冷戦終結直後の軍事力
『冷戦終結直後の大日本帝国の軍事力は、質・量共に最も充実しており世界最強の軍隊として君臨していた。中曽根康弘総理による大規模軍備増強計画である[20個空母打撃群構想]を達成し、大日本帝国海軍連合艦隊の戦力は尋常では無い規模にまで拡大していた。
冷戦終結直後の大日本帝国海軍連合艦隊は空母40隻の他に、八咫鏡打撃巡洋艦60隻、八咫鏡巡洋艦100隻、八咫鏡駆逐艦310隻、海防艦(諸外国のフリゲート艦相当)680隻、攻撃型原子力潜水艦70隻、弾道弾原子力潜水艦50隻、補給艦・輸送艦・各種支援艦多数という世界最強海軍に相応しい陣容を誇っていた。
空母は原子力空母鳳翔、原子力空母長門級19隻(長門・陸奥・金剛・榛名・比叡・霧島・扶桑・山城・伊勢・日向・赤城・加賀・蒼龍・飛龍・大鷹・沖鷹・神鷹・隼鷹・龍鷹)、中型空母東京級20隻(東京・大阪・名古屋・札幌・福岡・姫路・高松・岡山・仙台・横須賀・奈良・千歳・千代田・神戸・函館・下関・大分・博多・金沢・京都)という40隻を保有していた。
原子力空母鳳翔以外は全て20個空母打撃群構想により新造されていた。それにより超弩級空母大和級3隻(大和・武蔵・信濃)、正規空母雲龍級10隻(雲龍・海龍・天龍・神龍・轟龍・雷龍・地龍・黒龍・昇龍・赤龍)、重装甲空母秋津洲・超弩級空母大鳳級3隻(大鳳・神鳳・天鳳)、正規空母大鷹級4隻(神鷹・隼鷹・龍鷹・千鷹)、大型空母青龍級4隻(青龍・朱雀・白虎・玄武)、大型空母敷島級4隻(敷島・朝日・初瀬・三笠)は全て退役していた。
20個空母打撃群構想により[攻撃空母]とされた空母は全て原子力空母となり、従来の原子力空母鳳翔に加えて原子力空母長門級が19隻も量産された。大日本帝国海軍連合艦隊の空母は巨大化の一途を辿っており1961年に竣工した原子力空母鳳翔に至っては、全長335メートル・満載排水量118200トンを誇っていた。だが19隻も量産された原子力空母長門級は全長350メートル・満載排水量135900トンにも達する超巨大空母になっていたのである。
[補助空母]とされたのは20隻も量産された、中型空母東京級であった。全長260メートル・満載排水量43000トンであり、他国では十分に主力として運用される程の規模を誇っていた。その為に中型空母東京級は45式垂直離着陸機旋風と合わせて、大東亜共栄圏加盟国や東側諸国に売り込まれる事になった。
大日本帝国海軍連合艦隊は攻撃空母には戦闘攻撃機と攻撃機のみを搭載し、補助空母には45式垂直離着陸機旋風・早期警戒機・対潜哨戒機・電子戦機・輸送機・哨戒回転翼機・汎用回転翼機が搭載していた。この大胆で贅沢な2隻運用は大日本帝国海軍連合艦隊だけにしか、可能では無かった。
何せ補助空母とされた中型空母東京級は普通の国なら当然のように主力空母として運用する規模だったのである。それをまさかの補助空母として運用する事に、大日本帝国海軍連合艦隊のある種異常さがあったのだ。これにより大日本帝国海軍連合艦隊は1個空母打撃群に2隻の空母を配備する、尋常では無い空母打撃群を20個保有していたのだ。
そして連合艦隊は変わらず横須賀に海軍連合艦隊最高司令部として常置されたがその傘下に太平洋は第1艦隊(司令部:大日本帝国呉軍港)、インド洋・アラビア海・ペルシャ湾は第2艦隊(司令部:セイロン共和国トリンコマリー軍港)、地中海は第3艦隊(司令部:イタリア王国ガエータ軍港)、大西洋は第4艦隊(司令部:ガイアナ共和国ジョージタウン軍港)、をそれぞれ担当艦隊として編成設置し各艦隊に20個空母打撃群を5個ずつ配備していた。
