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続・帝國連合艦隊〜世界最終戦争〜  作者: 007


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新冷戦2

『ヨーロッパ共同体が中央アフリカ共和国侵攻を始めて泥沼化しつつあった1982年11月1日、田中角栄総理が総裁任期満了を迎えるに辺り中曽根康弘国防大臣を後継指名した。旭日尊皇党の総裁任期は1期3年で連続3期まで可能であり、田中角栄総理は残り1ヶ月を切っていた。

これにより1982年11月24日に行われた旭日尊皇党総裁選は、中曽根康弘国防大臣の無投票当選という結果になった。当然であろう。現職である田中角栄総理総裁から後継指名があったという事は、それは即当選を意味していた。何よりも長期政権を担った田中角栄総理の意向を、旭日尊皇党議員は無視出来なかったのである。

こうして中曽根康弘が旭日尊皇党総裁に就任し、翌日の帝国議会に於ける首班指名選挙で衆議院・貴族院両院で圧倒的多数により中曽根康弘総理が誕生した。そして成立した中曽根康弘政権は、当時の旭日尊皇党のタカ派が全て入閣する強力な政権になったのである。

中曽根康弘(64歳)が総理大臣であり、主な閣僚は副総理兼内務大臣が後藤田正晴(68歳)、国防大臣が石原慎太郎(50歳)、科学技術宇宙大臣が浜田幸一(54歳)、官房長官が平岡公威(ペンネーム三島由紀夫・57歳)、外務大臣が安倍晋太郎(58歳)、大蔵大臣が橋本龍太郎(45歳)、統合幕僚作戦司令本部総長が岩里政男元帥(李登輝・59歳)、陸軍参謀総長が福田定一大将(ペンネーム司馬遼太郎・59歳)というものだった。

中曽根康弘総理は、強烈な反共主義者(反共和主義者)でヨーロッパ共同体には強硬な態度に出るとみられていた。

中曽根康弘総理は総理就任前の田中角栄政権時での国防大臣だった1982年5月、それまでの大日本帝国とヨーロッパ共同体の核軍備管理の名称を[戦略兵器制限交渉]から[戦略兵器削減条約]に名称を改め、ヨーロッパ共同体との交渉を行っていた。だが当時ヨーロッパ共同体側の大陸間弾道弾の7割が陸上に配備されているのに対して、大日本帝国は2割に過ぎずヨーロッパ共同体にとっては不平等で交渉は進展しなかった。その為に結局は中曽根康弘総理が就任した直接の、1982年11月28日に戦略兵器削減条約はヨーロッパ共同体が交渉は決裂を宣言した。

そんな中で1983年を迎えた。当時ヨーロッパ共同体は中央アフリカ共和国侵攻前の1975年から留まることなく軍備増強を続けた結果、ヨーロッパ共同体の軍事力は1983年までに大日本帝国に肉薄し一部では凌駕するまでに巨大化していた。それまで大日本帝国の軍備は特に陸軍は数の上ではヨーロッパ共同体に及ばないものの、技術面では圧倒的にヨーロッパ共同体を寄せ付けない先端技術を保持し続けており、これがヨーロッパ共同体に対する[質の脅威]であり得たが、1980年代におけるヨーロッパ共同体の科学技術の進歩はこの両者の開きをかつてないほど狭いものにしていたのである。

その槍玉にあげられたのが緊張緩和だった。前任の田中角栄政権時点で緊張緩和は失敗だったとして否定し、代わりに[力による平和]と呼ばれる一連の外交戦略でヨーロッパ共同体と真っ向から対抗する道を選んでいた。それは中曽根康弘政権で更に過激になり、ヨーロッパ共同体を[悪の帝国]と名指しで非難し。そして田中角栄政権で陸海空軍の広範な基礎技術革新による新兵器開発を強力に推し進めていた結果が表れ、開発期間の基礎が終了した事から1983年3月23日中曽根康弘総理は大規模な軍備増強計画を発表した。


