ソマリア戦争直前の軍事力4
『最後に正確には軍事力とは言えないが、大日本帝国には重要な組織である海上保安庁について見ていく。
そもそも海上保安庁は第一次世界大戦後の1922年に設立された、輸送船団護衛と領海警備専門部隊であり、当時は海軍省外局としての準軍事組織となる。設立の理由は第一次世界大戦に於いてドイツ帝国の無制限潜水艦作戦による通商破壊作戦が、大英帝国を海上封鎖に追いやりかけた事により同じ海運国家として、海上輸送路の確保が国家の命運に繋がると判断されたからである。輸送船団護衛は[護衛隊群]と呼ばれる部隊が担っていた。第二次世界大戦開戦時点では海上保安庁は6個護衛隊群を保有していたが、開戦直後に海上保安庁は[戦時増強計画]を策定し20個護衛隊群にまで増強する事を決定し、帝国議会でも承認されていた。そして順調に戦時増強計画が進行し護衛隊群も計画通りに増強され、戦争終結まで大日本帝国の海上輸送路を守り切る事に成功した。領海警備は大日本帝国の広大な領海を警備しており、[警備艦(当時は海防艦)]を各港や海軍の鎮守府・警備府に配備して行っていた。
海上保安庁の規模は他国の沿岸警備隊に比べて段違いに大きく、何と言っても航空護衛艦という名で事実上の軽空母を保有している点が大きかった。しかも航空護衛艦も蒸気カタパルトを装備しており、搭載機も海軍と共有である為にアメリカ合衆国は[第二海軍]と批判している。海上保安庁が今の規模になったのもロンドン軍縮条約により、補助艦艇も規制された為に海上保安庁として配備しているのである。その大日本帝国の手法を第二次世界大戦前に大英帝国とイタリア王国も参考にして、同様に沿岸警備隊を強化していた。
そして第二次世界大戦が終結し戦後軍縮に関連して、国防省が設立されると海上保安庁は国防省外局として設置される事になった。戦後軍縮により陸海空軍は規模を縮小させたが、海上保安庁は一切縮小される事は無かった。何せアメリカ合衆国からハワイ諸島を筆頭に太平洋島嶼部を全て割譲させた事から、太平洋は事実上大日本帝国の領海と言って良い程になったからである。
その為に海上保安庁は第二次世界大戦までのように輸送船団護衛は行わなくて良くなった代わりに、広大な太平洋一帯の領海警備を行う必要があった。更に日本海・ベーリング海・オホーツク海・黄海・東シナ海・南シナ海・インド洋(大英帝国からディエゴガルシア島を割譲させた為)も領海警備を行う必要があったのだ。あまりにも広大過ぎる海域に、海上保安庁を縮小させる事は不可能だった。
そんな海上保安庁はイタリア戦争後に、部隊編成を改める事になった。それは新型機である回転翼機が実用化され、その性質は海上保安庁の任務に合致していた為であった。そして海上保安庁は各護衛隊群の旗艦を務めていた事実上の軽空母である、航空護衛艦を退役させ代わりに『多目的護衛艦』を建造する事にしたのである。
海軍のミサイル巡洋艦に相当するものであった。そして更にミサイル駆逐艦に相当する汎用護衛艦、海軍が海防艦を建造する事から名称を変更した警備艦がそれぞれ建造される事になった。更にこの時に帝国議会に於いて海上保安庁法が制定され海上保安庁は、法令の海上における励行、海難救助、海洋汚染の防止、海上における犯罪の予防・鎮圧、犯人の捜査・逮捕、船舶交通に関する規制、水路・航路標識に関する事務、その他海上の安全の確保に関する事務を行うと定義された。
だが諸外国の沿岸警備隊と同じく準軍事組織であり、特別の必要を認めるときは組織の全部や一部を国防大臣の統制・指揮下に組み込めると制定されていた。
活動範囲は海上全てであり、その広大な領海と排他的経済水域を管轄し海上の治安維持を行っている。』
小森菜子著
『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋




