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続・帝國連合艦隊〜世界最終戦争〜  作者: 007


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宇宙開発競争2

『ソマリア戦争の期間中を含む1960年代は、大日本帝国とヨーロッパ共同体による宇宙開発競争、所謂[月レース]が激しく繰り広げられていた。宇宙開発競争の号砲は1955年7月24日に打ち鳴らされた。大日本帝国沖縄県嘉手納宇宙基地からR-1ロケットが打ち上げられ、そしてR-1ロケットは静止軌道上に世界初の人工衛星である、高天原を投入する事に成功したのであった。このR-1ロケット(Rは単純にロケットのローマ字頭文字)は世界初の宇宙ロケットであり、ロシア人技術者セルゲイパーヴロヴィチコロリョフと日本人技術者糸川英夫が、実用化したものだった。

コロリョフ技術者と糸川技術者は大日本帝国のロケット開発の中心人物であり、その2人を強力に支援するのが中央省庁に新設された科学技術宇宙省の外局である、宇宙開発事業団であった。そして大日本帝国は科学技術宇宙省の下に宇宙開発は一本化されており、宇宙開発事業団がその実務を担っていた。

そんな中でヨーロッパ共同体はドイツ州のヴェルナーフォンブラウン技術者を、欧州宇宙機関の責任者として経済成長に比例して膨大な予算を投入した。そしてその膨大な予算によりブラウン技術者以下、ヨーロッパ全域から集結した技術陣は期待に応えた。大日本帝国から遅れる事僅か2年で欧州宇宙機関は、V-9ロケットにより人工衛星コメットを静止軌道上に打ち上げたのである。

それは大日本帝国にコメットショックと呼ばれる衝撃を与えた。自分達が絶対的に優位性を保っていると思っていた宇宙開発競争に於いて、ヨーロッパ共同体が猛追して来たのだ。このコメットショックはウサギとカメの逸話になぞらえて、大日本帝国の怠慢であると大東亜共栄圏や東側陣営からも不満の声が出た。

その為に大日本帝国は科学技術宇宙省の予算を増額し、宇宙開発事業団にさらなる高みを目指ささせる事になった。これにより大日本帝国の国家予算は暫くは軍事費と宇宙開発予算にかなりの比重を置くことになったのである。

そして大日本帝国はコロリョフ技術者と糸川技術者を頂点として作り上げた[宇宙土建屋集団]である宇宙開発事業団は、雨後の竹の子のごとく組織を肥大化し、次々と実験と開発、打ち上げを繰り返す事となる。時を同じくしてヨーロッパ共同体も本格的に宇宙開発を開始しており、東西両陣営のイデオロギー競争を呆然と眺めていた中南米とアフリカ諸国にして、これこそが資本主義の悪夢だと言わしめるに至った状況だった。

だが日本人達は自分たちの歴史的には一瞬になしえた今の繁栄が、何を原則として成立したか知り抜いており、だからこそ新たな挑戦に対してもその原則を最大限で当てはめたに過ぎなかった。

宇宙開発事業団は、1953年4月に暫定成立しその次の年には本格稼働、そして発足3周年を待たずして人員1万人の巨大組織となり1955年初夏、ついに日本人の手によるロケットを天空の高みに到達させる事に成功した。

その後宇宙開発事業団はR-2ロケット、R-3ロケットと続々と大型ロケットを開発し打ち上げていった。どちらも3段式で、大型エンジンを8基で1つとした集束式(クラスター式)エンジンを搭載していた。この集束式ロケットエンジンはIHI(1953年に石川島播磨重工業から名称変更)が開発した新型エンジンだった。

R-3ロケットの時点で全高80メートルに達する巨大ロケットであり、そして空軍が武御雷二型大陸間弾道弾と国造二型大陸間弾道弾を実用化すれば、それはR-6ロケットとして宇宙開発事業団が衛星打ち上げロケットに利用するという事になったのである。R-6ロケットで遂に全高95メートルになり、100メートルに迫る巨大なものになった。

そして1958年に宇宙開発事業団は、R-7ロケットを実用化した。全高115メートル、3段式で大型エンジンを15基で1つとした集束式(クラスター式)エンジンを搭載していた。

このR-7ロケット実用化により宇宙開発事業団は宇宙開発目標として、[低高度軌道の衛星軌道上に恒久的な宇宙基地を建設する]と発表したのである。そして軌道基地を建設後に、そこを中継して月を目指すというものだった。これは宇宙開発事業団に於いて[かぐや計画]と命名され、大日本帝国は宇宙開発競争に於いてヨーロッパ共同体に立ち向かう事になった。そして未曾有の宇宙開発に際して、大日本帝国の様々な地域で多数の象徴的なものの建設が開始された。

