対処
『1995年6月5日、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件という国難への対策が示された。旭日尊皇党の閣外協力により、阪神・淡路大震災の復興予算は総額約22兆円が編成された。
村山富市総理の断固とした措置である、[ただちに復興、金に糸目はつけない、2年計画でやる]という決意によるものだった。2月25日には既に帝国議会衆議院貴族院では、激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律に基づく激甚災害に、阪神・淡路大震災は指定されていた。
地方自治は内務省所管であり、中央の強力な指揮系統に置かれている事による大日本帝国独特の形態だからこそ行われるものだった。
地下鉄サリン事件に対する措置も教祖以下幹部陣を軒並み逮捕した事により、カルト宗教は壊滅状態になっていた。そして戒厳令下にある事から教祖以下幹部陣は国家反逆罪が適応され全員が即日死刑とされた。
これにより危機対応が一応落ち着いた事から、旭日尊皇党橋本龍太郎総裁は政局の主導権を取り戻すために、村山富市総理に帝国議会衆議院の解散を要求した。国民世論も自然災害と無差別テロの不運が重なったが、とはいえ立憲政治同盟の政権運営能力に批判を強めており政党支持率と政権支持率は急落していた。
村山富市総理は政府与党連絡会議に於いて、1995年6月10日に帝国議会衆議院を解散し、1995年6月11日に公示、1995年6月30日に投開票を提示した。立憲政治同盟土井たか子党首以下党幹部はそれを了承し、村山富市総理は帝国議会衆議院で旭日尊皇党橋本龍太郎総裁に衆議院解散を通知したのである。
これを受けて大日本帝国は再び、選挙戦を迎える事になった。今度は完全に旭日尊皇党に風が吹いていた。橋本龍太郎総裁が応援演説に行くと、周辺を埋め尽くす程の聴衆が駆け付けた。特に阪神・淡路大震災で被災した地域では、旭日尊皇党への支持率は驚異的なものになり、神戸や姫路等へ橋本龍太郎総裁が応援演説に行くと身動きが出来ない程に聴衆が駆け付けた。これは[橋龍人気]と言われるほどの国民的人気を見せ付けて、旭日尊皇党は驚異的な勢いで支持率を高めた。
もはや手遅れだった。立憲政治同盟の候補者による演説は閑古鳥が鳴いており、寧ろそれなら良かった程であった。罵声を浴びせられるのは普通で、酷いと空き缶等が投げつけられる有り様だったのである。
支持率が低い事による有り様だったが、どう考えても政権与党の選挙戦では無かった。あまりにも酷い為に橋本龍太郎総裁以下、旭日尊皇党が公式表明として民主主義の根幹に関わるとして、節度ある行動を求めるように呼び掛ける程であった。
これにより1995年6月30日に投開票された第41回帝国議会衆議院議員総選挙は、帝国議会衆議院定数500議席の内旭日尊皇党が380議席を獲得する大勝利を果たした。立憲政治同盟は70議席まで落ち込み、壊滅的な歴史的大敗をしたのである。土井たか子党首や村山富市総理も落選し、閣僚では1人しか当選していないという有り様だった。
これを受けて土井たか子は党首を辞任すると発表し、村山富市総理は1995年7月2日に臨時国会を招集し翌日に内閣総辞職をして首班指名選挙を行うと発表し、最後に潔さを出した。
一方の旭日尊皇党本部はお祭り騒ぎだった。何せ大日本帝国憲政史上最大の獲得議席だったのである。立憲政治同盟が醜態を晒したとはいえ、あまりにも巨大な政権与党の誕生だった。
そして1995年7月3日に村山富市内閣は総辞職し、首班指名選挙では帝国議会衆議院貴族院両院で、旭日尊皇党橋本龍太郎総裁が内閣総理大臣に指名された。こうして即日に橋本龍太郎政権が成立し、大日本帝国は再び政治的安定を取り戻したのである。
