冷戦終結直後の軍事力4
『最後に大日本帝国の海上の守護神である、国防省外局の海上保安庁についてみていく。冷戦終結直後の海上保安庁は、膨大な海洋面積を担当する事になっていた。そもそも広大な太平洋一帯に加え日本海・ベーリング海・オホーツク海・黄海・東シナ海・南シナ海・インド洋を担当していたが、海上保安庁を更に大規模にさせる事になったのが1985年に発効した[国際海洋法条約]によってである。
大東亜共栄圏加盟国間での漁業権争いに大日本帝国が仲介していたが、その時に恒久的な条約として締結すると分かりやすいとして大日本帝国は大東亜共栄圏総会で海洋法条約を定義した。それにより議論は進んでいたが大日本帝国は西側諸国も招いて、国際的な条約にしようとしたのであった。
こうしてヨーロッパ共同体を筆頭に西側諸国も招き最終的には世界中が参加し、国際海洋法条約が制定され1980年に調印されたのである。そして5年の期間を挟み1985年に発効された。
これにより世界の海洋秩序を包括的に定めた国際法として制定され、別名を[海の憲法]と呼ばれる事になった。元々が大東亜共栄圏加盟国間の漁業権争いから始まった事から、海洋の区分について明確にされた。
基線から12海里以内の水域で、沿岸国の主権が及ぶのが[領海]とされた。
そして基線から200海里以内の水域で、資源の探査や開発に関する主権的権利を持つ範囲を[排他的経済水域]とされた。
どの国も排他的支配を持たず、すべての国に航行や漁業の自由が認められるのが[公海]とされた。
そして上記の排他的経済水域が重要であった。200海里という広大な水域が指定された事から、大日本帝国の排他的経済水域は広大なものになり世界最大の海洋面積を誇る事になったのである。何せ太平洋をほぼ全て覆う事になり、[日本人による太平洋帝国]とも呼ばれる規模になっていた。
こうして海上保安庁は広大な海洋面積を担当する事になり、その規模を更に拡大させる事になったのである。
その為に多目的護衛艦・汎用護衛艦・警備艦・警備艇・巡視艇を合計で835隻も保有していたのだ。広大な海洋を縦横無尽に駆け回る事になり、海洋秩序を維持していた。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