なかでも濃尾平野地域の沿岸部に大きなラインの組まれたR-7ロケット生産工場群は、距離感を狂わせる程の巨大さを誇っており、5万トンクラスの大型船が接岸できる港を近くに持った巨大なものであった。そしてそこではまるで自動車を作るかかのような速度で大量のロケット建造を行っており、特注の大型クレーンを装備した、専用運搬船も何十隻も整備されていたのである。

これを見た大東亜共栄圏加盟国は一様に、いったい日本人達は何をそこまで急いで宇宙を目指すのかに全く疑問に思ったと言われる為に、よほどの規模とスピードだったのだろう。日本人にすれば単に経済原則に則っただけであり、一度坂道を転がりだしたら自分たちで制御できないぐらい規模が大きくなるのはいつもの事だったが、確かに急いでいるように見えるのは当然といえば当然なのだろう。

だが大日本帝国はそうした海外の目を全く無視するかのように、これらの工場を頂点としてその絶頂期には(と言っても状況は現在も継続中だが)、小は下町の数人しかいない小さな町工場から、大は100万トンもの建造能力を誇る1000メートルドッグを持つ巨大造船所までが、この新たな産業へ積極的に参加し、競争原理の働きから日本人の視点から見るなら実に大きな成果がこのときに得られる事になる。もちろん、得られた事は政府のみならず各企業が投下した莫大な開発資金と基礎技術の広範な成長、経済原則に伴うコストの低下であった。


こうして[かぐや計画]はものすごい馬力としか言い様のない状態であったが、何せ1963年までに総重量5000トンもの物資を地上から400キロメートルの宇宙空間に上げてしまわなければその存在価値を疑われる彼らにしてみれば当然の行動であった。

そしてそこから1960年代の間までに月面に人類を送り込まなければならないのだ。一見無茶な計画であったが、宇宙開発事業団はやる気に満ちていた。何せ大日本帝国政府により計画を推進する為に、巨額の予算を与えられていたのだ。それにより嘉手納宇宙基地には建造されたR-7ロケットが次々と送り込まれ、軌道基地の建設資材を搭載して打ち上げられた。

当然ながら軌道基地建設に並行して各種衛星も打ち上げる必要があり、嘉手納宇宙基地では毎日のように打ち上げが行われていた。何せ嘉手納宇宙基地には発射台が15基並べられ、その異常な発射体制が維持されていたのだ。

この時点で宇宙開発に直接関わる人員の数、つまり宇宙開発事業団に属する人々は末端まで含めると既に5万人を突破していた。しかもこれに民間企業や大学・研究機関を含めると、約60万人にも達していたのだ。


大日本帝国のこの勢いは異常だった。


この間ヨーロッパ共同体は月に無人探査機を送り込み、アメリカ合衆国も宇宙飛行士に宇宙遊泳を成功させた。だがそんな中で日本人はひたすら衛星軌道上のみを見つめ、そこに必要と思われるものを次々に送り込んでいた。軌道基地の建設資材は当然ながら、軍用の各種偵察衛星・通信衛星・民間用の様々な衛星も打ち上げられた。一般人に目に見える成果としては、大日本帝国が世界最初に衛星放送を実現した事と、アジア全土をカバーする気象観測衛星を打ち上げが挙げられると思う。

大日本帝国そして宇宙開発事業団は、自らのかぐや計画のみをただひたすら強力に推し進めていたのだ。




そして1963年7月25日、大日本帝国政府は2日前に打ち上げられたR-7ロケットが打ち上げた物体が、低高度軌道の衛星軌道上に於いて構造物を構成する事になった事を受けて、大々的に発表を行った。池田勇人総理自らが行った発表は政府が設けた嘉手納宇宙基地の特設会場と、衛星軌道上のその奇妙な構造物の中からの二元中継が行われ、世界中の度肝を抜いた。当然世界中に衛星放送で伝えられたのである。

池田勇人総理が発表したのは大日本帝国宇宙開発事業団が成し遂げた人類史上初の快挙となる、日本人が建設した[軌道基地きぼう]が初期目標を達成した事だった。

軌道基地きぼうは総重量5000トンに達し、最大長400メートルを越える巨体であり、もちろん衛星軌道にありながら人間が目視が可能なものの中で人類が生み出した最大の建造物だったのである。

軌道基地の主な動力は大電力を生み出せるだけの太陽光発電盤ソーラーパネルを展開することで対応された。このため[きぼう]は、見た目のかなりの部分を太陽光発電盤が占めることになり、一見太陽光発電所のような外見をしていた。しかしその中には常時6名、最大10名もの長期滞在が可能なだけの居住空間とそれだけの人間が実験を行うための施設が備えられていた。これは人類史上初の長期宇宙滞在を可能にするものだった。