そして各艦隊の空母打撃群は、2個が海上展開、1個が訓練、2個が整備点検、という体制にあった。当然ながら体制通りには行かない時もあるが、常時世界の海に最低でも5個最大で10個の空母打撃群が海上展開しているのは、大日本帝国海軍連合艦隊しか成し遂げられないものであった。
その中で潜水艦隊(司令部:大日本帝国呉軍港)だけは海域に分ける事による担当艦隊別の編成は行わない、単一的な運用が行われる事になっていた。
次は空母打撃群の守護神たる八咫鏡打撃巡洋艦と八咫鏡巡洋艦であった。八咫鏡は三種の神器の一つで、[邪を払い、真実を映し出す]守護的な意味を持つ、大日本帝国海軍が開発した新世代の防空装置だった。正式名称八咫鏡装置をその防空装置の中枢としている。
大日本帝国海軍は第二次世界大戦終結以後、全く新しい防空装置の開発を行っていた。そしてまずはSHK(垂直発射口)が実用化され艦艇への搭載が進められた。これによりミサイルの発射は劇的に素早くなったが、肝心の防空レーダーと射撃レーダーはあまり進歩していなかった。
その為に大日本帝国海軍は三菱重工・三菱電機・IHI・東京芝浦電気・東京通信工業に新世代防空装置の開発を求め、最終的にはその5社による合同開発に決定した。
そして1970年にヨーロッパ共同体が行なった[ネプトゥヌス70演習]を受けて開発は加速された。ネプトゥヌス70演習はヨーロッパ共同体が、[海を支配する]という意図を明確にした演習であり、飽和攻撃を伴う大規模な軍事演習として、大日本帝国側が強く警戒した。
ネプトゥヌス演習には多数の艦艇・航空機が動員され特に、90秒以内に100発もの対艦ミサイルを集中して着弾させる飽和攻撃が実演され、従来の防空装置の限界が確認された。偵察衛星により全てをリアルタイムで見ていた大日本帝国は衝撃を受けた。これを受けて開発が加速され、八咫鏡装置は実用化された。
アンテナ1面につき4350個のレーダーアンテナ素子が配置され、最大探知距離330キロ以上、250個以上の目標を同時追尾可能とされ、最大50個の目標に対処可能だった。八咫鏡装置とSHKは相性が良く、同時追尾を行い即座に対処可能だったのである。
そして建造されたのが、八咫鏡打撃巡洋艦翔鶴級と八咫鏡巡洋艦筑摩であった。
八咫鏡打撃巡洋艦翔鶴級は[打撃巡洋艦]という名称が紛らわしいが、実質的な戦艦であった。それは大日本帝国の20個空母打撃群構想に触発された、ヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国がそれぞれの軍備増強計画で戦艦を再就役させた事にあった。
ヨーロッパ共同体は戦艦アルザス級アルザス・ノルマンディー・フランドル・ブルゴーニュ、アメリカ合衆国は超弩級戦艦アイオワ級アイオワ・ニュージャージー・ミズーリ・ウィスコンシンをそれぞれ再就役させていた。戦艦アルザス級と超弩級戦艦アイオワ級は共に第二次世界大戦時に、大日本帝国海軍連合艦隊に撃沈されていたが第二次世界大戦終結後に、着底していたものが引き揚げられ修理されていた。
とはいえサラワク危機前にはヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国は、戦艦アルザス級と超弩級戦艦アイオワ級を予備役にしていた。だが大日本帝国海軍の大規模軍備増強計画に触発され、ミサイルキャリアーとしてヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国は再就役を決定したのである。
