南米危機
史実でいう所謂、湾岸危機になります。
中東が石油危機で独自色を出しましたが大東亜共栄圏の枠組みなので、湾岸戦争は起こり得ないとして冷戦を通して第三世界諸国の中心である南米に注目しました。
湾岸戦争の要因になったイラン・イラク戦争に相当するものは無いので、石油資源や領土問題・治安・密輸・武装勢力を利用し、冷戦終結による一種の空白状態を突いて発生したとしました。
『1992年8月2日、コロンビア共和国がベネズエラ共和国に侵攻した。冷戦終結から1年も経過していないのにも関わらず、平和は突如として終わりを遂げたのである。だがコロンビア共和国がベネズエラ共和国に侵攻する理由は幾つかあった。
まずは国境線による領土の境界についてだった。両国は長い国境を接しており、歴史的に境界線を巡る小競り合いが続いていた。陸上の厳密な国境線自体は1941年の条約で合意されていたが、ベネズエラ湾における海洋境界(水域)の画定を巡る未解決の対立や、広大な国境地帯での治安・密輸・武装勢力の越境を原因とする緊張関係が冷戦中も存在していた。
その緊張状態は大日本帝国とヨーロッパ共同体という超大国による冷戦中は、謂わば重石としてコロンビア共和国とベネズエラ共和国の争いを抑止し、軽度な小競り合いで済んでいた。それは南米には東側諸国としてガイアナ共和国が存在したが、それ以外は東西両陣営とは違うどちら側にも属さない第三世界諸国としての立場もある事から、最悪の事態にまで発展しなかったのであった。
だが冷戦末期にコロンビア共和国国内で深刻な経済悪化や政治スキャンダル、ゲリラ問題が立て続けに続発したのである。その為に時の政権が支持率低下を打開するため、[外敵]を作って国民の団結を図る為にベネズエラ共和国への非難を強めた。
その強烈な非難はベネズエラ共和国が豊富な石油資源により経済が好調な事から、経済的に低調なコロンビア共和国国民の支持を集めた。そしてそうしている内に超大国同士が手打ちを果たし、東西冷戦が終結した事で両国ともが[どちら側にも属さない第三世界諸国]としての立場が不安定になった。それをコロンビア共和国が地域の主導権を握るチャンスと見て行動を起こしたのである。
そこでまずコロンビア共和国はベネズエラ共和国による「国境侵犯が続いている」「ベネズエラが自国ゲリラを支援している」という無理やりな主張を展開した。
そしてベネズエラ共和国の豊富な油田に対しコロンビア共和国は「資源の不当な独占」だと、更に無理やりな主張を展開したのだ。ベネズエラ共和国は当然ながら内政干渉に等しいコロンビア共和国の主張に反論した。
だがコロンビア共和国は既に侵攻によって油田地帯を掌握し、自国の経済を立て直そうとする考えで凝り固まっていた。石油利権を掌握して国内政治を安定させる為に、短期間でベネズエラ共和国の油田地帯を占領し、既成事実化を狙っていたのだ。冷戦終結後の空白に乗じて、コロンビア共和国は[未解決の国境問題]を大義名分に軍事行動を起こす事を決意したのである。
そして先述したように1992年8月2日午前1時(現地時間)、コロンビア共和国の精鋭部隊である共和国防衛隊はベネズエラ共和国国境を越えて侵攻を開始した。大日本帝国国防省の諜報機関である[帝国国防情報局]は、偵察衛星からの映像によって早くからコロンビア共和国の侵攻準備体制を把握していたが、大日本帝国での軍事常識として本格侵攻に必要と考えられていた諸装備や兆候が欠けていたことから、帝国国防情報局から報告を受けた統合幕僚作戦司令本部は、直前まで「ベネズエラ共和国との交渉を有利に進めようとする恫喝の可能性が高い」と評価しており、本格侵攻であることを把握したときには既に対応困難となっていたのである。
コロンビア共和国大統領はベネズエラ共和国の政府首脳陣を確保して、コロンビア共和国への併合を承諾させることを狙っており、侵攻開始30分後には特殊部隊がベネズエラ共和国首都カラカスに対して空中機動強襲を実施、また海からも部隊が政府首脳陣を捕らえるための上陸作戦を行っていた。しかしベネズエラ共和国政府首脳陣はブラジル連邦共和国に亡命するなど、ほとんどは逃亡に成功し、大統領の弟のみが官邸に残っていたために殺害された。一方ベネズエラ共和国軍の抵抗は弱体で、コロンビア共和国侵攻部隊は早くも5時30分には首都カラカスへ突入、市内にいた部隊と合流した。主要なベネズエラ共和国政府施設は5時間以内にコロンビア共和国軍に確保され、翌朝までに全土の戦略拠点が占領された。
