蠢く組織
『大日本帝国が橋本龍太郎総理の就任により、政治的安定性を取り戻した時期。大日本帝国の政治的、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件による混乱の間断を突くように、南米大陸では大日本帝国の脅威になる組織が誕生していた。
それこそが[サザンクロスカルテル]であった。名称の由来は古くはブラジル帝国皇帝ペドロ1世が署名に添えることもあった南十字星から採用されている。南米の象徴として[南米の主権と自由]を標榜し、更に[大日本帝国の旭日に対抗する]という意図を込めている。
起源は南米戦争終結後の混乱期にあった。コロンビア共和国という南米最大の軍事国家が壊滅状態になったが、それは正規軍による影響力が南米全域で一時的に空白状態になる事を意味していた。そこに決定的な転機として大日本帝国軍のブラジル駐留が本格化したことにあった。
「異質な超大国が南米の利権を奪いに来た」という共通認識が南米で暗躍する麻薬カルテルに生まれ、反大日本帝国を明確に掲げてコロンビア共和国・ペルー共和国・ボリビア共和国の有力組織が連合して誕生し、更に南米全域で大規模に統合再編されたのがサザンクロスカルテルであった。
それは大日本帝国が政争による混乱と、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件への対応に追われ、政治的に一時空白状態だった間隙を突いて大同団結し、南米全域への影響力を急速に拡大していた。
性格は純粋な主義思想組織では無く、[利権防衛+反大日本帝国]を掲げた巨大犯罪組織だった。宗教的要素は皆無であり、「南米の主権と自由」を標語に用いている。組織構造は最高指導部が存在し連合した各組織の首領数名による合議制であった。公平性を重視し、毎月1名が最高指導者を輪番で務めている。
地域支部はコロンビア共和国、ペルー共和国、ボリビア共和国、ブラジル連邦共和国、メキシコ合衆国を中心に展開し南米全域に及びアフリカやアジアにも資金洗浄・密輸路を持っている。 武装部門は強力な人類史上犯罪組織として最大の私兵集団を保有していた。旧ヨーロッパ共同体製の兵器や南米戦争で流出した装備を大量に保有し、人員は旧ヨーロッパ共同体の退役軍人や、南米各国の軍・警察からの引き抜きからも構成されていた。
資金源はコカイン・ヘロインを中心とした麻薬取引であり、年間売上は数千億円規模を誇っていた。その為にサザンクロスカルテルは統合前の麻薬カルテルの人脈も引き継いでいた事もあり、南米各国の政治・軍・警察への浸透が深く、買収による影響力を保持していた。
そしてこれが1993年の南米戦争終結から僅か2年の出来事だったのである。サザンクロスカルテルは短期間で組織を連合し、南米全域を支配下に置く犯罪組織に発展した。そして麻薬取引による圧倒的な資金力により、サザンクロスカルテルは本格的な国際テロ組織へと変貌していく事になった。
それは「大日本帝国は南米を支配し、腐敗した政権を支えている蛇の頭だ」という認識を強めていった。そしてサザンクロスカルテルがその名を世界に轟かせたのが、1996年2月26日の[世界貿易中央ビル爆破事件]であった。のちに2001年の「9.11同時多発テロ」で崩壊することになる大日本帝国大阪府の世界貿易中央ビルの北棟の地下駐車場で、1996年2月26日の昼過ぎ(午後0時17分頃)に発生したサザンクロスカルテルによる自動車爆弾テロ事件であった。
犯人達は約600キロの爆発物を積んだ借用車を地下2階の駐車場に止めた。この爆発によって地下のコンクリートの床を数層分も吹き飛ばす巨大な穴(幅約30m)が開き、6人が死亡し、1000人以上が負傷(主に避難時の煙の吸引などによる)したのである。 主謀者であるサザンクロスカルテルの意図は、[爆破によって北棟を隣の南棟に倒れ込ませ、両方の超高層ビルを完全に崩壊させて数万人の命を奪うこと]だった。しかしビルの強度が想定より高く、倒壊までは至らなかったのである。
