ソマリア戦争4
『モガディシュでのまさかの市街地戦は大日本帝国軍、中でも統合幕僚作戦司令本部を慌てさせた。何せソマリア戦争は、史上初のテレビでの生中継が行われた戦争であった。特に当事国である大日本帝国では壮絶な戦場の様子や北爆に関連した報道は、影響の大きさからテレビ局は生中継を行っていた。何せこれらの映像による報道の影響の大きさを受けた大日本帝国政府は戦場報道の重要性を認識し、報道操作に力を注いでいた。
そんな中で順調な筈の戦争で安全な後方での市街地戦も、大日本帝国本土には生中継されて全てが白日の元に晒されていた。その為に国民世論で厭戦気分が高まる可能性を、大日本帝国軍、統合幕僚作戦司令本部、そして池田勇人総理以下政府は危惧した。帝国議会も戦時中であり、挙国一致態勢を揺るがす事は避ける判断を採った。
だが政府や軍が危惧した厭戦気分が高まる事は無かった。それよりも寧ろもっと大規模に攻勢を強め、断固としてソマリアを安定させるべきだ、と更に強硬論が高まっていた。
それを受けて池田勇人総理は、ソマリア戦争に於いてより大規模な作戦を果敢に実行すると帝国議会の演説で表明した。そして1965年6月1日から、大東亜共栄圏統合軍総司令官島田大将の指揮により、更に大規模な索敵殺害作戦が開始された。回転翼機も今まで以上に投入され、しかも戦時量産体制が整った事から大東亜共栄圏加盟国にも提供され、大規模な空中機動が実施され歩兵部隊は的確に索敵殺害作戦を実施した。大日本帝国空軍の戦略爆撃機富嶽改・15式戦略爆撃機轟天・18式戦略爆撃機銀河による北爆も、北ソマリアを焦土と化し圧倒的な破壊力を見せた。
そしてソコトラ島近海のサムライステーションに常駐する、大日本帝国海軍連合艦隊の空母戦闘群は全力出撃による北爆を敢行した。17式戦闘爆撃機秋水・20式戦闘爆撃機電光・23式攻撃機極星の空母艦載機は北ソマリアの首都を筆頭に空軍基地や陸軍基地を徹底的に爆撃した。3隻の補助空母からは早期警戒機や電子戦機も蒸気カタパルトで射出され出撃し、航空管制を行い北ソマリアのレーダーや通信を妨害したのである。
そしてサウジアラビア王国とイラン帝国の空軍基地からは、14式戦闘機月光・18式戦闘爆撃機雷電・15式戦闘機天雷・17式戦闘機閃電・20式戦闘爆撃機電光・20式攻撃機橘花・14式攻撃機桜花が続々と出撃し、北ソマリア各地に空爆を行った。そのように順調に北進を進めていたが、大日本帝国では驚くべき事態が起きた。
それは軍事的な事態では無く、政治的な事態だった。1965年6月20日、帝国議会衆議院での予算委員会審議中に池田勇人総理が吐血し、救急搬送されたのである。
元々は1964年9月に、池田総理は体調不良で入院したがアデン湾事件の直後という事もあり、数日の療養だけで退院したのである。病院発表では前ガン症状だったが、実は末期の喉頭癌であった。だが池田総理は病院には末期癌だと発表させず、内閣にも末期癌だとは知らせなかった。
だが帝国議会衆議院予算委員会審議中という、テレビによる生中継の最中での吐血による救急搬送となり、もはや隠しようは無かった。これを受けて7月1日に、池田総理は辞意表明。後継を巡っては、選挙を行うと前回総裁選の盛大な金権選挙が再現されて禍根を残すことから、副総裁と幹事長の調整により、前総裁選で次点の佐藤栄作を無投票で選出する事になった。
こうして1965年7月2日、佐藤内閣が成立する。佐藤栄作総理は帝国議会での施政方針演説に於いて、池田勇人前総理のやり残したソマリア戦争と月面探査(詳細は次項に描写する)をやり遂げる、と力強く表明した。その施政方針演説を受け肩の荷が下りた池田勇人前総理は、1965年7月5日入院先の病院で没した。
その池田勇人前総理の死去は、ソマリア戦争の前線で戦う将兵達を鼓舞した。大東亜共栄圏加盟国も盟主である大日本帝国総理の死去に、一致団結した行動を見せた。そしてソマリア戦争での戦闘は、圧倒的に大東亜共栄圏の有利となった。北ソマリアは圧倒的な大軍の大東亜共栄圏統合軍の前に敗走を続け、大日本帝国空軍と海軍連合艦隊空母戦闘群による北爆が追い打ちをかけた。ヨーロッパ共同体は陸路による援助が、費用対効果に合わないとして既に援助を打ち切っており北ソマリアはまともな打開策が無かった。
そして1965年8月8日、北ソマリア政府は無条件降伏を表明。それを受けて大日本帝国は大東亜共栄圏総本部に北ソマリア政府とソマリア連邦政府を招き、[ソマリア統一条約]を調印した。これには大東亜共栄圏加盟国も調印し、東側諸国の総意によりソマリアは無事に南北再統一を果たす事になった。
これにより冷戦下に於ける代理戦争は、再び大日本帝国の勝利に終わったのである。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