超大国になった直後に国内が一時的に揺れたが、すぐに伝統的な与党が大勝して安定を取り戻した事により、大東亜共栄圏加盟国と世界は安堵した。
そして1995年7月4日の帝国議会衆議院での所信表明演説で橋本龍太郎総理は、外交に於いて3本柱で構成すると明言した。まずは[超大国の責任ある平和主義]だった。軍事力を背景にしつつも、軍縮後の世界秩序を維持・管理する立場を取ると明言した。 [力による平和]のみならず、[力と秩序による平和]を標榜するとしたのだ。
次が石油危機による痼が残る[大東亜共栄圏の結束強化と拡大]だった。加盟国との関係をさらに深化させ、経済・安全保障両面で大東亜共栄圏内統合を更に強力に推し進めて行くとした。
最後が西側諸国(特にヨーロッパ連合・アメリカ合衆国)との[安定的関係構築]だった。冷戦終結後の和解を定着させ、経済関係を中心に関係を安定させるのが目的だった。
所信表明演説での橋本龍太郎総理の外交方針は帝国議会のみならず、国民世論からも支持される事になった。世論調査では橋本龍太郎政権の支持率は80%となり、橋本龍太郎総理は民意を背景に強力な指導力を発揮した。翌日の初閣議で橋本龍太郎総理は具体的な政策内容を閣議決定する事に成功していた。
対ヨーロッパ連合は
コール大統領との関係を継続・強化。
経済協定をさらに進め、技術協力(ただし軍事・宇宙関連は制限継続)を拡大。
東西の和解を象徴する定期首脳協議の制度化。
対アメリカ合衆国は
冷戦期の対立構造を完全に解消。
貿易摩擦の緩和と、太平洋地域での一定の協力関係を模索。
ただしアメリカの軍事的復活を警戒し、海軍力の優位は堅持。
対南米(特にブラジル)は
ブラジル連邦共和国駐留を地域の安定と麻薬対策の名目で正当化・強化(これが後の麻薬カルテルとの戦いの外交的・軍事的布石になった)
南米諸国に対しては経済援助を拡大し、大日本帝国の影響力を定着させる。
対大東亜共栄圏は
加盟国への技術・経済支援を積極化。
大東亜共栄圏共通の安全保障枠組みを強化(集団的自衛の運用を円滑に)。
地球規模化の中で大東亜共栄圏を一つの巨大な経済圏として位置づける。
というものだった。
後世に生きる私から見た全般的な特徴は、橋本龍太郎総理自身のイメージ(実務的・改革志向・強いリーダーシップ)を活かし、決断する外交を強調していた。更に立憲政治同盟政権により不安定化した、国内の安定を背景に積極的に海外へ出ていく姿勢が出ていた。
とはいえ決して軍事力を前面に出しすぎず、経済力と秩序維持能力で超大国の地位を示すという、冷戦終結後の新たな影響力の行使が橋本龍太郎総理により示された瞬間だった。
こうして橋本龍太郎総理は強力な指導力を発揮して、各国との外交を開始した。
大東亜共栄圏総会にて橋本龍太郎総理は加盟国への技術・経済支援は強力に推し進めていく事を断言し、各国との関わりはかつて無い程に深化する事になった。その後橋本龍太郎総理はヨーロッパ連合を訪問する為に、スイスを訪問した。東西冷戦終結による雪解けを象徴する、ヨーロッパ連合とスイスの鉄道連結式に参加し鉄道によってヨーロッパ連合訪問を行う為であった。
ところが外交儀礼に反し、思わぬ客人が待ち受けていた。アメリカ合衆国の通商代表であった。アメリカ合衆国通商代表は橋本龍太郎総理を調査し、竹刀を手土産として持参していた。
アメリカ合衆国通商代表は橋本龍太郎総理が発表した安定的関係構築により、日米貿易摩擦を解消する事を目的としていた。東西冷戦終結により大日本帝国とアメリカ合衆国は貿易を開始していたが、大日本帝国製品の濁流はアメリカ合衆国市場を席巻しアメリカ合衆国の製造業は壊滅的打撃を受けていた。
