内緒だが。

「あのね、さっき渡した学力テストの結果、野沢くんのだけ別のクラスの子のだったの!」

「えっ?」野沢は思わず立ち上がった。焦った表情をしながらも、少なくとも四十二点ではないと分かってほっとした。

「ごめんねぇ」京田先生は手でハタハタと顔をあおぎながら言った。「統一試験って、いろんな先生が採点するし、出席番号だけで管理するから、たまに混ざっちゃうことがあるのよね。どうしてそんなことするのかしら。毎年必ずミスが出るのよ。ほんと、どうにかしてもらわないといけないわね。個人情報保護も行き過ぎると面倒よね。まったく。……とにかく、はいこれ」

 ひととおり言いたいことを言ってほっとしたのか、京田先生はようやく野沢のテスト結果を渡してくれた。京田先生が走ってくるときにがっちり握っていたようで、紙は少しひしゃげていた。

 四教科はやはり平均並みだが、英語は満点。思った通り。よかった。

「野沢くん、英語は得意でしょ。だから気づいたの」

「そうですか」野沢は機械的に相槌を打った。

 ひと騒動済んで教室の中はまた静かになった。とりあえず用事はなくなったと思い、野沢は椅子に座り直し、再び帰り支度を始めた。すると、その様子を眺めていた先生がポツリとつぶやいた。

「ねぇ、野沢くん」

「はい?」野沢は片付けの手を止めずに答えた。

「少しお話があるの」

 いつも無駄に声の大きい京田先生の、まるで知人の通夜にでも参列したかのような調子に、野沢は思わず手を止め、先生の顔を直視した。先生はなにやら深刻な顔をしていた。

「部活のことなんだけど、野沢くん、放送部に入るのよね?」

「はい」

 中学では体を動かした方が良いというので卓球部に所属していたが、もともとインドアな性格であり、以前から音響効果やOA機器に興味があったのもあって、放送部に入部することにしたのだ。昨日提出した入部届に何か不備でもあったのだろうか。

「入部届は担任がハンコを押した後、自分で所属する部活の部長に提出してもらわないといけないの。放送部の部長は三年生の内海憲隆くんていうんだけど、それで……」

 京田先生は隣の席の椅子を引き出し、腰かけた。相変わらず心配そうな顔のまま、どう話そうか迷っているようだった。

「入学式のときとか、そのあとのオリエンテーションでも言ったけど、うちは校則がゆるいので有名よね。生徒に相当な自治が許されていて、県下では生徒の活動が一番盛んだわ」

 野沢はうなずいた。あらためて言われるまでもない。生徒会規則は別として、日常生活に関する校則は無いに等しい。重要な式典の時以外は制服の着かたも髪の色もほぼ自由だった。部活動の参加率は九十パーセントを超えており、生徒だけの会議や行事が様々にある。

「生徒会が中心になって、予算配分を決めたり、委員会や行事を運営してるわね、表向きは」

 野沢は先生の言い方がひっかかった。表向き?

「実はね」先生は前かがみになりながら、犯罪計画を持ち掛けるような口調でひそひそと言った。野沢もそれにつられて前のめりになった。

「ほんとは生徒会はお飾りで、学校を裏から取り仕切ってるクラブがあるの。秘密結社っていうか」

 一瞬、時間が止まった。野沢は自分の耳を疑った。秘密結社?

「学校中にネットワークを持っていて、予算配分から部活の人事まで、主だったことは全部このクラブが決めてるらしいの。完全な秘密主義で、教師も生徒も実態はほとんど知らない。限られたごく一部の生徒だけが会合に参加しているらしいわ」

 野沢の思考回路がショート寸前になっているのもお構いなしに、先生は話を続けた。

「どこで会議が開かれているのか関係者以外は誰も知らない。私もこの目で見たわけじゃない。幹部の会合は完全に非公開だから、あくまで噂なの。でも、組織があることはみんなが知ってるし、頂点に立つ生徒の名前もわかってる」

 先生が次の台詞を言う前に、野沢は奇妙な胸騒ぎがした。

「秘密結社『金曜クラブ』。その頂点に立つのが、放送部の部長、内海憲隆。この学校の事実上の支配者。人呼んで『桜木の帝王』よ」

 京田先生は鼻息も荒く言い終えた。そして静寂。野沢は、自分の心が現実から離れ、どこか遠くを彷徨っているような気がした。少しだけ残った理性が悲鳴を上げている。そんなことがあり得るだろうか。ここは普通の高校ではないのか。生徒会がお飾りで一生徒が裏から仕切る? 帝王? 意味が分からない……。

 ほとんど放心状態の野沢を見て、京田先生は哀れげに言った。

「この学校で生活していれば、いずれは耳に入ることだったんだけどね。野沢くんはこれから、その設立者に会いに行くわけだから……」

 先生は上着の内ポケットから折りたたんだ入部届の紙を取り出し、野沢に渡した。用紙には、野沢が自分で書いた氏名、担任の氏名と印があり、一番最後、部の責任者の欄だけ空白だった。いまからこれを提出してサインをもらってこい、ということだった。

「心配いらないわ。内海くん自身はとても優しい生徒だから。今話したこともあくまで噂だし、どこまで本当かもわからないわ。とにかく、予備知識があるに越したことはないと思って……」


 そして今、野沢の目の前には放送室の戸がある。ここに歩いてくる道すがら、もう決心はついていた。予備知識もへったくれもない。自分の部の部長がどんな人物だろうと、どんな組織を率いていようと、自分には関係ない。危ないことには一切かかわらない。そう、それだ。

 野沢は深く深呼吸をし、意を決して扉をノックした。

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