そしてその戦艦再就役というまさかの事態に大日本帝国は衝撃を受け、両国の戦艦に匹敵する艦艇として打撃巡洋艦を設計したのである。連合艦隊にしても艦隊防空用の大型斥候艦は求めていた為に、戦艦に匹敵する重装甲、八咫鏡による圧倒的な防空能力、巨体を活かした膨大なSHKが魅力となり計画され建造された。
そして八咫鏡打撃巡洋艦翔鶴級は全長280メートル・満載排水量47400トン・武装25センチ連装砲4基8門、150ミリ単装砲4基4門、80ミリ単装砲4基4門、SHK280門、高性能20ミリ機関砲12基・搭載機18機という巨体にSHKを搭載した、ヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国の再就役させた戦艦以上のミサイルキャリアーであった。
八咫鏡巡洋艦筑摩級も全長230メートル・満載排水量23900トン・武装150ミリ単装砲4基4門、80ミリ単装砲4基4門、SHK180門、高性能20ミリ機関砲12基・搭載機4機という性能を誇っていた。装備の中で世界に先駆けて搭載したのが、高性能20ミリ機関砲だった。1969年に東京芝浦電気が受注し開発を開始した、全自動探知式機関砲である。
高性能20ミリ機関砲は甲板上に設置され、甲板下に配置しなければならない部分はない。5.5平方メートルの甲板と射界があれば、艦の経路からは操作用電源と冷却水の供給を受けるだけで作動できる。他の装置との連動が少なく、本装置だけで独立した兵器として運用可能であり、全備重量も比較的軽量であることから、大型艦艇から小型艦艇に至るまで搭載出来るものであった。
機関砲上部には白く塗られた円筒形のドームが配置されており、上側には捜索レーダー、下側には追尾レーダーのアンテナが設置されており、それにより全自動探知を行いミサイルや航空機を撃墜するものであった。分速5000発もの連射が可能であり当初給弾はベルト式で、円筒形弾倉が機銃の下方に配されていた。装弾数は1550発で空薬莢は回収装置によって再び円筒形弾倉に回収され、またもし不発弾が生じた場合も、空薬莢とともに回収され、再装填は30分以内に完了可能だったのである。
とはいえ装弾数1550発では分速5000発もの早さでは一瞬で撃ち尽くす為に、早期に改良型が開発され給弾方式はベルト式の円筒形弾倉から、ベルト式ながら甲板下からの直接給弾式に変更されたのである。これにより装弾数は1万発に向上し、継戦時間は改善されたのである。
八咫鏡打撃巡洋艦翔鶴級の搭載機18機は全て45式垂直離着陸機旋風であり、軽空母並みの航空機運用能力を有する贅沢な艦艇となっていた。八咫鏡巡洋艦筑摩級の搭載機4機は哨戒回転翼機であり、対潜哨戒も万全だった。
そして次が駆逐艦である。八咫鏡駆逐艦島風級であり全長195メートル・満載排水量12000トン・武装150ミリ単装砲2基2門、80ミリ単装砲2基2門、SHK100門、高性能20ミリ機関砲8基・搭載機2機というものであった。駆逐艦でありながら諸外国の巡洋艦を上回るか匹敵する巨体を誇っていた。大日本帝国海軍の特徴であるが将来的な発展性を考慮し、船体規模は諸外国のものよりも巨大化していた。野党や海軍の一部からは、的が大きくなるだけだとの批判があったが、海軍は将来的な発展性を優先した。
技術的には半導体や電算機の小型高性能さにより船体も小型化出来る事から、出来ないのでは無くやらないという大日本帝国海軍の決意が表れていた。
次は海防艦である。全長138メートル・満載排水量7580トン・武装150ミリ単装砲1基1門、80ミリ単装砲2基2門、SHK80門、高性能20ミリ機関砲4基・搭載機1機、という性能を誇っていた。対潜戦のみならず対空戦を重視した海防艦だった。諸外国のフリゲート艦相当の艦艇であり、大日本帝国海軍連合艦隊は鎮守府配備の警備用と空母戦闘群の前衛哨戒用として建造した。