だがこの攻撃は大日本帝国を震撼させた。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件に続いて、まさかの事態が発生したのだ。当初は不慮の事故と思われたが、爆発の規模が尋常では無かった。橋本龍太郎総理は一報を聞くと直感で事故では無いと判断し、首相官邸に対策本部を設置した。
そして内務省警保局により大規模な捜査が行われ、現場に残された車の残骸(車台番号)から車両を特定した。犯人の一人が、借用車の返却時に「車が盗まれた」と嘘をついて保証金の返還を求めに行った足取りを追跡し、容疑者を特定逮捕することに成功したのである。
首謀者は事件直後に海外へ逃亡したが、翌月にはブラジル連邦共和国で身柄を拘束され、大日本帝国に移送されて死刑が言い渡された。大日本帝国本土、それも経済の象徴である世界貿易中央ビルが大規模なテロ攻撃を受けたのはこれが初めてであり、当時の大日本帝国に計り知れない衝撃を与えた。
この時点ではビルを倒すことには失敗したが、「いつか彼らは再び同じビルを、今度こそ完全に崩壊させる手段で戻ってくる」という、6年後の2001年9.11同時多発テロを不気味に予兆させる最初の重大な事件として歴史に刻まれている。
そして大日本帝国中にサザンクロスカルテルの名が轟く切っ掛けになり、大日本帝国軍を筆頭に各種諜報機関と内務省警保局が、サザンクロスカルテルを国際テロ組織に指定する事になった。特に橋本龍太郎総理は閣議に於いて、サザンクロスカルテルの実態解明を命令しその組織の全貌を掴むように厳命したのである。
サザンクロスカルテルは大東亜共栄圏加盟国にも知れ渡り、大日本帝国と同じように国際テロ組織に指定した。更に大日本帝国は南米での治安回復を優先する事を決定した。それは当面は直接的な軍事行動を行うのでは無く、ブラジル連邦共和国駐留ブラジル派遣軍(2個方面軍12個師団:機械化歩兵師団8個、機甲師団4個約24万人)及び支援部隊の合計約26万人を主力にし、ブラジル連邦共和国軍の軍事指導を行うものだった。
海軍連合艦隊も第4艦隊(司令部:ガイアナ共和国ジョージタウン軍港)を利用して、南米各国への海軍訓練に注力した。更に世界初の民間軍事会社となる旭日警備保障株式会社に対して国防省が直々に命令し、南米各国への軍事指導を行う事になった。というより寧ろ軍事指導は旭日警備保障株式会社が主力となり、陸軍のブラジル連邦共和国駐留ブラジル派遣軍は本来の防衛任務に注力する事になり、役割分担が果たされた。
そんな中で1997年2月4日サザンクロスカルテルは
[テラ・デ・サンタ・クルス(Terra de Santa Cruz=聖十字架の地)宣言]を発し、大日本帝国軍の南米大陸からの撤退を要求したのである。これによりサザンクロスカルテルと大日本帝国の対立構造は決定的になった。
橋本龍太郎総理は、国際テロ組織であるサザンクロスカルテルの一方的な要求に屈する事は無い、と帝国議会に於いて断言した。その断固とした決意は、国民世論の支持を集めた。大東亜共栄圏加盟国も大日本帝国への揺るぎ無い支持を表明した。東側諸国も同じように大日本帝国を支持すると表明した。
その中で世界が東西冷戦終結を再認識したのは、ヨーロッパ連合が大日本帝国の支持を表明した事であった。西側諸国も同じく大日本帝国の支持を表明したが、アメリカ合衆国だけは大日本帝国との貿易摩擦から沈黙を続けた。
世界的にサザンクロスカルテルへの反発が強まるが、当事者であるサザンクロスカルテルは南米大陸全域に深く根ざした組織となっており、その規模は一切の弱体化は無く寧ろ爆破事件により規模は拡大していた。
