1.腫れ物でも触るように、あるいは優しく撫でるように
あれからもう半年か。絶望と悪夢の受験シーズン。
自分で言うのもなんだが、俺はそれなりに努力が出来て、それに報いるのが得意な方だった。
そうしなきゃ、生きていけない身分だからな。
どれだけ勉強が出来ようと、どれだけスポーツで偉大な功績を積んでいようと、
どれだけ品行方正な好青年であろうと。
――俺には、最低最悪なハンデが付き纏っていた。
この世界で一般的に能力と呼ばれてるそれは早くて母親の中から、
遅くても三歳くらいには発現するらしい。
しかし幾つになってもそれが発現しなかった俺を心配に思った両親が病院で告げられたのは……
この世界での実質的な「死」。
医者や教師は勿論、両親からも耳にタコが出来るほど。
そりゃあもう、漁師にでもなってやろうかと思うくらいのタコが出来るほど聞かされた。
――お前は、生まれるべきでは無かった。って。
……あの時もそうだ。
『個性を尊重し、望む未来へ導く』なんて銘打つ進学校。
――聖晴道学園
カンダタが釈迦に垂らされた蜘蛛の糸に縋るような気持ちで見つけた、その場所。
その学校での面接での事だった。
くっだらない能力の一つも持っていない俺にはその『個性』の輪に入るのさえ困難だと知ったのは。
*
「失礼します……」
薄暗い応接室。目に映るのは俺の為に用意されたであろうパイプ椅子。その奥に鎮座する三人の教師。
「……おい。この子……」
アフロの髪型。国語科教師、阿不呂。
名は体を表すとは良く言ったもんだ。
「本来なら筆記試験の時点で落とす予定でしたが、致し方ありません」
語尾にザンスと付けて話始めそうな出っ歯が特徴の数学科教師、出場。
教師達が俺を歓迎していないのは雰囲気で察する事が出来た。
ずっと似た扱いに遭ってきた。今更効かねぇよ。
……それはそうとして。問題は三人目。
教員の中に一人だけ若い女教師が居た。
燃えるような、それか、血にでも染まったかのような紅く長いポニーテール。
目の下の泣き黒子が印象的なド偉い美人。
だが態度は最悪だ。
赤い背広を羽織り、中には開けたワイシャツ。
目のやり場に困るが、スラリと長い脚を見せつけるように机に乗せ、しかも口には咥えタバコ……。
教育者の姿か……これが……?
――社会科教師、芥 紅
シャカ……釈迦……社会科ぁ……⁉
「どしたマセガキ。人の脚ばっかじろじろ見てねぇでとっとと自己紹介をしろよ」
誰がマセガキだ!面接官の教師がそんな態度ならそりゃ誰でも見るだろ!
思春期の野郎には些か刺激の強い容姿なのは認めるが……!
全てのツッコミを飲み込み……
「斑鳩第二中学校から参りました。並河千尋です。本日はよろしくお願い致します」
中学で散々やらされた面接練習のお決まりの構文を淡々と述べる。口を開いたのは出っ歯の出場。
「並河くんですね。覚えやすい名だ。どうぞお座り下さい。と言いたい所ですが……」
よし。ここだ。最近覚えた言葉を使おう慇懃無礼な奴だ。
一目で分かる。アンタはそういう奴だ。知らんけど。
座れと言いたいとこだがなんだ?
『あれ?俺、なんかやっちゃいました?』
この台詞。ガチで何もやった覚えが無い時に使う事あるんだな。口には出さなかったが。
――事情はすぐに語られた。
「この後も……ですね?他の子が座りますので、ね? 立ったままで、ね?申し訳ないけど、ね?」
「聞いた話だと君……無能力なんだって?」
出場、阿不呂が順に好き勝手言う。
他の受験生も座る椅子に俺を座らせたくないってよ。
「はぁ。お恥ずかしながら」
俺はなにを言ってるんだ?
自分の人生を恥じた事なんざただの一度もねぇよ。
だが。面接なんてのは所詮、尻尾を振って学校への忠誠を教員たちに示すだけの場。
機嫌を取るためにただ、耐える。
「うんうん。弁えているようで結構です」
「今時、優秀な個体であれば犬猫の類でさえ能力を発現するような時代だよ?」
――ただ、耐える。
心無しか出場も阿不呂も満足そうじゃないか。
芥紅は気怠そうに腕を頭の後ろで組み紫煙を燻らせてる。
「こう言ってはなんだけれど。キミは人間未満……そんな君が我が校でやっていけるか、疑問ではあります」
「まぁ。頭の出来だけは良いみたいだが。学力なんて、アクセサリにしかなりゃせんよ」
怒りと悔しさに俺は握り拳に汗をかく。
力を入れ過ぎて手のひらに爪が刺さってしまいそうだ。
……慣れてるとは思っていたが、やはり辛い物があるな。
芥紅の鋭い視線が俺の握り拳を見つめている。
なんだ? 哀れみか? それとも、蔑んでいるのか?