比較的小型の規模であり、それを第二次世界大戦中を彷彿とさせるように大量建造を行って配備した。量産性は極限までに高められており、各種レーダーやソナー・電算機等の高度な電子装備も兼ね備えた、汎用性の高い海防艦に仕上がっていた。諸外国では十分に駆逐艦として運用される規模だが、先述したように大日本帝国海軍の特徴として船体は巨大化していた。
次は攻撃型原子力潜水艦である。攻撃型原子力潜水艦九頭竜級が建造されていた。全長110メートル・満載排水量9350トン・武装680ミリ魚雷発射管10門、SHK20門を誇る。汎ゆる分野で仮想敵であるヨーロッパ共同体海軍とアメリカ合衆国海軍の原子力潜水艦を凌駕する超高性能艦として設計
され建造された。
大日本帝国海軍連合艦隊は攻撃型原子力潜水艦大井級と名取級に自信をもっていたが、ヨーロッパ共同体海軍とアメリカ合衆国海軍の攻撃型原子力潜水艦の静粛性と水中運動性能は、向上しており攻撃型原子力潜水艦に於ける優位性は小さくなっていた。そこで設計建造されたのが攻撃型原子力潜水艦九頭竜級だった。
排水量は当初見積もりの3分の2に押さえられ、水中運動性能を確保するため、全長は攻撃型原子力潜水艦名取級よりも短縮された一方、幅・高さは増大し、名取級と比して肥えた船型となった。後述の[船体側面の平面アレイ]を装着する必要もあり、名取級と同じく、船体は円筒形の部分が多く取られている。
この時期の電算機では、潜水艦の船型や推進器が水流に与える影響について十分に演算出来るか不安視されたことから、九頭龍級を縮小した設計の無人潜水機が製作されて、試験に供された。
上記の経緯から、本級にはヨーロッパ共同体近海まで進入して[聖域]を脅かす役割が期待されており、音響 低被探知のため船体表面には特殊な処理が施され、セイルなどにはファイバーグラスが用いられているとされる。また氷海での行動能力も重視されたため、名取級と同じく前舵はセイルではなく船体に装着されたほか、セイルの形状も、海氷を突き破ることを想定した設計となった。なおセイルの前下方には整流用の覆いが装着されている。
船殻重量を増大させることなく船体強度の確保や潜航深度の増大を達成するため、耐圧殻にHK-130高張力鋼が採用された。これにより実用潜航可能深度は1000メートルを超える事になっていた。
動力源としてはS6T(S:潜水艦、6:6世代目の炉心、T:東京芝浦電機製)原子炉が採用され搭載された。これは一次冷却水について自然循環併用方式としており、最大出力までのかなりの部分でポンプを使用せずに運転できるようになったことで、雑音の大幅な低減を実現したといわれるている。また炉心寿命を延伸し、艦の退役まで燃料交換を必要としない設計としており、運用経費低減に貢献している。
推進器はポンプジェット方式とされた。これは通常のスクリュープロペラよりも推進効率の点では劣る一方、キャビテーション速度を向上させるほか、回転速度の問題も軽減するなど、騒音抑制の点で恩恵があった。
公表されている最大速力は35ノットだが、海上公試では37ノットを発揮したといわれており、39ノットに達するとする資料もある。また上記のような騒音低減策もあって、25ノットで航行しているときでも、岸壁に停泊して原子炉のみ作動させている状態の名取級よりも静かであると伝えられている。
搭載するSHKには巡航ミサイルのみが装填されており、艦艇攻撃のみならず対地攻撃も可能となっている。非常に高額な原子力潜水艦となったが、中曽根康弘総理の鶴の一声で従来の攻撃型原子力潜水艦全てを置き換える事が決定し、大量建造された。
