冷戦終結直後の軍事力3
『次は空軍と海軍空母艦載機つまりは、2つの空軍について見ていく。
まずは空軍からである。
冷戦終結直後の大日本帝国空軍の主力戦闘機は、第4世代ジェット戦闘機の40式戦闘爆撃機疾風改であった。20式戦闘爆撃機電光の後継として開発された大型制空戦闘機で、第4世代ジェット戦闘機に分類される。
チタンを多用して軽量化した機体に大推力のターボファンエンジンを2基搭載し推力偏向ノズルと機体性能による高い格闘能力を有すると同時に、高出力パルスドップラー・レーダーと中射程空対空ミサイルの運用能力と、対地攻撃能力も併せ持ち、遠近の空対空戦闘に対応可能となっている。
1955年に実用化された第3世代ジェット戦闘機である、15式戦闘機天雷の低性能に失望した空軍は、新型戦闘機の概要を策定した。
機体重量約27トン・瞬間最大速度マッハ2.7、最大速度マッハ2.5・推力重量比0.75・17式戦闘機閃電よりも良好な加速・上昇などの飛行性能を有する・中射程空対空ミサイル・爆弾を装備
というものだった。
この時期にヨーロッパ共同体は新型戦闘機の[ミラージュF1]を航空ショーで披露し、それが大日本帝国空軍首脳陣に更に危機感を強めさせる事になった。
そして1971年に実用化されたのが31式戦闘機疾風だった。世界中の汎ゆる戦闘機を凌駕する事を目標にして実用化された大型制空戦闘機となった。圧倒的な格闘性能とミサイル搭載量により、制空権の奪取・維持は容易なものになったのである。性能に満足した空軍であるが開発元の新明和工業は、対地攻撃能力と格闘性能の強化を行う派生型の開発を進めた。
そうして1980年に実用化されたのが40式戦闘爆撃機疾風改であった。直列複座(後席は兵装システム士官)式の戦闘爆撃機に改良されたのである。
直列複座には理由があり、全天候状況の中でも、敵の防空網を低空において高速で侵攻して、投下した兵器を確実に目標に命中させるには、操縦と兵装装置の操作を分担して行う必要があるためである。
推力偏向ノズルを搭載しており、圧倒的な格闘戦能力を有している。31式戦闘機疾風との外見の差はほとんどないが、本格的な対地攻撃能力を持たせるため、機体各部においてかなりの手直しが行われており、機体構造では全体の6割が再設計されている。
機体寿命も延ばされており、追加の搭載器材や大量の兵装を搭載する必要があるため、機体重量が重くなり、降着装置はこれに耐えられるように強化されている。電子装置類の大幅な更新も考え合わせると、内部はほぼ別の機体となっている。原型機ではオプション装備である外装式増加燃料庫と呼ばれる増槽を胴体側面に標準装備(取り外しも可能)しており燃料庫上にもある多数の懸架点と、疾風譲りの充分なエンジンの余剰推力による兵装搭載量の大きさが大きな特徴といえる機体である。
外装式増加燃料庫などの追加装備により、疾風からは速度性能や機動性能などが落ちたものの、対空戦闘能力は依然として高い水準にあり、その機体性能の高さ故に現在までに空対空戦闘で撃墜されたことはない。疾風及び疾風改は大東亜共栄圏加盟国に輸出もされており、更にロシア連邦・中華民国・インド連邦・イタリア王国は認可生産も行っている。
疾風から疾風改という改良型が実用化されたように高い基本性能に加えて将来の発展性のために当初から余裕を持たせて設計されていたため、冷戦終結後も新型ミサイルの搭載、改良型エンジンへの更新、さらに早期警戒管制機を中核とした[軍事指揮統制通信電算機情報処理網(C4Iシステム)]の高度化に対応するための電子装備の更新等の近代化改修を実施することで、80年代後半から90年代以降にかけて登場した新鋭機に伍して第一線での任務遂行能力を維持していた。
将来的な発展性を考慮した設計の妙であり非常に高性能であるが高額な機体となった。
40式戦闘爆撃機疾風改は最大速度マッハ2.6、武装20ミリ多銃身機関砲1門・懸架点14箇所・兵装搭載量18650キロという性能を誇っていた。
格闘性能は異常なまでのものを誇り、圧倒的な兵装搭載量は対空戦と対地戦での驚異的な威力を見せたのである。あまりに高性能である為に機体単価は尋常では無い高額になったが、大日本帝国は潤沢な軍事費と空軍の制空権奪取という確固たる決意により、保有している戦闘機を全て40式戦闘爆撃機疾風改に更新した。
機体単価が高額な為に輸出はロシア連邦・イタリア王国・トルコ共和国というヨーロッパ共同体と直接対峙する国々と、中華民国と満州帝国という対日追従を国是とする国々だけとなっている。