この際、チリ毛毟って、前歯を叩き折ってやろうか。
後先なんざ知ったことか。もういいよ中卒で。
そんな、自暴自棄が過ぎった……次の瞬間だった。
芥紅の脚が机から降ろされ、代わりに思いっきり腕が振り下ろされ、ガンっ!と乱暴な音が響く。
「はぁぁぁぁ……くっっっそ、だっりぃぃぃ……!」
静寂を破ったのはそんな暴力的な音。そして、フルーツ系の甘い副流煙と共に吐き出された大きなため息。
「あ、芥先生……!面接中ですよ!」
芥紅は出場を横目で睨みつけ、舌打ちを一つ打つ。
「そうか。なら……受験生。アンタが選びな」
すると、俺にある選択肢を提示した。
「出っ歯とアフロの陰湿パワハラおっさんチームか」
頬杖をついて親指で出場と阿不呂を指す。
「態度は最悪でヤニカスだが超美人なお姉さんか。どっちに話を聞いて欲しい?」
態度が悪い自覚も、美人であるという自負も堂々と口にしやがった。しかもお戯れ無しの、割りとマジだ。
終始、静観を貫いていたのが気になる。出場と阿不呂以上の暴言をぶつけてくる可能性だって否定できない。
「正直……選べません」
ってか。選びたくない。
「正直な奴だな。あぁ、この場にマトモな奴なんて居ねぇさ。で?どうすんだ?」
選びたくない。けど……
俺は、第六感とか七感とか、その辺で……。
「そか。ならボサっとしてねぇで座んなよ。面接再開と行こうか」
――芥紅を人差し指で指名していた。
芥紅、改め芥先生は人が変わったように優しげに『そうこなくっちゃ』と言った笑みを浮かべていた。
「芥先生!まずいですよ!」
「また勝手なことを!貴方という人は!」
口々に芥紅を制止しようとする二人。
無能力者がたかだか椅子に座るってだけの事にどんだけ抵抗があんだよコイツらは。バカタレが。
一応、気を使ってやって座る素振りだけをして様子を伺っていると……教室には突如、氷河期が訪れる。
「――黙れよ三下共。弁えるのはアンタ達の方だ」
……芥先生の口から、耳を疑うほど物凄く語気の強い暴言が飛び出すのを目の当たりにしてしまった。
「知ってんだろ?アタシからすりゃ……アンタ達もこの坊やと同じような存在だって」
反論する隙を与えずに芥紅は次の暴言で念を押した。
「……次、アタシの許可なく喋った奴、殺す」
淡々と放たれる物騒な言葉に阿不呂は目を逸らして口笛を吹く、出刃は怒りに肩を震わせるがやはり黙る。
その様がこの場のヒエラルキーを支配しているのが誰かを分かりやすく示していた。
「……返事」
「……ひゃいっっ!」
ニ人が声を揃えて情けなくビビる。喋ったら殺すって言ってたのになんて理不尽……だが、なんだろうな。
モノローグだからハッキリと言うぞ。
――ざまぁみろ……!
「ま。ご覧の通りだ。この学校がこんなアンタを人扱いしないカス共が蔓延る学園なのは分かって貰えたろ。が、一応聞いとく。志望動機は?」
口が悪いな……いや、話聞いてくれるだけマシか。
「はい。本校の個性を尊び望む未来へ導くと言う理念に感銘を受け……」
ペラペラと思ってもいない言葉を並び立てる。
まぁ、二割くらいは本心だ。いや。もっと少ないが。
「つまり……アレだ。アンタはその、自分の無能力を個性と捉えてる訳だ。ほーう」
――自惚れるな。
そう言いたいか?なんとなく分かるよ。
「……かっけぇじゃん。んで?アンタはそれを活かしてどんな事がしたい?何を成す?」
まるで予想していなかった返えしに目を見開く。
こんな投げやりでありながらも寄り添った質問は面接練習でさえされなかった。
この人もどうせ俺を見下してんだろうな、なんて考えるのは浅はかだった。
芥紅の笑顔と声色から俺はこの人が嫌味なんて何一つ言っていない事を悟った。
――この人は俺と、向き合おうとしてくれている。
「アンタはこれからも傷つき疲れ果てて俯いて、自分の起承転結すべてを恨んで、呪っちまうかも知んねえ」
大袈裟じゃない。脅しでもない。
事実、面接の段階でもう既にやめたくなりつつある。
「……それでもだ。ウチに入りたい理由、あんの?」
正直……そんな物は無い。
せいぜい義務教育が終わったから。
だが。そんな事は俺の理由じゃない。
こと日本における子供が半強制される了解だ。
だから、なんか言え……!
「……動物以下でもいい」
……これ、俺の声か?
こんな切実な感情、乗せられたのか?