ベネズエラ共和国政府首脳陣の拘束に失敗したコロンビア共和国側は、ベネズエラ共和国とコロンビア共和国の二重国籍を持ち、ベネズエラ共和国陸軍の幹部を大佐に昇進させるとともに、彼を首相とする[ベネズエラ暫定自由政府]を成立させ、その要請により介入したと発表した。8月7日には、ベネズエラ暫定自由政府はベネズエラ民主国へと名前を変えたが、翌日にはコロンビア共和国に併合された。
コロンビア共和国の軍事侵攻に対して国際社会は激しく抗議し、大東亜共栄圏では侵攻当日の8月2日のうちに、コロンビア共和国軍の即時無条件撤退を求める大東亜共栄圏特別会合決議660が採択された。コロンビア共和国がこの決議を無視したことから、大東亜共栄圏特別会合は、6日には加盟国に対コロンビア共和国経済制裁を義務付ける決議661、また9日にはコロンビア共和国によるベネズエラ共和国併合を無効とする決議662を採択した。
大日本帝国の石原慎太郎総理は8月4日の国家安全保障会議において、まずはコロンビア共和国がベネズエラ共和国に続いてブラジル連邦共和国に侵攻することを阻止することが最優先課題であることを確認し、大東亜共栄圏を通じて加盟国と協調しつつ外交的・経済的な圧力を加えることでコロンビア共和国軍をベネズエラ共和国から撤退させることを志向した。ただし最後の手段として、軍事的な圧力、更にはベネズエラ共和国解放戦争を遂行する可能性をも念頭に置いていた。
大日本帝国軍のブラジル連邦共和国国内への展開は、第三世界諸国の盟主を自認するブラジル連邦共和国側が躊躇すると思われていたが、8月6日に国防大臣浜田幸一から説明を受けたブラジル連邦共和国大統領が即座に了承したことで、8月7日には指定された部隊に対して南米地域への展開命令が発令され、[熱帯雨林の盾作戦]が発動されたのである。
大日本帝国が南米での出来事に何故これ程にも敏感になっているのか。それはコロンビア共和国のベネズエラ共和国侵攻が、世界にとって非常に都合の悪い場所だったからだ。ベネズエラ共和国の地下と海岸線には、採掘コストが非常に安い埋蔵量もかなり有望な超巨大油田があり、そこの石油が一時的であれ利用できないと言うことは、世界経済を悪化させる大きな要因となるからだ。加えて、今後コロンビア共和国がこれを有するなど悪夢でしかなかった。
要するにコロンビア共和国は、龍の逆鱗に触れてしまったのだ。だからこそ大日本帝国以下大東亜共栄圏の動きは極めて迅速だったし、コロンビア共和国に対する行動に誰も反対しなかったのである。コロンビア共和国はベネズエラ共和国に攻め込むことで、全世界の経済を敵に回してしまったのだ。
こうして大東亜共栄圏加盟国が攻撃を受けた事では無い為に、[多国籍軍]の編成が大日本帝国が呼びかける形で行われ、ブラジル連邦共和国に派遣される事になった。
こうして先述したようにブラジル連邦共和国防衛の為の[熱帯雨林の盾作戦]が発動し、多国籍軍が大量にブラジル連邦共和国に派遣された。ブラジル連邦共和国もコロンビア共和国に恨まれているし、ブラジル連邦共和国までがコロンビア共和国の手に落ちたら、南米地域の勢力図が大幅に変化し地域に与える情勢が大き過ぎるからだ。ブラジル連邦共和国も第三世界諸国の盟主を自認しており、今まで外国軍を入れたことはなかったが、背に腹は代えられない為に多国籍軍を受け入れたのである。
そしてその後僅か数ヶ月で、ブラジル連邦共和国には世界中から約80万人の地上部隊、約1万輌の戦闘車輌(多数の戦車含む)、約8000機の航空機(回転翼機含む)、500隻以上の艦艇が集結する。遠隔地への短期間の兵力集中は、冷戦終結直後に位置する時期だからこそ可能だった質と量だった。