次は戦略型原子力潜水艦である。戦略型原子力潜水艦親潮級が設計建造され、全長185メートル・満載排水量19850トン・武装680ミリ魚雷発射管4門、天之叢雲潜水艦発射弾道弾24基、SHK22門を誇る。
東側諸国で排水量・全長・潜水艦発射弾道弾搭載数・潜水艦発射巡航ミサイル搭載数が最大である。天之叢雲潜水艦発射弾道弾は、北極星潜水艦発射弾道弾と須佐之男潜水艦発射弾道弾に次ぐ3世代目の潜水艦発射弾道弾だった。
1970年代大日本帝国が保有していた戦略型原子力潜水艦は1950年代から60年代に開発・配備されたものであり、当時開発される原子力潜水艦はもっぱら攻撃型であった。ヨーロッパ共同体は大日本帝国に対する遅れを取り戻そうと、新型の戦略型原子力潜水艦開発し射程約8000キロの潜水艦発射弾道弾や射程約6500キロの潜水艦発射弾道弾などを次々と開発していった。
その為に1970年代前半からより長射程の潜水艦発射弾道弾である、須佐之男潜水艦発射弾道弾が実用化され、1972年には新型の天之叢雲潜水艦発射弾道弾の開発も決定していた。1974年には、これを搭載する新型の潜水艦として親潮級の開発が開始されたのである。
天之叢雲潜水艦発射弾道弾は射程12500キロを誇り、1基につき14発の460キロトン核弾頭を搭載する。つまり天之叢雲潜水艦発射弾道弾を24基搭載する親潮級は1隻で計336発程度の核弾頭を装備することになる。核弾頭1発あたりの核出力460キロトンは都市1 つを破壊するには十分な威力を備えており、海中深くに潜み隠密性が高い事から大日本帝国の核戦略で重要な役割を担っている。
次は揚陸艦である。強襲揚陸艦大隅級が大日本帝国海軍連合艦隊水陸両用部隊の主力となっていた。全長275メートル・満載排水量43500トン・搭載能力・陸戦隊2000名、空気浮体型揚陸艇3隻、戦車6輌、歩兵戦闘車30輌、自走砲5輌、榴弾砲10門、トラック55輌、兵站車輌10輌という陣容を誇っていた。
空中強襲による回転翼機揚陸艦硫黄島級を建造していた海軍連合艦隊であったが、
その後水陸両用部隊としての重装備の揚陸能力の不足が懸念されたことから、回転翼機揚陸艦と船渠型揚陸艦を統合し、全通飛行甲板による回転翼機の運用能力と船渠による上陸用舟艇の運用能力を兼ね備えた新しい艦種が構想された。これが強襲揚陸艦大隅級であり、20個空母打撃群構想により建造が開始された。
当初は回転翼機のみの搭載だったが、45式垂直離着陸機旋風の実用化により航空支援用として搭載される事になった。
強襲揚陸艦以外にも、回転翼機揚陸艦や船渠型揚陸艦・戦車揚陸艦が多数建造されている。そして各種支援艦艇として車輌貨物輸送艦・弾薬運搬艦・高速戦闘支援艦・補給艦を海軍連合艦隊は大量に保有している。
海軍陸戦隊は大規模な組織改編が行われていた。従来は海軍陸戦隊は4個陸戦師団を有する専門的な水陸両用戦部隊であったが、水陸両用戦部隊なのは変化が無かったが新たに[陸戦遠征軍]が編成された。その陸戦遠征軍の下に1個陸戦師団・1個陸戦航空団・1個陸戦兵站群・1個陸戦遠征旅団・3個陸戦遠征部隊が編成されていた。
航空部隊も含めた諸兵科統合部隊として組織改編され、上陸作戦のみならずその後も地上戦で活躍する部隊となっていた。
その陸戦遠征軍が3個編成され、大日本帝国海軍陸戦隊は海軍内の組織ながら巨大なものになっていた。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




