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続・帝國連合艦隊〜世界最終戦争〜  作者: 007


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新冷戦

『1978年4月、中央アフリカ共和国にて陸軍の参謀長がクーデターによって軍事政権である[最高軍事評議会]を樹立し、同評議会の議長に就任した。憲法は停止され、議会・政党活動も中止された。軍事クーデターを起こした軍事政権をヨーロッパ共同体は承認した。これはヨーロッパ共同体が支援した事による軍事クーデターだからであった。これにより中央アフリカ共和国は大日本帝国流の[東側資本主義]から、ヨーロッパ共同体流の[西側資本主義]に移行した。

しかし大日本帝国流の[東側資本主義]である公平分配型から、ヨーロッパ共同体流の[西側資本主義]である傾斜分配型への移行は極端で大規模な貧富の格差を招いた。

それは大日本帝国が[2億総中流]を成し遂げ、世界で唯一[完成された社会主義国]と揶揄されている資本主義とは全く歪な経済状態になった。そしてその急進的な西側資本主義政策に民族主義勢力の反発を招き、1979年3月に民族主義者による反乱が起きる。

最高軍事評議会はヨーロッパ共同体に軍事援助を要請するが、最高軍事評議会政府の首相が、その補佐官によって殺害され、さらに補佐官が大日本帝国に接触していることを掴んだヨーロッパ共同体は、1979年12月25日、中央アフリカ共和国侵攻を開始する。

ヨーロッパ共同体はアフリカ大陸でようやく新たな親西側国家を増やしたのに、大日本帝国がサラワク危機以後のようにカウンタークーデターを画策するのではないかと疑った。この時期大日本帝国は大東亜共栄圏加盟国に新型の中距離核戦力を配備する決定を行っていたため、ヨーロッパ共同体側は中央アフリカ共和国に中距離核戦力が配備される可能性を危惧したのだ。

1979年12月25日のヨーロッパ共同体による中央アフリカ共和国侵攻当時の大日本帝国総理は、旭日尊皇党総裁選に勝利し3期目(旭日尊皇党の総裁任期は1期3年で連続3期まで可能)の任期に入っていた田中角栄が務めていた。そして第二次戦略兵器制限交渉締結に向けて、ヨーロッパ共同体と交渉を行い首脳間交渉では妥結に至っていた。だがヨーロッパ共同体の中央アフリカ共和国侵攻により、第二次戦略兵器制限交渉は大日本帝国帝国議会での審議取下げが行われ、田中角栄総理は大東亜共栄圏加盟国と東側諸国に向けて1980年に開催されるパリ五輪の参加拒否を呼びかけた。また田中角栄総理はヨーロッパ共同体に対して経済制裁措置を課した。このようにして始まった大日本帝国とヨーロッパ共同体の対立を新冷戦と呼ぶ事になり、東西冷戦の最終局面の始まりだった。

大日本帝国の呼び掛けにより大東亜共栄圏加盟国は、パリ五輪の参加拒否と経済制裁には全面的に応じた。東側諸国も殆どの国が参加拒否と経済制裁に賛同したのである。ヨーロッパ共同体は文字通りヨーロッパ全域の国家になるが、市場規模は圧倒的に小さく東側諸国にとっては経済制裁の対象にしても、何ら問題は無かったからだ。

そして大日本帝国は民族主義者に対して、エチオピア帝国とスーダン経由で武器や資金を援助した。これによってヨーロッパ共同体は、民族主義者に対して苦戦するようになる。

何せ中央アフリカ共和国侵攻を開始したヨーロッパ共同体はアフリカ大陸を回り込んで、カメルーンに通行許可を貰い延々と陸路で軍事力を送り込むしか方法が無かったのだ。

それは中央アフリカ共和国が文字通りアフリカ大陸中央に位置し、周囲を大東亜共栄圏加盟国や東側諸国が位置し、唯一カメルーンが第三世界諸国だった事が理由だった。だがカメルーンも大日本帝国以下東側諸国に配慮し全面的に協力せず、法外な料金で通行許可を行いながら開放したのは道路と港・僅かな空域だけだった。

鉄道や高速道路は利用不可とし、燃料や食糧も一切補給しないという徹底振りだった。カメルーンが許可したのは、[単に通るだけ]というものだったのだ。しかも法外な料金で通行許可を行いながら大日本帝国以下東側諸国には、ヨーロッパ共同体の軍事的圧力で仕方なく許可したと泣き付き、大日本帝国はヨーロッパ共同体を強烈に非難し大東亜共栄圏以下東側諸国もそれに続いたのである。

ヨーロッパ共同体は泥沼にはまろうとしており、この中央アフリカ共和国侵攻が最終的に冷戦崩壊とヨーロッパ共同体崩壊の一因になった。中央アフリカ共和国侵攻による直接的な補給や作戦自体の費用は、当時の巨大なヨーロッパ共同体経済にとっては致命的・尋常ではないほど巨大という訳ではなかったが、それ以外の[構造的な致命傷]がヨーロッパ共同体を崩壊へと追い込んだのである。