大日本帝国は陸軍の緊急展開部隊である第18空挺軍団を、ものすごい数の輸送機に乗せていち早くブラジル連邦共和国に派遣した。1個ずつの空挺師団と空中機動師団を中核とする第18空挺軍団は、装備が(大日本帝国軍としては)軽いのと空挺部隊という事もあって、世界中が驚くほどの速度で移動したのである。この第18空挺軍団の移動を始め、大日本帝国軍は1000機以上の輸送機を南米戦争に動員(延べ機数ではなく)したのだ。
とはいえ大日本帝国陸軍が急派したのは軽装備の空挺部隊に過ぎず、コロンビア共和国軍の共和国親衛隊が本気でブラジル連邦共和国に侵攻を開始すれば、遅滞防御戦闘が精一杯だった。多数の戦車、装甲車を有するコロンビア共和国軍のこれ以上の侵攻を防ぎ、そしてベネズエラ共和国を奪回するためには、重装備の本格的な大規模地上戦部隊が必要不可欠だった。しかも相手の数が数だけに、多くの地上部隊が必要と考えられた。
ブラジル連邦共和国への地上部隊派遣には、多くの国が名乗りを挙げた。大東亜共栄圏加盟国は当然ながら、大日本帝国との関係を深めるのが半ば目的として西側諸国も派遣を表明し、多国籍軍も数が力という点は理解していた為に、外交としての派兵でもあるので余程の事が無い限り受け入れた。
その為に連隊や旅団規模で兵力を派遣してくる国が少なくなかった。もちろんだが補給兵站能力は皆無ので、大日本帝国軍かブラジル連邦共和国が主に面倒を見た。だがそもそもとして自力で補給兵站線の面倒が見られないのは、大日本帝国軍以外のほとんどが当てはまった。中華民国軍と多少限定的ながらインド連邦軍は例外だったが、他の国はどうにもならなかった。遠隔地に本格的装備の軍隊を短期間で派遣できる方が、本来なら異常なのだ。遠距離派兵能力は、覇権国家のみが持つ特殊能力だからだ。
そして派遣部隊の主力が大日本帝国軍となる事もあって、形式はともかく実質的な作戦指揮は大日本帝国軍が取ることになった。陸海空軍全てにおいて多国籍軍の主力は大日本帝国軍だった。地上部隊だけでも第18空挺軍団以外に、イタリア王国駐留イタリア派遣軍(2個方面軍12個師団:機械化歩兵師団8個、機甲師団4個約24万人)及び各種支援部隊の合計約26万人と太平洋地域3個師団(ハワイ諸島に機械化歩兵師団と機甲師団を1個ずつ、アリューシャン列島に機械化歩兵師団を1個)及び各種支援部隊の合計約7万人、本土戦略予備軍機械化歩兵師団4個と機甲師団3個及び各種支援部隊の合計約14万人、第1陸戦遠征軍を派兵し、師団数だけで合計23個師団約51万人にも上る。しかも全てが今までヨーロッパ共同体との戦いに備えていた精鋭部隊だった。
海空軍も抜かりなくまず海軍連合艦隊はガイアナ共和国ジョージタウン軍港に司令部を置く第4艦隊が中核になり、残る3個艦隊からも空母打撃群が派遣され8個空母打撃群がベネズエラ共和国の大西洋岸に展開した。空軍も2173機を派遣し誰が戦争の主役であるか、子供にも分かるほどであった。
そして大東亜共栄圏加盟国や西側諸国から派遣された地上部隊は膨大になり、合計で約400万人にも及ぶ大規模な兵力が派遣され多国籍軍にとっての一番の問題が、この巨大な地上部隊への継続的な補給となった。
現地は熱帯雨林な上に鉄道はないので、全てを軍用トラックで行わなくてはならず、更に短期間でその準備を行わなくてはならなかった。しかも多国籍軍が南米戦争で持ち込んだ兵器・弾薬・人員・補給物資など軍需物資の総量は、大日本帝国軍だけで400万トン。全てを合わせると1400万トンに達する。輸送の過半は大日本帝国軍が行うが、例外は大東亜共栄圏加盟国だった。
かつてのソマリア戦争の教訓を受けて大東亜共栄圏加盟国は独自の補給兵站線能力を高めていた。
その為に南米戦争で大日本帝国は、総数約4万9000輌の輸送車輌を軍用の集積船や輸送艦、さらには戦時契約した多数の民間船を用いて、ブラジル連邦共和国に持ち込んでいた。他にも中華民国が1000輌、インド連邦が500輌程度持ち込んだ。
ソマリア戦争以来の遠隔地への大軍派遣であり、教訓もあった事から順調に大軍がブラジル連邦共和国に展開した。