「ニンゲンじゃなくても良い。俺は俺を……並河千尋を生きる、並河千尋としてそれを成します!」
土壇場で出た言葉は面接の質疑応答にはまるで不相応だった。
けど良いだろ。貼り付けられたお利口な言葉で、この人を納得するとは思えない。
……沈黙が俺の緊張や高揚を僅かな焦燥と羞恥に変えた。だよな。
末尾に『変身!』と付け加えてもおかしくないくらい、芝居がかったこと言ったし……。
今すぐ走って出ていきたい。
そんなヘタレが顔を出し始めたが、俺は先生を見た。
……芥先生は笑うこともドン引きさえしてなかった。
ポケットから黒の携帯用灰皿を取り出しタバコを消し、ただの一言。
「ほう……おもしれぇ」
だん!と、机を叩いた出場が口パクで芥先生へ懸命に何かを伝えようとしている。
俺に読唇術の技術は無いが、それでもハッキリと何を言っているのか聞こえてくるようだった。
『面白いもんですか!この様な社会から逸脱した欠陥品を我が校に招くなど、品格が……秩序が……』
遮るような芥先生の眼力はいとも簡単に出場を黙らせる。まぁ、元から黙ってはいるんだがな。
そうだぞ。勝手に喋ったら殺されるんだぞ?学んだじゃねぇか。偉いぞ。
虎の威を借る狐……いや。狐以下なんだっけか?
ま、関係ない。俺にとってこの面接は既に1on1。
「アンタの思い描いている様な場所とは遠くかけ離れてるかも知れんぞ?」
汗を握りしめ、次の言葉を聞く。
「心折れてただの口だけの奴に成り下がるかも知れない。それでも構わんのか?これは脅しじゃない。試しだ」
……俺はハナから余り好ましい結果を得られないだろうとタカを括っていた。
だから、思った事を包み隠さず吐き出して敢えて、反抗心を見せてやろうとしていた。
「約束は出来ません。内定を頂けた暁にはそれを実現できるよう最善を尽くします。ただ……」
「ただ……なんだ?」
拒絶する気マンマンの三下も。俺の意思を汲み取ろうとしている芥先生も俺の忠誠心なんざ要らんのだろう。
この際だ。言ってやるよ。
傲慢だろうが図々しかろうが、言ってやる。
「俺が最善を尽くせるよう働きかけて頂く事が……貴方の、教師の役割なんじゃないっすか?」
「それだと試しなんかじゃなく……職務放棄の宣言、ですよね?」
ずっと鋭く細められていた芥先生の目が大きく開かれる。
口からタバコがぽとっと落ちて『やべ』と掌でカスを落とす。
「ああ……君、なんて事を……!」
よほど舐めた口を効いてしまったらしく、他の教師も驚愕の表情を隠せずに居た。
女性らしい細い腕から強烈なグーが飛んでくるのか。
それともセクシーなお御脚から蹴りが飛んでくるのか。
どっちをされても俺の首は一回転くらいするだろう。
「……お前」
殺意の籠もった声が響く。俺は瞳を閉じ、天を仰ぎ見る。思えばそう悪くもない人生だったかも知れない。
エンマ大王はどう思うだろう。美人なヤンキー教師の強烈な一撃で死亡、なんて聞いて。
哀れんで天国行きにしてくれるのか。嘲笑って地獄行きにするか。
うん。大袈裟だな。流石に暴力は飛んでこんだろ。
……ブチギレは必至と覚悟していた俺にとって、意外過ぎる反応が帰って来た。
「ぷっ……」
――吹き出した。そう。笑いだしたのだ。
「はは!ははは……っ!いや……いてーとこ突くじゃん!まったくもってその通りだよ!頭いーじゃん!」
「は、はは……滅相も無いです……」
むりやり愛想笑いをして合わせる。
おふざけ抜きに言った言葉が何故かツボにハマってしまったらしい。目尻に涙が溜まっているのが分かる。
流石に大人。切り替えはしっかりとしていた。
ふぅ、と一息ついて涙を拭うと携帯用灰皿で火を消しながら真面目なトーンへと戻る。
「……面接は以上だ、帰って良いぞ。合否は追って連絡する。帰り道、気ぃつけてな」
「はい!本日はありがとうございました!」
俺の確信していたなにか。それは、瞼を閉じてぶっきらぼうに手を振る彼女が伝えようとしたメッセージ。
声や言葉に出力こそされていなかったが、俺には確かに伝わった。わざわざ生意気な口なんて聞かなくても最初から伝えようとしていてくれようとしていた言葉。
*
「もう喋って良いぞ」
「芥先生!まさか……合格なんて言い出すじゃないでしょうねぇ!」
「あ?なんか問題あんのかよ?あの子の何が気に食わなかったんだ?」
「成績や素行など関係ないのです!無能力者なんて受け入れた日には我が校は混乱と恐怖に……」
「ガキ1人で、か?大の大人が笑わせるじゃねぇか」
「そのガキ一人が問題なのです!今じゃ、国際的にも恐怖の象徴のような存在の一人なのですよ!?」
「しつけぇな。わぁーったよ。んじゃ、あの子はアタシが面倒見る。それで手を打てよ」
「いくら貴方と言えどこればかりは……!」
「ならこうしようぜ?アンタらが懸念してるような自体に陥った時……」
――そん時ゃクビでも腹でも斬ってやるよ。それでいいだろ?
〜〜〜〜〜〜
そのメッセージは……
……俺は何も心配をするな。って事らしい。