そもそもの中央アフリカ共和国侵攻による陸路の補給と兵站線の現実は、大日本帝国のソマリア戦争と同じく輸送船による輸送の理由である程度は費用は抑えられていた。だが先述したように鉄道や高速道路は利用不可であり、燃料や食糧も一切補給出来ずにカメルーンを通り、中央アフリカ共和国に進出した。

そして中央アフリカ共和国に進出した瞬間に民族主義者による襲撃や地雷の標的になり、トラックが破壊される被害は日常茶飯事だった。しかしヨーロッパ共同体側は圧倒的な物量と航空支援でこれをこじ開け続けたのだ。

とはいえ冷戦崩壊後の機密情報開示によるとヨーロッパ共同体による中央アフリカ共和国侵攻は、大日本帝国の帝国情報保安局などの推計によると、ヨーロッパ共同体が中央アフリカ共和国侵攻に直接費やした費用は、1979年から1986年の7年間で約700億ユーロと見積もられていた。

これは当時のヨーロッパ共同体の国家予算全体のわずか2〜3%程度に過ぎなかった。直接の戦費は国家予算の数%だったにもかかわらず、なぜこの戦争がヨーロッパ共同体にとって[致命傷]になったのか。そこにはヨーロッパ共同体特有の事情があったのだ。

まずは経済の構造的疲弊だった。当時のヨーロッパ共同体は既に中央集権的な計画経済の破綻と、ヨーロッパ共同体流の[西側資本主義]である傾斜分配型による実体経済と市場経済の尋常な乖離により経済成長率がゼロに近い状態だった。そんな中で軍事費全体が国家予算を圧迫しており、貴重な西側諸国への軍事支援と合わせ、中央アフリカ共和国侵攻による継続的なコストは細る経済に重くのしかかった。

そこに同時期、大日本帝国の中曽根康弘総理が[宇宙戦争計画]等の大規模な軍拡を打ち出していた。ヨーロッパ共同体はこれに対抗して無理な軍事費のつり上げを行わざるを得なくなり、経済が完全に窒息したのだ。既に末期症状だった計画経済と過剰な軍拡競争の最中に、出口のない泥沼の代理戦争を抱え込んでしまい、社会の信頼と国家の延命エネルギーをすり潰してしまったというのが、ヨーロッパ共同体崩壊への本当の構図であった。


ネタバレしてしまった為に、中央アフリカ共和国侵攻に話を戻す。ヨーロッパ共同体軍は下記のような戦術を用いて中央アフリカ共和国での戦闘を行った。

ヨーロッパ共同体陸軍第40軍(10万人以上の地上部隊で構成)の展開。航空支援、兵站部門、内務省の部隊及びヨーロッパ共同体軍参謀本部情報総局傘下の国境警備隊、それから他の種々雑多な部隊を含めると、総勢で約18万人を派遣した。

だがヨーロッパ共同体軍の戦闘教義はもともと平原及び丘陵地帯における正規軍相手の電撃戦及び総力戦を前提としたものであり、ゲリラ及びパルチザンの掃討作戦や山岳戦・熱帯雨林戦を想定していなかったため、戦闘では苦戦を強いられたのである。

ソマリア戦争における大日本帝国軍と同様に回転翼機で機動する治安作戦、掃討作戦が中央アフリカ共和国全土で多く実施されたが、目覚しい戦果はあがらなかった。9年間に渡る戦争において平均して中央アフリカ共和国に駐留したヨーロッパ共同体軍の兵力は10万人強である。1984年頃ヨーロッパ共同体陸軍首脳は政府に対し地上兵力増強を要求した。

軍の要求した兵員数は30万人で駐留軍を3倍に増やすというものであった。中央アフリカ共和国のゲリラ勢力は最大でも10万人であり、30万人増強が行われれば反政府勢力は壊滅していた可能性もある。戦闘が最も激しかった1985年のヨーロッパ共同体軍の総兵力は実に約1250万人(ヨーロッパ共同体はブルガリアとスイスを除くヨーロッパ全域を支配しており、人口は4億8000万人にも及んでいた)であり陸軍は約900万人という大きなものであったが、その世界最大の陸上兵力を持つヨーロッパ共同体軍が、より多くの兵員を中央アフリカ共和国に投入出来なかったのは経済面を含んだ輸送力の不足のためであった。

対ゲリラ専用に戦闘ヘリコプターが多数投入され、航空戦力を持たない民族主義者にとって大きな脅威になった。しかし大日本帝国が民族主義者に携帯式地対空誘導弾を供与したため、ヨーロッパ共同体の戦闘ヘリコプターの脅威は限定的なものとなった。』

小森菜子著

『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋

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