そして1998年2月、「日本人と大日本帝国軍に対する戦いの為の南米独立戦線」を結成し、日本人を民間人・軍人問わず殺すことを全サザンクロスカルテルに義務づける、第二次テラ・デ・サンタ・クルス宣言を出した。そして同年8月、アルゼンチン共和国とパラグアイ共和国の大日本帝国大使館同時爆破事件をサザンクロスカルテルは実行した。これにより合計224人が死亡し、サザンクロスカルテルの存在を更に世界に知らしめる事になった。
この事態に橋本龍太郎総理は即座に報復を決定した。未だにサザンクロスカルテルの全貌は掴めていなかったが、ボリビア共和国で掴んだサザンクロスカルテルの化学兵器工場と訓練場へ太平洋に展開する海軍連合艦隊空母打撃群が巡航ミサイルを発射し、目標を完全に破壊した。
そして内務省警保局によって実行犯の一人である元陸軍兵を逮捕した。元陸軍兵は大使館を偵察しており、彼がサザンクロスカルテルの最高指導部と共に作戦会議を行ったと証言したため、これを根拠として11月4日にサザンクロスカルテル最高指導部を起訴した。
そして1999年11月15日には大東亜共栄圏特別総会に於いて決議1267が採択され、南米各国に対してサザンクロスカルテル最高指導部とその関係者の逮捕と引き渡しが求められた。南米各国に跨る国際テロ組織である為にこのような決議となったが、南米各国もサザンクロスカルテルの全貌は掴めていなかった為に全く実効性の無い決議となってしまったのである。
この大日本帝国の大東亜共栄圏を巻き込んだ一連の行動は、サザンクロスカルテルを更なる凶行に走らせる切っ掛けになった。サザンクロスカルテルは大日本帝国陸軍が駐留するブラジル連邦共和国と、大日本帝国海軍が駐留するガイアナ共和国以外で一斉に政府転覆を狙った大規模蜂起を行ったのだ。その規模は大日本帝国以下世界の想定を遥かに上回る大規模なものになった。
何せサザンクロスカルテルは統合前の麻薬カルテルの人脈も引き継いでいた事もあり、南米各国の政治・軍・警察への浸透が深く、買収による影響力を保持していた事もあり各国の政府・軍・警察は一気に瓦解した。
何せ指示を出すべき政府、国防と治安維持の軍・警察の全てで、サザンクロスカルテルに買収されていた者が動いたのだ。反対する者は物理的に排除され、サザンクロスカルテルの傀儡政権が各国で成立した。異常事態であった。
南米大陸はブラジル連邦共和国とガイアナ共和国以外が、事実上サザンクロスカルテルの軍門に降ったのである。これは恐るべき事態だった。犯罪組織が南米大陸を制圧したようなものであった。橋本龍太郎総理は緊急閣議に於いて、南米大陸での非常事態を宣言した。
外務省は即座に南米大陸への渡航禁止命令を出し、国防省はブラジル連邦共和国とガイアナ共和国に駐留する大日本帝国軍に対して第四種警戒体制を発令した。大日本帝国国防省が規定する警戒体制は五段階となり、第一種警戒体制は戦時状態、第二種警戒体制は準戦時状態、第三種警戒体制は通常より高度な防衛体制、第四種警戒体制は情報収集の強化と即応態勢の上昇(冷戦中は空軍の戦略爆撃機と大陸間弾道弾運用部隊は常にこの状態だった)、第五種警戒体制は平時状態である。その中でブラジル連邦共和国とガイアナ共和国に駐留する大日本帝国軍に、情報収集の強化と即応態勢の上昇を意味する第四種警戒体制が発令されたのである。
国防省の特殊会社である旭日警備保障株式会社にも、情報収集の強化と即応態勢の上昇を命令し軍人と警備員共に単独での外出が禁止された。そしてブラジル連邦共和国とガイアナ共和国に橋本龍太郎総理は特使を派遣し、現時点では国内の治安維持に最優先で取り組むべきだと進言した。それには両国も賛同した。だがブラジル連邦共和国とガイアナ共和国にもサザンクロスカルテルは深く潜り込んでおり、政府要人や庁舎への爆弾テロが頻発した。