軍事力の派遣が行われている最中でも情勢は動いていた。1992年10月10日、大日本帝国帝国議会の参考人招致でベネズエラ難民という触れ込みで、少女による[マリア証言]があり、ベネズエラ共和国に侵入したコロンビア共和国兵が病院で新生児を保育器から取り出して死なせた等とし、これは各国報道機関に報道された。石原慎太郎総理や貴族院議員がこの証言をたびたび引用し、無関係に近かった大日本帝国を中心に攻撃支持世論が喚起される事になり、コロンビア共和国逆進攻の気運を高めた。
だがこのマリア証言は後に全くの虚偽であったことが判明したのである。
マリア証言は裏付けの取れたものと国際的に認識されていたが、ベネズエラ共和国解放以後報道機関が同国内に入り取材が許された結果、虚偽であった事が発覚した。しかも南米戦争後の1994年1月6日、読売新聞がマリアの苗字を調べ、当時駐日ベネズエラ共和国大使の娘であったという事実を報道した。
その上で証言自体がコロンビア共和国から攻撃を受けて劣勢だったベネズエラ共和国政府と、大日本帝国の広告代理店である電通による反コロンビア共和国国際世論扇動の広報である、[自由ベネズエラのための国際運動]のキャンペーンの一環であったことが判明した。ベネズエラ共和国政府は電通に30億円以上支払ったとされる。
このマリア証言は石原慎太郎総理や帝国議会貴族院議員・衆議院議員や、各国の報道機関に幾度となく引用され、反コロンビア世論の喚起どころか、世論の高まりを受けた大日本帝国を主体とした多国籍軍の参戦によりコロンビア共和国が敗退するなど、プロパガンダとしては大成功であった。
この証言は大日本帝国政府が目的としていた南米戦争の火付け役となり、「女性や子供による生の証言」、「現地で現場を見た被害者は嘘をつかない」との人々の根強い煽りを背景に、弱者側が女性又は子供を利用したプロパガンダの例として引用されている。
また難民であるはずのマリアが流暢な日本語で証言していることで、正体を疑問視する声も証言時からあったが、それらは殆ど無視されていた。
今となってはプロパガンダだと唾棄されるが当時は世界中がコロンビア共和国の非道を非難した。それはヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国も例外では無く、大東亜共栄圏の決議を支持すると表明した。国際的に孤立を強める事になったコロンビア共和国は更に態度を硬化させ、「ベネズエラ暫定自由政府が母なるコロンビアへの帰属を求めた」として併合を宣言、8月28日にはベネズエラ共和国を3分割して県を設置し行政区分を再編すると発表した。8月30日に南米諸国は首脳会談を開いて共同歩調をとろうとしたが、いくつかの国が大日本帝国に反発してコロンビア共和国寄りの姿勢を採ったので、取りあえずコロンビア共和国を非難するという、まとまりのないものとなった。
さらにコロンビア共和国は8月18日に、ベネズエラ共和国から脱出できなかった外国人を自国内に強制連行し[人間の盾]として人質にすると国際社会に発表した。その後大日本帝国と関係の深い国つまりは大東亜共栄圏の民間人を、自国内の軍事施設や政府施設などに[人間の盾]として監禁した。
この非人道的な行為は、世界各国から大きな批判を浴びた。後にコロンビア共和国政府は、アントニオ猪木が訪問した後に解放した日本人人質41人など、小出しに人質の解放を行い、その後多国籍軍との開戦直前の12月に全員が解放した。
しかしその後もコロンビア共和国はベネズエラ共和国の占領を継続し、大東亜共栄圏の度重なる撤退勧告をも無視したため、11月29日大東亜共栄圏特別会合は翌1993年1月15日を撤退期限とした決議678、所謂[対コロンビア共和国武力行使容認決議]を採択した。これには大東亜共栄圏本部を訪問していたヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国の外務大臣も賛成するという異例の事態になり、冷戦終結を象徴する出来事になっている。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