これは大日本帝国も含め、ヨーロッパ共同体・アメリカ合衆国が今まで宇宙飛行士を宇宙空間に、短期間しか滞在させられなかった事を考えると驚くべき長期間の宇宙での活動が可能になった。しかも[きぼう]はこれで完成では無く、長期的な運用を想定し更なる拡大が続けられる事が決定しており、既に拡大の工事も開始されていた。

そしてかぐや計画としてはこの[きぼう]を中継地として月面探査を行う事になっており、宇宙開発事業団は次の目標として月面探査機と月ロケットの実用化を推し進めていた。

更に驚くべき事に宇宙開発事業団はこの時点で[きぼう]への宇宙旅行を宣伝し、半年間の訓練を経て2周間の[きぼう]滞在が行えると発表していた。この発表は大日本帝国国民を始め世界中が驚いた。まさかの発表であり、宇宙が一気に身近になった瞬間だった。

これはヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国以下西側諸国を驚かせ、宇宙開発競争で自分達の方が優位だと思っていたのに一瞬で追い越される結果になってしまったのだ。何せ自分達は巨大なロケットを打ち上げ、最大でも3名が船外活動を含めて宇宙空間での各種活動を行っていたが、大日本帝国は軌道基地で最大10名が長期滞在出来るのだ。しかも軌道基地内では無重力空間による実験を行う事が出来る為に、研究分野での実績でも大幅に有利だった。それに加えて宇宙旅行まで大々的に宣伝したのだ。ヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国は慌てて首脳会談を行い、大日本帝国に対抗する為に自分達も軌道基地を建設しようとしたが、どう考えても不可能に近かった。まず第一に予算が足りなかった。現状でもヨーロッパ共同体は[ルナ計画]、アメリカ合衆国は[アポロ計画]を立案し月を目指していたが、その計画には膨大な予算が必要不可欠だった。

しかも大日本帝国以下東側諸国との軍拡競争も行っており軍事費も膨大な額が必要で、そもそもの社会保障やインフラ等の国家を運営する上での予算も必要不可欠だった。更に仮に予算を捻出出来たとしても大日本帝国の嘉手納宇宙基地のような、広大な打ち上げ施設が無い為に毎日のように連続した打ち上げは不可能だった。

その為に大日本帝国のように軌道基地を建設しようとすると、まずは打ち上げ施設の建設から始めて毎日打ち上げを可能とする為に、ロケットの生産工場を拡大しなければならず、そうなると予算が不足してしまう、というどうしようもない泥沼に首脳会談は終始した。しかも時期的にソマリアでの南北対立が過熱し始めており北ソマリアへの軍事援助も強化しなければならなかった。その為にヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国は、それぞれの計画を加速させるという何とも場当たり的な合意をして首脳会談を終えた。


そして大日本帝国であるがこれだけの大計画であるにも関わらず、大日本帝国一国だけで財政面、人材面全てを賄っていたのである。大日本帝国は大規模に低高度軌道を目指すと決めた段階から、[ヒト・モノ・カネ]を大々的に投入したのだ。

何せ当時の大日本帝国は第二次世界大戦終結後、何度目かの好景気である[いざなぎ景気]の真っただ中で、常に国家予算は拡大し続けていたのである。

大日本帝国の国家予算は[きぼう]の初期目標達成時1963年度で約54兆円であり、宇宙開発事業団の予算は約3兆4800億円だった。軍事費は約28兆円であり、GDPは約320兆円だった。因みにかぐや計画の総予算は11年間で約29兆円にも及び、軌道基地建設・月面探査を成し遂げたのである。11年間の期間はあったが、大日本帝国はGDPの約1割をかぐや計画に投入していた。

宇宙開発事業団は大日本帝国の1つの国家機関でありながら大東亜共栄圏加盟国それぞれの国家予算を遥かに上回る・同等・過半数、いずれかの金額に匹敵する程の凄まじい規模の国家投資であったのである。

その為に大東亜共栄圏加盟国は当初は大日本帝国の宇宙開発に協力しようとしていた。だが大日本帝国の宇宙開発は規模と速度が異常であった。大東亜共栄圏である程度の国力を有していた中華民国・満州帝国・インド連邦・イタリア王国・オーストラリア共和国・ロシア連邦は、大日本帝国に協力して自らの技術力向上を狙っていた。

だが大日本帝国は正直に言えば大東亜共栄圏を頼っていなかった。それにより大東亜共栄圏は大日本帝国に協力を呼び掛けタイミングを逃したのである。

というより大東亜共栄圏加盟国は自らの財政的に大日本帝国に何ら支援が出来ない事を痛感し、大日本帝国の異常なまでの宇宙開発をある種呆然と眺める事にしたのである。』

小森菜子著

『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋

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