アメリカ合衆国は[日米貿易摩擦]として事態を憂慮しており、橋本龍太郎総理の安定的関係構築発表に期待していた。橋本龍太郎総理はヨーロッパ連合訪問後にアメリカ合衆国訪問の予定であったが、アメリカ合衆国通商代表がジュネーブの橋本龍太郎総理に押し掛けたのである。だが橋本龍太郎総理は「アメリカの締め切りというものには、我々は関知するものでは無い。」と記者団の前で一刀両断し、竹刀も受け取らなかった。そして更に「大人しく、ワシントンで待っていたら良い。」と言い捨てアメリカ合衆国通商代表を置いていったのである。
テレビカメラには顔色が悪化するアメリカ合衆国通商代表の様子が克明に記録されており、アメリカ合衆国の外交儀礼の欠如と傍若無人ぶりが顕になり橋本龍太郎総理の毅然とした態度が称賛された。
事態を憂慮したアメリカ合衆国は即座に通商代表を解任し、大統領や連邦議会が必死に釈明し橋本龍太郎総理の機嫌を治そうとした。だがそれは世界的には逆効果になった。通商代表の解任がトカゲの尻尾切りでは無かったのかと思われたのである。橋本龍太郎総理は帝国情報保安局を利用して、アメリカ合衆国の真意を探った。
するとまさにトカゲの尻尾切りであった事が判明したのである。アメリカ合衆国は何とかして大日本帝国に貿易不均衡の是正措置を採ってもらう為に、通商代表が責任者となり橋本龍太郎総理を調べて竹刀を手土産にすると決定したのであった。
だが通商代表が先走り、ジュネーブにいる橋本龍太郎総理に押し掛けてしまった。
外交儀礼に欠く行為であり、弁明の余地は無い失態だった。しかも通商代表は自国の身勝手な締め切りを示して、日米貿易摩擦の解消を求めたのである。それを橋本龍太郎総理は毅然とした態度で、切り捨てたのであった。
アメリカ合衆国の失態にトカゲの尻尾切りとされた通商代表であるが、橋本龍太郎総理の毅然とした態度は大日本帝国世論と大東亜共栄圏世論を歓喜させた。[アメリカ合衆国に否を突き付けた男]と新聞各紙は一面に書き立てた。
この一件はアメリカ合衆国の威信を更に落とす事になった。東西冷戦を通しても大日本帝国は強大な海軍と空軍により太平洋岸からアメリカ合衆国を封じ込めており、端的に言えば相手にしていなかった。その中で東西冷戦終結後にアメリカ合衆国は大日本帝国に、完全に相手にされない扱いを受けたのである。これによりアメリカ合衆国世論は連邦政府の無能さを批判した。
そしてそれはその後橋本龍太郎総理がヨーロッパ連合とは経済協力や支援に合意したにも関わらず、アメリカ合衆国訪問では汎ゆる協力を拒否し全てを現状維持とするとした。アメリカ合衆国大統領は「そうなると我が国の産業は壊滅状態になってしまう」と懇願したが、橋本龍太郎総理は「それはアメリカ合衆国の産業が我が国以下の技術しか無いという自業自得である」と断言した。そして共同記者会見も無く、橋本龍太郎総理は帰国したのである。
これが今になって思えば、アメリカ合衆国が麻薬カルテルを支援する理由になったのでは無いかと思っている。
その後1995年11月11日、大日本帝国沖縄県嘉手納宇宙基地にて橋本龍太郎総理が直々に出席しての発表会が行われた。科学技術宇宙省外局で世界最大の宇宙組織である、宇宙開発事業団が遂に実用化した往還宇宙船[天翔]が御披露目されたのである。
だが世界は往還宇宙船天翔も然ることながら、嘉手納宇宙基地についても驚いた。従来までも嘉手納宇宙基地は大日本帝国のみならず、世界最大の宇宙基地であったが嘉手納宇宙基地は東西10キロ・南北3キロと、西部は東シナ海に面した海岸線まで広がる宇宙基地に拡大していたのだ
主要な施設構成はまずは打ち上げ台だった。ロケット打ち上げ台は15基が設置されており、K-1ロケットの改良型であるK-3ロケットの連続打ち上げが可能だった。そして大型組み立て・整備建屋が併設されており、K-3ロケットを横置き・縦置きで扱える巨大施設となっていた。当然ながら燃料貯蔵・供給施設もあり、液体水素・液体酸素・その他推進剤の大規模タンク群が設置されていた。
