東西冷戦幕開け
1947年、大日本帝国が高度経済成長期の幕開けを迎え、帝都東京を中心に近代的な高層ビルが林立し、国民生活が目覚ましく向上しつつあった頃、フランス共和国とオランダ王国は深刻な危機感を抱いていた。
フランス共和国とオランダ王国は、第二次世界大戦終結後もヨーロッパ全域に及ぶ占領地域の統治維持と、自国本土の荒廃からの復興に追われていた。大日本帝国の大規模軍縮に追従する形で自らも軍縮と民需喚起を進めたものの、戦災の傷跡は深く、復興のペースは極めて遅かった。失われた植民地と資源の枯渇、加えて大日本帝国の経済的台頭は、彼らにとって深刻な脅威として認識されるようになった。
こうした状況の下、フランス共和国とオランダ王国政府は度重なる極秘協議を重ねた末、1947年1月11日、世界を震撼させる驚くべき発表を行った。それはヨーロッパ共同体(European Community:EC)の設立宣言であった。この宣言は、単なる同盟や経済共同体ではなく、フランス共和国とオランダ王国を中核とし、占領下にあったヨーロッパ全域を一つの統合国家として再編するという、極めて野心的な内容であった。東は旧ロシア地域の西部まで、西はブリテン諸島・アイルランド諸島、北は北欧諸国(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランド)、南はスイス・イタリア王国・ブルガリアを除く全域。すなわち、かつてのヨーロッパ大陸のほぼ全土が、一つの主権国家として統合されることになったのである。
世界は驚愕した。フランスとオランダが連合するだけでも衝撃的であったが、占領地域全てを飲み込んだ『超国家』の誕生は、第二次世界大戦後の秩序を根本から覆すものであった。ECは即座に中央集権的な統治機構を整備し、共通通貨『ユーロ』の準備、統合軍の創設、統一外交政策の策定に着手した。
さらに同年1月下旬、ヨーロッパ共同体はアメリカ合衆国との間で安全保障相互防衛条約を締結した。カナダを占領し、北米に勢力を維持するアメリカと、ヨーロッパ全域を掌握したECの強固な連携は、世界に『西側陣営』の誕生を明確に印象づけた。
大日本帝国政府はこの事態に迅速に対応した。山本五十六総理大臣は、既に進められていたアフリカ・中東・東南アジア・中南米・カリブ海地域への植民地独立支援を加速させ、これらの地域の正式独立を次々と承認した。そして1947年2月11日、大東亜共栄圏(Greater East Asia Co-Prosperity Sphere)の正式設立を宣言した。
この共栄圏は、東南アジア地域を中心に、亜細亜全域を網羅する国家連合として構築された。独立したばかりの新興諸国(インドネシア、ベトナム、ビルマ、フィリピンなど)と大日本帝国が、相互尊重と経済協力を基軸とした緩やかな連合体を形成したのである。円を基軸通貨とし、資源・技術・資本の自由な循環を促進する『共栄圏共同市場』の創設がその中核となった。
これにより、世界は明確に二分された。
西側諸国は西洋諸国を主体とするヨーロッパ共同体(EC)とアメリカ合衆国を中心とした陣営。
東側諸国は東洋諸国を主体とする大東亜共栄圏を中心とした陣営。
第三世界諸国は南米やアフリカで、大日本帝国に経済的に接近しつつ中立的な立場を取る国々となった。
こうして、1947年春をもって東西冷戦は正式に幕を開けたのである。表向きは軍縮と経済復興の時代であったが、水面下では両陣営による諜報戦、技術開発競争、代理戦争の準備が静かに進行し始めた。核兵器の影が世界を覆う中、大日本帝国の帝國連合艦隊は、軍縮の名の下に予備役に置かれた多数の空母を維持しつつ、新たな時代への備えを着実に進めていた。
この冷戦の始まりは、単なる陣営対立ではなく、異なる文明圏・価値観・経済システムの衝突でもあった。やがてこの対立は、2000年代に人類史上最大の惨劇となる世界最終戦争へとつながっていくことになる。