次は42式戦闘攻撃機隼である。40式戦闘爆撃機疾風改に準ずる格闘性能を備えながら、対地対艦攻撃能力が非常に高い多用途機として実用化された。これにより全ての攻撃機は42式戦闘攻撃機隼に更新され、攻撃機でありながら制空戦闘も可能な機体とされた。
双発大型制空戦闘機の40式戦闘爆撃機疾風改に比べて、単発機であり比較的小型の為に機体単価は相対的には安価となった事から、大東亜共栄圏加盟国や東側諸国への輸出では42式戦闘攻撃機隼が多数を占める事になった。
最大速度マッハ2.3、武装20ミリ多銃身機関砲1門・懸架点10箇所・兵装搭載量9480キロという性能を誇っていた。対地攻撃兵装の誘導爆弾・空対地ミサイル、対艦攻撃兵装の空対艦ミサイルの搭載量は圧倒的であり、驚異的な能力を有していた。
そして攻撃機で注目すべきは、41式隠行攻撃機 闇龗神であった。隠行機(この小説世界のステルス機の呼び方になります)という低被探知性が非常に高く、世界初の実用的隠行機となっていた。
レーダーから発見されにくくするため、平面で構成された独特の多面体の機体形状をしている。これにより空気力学的に不安定な形状となっているが、操縦に電子制御飛行を採用し、姿勢制御に電算機を介在させることで安定性を確保した。1981年には部隊配備が始まっていたが、大日本帝国国防省が1988年11月に不鮮明な写真を公開するまで、詳細はおろか存在自体が極秘扱いとされていた。
機体は黒一色に塗装され、主に夜間作戦に使用されることから、日本神話で水神であり闇の龍神である[闇龗神]が名称とされた。
隠行機である為に懸架点は存在せず兵装は全て、機内弾薬庫に内蔵されている。これにより隠密行動により誘導爆弾や空対地ミサイルを叩き付ける事が可能だったのである。最大速度マッハ1であり、機内弾薬庫に3720キロの兵装を搭載可能だった。
あまりにも高度な技術を投入した機体である為に、技術流出を恐れた帝国議会により輸出許可は出る事が無かった。
大日本帝国空軍の攻撃機としてもう1機種注目すべきは、38式攻撃機火龍である。単座、 双発、直線翼を持つ大日本帝国空軍初の近接航空支援専用機であった。戦車、装甲車その他の地上目標の攻撃と若干の航空阻止により地上軍を支援する任務を担う機体だった。
大日本帝国空軍の基本戦略は[核兵器による大規模破壊・確証報復]であった。その為に戦闘機や攻撃機は全てが核兵器搭載可能になったことで、近接航空支援や地上攻撃は副次的任務と考えられていた。
とはいえ14式攻撃機桜花と20式攻撃機橘花を攻撃機として実用化していたが、どちらとも超音速ジェット攻撃機であった。そんな中で介入する事になったソマリア戦争においては核兵器を使うような事態は発生せず、軽視していた近接航空支援が主任務となる程に頻繁に行う必要があった。
これを担う14式攻撃機桜花と20式攻撃機橘花の超音速機は適していると言えず、敵味方の近接した中で有効な支援を行うのに必要な低速度での運動性がなかった。
このため、16式戦術輸送機の機体を大規模に改装し、20ミリ多銃身機関砲8門・40ミリ機関砲4門・105ミリ榴弾砲2基を搭載し、圧倒的な対地制圧能力を有する16式強襲支援機が対人阻止及び対地攻撃に使用して特に夜間に効果を上げ、対ゲリラ戦や地上攻撃に使用した。
この為大日本帝国陸軍だけではなく大日本帝国空軍内でも近接航空支援充実の要望が高まり、小火器・地対空ミサイル・小口径の対空兵器にも対応できる専用機体の調達を促すことになった。また近接航空支援に使用される汎用回転翼機や攻撃回転翼機の小口径機関銃や無誘導ロケット弾は非装甲目標にしか対応できないという意見もあった。20式戦闘爆撃機電光を近接支援機として使用する案もあったが、その高い巡航速度と莫大な燃料消費は空中待機を許さず、緊急出動に限られることとなった。
こうしてソマリア戦争直後に大日本帝国空軍はヨーロッパ共同体機甲部隊対応と全天候戦闘を重視したより詳細な提案要求を提示した。要求性能としては口径30ミリの対戦車機関砲を装備し、7500キロ以上の兵装搭載能力、進出距離550キロで2時間の空中待機という高い航続性能、低高度での高い機動性、簡易飛行場を使用可能な優れた短距離離着陸性能、高い生存性、容易な整備性などが出された。