大日本帝国も治安対策に協力していたが2000年10月12日、ガイアナ共和国ジョージタウン軍港駐留の大日本帝国海軍連合艦隊第4艦隊八咫鏡駆逐艦島風級松風に小型ボートが艦の左舷に接近し、爆発した。爆発によって左舷に12x18メートルの破孔が生じ、艦は大きく損傷した。これにより大量の浸水が発生し、応急処置の努力によりその日の晩までに機関部への浸水を食い止めることに成功したが、完全に浸水を止めるには3日間を要した。浸水を食い止めた後に潜水士が船体を検査したが、竜骨の損傷は認められなかった。
爆弾攻撃は2名のテロリストによって行われた。彼らはサザンクロスカルテルの構成員であった。もとはサザンクロスカルテルは同年1月3日に同じジョージタウン軍港で八咫鏡駆逐艦島風級を同様の爆弾攻撃で撃沈する予定であったが、ボートに搭載した爆薬の量が多すぎて失敗していた。その為ボリビア共和国で1月5日から極秘裏に行われた会議で改めて計画が策定された。
攻撃は、ガラス繊維強化プラスチック製の小型ボートを用い、被害の規模から算定されたところでは約180キロから320キロの爆薬を搭載しており、爆薬は成形炸薬として加工されていたと推定されている。この爆弾攻撃により17名の水兵が死亡し、39名が爆風で負傷した。負傷者はブラジル連邦共和国の空軍基地にある戦域医療拠点に搬送され、その後本国へ帰還した。
八咫鏡駆逐艦島風級松風はその後重量物運搬船によってジョージタウン軍港から搬送された。艦は2000年12月24日に大日本帝国広島県呉の、IHI呉造船所に到着して大規模修理が施され、2003年に復帰した。
この大日本帝国海軍連合艦隊の艦艇を直接狙った攻撃は、世界に衝撃を与えた。それは大日本帝国海軍連合艦隊に直接打撃を与えたのが国際テロ組織であり、ボートに爆弾を満載して遠隔操作を行い突撃させた攻撃であったのだ。
海軍連合艦隊はこの攻撃以後各艦艇に高性能20ミリ機関砲以外に、13ミリ重機関銃を両舷に4基新たに増設して小型ボートに対する防衛策を講じたのである。
そして大日本帝国は橋本龍太郎総理がサザンクロスカルテルに対する圧力を強化する事を決定した。何せ海軍連合艦隊の艦艇が直接被害を受けるのは、第二次世界大戦以来の出来事だったのである。しかも正規軍相手にでは無く、国際テロ組織によるボートに満載した爆弾で被害を受けたのだ。
大日本帝国は連日橋本龍太郎総理が各種会議を主催して協議を行った。大東亜共栄圏加盟国にも個別や、総会等をかなりの頻度で協議を行っていた。そんな中で2001年6月4日夜に橋本龍太郎総理は腹痛を訴えて緊急入院した。翌日大腸のほとんどと小腸の一部を切除する手術を受けたが、その後も入院する事になった。 そして7月1日午後2時帝都東京都新宿区の国立国際医療拠点で腸管虚血を原因とする敗血症性ショックによる多臓器不全 のため死去した。
7月3日には葬儀・告別式が帝都東京都千代田区北の丸公園2-3にある帝国武道館にて、国葬が執り行われた。陸軍による儀仗、堵列および弔砲が捧げられた。
死因である腸管虚血は原因がよく分からないこともあり、死後病院側の意向により、遺体は病理解剖に付された。ただし彼が日常的に葉巻やたばこ、パイプやキセルなどを好んでたくさん吸っていたことから、血液の循環に支障が出たのではないかと言われている。
これにより大日本帝国は現職総理の急死により、早期の後任を決める為に旭日尊皇党は総裁選を実施する事になった。こうして大日本帝国はサザンクロスカルテルへの対処に一時的に優先度を低下せざるを得なかった。
だがサザンクロスカルテルはボリビア共和国の訓練キャンプで次なる大規模テロの実行犯を選定し訓練を行っていたのである。
その実施日は2001年9月11日であった。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