その概要は以下の通りである。

国防費を大幅に増額して[宇宙戦争計画]と[20個空母打撃群構想]を大規模に推進する。

ヨーロッパ共同体はこれに追いつこうとするあまり、より一層の無理を強いられる。

その結果中央アフリカ共和国侵攻の泥沼化でただでさえ逼迫しているヨーロッパ共同体の国家財政は破綻し、社会保障制度が麻痺する。

ヨーロッパ共同体の国民はそんな共和主義政権を見限りヨーロッパ共同体は崩壊する。

という脚本だった。



宇宙戦争計画は通称であり、正式名称は[戦略防衛構想]であった。これは宇宙空間に大量の軍事衛星を打ち上げ、ヨーロッパ共同体の大陸間弾道弾を可視光線レーザーで撃ち落とすというものあった。あまりの非現実さから当時大日本帝国で公開された映画である宇宙戦争(撮影技術の不足から4作目に当たる作品から製作するという、長期的視野による壮大な銀河系戦争の映画である。「加護と共に有らん事を」という映画内の台詞が有名になった。)から採って[宇宙戦争計画]と呼ばれた。

中曽根康弘総理側近の科学顧問からも実現は不可能であると、進言していたが最終的に数十兆円もの資金が戦略防衛構想に投資された。中曽根康弘総理は[強い大日本帝国]を目指し強力に軍備増強計画を推進し、その目玉は[20個空母打撃群構想]であった。

その[20個空母打撃群構想]は文字通り海軍連合艦隊の大規模な軍備増強計画であったが、陸軍と空軍も大幅に増強される事になった。1983年当時大日本帝国のGDPは約1173兆円であり、国家予算は約284兆円を誇っていた。その中で国防費は約75兆円という巨額の資金を投入する事になったのである。

この大日本帝国の大規模軍備増強にヨーロッパ共同体も、真っ向勝負を挑む事になった。1983年当時ヨーロッパ共同体のGDPは約225兆円、国家予算は約80兆円、国防費は約44兆円であった。名目上の経済規模(GDP)は大日本帝国の数分の一であったにもかかわらず、国防費の絶対額は大日本帝国の半分以上に達しており、経済規模に対する負担率(対GDP比で約15〜20%)が異常に高かったのが特徴である。

大日本帝国の大規模軍備増強計画は、大東亜共栄圏と東側諸国も賛同し冷戦最後の軍拡競争として、新冷戦を彩る事になった。

特に中華民国の鄧小平国家主席、ロシア連邦のミハイルゴルバチョフ大統領、インド連邦のラジーヴガンディー首相、イタリア王国のアミントレファンファーニ首相等が強力に軍備増強を推進した。

アメリカ合衆国もロナルドレーガン大統領が、ヨーロッパ共同体に追従し[600隻艦隊構想]の大規模軍備増強計画を推進した。

東西両陣営の大規模軍拡競争は、それまでに進行していた核軍縮協議を全て御破算にした。ヨーロッパ共同体はロシア連邦とイタリア王国等を標的にした短距離弾道弾を増強し、中東を標的とした中距離弾道弾も増強した。大日本帝国を目標にした大陸間弾道弾と戦略爆撃機・潜水艦発射弾道弾は、老朽化が進行していたがヨーロッパ共同体の予算不足により更新が出来なかった。

その点が大日本帝国との最大の違いであり、大日本帝国が軍備増強により全ての核兵器を更新したのとは大きな違いだった。

通常兵器もヨーロッパ共同体は予算不足で大規模な更新が行えず、特に陸軍は巨大過ぎる組織が故に最新鋭兵器は第一線級部隊の3割にしか配備出来なかった。

その点も大日本帝国は陸海空軍全ての兵器が最新鋭兵器に更新されたのとは大きな違いだった。


ヨーロッパ共同体は1985年3月10日、フランソワミッテランが指導者となる。ミッテランの就任前後の評価は様々で、中華民国国家主席鄧小平はミッテランを話せる指導者と評価した。日欧の関係改善に取り組む意思があると見る者もいれば、強力な指導者となりうると危惧する者もいた。これまでのヨーロッパ共同体指導者としてはかなり教養が高いという意見もあった。

そしてこのミッテランの登場により、東西冷戦は終幕を迎えたのである。』

小森菜子著

『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋

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