そして実用化されたのが38式攻撃機火龍である。主翼と胴体下にある計11ヶ所の懸架点に、8000キロの様々な兵器を装備可能だった。38式攻撃機火龍の特徴かつ代名詞となったのが、劣化ウランを弾芯とした30ミリ徹甲弾を使用する30ミリ多銃身機関砲だった。
機首に内蔵され低空での機関砲攻撃は現代の戦場では危険行為と化しつつあり、空飛ぶ多銃身機関砲として恐れられた形式は、大日本帝国空軍という圧倒的な航空優勢が確保可能な例外的状況下でのみ許容される手法となった。その為にヨーロッパ共同体が似たような機体を実用化し限定的に運用するだけであり、世界中で大日本帝国空軍だけしか運用出来ない機体であった。
そして大日本帝国空軍の真の主力であり、[核抑止の三本柱]を担う戦略爆撃機について見ていく。大日本帝国空軍戦略航空軍団という組織編成であり、冷戦終結直前の戦略爆撃機は39式戦略爆撃機轟天改・43式戦略爆撃機銀河改、そして48式隠行戦略爆撃機飛鳥の3種類を保有していた。歴戦の戦略爆撃機富嶽改は完全に退役していたのだ。
39式戦略爆撃機轟天改と43式戦略爆撃機銀河改は、15式戦略爆撃機轟天と18式戦略爆撃機銀河の改良型であった。エンジンがより高性能のIHI製新型大規模ターボファンエンジンに換装されており、燃費向上による航続距離の拡大と出力増大による兵装搭載量の増加が行われた。
これにより15式戦略爆撃機轟天は懸架点24箇所に爆弾倉を含めて兵装搭載量42800キロ・航続距離30000キロから、39式戦略爆撃機轟天改は兵装搭載量54900キロ・航続距離35700キロに拡大。18式戦略爆撃機銀河は武装は懸架点10箇所に爆弾倉を含めて兵装搭載量21000キロ・航続距離18900キロから、43式戦略爆撃機銀河改は兵装搭載量33800キロ・航続距離23400キロにそれぞれ拡大したのである。
そして何と言っても48式隠行戦略爆撃機飛鳥が、大日本帝国空軍戦略爆撃機の秘密兵器だった。現在でも大日本帝国空軍しか保有していない隠行戦略爆撃機であり、まさに唯一無二の性能を誇る機体だった。同質量の金と同価値と言われるほど非常に高価な機体であり、高額な維持費も必要不可欠な水平尾翼および垂直尾翼が無い、全翼機である。
48式隠行戦略爆撃機飛鳥の開発は、低被探知性や長い航続距離などの要求の下に1970年から開始された。その当初はヨーロッパ共同体の防空網を掻い潜り、大陸間弾道弾発射基地や移動式大陸間弾道弾発射台に短距離攻撃ミサイルにより核攻撃を加えることを主目的としていた。開発初期は極秘計画として当初大日本帝国空軍上層部ですら開発は機密扱いであった。
先進技術爆撃機という計画名は知られるようになったものの、1977年4月に想像図が公表されるまでは公式情報はほとんどなかった。
48式隠行戦略爆撃機飛鳥の開発は三菱重工と富士重工が共同で行い、三菱重工が操縦席部と本体の中央部、残りを全て富士重工が担当した。1980年に6機の試作機用の予算が組まれ、1985年11月22日に最初の機体が配備された。式典は非常に慎重に計画され、招待された500名は地上からは48式隠行戦略爆撃機飛鳥の正面のみ観覧が可能であったが、上空からの規制は手が抜かれていて、小型機により上空から撮影された写真が残されている。
そして1988年に量産型が生産され部隊配備が開始された。開発当初は480機の製造が予定されていたが、あまりにも高額な上、維持費も高額であることから結局生産されたのは150機となった。全機大日本帝国空軍に引き渡され、他国への輸出はなされていない。
48式隠行戦略爆撃機飛鳥は1機約2000億円という高価な航空機で、世界一高価な飛行機としてギネスブックにも登録されている。これは海軍連合艦隊の八咫鏡駆逐艦島風級が1隻約1500億円である事から、48式隠行戦略爆撃機飛鳥の価格の高さがうかがい知れる。
更に低被探知性確保のため、7年に一度再塗装が必要など維持費も高額で、1機約2000億円は量産効果を経ての金額であり異常なまでの高性能さが表れていた。先進軍事技術が多数使用された特別な航空機の為に大東亜共栄圏や東側諸国への供与は現在も行われていない。
低被探知性確保の為に懸架点は存在せず全て爆弾倉内に搭載し、兵装搭載量26700キロ・航続距離17900キロの性能を有していた。ヨーロッパ共同体の防空網を掻い潜り奇襲的に爆撃を行う機体である為に、大日本帝国空軍では[闇討ち爆撃機]とも呼ばれている。
ここまで完全な隠行戦略爆撃機は大日本帝国空軍しか保有し得なかった事から、圧倒的な優位性を誇る事になった。