管制運用施設もあり宇宙飛行管制場は、中央管制室・軌道基地きぼう通信追尾専用施設・気象海洋観測施設が併設されており、打ち上げ判断から打ち上げ・任務遂行を24時間体制で管制可能だった。
研究開発・支援施設もありエンジン燃焼試験や再突入耐熱試験設備などを有する宇宙機開発試験施設、無重力訓練・再突入演算・船外活動訓練を行う宇宙飛行士訓練場があり、部品補給物資の大規模倉庫群もあった。
巨大な宇宙基地であり人員生活関連も充実しており、宇宙飛行士宿舎・訓練員宿舎、技術者・作業員向け居住区、医療施設、基地内専用路面電車や大型車両用道路等の基地内移動手段も豊富に整備されていた。
世界最先端の宇宙開発組織の本拠地であるだけに、防衛保安体制も盤石だった。陸軍は専門の警備部隊を展開させ、嘉手納宇宙基地一帯の空域は制限空域に指定され空軍機が常に戦闘哨戒飛行を行っており、海軍の海防艦と海上保安庁の巡視船が嘉手納宇宙基地西部の東シナ海海面を常時哨戒していた。当然ながら厳重な保安検査出入管理も行われていた。
物資やK-3ロケットの搬入には嘉手納宇宙基地西部の東シナ海に面する、港湾施設が併設されていた。大型船が接岸可能であり、重量物の海上輸送が毎日のように行われていた。大型滑走路や見学・広報施設も併設されていた。
世界最大の嘉手納宇宙基地はその東西の巨大化から、地元沖縄県民の交通対策として嘉手納宇宙基地の南北を地下で貫通する形で、道路と鉄道を新設していた。道路は道路公団が、鉄道は国鉄がそれぞれ担当して建設したのである。これにより基地の広大な敷地が東西に広がっていても、県民の南北方向の移動が分断されないようにしたのだ。
そして目玉となる往還宇宙船天翔専は、嘉手納宇宙基地中央部にある専用射出場に設置されていた。
往還宇宙船天翔は全長68メートル、全幅49メートル、最大搭載量38500キロを誇る規模であった。大日本帝国の技術力と国力で[内部燃料タンク式で完全再利用可能]という世界で唯一無二の往還宇宙船であった。離陸時の燃料節約として蒸気カタパルト8基を並列設置した専用射出場を設け、その蒸気カタパルトから射出されエンジンを始動し初期加速を行う。
エンジンは液体水素・液体酸素を用いた高性能ロケットエンジンに大気吸入エンジン(スクラムジェット的な補助)を組み合わせたハイブリッドエンジンを合計12基搭載していた。
燃料タンクは全て機体に内蔵し、大気圏離脱後に軌道基地きぼうに到達する。きぼうでは燃料物資補給や人員乗り換えを行う。再突入対策として耐熱タイルで機体全体を保護しており逆噴射で減速後、嘉手納宇宙基地の滑走路に着陸する事が可能だった。
機体・エンジン・主要構造を完全に再利用可能であり、整備後短期間で再打ち上げ可能という費用対効果も万全な機体だった。この往還宇宙船天翔の実用化により従来のK-3ロケットは、軌道基地きぼうへの燃料物資補給用にされた。そして往還宇宙船天翔は軌道基地きぼうで燃料物資補給後に、月まで飛行し月面都市建設を行うと、橋本龍太郎総理は世界に発表したのである。
そして橋本龍太郎総理の演説が終わると、往還宇宙船天翔は軌道基地きぼうへの射出が行われた。蒸気カタパルト8基の並列配置による圧巻の射出光景は、世界中に生中継され往還宇宙船天翔は射出された。
そして射出された往還宇宙船天翔はエンジンに点火し、軌道基地きぼうに接近し結合。大日本帝国は宇宙開発に於いて、新たな偉業を記したのであった。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