そして大日本帝国空軍の特徴である、大陸間弾道弾を見ていく。武御雷三型大陸間弾道弾と国造三型大陸間弾道弾、布都御魂剣二型大陸間弾道弾の3種類であった。
武御雷三型大陸間弾道弾と国造三型大陸間弾道弾はソマリア戦争直前に配備されていた二型の改良型であり、布都御魂剣二型大陸間弾道弾はソマリア戦争直後に実用化された初期型の改良型であった。
大陸間弾道弾としての発射基地は、シベリア府とハワイ県に設置されておりそれぞれヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国に、照準を合わせている。
そして分類上は大陸間弾道弾とされる、弾道弾迎撃ミサイルとして同じくシベリア府とハワイ県の発射基地に設置されているのが、天之尾羽張二型弾道弾迎撃弾であった。
一型と違い半導体の高性能化により誘導性能が向上した事から、弾頭は通常弾頭のみとなり迎撃能力は非常に高かった。
以上のような大規模な戦力を大日本帝国空軍は保有し、航空優勢を獲得する為に展開していた。しかも更に早期警戒管制機や偵察機・電子戦機・対潜哨戒機を大量に保有し、大日本帝国全土のみならず、大東亜共栄圏加盟国や東側諸国にも租借地として基地を設置し、展開している。
そして海軍連合艦隊の艦載機を見ていく。
冷戦終結直後の大日本帝国海軍連合艦隊空母艦載機の主力は、47式艦上戦闘攻撃機極光改であった。1975年に実用化された35式艦上戦闘攻撃機極光の改良型であり、1987年に実用化された機体だった。
大日本帝国海軍連合艦隊は空母艦載機の攻撃用は、全てが戦闘爆撃機か攻撃機であった。ヨーロッパ共同体やアメリカ合衆国のように純粋な戦闘機は存在せずに、全てを攻撃に振り向けるという攻撃的な方針を採用していた。防空は艦隊が担う事になっており、大日本帝国海軍連合艦隊独特の方針であった。
そうして20式戦闘爆撃機電光の後継として実用化されたのが、1975年に実用化された35式艦上戦闘攻撃機極光だった。海軍連合艦隊の伝統とも言える圧倒的な格闘性能と、兵装搭載量により20式戦闘爆撃機電光よりも高性能を発揮した。
35式艦上戦闘攻撃機極光は海軍兵学校の分校として第二次世界大戦後に設立された、海軍戦闘兵器学校でのエースパイロットを目指す1983年製作の映画にも登場した。映画には大日本帝国海軍連合艦隊が全面的に協力し、原子力空母鳳翔も35式艦上戦闘攻撃機極光も全て本物が使用された。
そして35式艦上戦闘攻撃機極光の改良型であり、1987年に実用化された機体が47式艦上戦闘攻撃機極光改であった。
武装は20ミリ多銃身機関砲1門、懸架点14箇所、兵装搭載量9400キロという性能を誇っていた。これは35式艦上戦闘攻撃機極光が拡張性の高さと発達余裕の大きさを誇っていたからである。
双発で大型の機体ながら連合艦隊の方針として、機体性能のみならず推力偏向ノズルを搭載しており、中距離以下での圧倒的な格闘戦能力が与えられていた。
次は45式艦上攻撃機閃光改であった。23式攻撃機極星の後継として、1973年に実用化された33式艦上攻撃機閃光の改良型であり、改良前に比べて兵装搭載量・急降下爆撃・低空進撃・対艦攻撃・対地攻撃能力が圧倒的に向上した。ヨーロッパ共同体海軍やアメリカ合衆国海軍の攻撃機と違い双発大型の機体であり、兵装搭載量は隔絶していた。改良前の閃光との唯一の違いは、核兵器運用能力が排除された点である。
武装は20ミリ多銃身機関砲1門、懸架点16ヶ所、兵装搭載量19700キロという強力な性能を誇っていた。
そして海軍の機体で注目すべきは45式垂直離着陸機旋風だった。八咫鏡打撃巡洋艦翔鶴級に18機、強襲揚陸艦大隅級に6機搭載されていた。最大速度マッハ1.5で武装は20ミリ多銃身機関砲1門、懸架点7ヶ所, 兵装搭載量7850キロを誇っていた。世界で始めて実用化された垂直離着陸機であり、世界各国での空母の運用に影響を与えた。
これに大日本帝国は注目し海軍連合艦隊の中型空母東京級と一緒に売り込む事にし、それによって大東亜共栄圏加盟国や東側諸国で爆発的に空母保有国が増加する切っ掛けになっていた。
それ以外は早期警戒機・対潜哨戒機・電子戦機・輸送機・哨戒回転翼機・汎用回転翼機を装備していた。世界最強海軍は、圧倒的な航空戦力を保有していたのである。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




